何故読者は次のページをめくるのか?~物語の最低要件PDCA理論~
あらすじでも書いたように、ことの発端はある友達の漫画家やシナリオディレクターとの会話による。
「事件を起こさないと俺は物語を書けないんだ」
これは、私が書く作品が意図的に巨大な事件を起こさないのに商業化できた「公爵令嬢に転生してしまったので、メンタル乙女な俺は女の子を全力で楽しみます」やそれより前に書いていた二次創作の漫画同人誌に端を発している。
まぁそういうのあるよね、と思いつつも私は心の中である疑問が生まれた。
「日常系とか目立った事件は無いし、なくてもかけるよな?」 と
そこで私はちょうど美プラで遊んでいたことから出来上がったキャラクターを、とある状況に投げ込んで観察するお話を書いてみることにした。
それが「雨井まいは生き残る」である。
もちろん実験作品だなどとは明言していないが、個人的にはかなり意図的に以下のことを抜いた作品を作ったのだ。
・敵を出さない
・ライバルを出さない
・恋愛しない
・他者も出さない
・謎も解かない
かなりの創作論で必要だと呼ばれるものを意図的に削り切った作品を一本書いたのだ。
ただし、私もこれは毎日更新とかで引っ張るような話ではないことは分かっていたので一挙公開で完結という37話構成のお話にした。
結果的、何が起きたのか。
PVでの確認による解析だが、1日に数人、1時間以内に37話読み切る猛者が現れたのだ。
私の仮説ではこれらの要素を排除した作品など、作者の自己満足でしかなく読了者は現れないのでは?と思っていた。
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さて、結果として「雨井まいは生き残る」を読了する読者が現れた。
そこで疑問になるのは、じゃあ創作論って何なんだ? という問と、なんでこの作品読み切れるんだ?という二つの問だ。
とはいえ、創作論はこれまでもさんざん議論されてきた分野であり、今更私が分析するものでもないだろう。
むしろ「なんで読み切るような作品だったのか?」を分析したほうが建設的だと考えて、以下の仮説を立ててみた。
仮説1
雨井まいが少なからず成長していたから、読者は読めたのではないか?
反証
ゴルゴ13、両津勘吉、サザエさん、ドラえもんは成長しないが読み続ける人が居る。
仮説1が崩れてしまった。
つまり、これは真因ではない。
では何を読者は読んでいたのだろうか? 雨井まいは私の中でキャラクター像はあるが読者は数話読まねば発生しなかったはずだ。
つまりキャラの魅力だけでひっぱっれたわけではない。
そこで次の仮説を立てた。
仮説2
小さいながらも問題発生→まいがどうするか→実行してみた→結果が出たという小さなサイクルがまわっているからじゃないか? まいがどうするか?という行動予見を読者がし、それを観察しているのではないか?
反証
純文学、エッセイ、哲学的作品(2001年宇宙の旅など)、さらには音楽はこの限りではない。
ここで気が付く。
まてよ?この仮説2における反証を説明する必要があるのか?と。
私がやろうとしているのは、なろう小説のような大量消費する大衆娯楽向け物語作品であって、何も全部の文書作品を説明するためじゃない。
じゃあこの反証を説明範囲外として、「大衆娯楽向け物語作品」に限定すると反証が出来るか? を探ってみた。
結果としては「これ、少なくとも商業化されている作品において反証できる作品を見つけられないぞ?」となったのだ。
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ここで更なる分析をしてみようと思った。
「問題発生→主人公がどうするか→主人公が実行してた→結果が出た」
このサイクルは何かに似ている気がする。
あ、PDCAサイクルか!となったのだ。
ここで、品質管理系の知識のない方に説明しておくと、PDCAサイクルとは
Plan(計画)、Do(実行)、Check(確認)、Action(次の行動)
のことである。
私はこれを
P=問題、Do=主人公の行動、C=その結果起きたこと、A=Cによる次の問題または結末の予見性
と置いた。
何を言いたいかというと、
読者は、作中で何らかの問題が起こることで、主人公が行動し、その結果起こることによって結末を「予見・予測・期待」しているのではないか?という考えだ。
ここでいう予見とは以下を含んでいる
・結果予見性
・人格予見性
・方法予見性 である。
これは、例えば
・ミステリにおいて犯人を予測する
・告白されたことでそのキャラがどういう反応をするか予見する
・戦いにおいて、どうやって勝つのかを予見する みたいなものである。
このような見方をした時に次に見えてくるのは、このA(予見・予測・期待)を追いかけているのがもっと重要ではないか? と結論を出しそうになった。
だがここでブレーキをかけたのは、私がなろう作家だったからだろう。
「まて、なろう作品なんてタイトルで「巨大なPと巨大なA」を最初からおいてるぞ?」
読者をつかむためのものは A だけじゃないんじゃないか? となったわけだ。
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そこで、いま一度思い出してみたのは、過去の名作と呼ばれる者たちの中でも、キャラクターが明確に成長しないゴルゴ13や、ライバルキャラクターであるドラゴンボールのベジータである。
例えばゴルゴ13で考える。
彼は毎回何らかの依頼Pを受ける。そして依頼を完遂する。
PとAはもはやお決まりである。
P=依頼が来る
A=ゴルゴ13が依頼を完遂する。 これは誰しもがわかってる。誰もゴルゴが失敗するとも死ぬとも思っていないと思う。
ただ、「ゴルゴ13だから」で推論を片づけることもできる。しかし、依頼を完遂するまでの過程を読者は楽しんでいないか? と思ったのだ。
少なくとも私がゴルゴを読む時はそこが楽しい。
彼がどう行動し、どうやって依頼をこなすのかを読者は見ており、これはPDCAの中でもDとCの予測による楽しさを提供している。
次に、名作に数えられる「ドラゴンボール」におけるベジータの人気について分析してみる。
なぜこの分析をしようと思ったかといえば、主人公より人気になるわき役ってなんでだろうと考えた時に、PDCAが非常に明確だかではないか? と考えたのだ。
というのも、悟空は主人公であるがゆえに、危機に瀕した時に突如スーパーサイヤ人になるなどの作者の都合がどうしても入ってしまう。
作中でも、修行や心情などによる高まりなどが描かれていたが、物語の都合で強くなるという側面がどうしても発生してしまうのだ。
見方を変えれば「フリーザを倒すために必要な強さを獲得した」というCが置かれたともいえる。
一方でベジータは少し違う。
自分のサイヤ人最強というアイデンティティを壊されたベジータは非常に強力な問題Pを定義づけられた。
誰よりも強くなるというPである。
そして彼は、悟空以上に努力をするという描写が作中たびたび入る。
結果的に彼の努力というDとその結果によってスーパーサイヤ人に至るCという内容が読者にはとても腑に落ちる。
また、彼の行動原理は非常に読みやすく、こういう問題Pが起こるとベジータはこうするんじゃないか? という予見がしやすいキャラクターでもある。
作中でも、ベジータならそうなるよね。 という流れができるし読者も予見しやすかったのではないだろうか?
これをさらに分析すると、キャラクター像が誰でも認知可能な状態で存在すると、Pを投げるとDCAが自動生成されるモデルが読者の中に出来る。という状態ではないか?と思ったのだ。
これがキャラが立っているということなのでは? と考えた。
さらには作者が「キャラが勝手に動く」というのも、キャラクターがPDCA予測モデル化しているため、Pを投げるだけでDCAが自動生成され、結果的に「勝手に動く」になっているんではと分析した。
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さて、まとめて行こう。
図1.読了モデルにおける理論まとめ
今一度説明するが、この理論は「売れるための理論」でもなければ「人気作の解析による創作論でもない」
あくまでも「読者が何を追いかけてページをめくってくれるのか?」を体系的に理論立てたものである。
◆適応条件
大衆娯楽物語において、読者が次のページをめくるための最低要件
※適応範囲外
・キャラクターそのものが好きだという感情や消費
・純文学やエッセイ、詩など
・芸術性や哲学性の高い作品(2001年宇宙の旅など)
◆理論
読者が次のページをめくるための物語の最低要件はPDCAで説明できる。
P(Plan) 問題意識・目標設定
D(Do) 行動・実行
C(Check) 結果確認・比較・評価
A(Anticipation/Action) 読者が期待する予想しえる次の結末
ここでいうAは以下を内包する
・結果予見性
・人格予見性
・方法予見性
なお、これら予見性を裏切ったとしても、事前のPDCの内容に妥当性があれば、読者は「やられた!」「ここが伏線だったか!」と納得するので作品から離れず、それが快感として認知される。
とうぜん、予見性が的中することも快感である。
また、大衆娯楽向け物語作品において、PDCAは小さくとも成立していないものを探すのが難しいということに直面する。
例えば、日常系であっても、小さな出来事→キャラの反応→結果起きること→次の出来事という極小のPDCAが存在する。
これは、私の書いた「雨井まいは生き残る」でも成立しており、「日常ものなんて、何も起こらずキャラだけ眺めているお話だ」という指摘について、観測困難かもしれないが極小のPDCAがある。
仮に本当PDCAが一切ないならば、それは1枚イラスト等であり、今回の適応範囲外である。
となる。
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上記まとめを行ったが、これは何であろうか?
一言で述べるならば
「読者が次のページをめくり最後まで読み切るための必要最低条件」
を定義したと思ってもらえればよい。
例えばこれを活用すると何ができるのか?をこれから説明しようと思う。
1.自分の過去作品の分析
たとえば、作品Aは評価を得たが、作品Bが評価を得られなかったとする。
この時、PDCAの妥当性があったかを確認してみれば、何故評価されなかったかが見える可能性がた高い。
つまり、Pが弱い、あるいは主人公のDやCが読者の納得を得られていない、またはPDCの繋がりからAが予見できない、あるいは予見できるAとは違うAを唐突においている。
などが分析可能である。
仮にPDCAの妥当性が崩壊している場合、読了者が「ご都合主義」とか「なんだかわからない」という反応が返ってきていれば、読者がPDCAを納得していないと読み取れる。
2.これから書く作品において物語の最低要件を満たしているかチェックができる。
作者が置いたPにおいて主人公の行うDCの妥当性とそこから導き出せるAについて評価することで、少なからず読了者を出す構造が最低限作られているかのチェックができる。
3.既存創作論が何を強化しているのかがわかることで、編集等の指摘について納得感が得られる。
つまり過去によく言われる創作論は必要条件ではなく十分条件という事になる。
・敵が必要 → 強大な敵とよう問題Pを定義することにより物語を駆動させる
・ライバルは必要 →主人公と対比できる存在を作ることによりCの確認が容易になる
・事件は必要 →強大な問題Pを設定することで物語を駆動させる
・恋愛は必要 →問題Pを置く事で大量のA予見性を発生させる
・魅力的なキャラクターが必要 →PDC観測の容易性やキャラクターがどういったA予見性をするのかの期待を上げる
つまり、すべての創作論はPDCAの流れをより明確にし加速し、読者を飽きさせないAを構築するために必要な条件であり、必要条件ではなく十分条件であると定義できる。
その為、書こうとしている作品にどの創作論が利くのか、またPDCAのどこが弱いのかを見つけたとき、これら創作論により補い、増大させることで、A予見性を維持できる可能性が高い という分析となる。
創作論で言われる〇〇が必要 という論調は「PDCAを強化すうえで必要な十分条件である」と言い換えることができる。
なので、物語駆動の最低要件であるPDCA妥当性の評価とは別に、「その物語を売れる物語にする」という点で、創作論はすべて正しいとなる。
これは基本創作論が売れた作品の分析から来るものであるからで、逆にいえば必要条件であるPDCA妥当性が崩壊した作品に、いくら創作論の必要という要素をぶち込んでも、読者は離れるということを意味する。
もし、これをお読みの作家、漫画家を目指す方々には一度、自らが描いた物語が、このPDCA妥当性を満足しているのかご確認いただきたい。
また、おおよそ一般社会において商業化された作品で、この最低要件を満たさない「大衆娯楽向けの物語作品」があればお教え願いたい。
この理論を修正するチャンスであり、また適用される条件を見合のすキーとなるので、是非ともお願いします。
以上
追記
反証可能性がある作品や事象として以下の作品を上げる。
反証1 エヴァンゲリオンはPDCAが回っていない
解説 回っていないわけではない、
実際には「使途が攻めてきた→どう倒す」というPDCAが小さいながら存在する。
ただし、それと別に「超巨大な哲学的思想実験」という推進剤があるため目立たなくなっている。
もし仮にアニメ版最終話のような「おめでとう」だけで26話作られたら多くの脱落者をだし、ここまで名作とはならなかったと思われる。
反証2 どんでん返しや真犯人をどう説明するのか
解説 どんでん返しや真犯人は読者の予見を裏切っている行為である。
実際に読者が「ふざけるな!」と怒ることがあると思うが、それはPDCの妥当性がないためと分析する。
伏線と呼ばれるものはこの最後のAの為にPDCの中に妥当性をちりばめることであり、そこを無視して作品を書けば「ご都合主義」「何言ってるかわからない」という反応なると分析する。
つまり「予想を裏切れ」という創作論はとりあえず裏切ればいいのではなく、その手前のPDCの中に裏切りの妥当性があるかが問われることになる。
このほかにも疑問に思われることや、「この作品はどう説明するのか?」等反例がございましたら、ぜひ感想をいただければ可能な限り回答しようと思います。
また、ひとつ注意いただきたいのは「創作論なんて不要じゃないか」と思われる方がいるかもしれませんが、私は「創作論は必要だ」と考えています。
何故なら、創作論とは物語のPDCAを強化し、読者にわかりやすく伝え、作者は書きやすくなり、物語全体を面白くするための重要なツールだからです。
そんなの当り前では?と思われる方もいらっしゃると思います。
今回はその当たり前を「言語化」し「検証」し「体系化してみよう」というところから始めたエッセイとなります。




