トースター、500円玉、かき氷
例えば、
「そんなことはありえないはずだ」
というような出来事って結構ある。
「風が吹けば、桶屋がもうかる」ってご存知だろうか。
風が吹く→砂埃が舞う→眼に砂が入る→昔は衛生状態がよろしくなかったので、それが原因で失明する人が出る→失明すると三味線奏者くらいしか仕事がなくなる→三味線を作るために猫が乱獲される→猫がいなくなってネズミが増える→ネズミが桶をかんで破壊する→桶屋がもうかる(QED)
という、「なんじゃそりゃ?」と言いたくなるトンデモ話である。
カオス理論って言うんだっけ?そういうの。なんか違うような気もするけど。
ともかくそんなとんでも話に比べたら、今日の僕なんて大したことは無い。
今日の僕を「風オケ」風に表すなら、
「寝坊したら、頭痛になる」
時刻は7時45分。AM。すでに蝉が鳴く時間。
まごうことなく寝坊である。
「なぜ起こしてくれなかったの!?」
と言ったところで、我がお袋様は、
「起こしたけどお前が起きなかった」
と答えるに決まっている。時間の無駄。それであれば着替えて速攻玄関へゴーだ。
「ちょっと、シュウ!ゴハンは!?」
問いかけるお袋様。
ちらりと食卓を見る。テーブルにはみそ汁とゴハン。
今日はトースターは稼働していなかった模様。もしこの日、トースターが稼働し、食卓に上っていたのがトーストと牛乳だったなら、僕はトーストだけは押し込み、授業中におなかが鳴らない程度には胃の中を満たしていたことだろう。そう言った意味では、休んでくれたトースターに感謝したい。
「メシは無理!行ってくる!」
こうして夏の日差しの中へ飛び出していく僕。
朝食抜きの授業というのはなかなかに過酷である。
おなかが鳴ったら恥ずかしいので、頑張って我慢するものの、鳴る時はなる。
しかも先生が板書してる、めっちゃ静かな時になる。
…くぅっ
そして、そんなときになった音はよく響き、クラスのみんなからクスクス笑いが聞こえてくる。
先生にまで、
「清水、朝飯食ってこなかったのか?」
なんて笑われた。
ちらっとあの子の方を見る。あの子も…笑っていた。
すげぇ恥ずかしい…。
でも、この時にお腹がならなかったら、きっと、あの子は購買で僕のことを助けてくれなかった。
そういう意味では、あの時空腹にこらえかねて鳴いてくれたお腹に感謝したい。
我が家のお袋様は、大層料理がお嫌いで、弁当など作ってくれたことがない。
朝食は昨日の晩のおかずの作りすぎで、めちゃくちゃ残っていたので、たまたまゴハンだったが、ほとんどトーストと牛乳ですまされている。そんな意味では、今日の幸運への道は昨日の晩御飯以前から続いていたのかもしれないが、もはやそれ以上前にたどると収拾がつかなくなりそうなのでやめておく。
ともかく、我が家はそういう家なので、当然昼食も購買で済ます。
朝食抜きでお腹がすいたので、今日は奮発してカツサンドに甘い菓子パンをつけようか。
そんな風に考えながら財布を空けると…
(…580円?)
財布の中には500円玉と8枚の10円玉しか入っていなかった。
しかし、危ないところだった。500円あれば、今日の昼食は十分リッチだ。
500円を手に握ったまま、パンを選びレジまで進む。
しかし、ここでもメイクドラマ。例によって混んでいた購買。
「ちょっとごめんよ」
パンの在庫を補給に来たおばちゃんの肩が、僕の腕にあたり、僕の腕から500円玉がこぼれおち、コロコロと床を転がった。
そのまま転がった500円玉は、客のうち誰かの足にあたって…どこかへ消えていった。混んでいたので消息もわからない。あまりに一瞬の出来事に、僕は声をあげることもできず、ただ呆然と立ち尽くした。
購買の前でうなだれる僕。
購買が空けばすぐに見つかると思った500円は、なぜか容易には見つからず、ただ途方に暮れていた。
「どうしたの?清水君」
声をかけられる。
そして顔を見なくても、声でわかる。…あの子だ。
「あっ…大橋さん」
「まるで世界の終わりみたいな顔をしてるねぇー。清水君」
優しい笑顔がステキで、ちょっと僕は直視できない。
「ああ、その、パン買おうと思ったんだけど、最後の500円、落としちゃって」
「えっ、それはおっちょこちょいだねぇー。見つかったの?…ってその顔じゃ見つかってないか」
彼女の問いかけに僕はコクンとうなずく。
僕の様子を見て、彼女は何事か考える様子を見せたが、何か決意したようにうなずくと、僕の頭の上に何かを置いた。
「へっ?」
僕が頭に手をやると、そこには500円玉。
「貸してあげるよ。別に返すのはいつでもいいから」
「えっ!でも!」
僕が何か言う前に、彼女はからかうような笑顔で一言。
「いいよ気にしなくて。それに、朝ごはん食べてないんでしょう?そのおなかが言ってた」
僕はひとり赤面して黙った。
僕のお腹めっ!!
結局彼女にもらった500円玉はカツサンドに化けた。
下校時間になり、購買部に再び向かう。
購買のおばちゃんに「500円を落としてしまったので、見つけたらあずかっていてください」と頼んでおいた。
おばちゃんに尋ねると、満面の笑みで「あったよ。よかったねぇ」と答えて、僕の手に銀色の硬化をのせてくれた。
今日お金が見つかった。
もし、お金を借りたこの日に500円が見つからなかったら、きっと僕はタイミングを逃して、ずっとこの500円を大橋さんに返せなかったと思う。
そういう意味で、その日のうちに500円を見つけてくれた購買のおばちゃんに感謝したい。
昇降口を出たところの、大橋さんをすんでのところでつかまえる。
「大橋さん!」
「清水君?どうしたの?」
「500円、見つかったから、返すよ。ありがとう」
「あっ、見つかったんだ。よかったねぇー。でも、こんなに急がなくてもよかったのに」
「いや、でも借りたものはなるべく早く返さないと気が済まないっていうか…」
僕は適当なことを言う。今返さないと、返す勇気がなくなってしまうと思っている、臆病な自分はおいておいて。
「なに?それは早くしないと私が利子でもとるって思ったわけ?」
彼女はからかうように笑う。
「えっ?…いやそんなつもりないよ!?」
あわてる僕を見て、彼女はさらにからかいの色を笑顔に強める。
「え~どうしようかなぁ?そんな風に私のこと思ってるなら、利子取っちゃおうかな?」
「へっ?」
それから約30分後、僕は激しい頭痛を抱えていた。
とある街角の甘味どころ。知る人ぞ知る名店。
この店で僕はかき氷を食べていた。大橋さんと一緒に。
普段ならカロリーのない氷なんて、絶対に食べない僕が何故にかき氷を食しているのか。
それは彼女が利子としてこの店のかき氷を要求したからだ。
かき氷で頭はキーンと冷えていて、でも、頬は熱く上気していて…。
そんななんだかよくわからない状態で僕は彼女と時間を過ごした。
どんな話をしたんだかイマイチよく覚えていないけれど、彼女がこう言ってくれたのだけは覚えている。
「また一緒に食べに来る?利子とか抜きで」
最後に、今回のオチというか蛇足。
その日、幸せな気分の私をテーブルで待っていた食事は、昨日の晩の残りものだった。
普段なら、「今日も残りものかよ?」と文句の一つも出るところが、今日の僕からは文句は出なかった。
だって、この残り物がなかったら、きっと今日の幸せな気持ちは無かったんだもの。
お袋様が驚く勢いで、1日前の残り物は消化された。
1日お休みになられたトースターさんが、明日の朝からまた元気に働くことだろう。