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王子の結婚式を半年間阻止しようとしたら、なぜか私が式場で捕まえられました

作者: 江合 花果
掲載日:2026/03/21

 朝食のスープが運ばれてきた瞬間、侍女がにこにこしながら言った。


「殿下が聖女様とご婚約なさいました」


 セリアの手が止まった。


 スープが床に落ちた。


 盛大な音がした。


 侍女が「セリア様、スープが」と言いかけた時には、セリアはもう立ち上がっていた。


 立ち上がる勢いで椅子が倒れた。


「セリア様、椅子が」


「どうせ立つつもりだった」


 セリアは歩き始めた。


 扉を開けた。


 勢いがありすぎて、扉が壁に叩きつけられた。


「セリア様、扉が」


「どうせ開けるつもりだった」


 侍女は床のスープと倒れた椅子と開け放たれた扉を順番に見た。


「……セリア様、どちらへ」


「式を止めに行く」


「式はまだ半年後ですが」


「準備に半年かかる」


 セリアは廊下を歩き始めた。


 足が速かった。


 心臓がまだうるさかった。


(落ち着け、私)


(婚約が発表されただけだ)


(アルフレッドが誰かと結婚するというだけの話だ)


(なのになぜ)


(スープが落ちたんだ)


 セリアは十八年間の記憶を頭の中で並べた。


 一緒に庭を駆け回ったこと。


 雨の日に図書室でこっそり菓子を食べたこと。


 怒られるたびに二人で顔を見合わせて笑ったこと。


 婚約者でも、特別な関係でもなかった。


 ただ、ずっと隣にいた。


 いつもそこにいたから、これからもそこにいると思っていた。


 いなくなるとは、考えたことがなかった。


(そういうことか)


(私は)


(アルフレッドのことが、好きだったのか)


 好きだと気づいたのが、婚約発表の朝だった。


 十八年間、気づかなかった。


 いなくなると分かった朝に、初めて気づいた。


 遅すぎた。


(でも)


 セリアはまた歩き始めた。


(諦めるのはまだ早い)


     ◇


 王城の正門の前に、男が立っていた。


 黒髪、仏頂面、腕を組んでいる。


 護衛騎士のルーク。


 セリアが王城に近づくたびに現れる男だ。


「なぜいるんですか」


「殿下からの命令です」ルークは言った。「セリア嬢が何か仕出かす前に止めるように」


「仕出かしません」


「スープを床に、椅子を倒し、扉を壁に叩きつけたと報告が来ています」


「全部事故です」


「三つ続けて事故というのは、体質ではなく意志ですね」


「体質です」


「そうですか」ルークは一歩も動かないまま言った。「通しません」


 セリアは金貨六百枚で交渉した。


 全部断られた。


 走った。


 捕まった。


 その日から半年間の攻防が始まった。


     ◇


半年間の記録(抜粋)


 第一週。


 聖女の光の術を暴走させようとした。


 ドレスの裾で風を起こしたら拡散して廊下が虹色に輝いた。


 通りかかった貴族が十二人足を止めて「美しい」と言った。


 聖女の評判が上がった。


 セリアは「光の演出師」として王城中に名前が広まった。


 第三週。


 アルフレッドに昔の思い出を語り、情に訴えた。


 アルフレッドは「その話、エレナにしたらすごく喜んでくれた」と言い、「式には絶対来てくれとエレナが言ってる」と続けた。


 セリアは式に招待された。聖女から直々に。


 第五週。


 式場の花を手配しようとした。


 ルークに発注書を止められた。


 しかし五週間後に業者からその花が大量に届いた。


 セリア本人が二重発注していたことが発覚した。


 本人は覚えていなかった。


 第八週。


 聖女の衣装に細工しようとした。


 これが想定外の展開になった。


 セリアが衣装室に忍び込んで衣装を広げたところへ、衣装担当の侍女頭が入ってきた。


 叱られると思った。


 ところが侍女頭はセリアが広げた衣装を見て、首を傾げた。


「……セリア様、そこのレースを外そうとしていましたか」


「そ、そうですが」


「実は私も同じことを考えていました。このレースは重くて、エレナ様のお顔まわりが少し埋もれるんです」


「……そうですよね」


「どのようにお考えでしたか」


 なぜか話し合いになった。


 話し合っているうちにさらに侍女が三人集まった。


 ここはどうか、この布の張り方はどうか、光の当たり方を考えるとこちらでは、という話になった。


 気づいたら日付が変わっていた。


 翌朝、出来上がった衣装を見たエレナが目を丸くした。


「……これは、すごい」


 侍女頭が「セリア様のお陰です」と言った。


 エレナがセリアの両手を握った。


「セリア様、ありがとうございます。こんなに素晴らしい衣装になるなんて」


「…………どういたしまして」


 セリアは帰り道、ルークに全部話した。


「衣装の細工が傑作になりました」とセリアは言った。


「聞いていました」とルークは言った。


「なぜ止めなかったんですか」


「侍女頭が止めなかったので」


「あなたが止めるべきだったのでは」


「衣装が良くなっていたので」


「妨害工作なんです、私のは」


「結果として良くなりましたね」


「腹が立つ」


「一回目ですね」とルークは言った。


 第十二週。


 式の料理に手を加えようとした。


 料理長に発見され追い出された。


 その際セリアが転んで試作中のスープをひっくり返した。


 料理長が作り直す過程で傑作が生まれ、式の正式メニューに採用された。


 第十五週。


 招待客の座席順を操作しようとした。


 ルークに全部戻された。


 翌日アルフレッドから「座席、エレナが考えてくれた。センスいいだろ」と言われた。


 第二十週。


 全ての作戦が失敗に終わっていた。


 ただし式の衣装は傑作になり、花は豪華になり、スープは傑作になり、聖女の評判は上がり、セリア自身は招待客として席が用意されていた。


 ルークは毎回隣にいた。


 作戦が裏目に出るたびに呆れた顔をしたが、一度も「やめろ」と言わなかった。


     ◇


 式の前日の夜、セリアは中庭のベンチに座っていた。


 ルークが隣に座った。


「……全部裏目でしたね」とルークは言った。


「分かっています」


「半年間」


「分かっていると言っています」


「むしろ式を豪華にする方向で貢献していました」


「聞こえています」


「スープと衣装は特に」


「うるさい」


 セリアは空を見上げた。


「……諦めます」


「そうですか」


「半年やって全部失敗した。これ以上やっても同じです」


 ルークが少し間を置いた。


「……そうですか」


「アルフレッドは幸せそうです。エレナさんも、本当に良い人で」セリアは言った。「それは、半年間で分かった。いなくなると分かった日から、ずっと見ていたから」


「……そうですね」


「いなくなると思っていなかったんです、ずっと。そこにいるのが当たり前で、これからもそうだと思っていた」セリアは言った。「それだけのことだったのかもしれない。好きというより、当たり前が壊れることが怖かっただけで」


 ルークは何も言わなかった。


「……だから、諦めます。明日の式は、ちゃんと笑って見ます」


「……笑えると思います」とルークは言った。


「なぜそう思うんですか」


「セリア嬢は、思ったより、ずっと強い人だと思っています」


 セリアが横を向いた。


「……変な褒め方をする」


「本当のことです」


「練習してください、褒め方を」


「……します」


 虫の声が聞こえた。


「ルーク」


「なんですか」


「あなたは、この半年間、一度もやめろと言わなかった」


「……言いませんでした」


「なぜですか」


「……やめてほしくなかったのかもしれません」


「なぜ」


「……隣にいたかったので」


 セリアはそれを聞いて、少し不思議な気持ちになった。


(変な人だ)


(半年間、ずっと隣にいて、呆れた顔をしながら、一度もやめろと言わなかった)


(今は、それだけでいい)


 明日の式のことを考えなければならなかった。


     ◇


 結婚式の当日。


 式場には、セリアが手配した花が大量に飾られていた。


 エレナが着ていたのは、セリアと侍女たちが夜通し手を入れた衣装だった。


 アルフレッドは「なんか花が多いな、豪華だ」と言った。


 エレナの衣装を見て「綺麗だ」と言った。


 セリアは招待客席でそれを聞きながら、静かに息を吐いた。


(また貢献してしまった)


 ルークが隣に座った。


「今日は何もしていませんね」とルークは言った。


「五週間前の自分と第八週の自分がしていました」


「ある意味、半年越しの妨害工作が完了しましたね。式を豪華にする形で」


「豪華にするつもりはなかった」


「結果は結果です」


 式が始まった。


 アルフレッドが入場した。


 緊張しながら笑っていた。


 エレナが入場した。


 アルフレッドの顔が、もっと明るくなった。


 セリアはそれを見て、静かに息を吸った。


(ああ、この人は幸せだ)


(私といる時も笑っていた)


(でも今の顔は違う)


(あの顔は、エレナがいるから出る顔だ)


 ずっとそこにいると思っていた人が、別の人の隣にいる。


 それを見て、セリアはようやく分かった。


(終わった)


(ここで終わりにする)


 目の奥が少し熱くなった。


 ルークが無言でハンカチを差し出した。


「泣いていません」


「そうですね」


「なのになぜ」


「念のため」


 セリアはハンカチを受け取った。


 誓いの言葉が読み上げられた。


 指輪が交換された。


 大聖堂に拍手が響いた。


 セリアも拍手した。


 本当の気持ちで、拍手した。


(おめでとう、アルフレッド)


     ◇


 披露宴が始まった。


 料理が運ばれてきた。


 スープが来た。


 あの日、セリアが転んでひっくり返したせいで生まれた、傑作のスープだった。


「これ」セリアは言った。


「式の正式メニューになったスープですね」とルークは言った。


「私がひっくり返したせいで生まれた」


「そうです」


「腹が立つ」


「なぜ」


「自分の失敗が美味しい」


「複雑ですね」


 そこへアルフレッドが来た。


「セリア! 来てくれてありがとう。本当に色々やってくれたな、この半年。衣装も、花も、スープも、お前がいなかったらこんな式にならなかったよ。エレナも感謝してた。式を盛り上げようとしてくれたんだろ、ありがとう」


「……どういたしまして」


 アルフレッドが笑顔でエレナのところへ戻った。


 セリアはスープを見た。


「……妨害工作の感謝をされました」


「結果は結果ですから」とルークは言った。


「全部裏目だったのに」


「裏目の結果が式を豊かにしました」


「腹が立つ」


「二回目ですね」


「二回腹が立っているんです」


 セリアはスープを一口飲んだ。


 美味しかった。


 ルークも自分のスープを飲んだ。


 しばらく、二人とも黙っていた。


 セリアはふと、隣を見た。


 黒髪、仏頂面、スープを飲んでいる。


(この半年で、一番近くにいたのはこの人だった)


 失敗するたびに隣にいた。


 呆れた顔で、でも一度もやめろと言わなかった。


(ずっと隣にいたのは、アルフレッドじゃなくて、この人だった)


「ルーク」


「なんですか」


「昨夜、隣にいたかったと言いましたよね」


 ルークが少し止まった。


「……言いました」


「護衛の任が解けても、隣にいたいですか」


「…………」


「答えてください」


「……はい」


「どういう意味ですか」


「……どういう意味、とは」


「護衛として、ということですか」


「護衛として、ではなく」


「では何として」


 ルークがセリアを向いた。


「セリア嬢」


「なんですか」


「この半年、ずっと隣にいたかった。これからも隣にいたい」


「……それは」


「結婚してください」


 セリアがスープをひっくり返した。


 盛大な音がした。


 周囲のテーブルが一斉にこちらを見た。


「…………」


「…………」


「今のは」セリアは言った。「事故です」


「そうですね」ルークは言った。「返事は」


「事故の処理が」


「テーブルクロスを変えれば済みます。返事は」


「……練習しましたか、今の」


「昨夜から式の間に」


「一日でこれが限界でしたか」


「はい」


「プロポーズにスープがひっくり返るとは思いませんでしたか」


「……想定していませんでした」


「半年間護衛して、私の体質を把握していなかったんですか」


「把握していましたが、まさかプロポーズでも発動するとは」


「私の体質はそういうものです」


「……学びました」


 セリアは濡れたテーブルクロスを見た。


 スープの匂いがした。


(失敗して生まれたスープだ)


(半年間、全部失敗した)


(でも、ずっと隣にいてくれた人がいた)


「……返事をします」


「どうぞ」


「はい」


 セリアは立ち上がった。


 勢いがありすぎた。


 椅子が倒れた。


 ルークが素早く支えた。


「……反射神経がいいですね」


「半年間で鍛えられました」


「スープ、椅子、と来たら次は扉ですよ」


「把握しています。先に押さえます」


「それが、これからの仕事ですか」


「夫の仕事です」とルークは言った。


 セリアがよろけた。


 ルークが腕を掴んだ。


「……スープでも椅子でもなく、本人が倒れましたね」


「夫の仕事と言ったのがいけません」


「慣れてください」


「時間がかかります」


「……時間はあります」


 春の光が石畳を照らしていた。


 ルークが扉を先に押さえた。


 セリアは外へ出た。


 二人は石畳を歩いた。


 セリアの半年間の妨害工作は、全部失敗した。


 式は無事に執り行われた。


 スープは傑作になった。


 花は豪華になった。


 アルフレッドは感謝した。


 そしてセリアは、式を止めに行った先で、別のものを手に入れて帰った。


 半年間ずっと隣にいた、呆れ顔の騎士を。

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