王子の結婚式を半年間阻止しようとしたら、なぜか私が式場で捕まえられました
朝食のスープが運ばれてきた瞬間、侍女がにこにこしながら言った。
「殿下が聖女様とご婚約なさいました」
セリアの手が止まった。
スープが床に落ちた。
盛大な音がした。
侍女が「セリア様、スープが」と言いかけた時には、セリアはもう立ち上がっていた。
立ち上がる勢いで椅子が倒れた。
「セリア様、椅子が」
「どうせ立つつもりだった」
セリアは歩き始めた。
扉を開けた。
勢いがありすぎて、扉が壁に叩きつけられた。
「セリア様、扉が」
「どうせ開けるつもりだった」
侍女は床のスープと倒れた椅子と開け放たれた扉を順番に見た。
「……セリア様、どちらへ」
「式を止めに行く」
「式はまだ半年後ですが」
「準備に半年かかる」
セリアは廊下を歩き始めた。
足が速かった。
心臓がまだうるさかった。
(落ち着け、私)
(婚約が発表されただけだ)
(アルフレッドが誰かと結婚するというだけの話だ)
(なのになぜ)
(スープが落ちたんだ)
セリアは十八年間の記憶を頭の中で並べた。
一緒に庭を駆け回ったこと。
雨の日に図書室でこっそり菓子を食べたこと。
怒られるたびに二人で顔を見合わせて笑ったこと。
婚約者でも、特別な関係でもなかった。
ただ、ずっと隣にいた。
いつもそこにいたから、これからもそこにいると思っていた。
いなくなるとは、考えたことがなかった。
(そういうことか)
(私は)
(アルフレッドのことが、好きだったのか)
好きだと気づいたのが、婚約発表の朝だった。
十八年間、気づかなかった。
いなくなると分かった朝に、初めて気づいた。
遅すぎた。
(でも)
セリアはまた歩き始めた。
(諦めるのはまだ早い)
◇
王城の正門の前に、男が立っていた。
黒髪、仏頂面、腕を組んでいる。
護衛騎士のルーク。
セリアが王城に近づくたびに現れる男だ。
「なぜいるんですか」
「殿下からの命令です」ルークは言った。「セリア嬢が何か仕出かす前に止めるように」
「仕出かしません」
「スープを床に、椅子を倒し、扉を壁に叩きつけたと報告が来ています」
「全部事故です」
「三つ続けて事故というのは、体質ではなく意志ですね」
「体質です」
「そうですか」ルークは一歩も動かないまま言った。「通しません」
セリアは金貨六百枚で交渉した。
全部断られた。
走った。
捕まった。
その日から半年間の攻防が始まった。
◇
半年間の記録(抜粋)
第一週。
聖女の光の術を暴走させようとした。
ドレスの裾で風を起こしたら拡散して廊下が虹色に輝いた。
通りかかった貴族が十二人足を止めて「美しい」と言った。
聖女の評判が上がった。
セリアは「光の演出師」として王城中に名前が広まった。
第三週。
アルフレッドに昔の思い出を語り、情に訴えた。
アルフレッドは「その話、エレナにしたらすごく喜んでくれた」と言い、「式には絶対来てくれとエレナが言ってる」と続けた。
セリアは式に招待された。聖女から直々に。
第五週。
式場の花を手配しようとした。
ルークに発注書を止められた。
しかし五週間後に業者からその花が大量に届いた。
セリア本人が二重発注していたことが発覚した。
本人は覚えていなかった。
第八週。
聖女の衣装に細工しようとした。
これが想定外の展開になった。
セリアが衣装室に忍び込んで衣装を広げたところへ、衣装担当の侍女頭が入ってきた。
叱られると思った。
ところが侍女頭はセリアが広げた衣装を見て、首を傾げた。
「……セリア様、そこのレースを外そうとしていましたか」
「そ、そうですが」
「実は私も同じことを考えていました。このレースは重くて、エレナ様のお顔まわりが少し埋もれるんです」
「……そうですよね」
「どのようにお考えでしたか」
なぜか話し合いになった。
話し合っているうちにさらに侍女が三人集まった。
ここはどうか、この布の張り方はどうか、光の当たり方を考えるとこちらでは、という話になった。
気づいたら日付が変わっていた。
翌朝、出来上がった衣装を見たエレナが目を丸くした。
「……これは、すごい」
侍女頭が「セリア様のお陰です」と言った。
エレナがセリアの両手を握った。
「セリア様、ありがとうございます。こんなに素晴らしい衣装になるなんて」
「…………どういたしまして」
セリアは帰り道、ルークに全部話した。
「衣装の細工が傑作になりました」とセリアは言った。
「聞いていました」とルークは言った。
「なぜ止めなかったんですか」
「侍女頭が止めなかったので」
「あなたが止めるべきだったのでは」
「衣装が良くなっていたので」
「妨害工作なんです、私のは」
「結果として良くなりましたね」
「腹が立つ」
「一回目ですね」とルークは言った。
第十二週。
式の料理に手を加えようとした。
料理長に発見され追い出された。
その際セリアが転んで試作中のスープをひっくり返した。
料理長が作り直す過程で傑作が生まれ、式の正式メニューに採用された。
第十五週。
招待客の座席順を操作しようとした。
ルークに全部戻された。
翌日アルフレッドから「座席、エレナが考えてくれた。センスいいだろ」と言われた。
第二十週。
全ての作戦が失敗に終わっていた。
ただし式の衣装は傑作になり、花は豪華になり、スープは傑作になり、聖女の評判は上がり、セリア自身は招待客として席が用意されていた。
ルークは毎回隣にいた。
作戦が裏目に出るたびに呆れた顔をしたが、一度も「やめろ」と言わなかった。
◇
式の前日の夜、セリアは中庭のベンチに座っていた。
ルークが隣に座った。
「……全部裏目でしたね」とルークは言った。
「分かっています」
「半年間」
「分かっていると言っています」
「むしろ式を豪華にする方向で貢献していました」
「聞こえています」
「スープと衣装は特に」
「うるさい」
セリアは空を見上げた。
「……諦めます」
「そうですか」
「半年やって全部失敗した。これ以上やっても同じです」
ルークが少し間を置いた。
「……そうですか」
「アルフレッドは幸せそうです。エレナさんも、本当に良い人で」セリアは言った。「それは、半年間で分かった。いなくなると分かった日から、ずっと見ていたから」
「……そうですね」
「いなくなると思っていなかったんです、ずっと。そこにいるのが当たり前で、これからもそうだと思っていた」セリアは言った。「それだけのことだったのかもしれない。好きというより、当たり前が壊れることが怖かっただけで」
ルークは何も言わなかった。
「……だから、諦めます。明日の式は、ちゃんと笑って見ます」
「……笑えると思います」とルークは言った。
「なぜそう思うんですか」
「セリア嬢は、思ったより、ずっと強い人だと思っています」
セリアが横を向いた。
「……変な褒め方をする」
「本当のことです」
「練習してください、褒め方を」
「……します」
虫の声が聞こえた。
「ルーク」
「なんですか」
「あなたは、この半年間、一度もやめろと言わなかった」
「……言いませんでした」
「なぜですか」
「……やめてほしくなかったのかもしれません」
「なぜ」
「……隣にいたかったので」
セリアはそれを聞いて、少し不思議な気持ちになった。
(変な人だ)
(半年間、ずっと隣にいて、呆れた顔をしながら、一度もやめろと言わなかった)
(今は、それだけでいい)
明日の式のことを考えなければならなかった。
◇
結婚式の当日。
式場には、セリアが手配した花が大量に飾られていた。
エレナが着ていたのは、セリアと侍女たちが夜通し手を入れた衣装だった。
アルフレッドは「なんか花が多いな、豪華だ」と言った。
エレナの衣装を見て「綺麗だ」と言った。
セリアは招待客席でそれを聞きながら、静かに息を吐いた。
(また貢献してしまった)
ルークが隣に座った。
「今日は何もしていませんね」とルークは言った。
「五週間前の自分と第八週の自分がしていました」
「ある意味、半年越しの妨害工作が完了しましたね。式を豪華にする形で」
「豪華にするつもりはなかった」
「結果は結果です」
式が始まった。
アルフレッドが入場した。
緊張しながら笑っていた。
エレナが入場した。
アルフレッドの顔が、もっと明るくなった。
セリアはそれを見て、静かに息を吸った。
(ああ、この人は幸せだ)
(私といる時も笑っていた)
(でも今の顔は違う)
(あの顔は、エレナがいるから出る顔だ)
ずっとそこにいると思っていた人が、別の人の隣にいる。
それを見て、セリアはようやく分かった。
(終わった)
(ここで終わりにする)
目の奥が少し熱くなった。
ルークが無言でハンカチを差し出した。
「泣いていません」
「そうですね」
「なのになぜ」
「念のため」
セリアはハンカチを受け取った。
誓いの言葉が読み上げられた。
指輪が交換された。
大聖堂に拍手が響いた。
セリアも拍手した。
本当の気持ちで、拍手した。
(おめでとう、アルフレッド)
◇
披露宴が始まった。
料理が運ばれてきた。
スープが来た。
あの日、セリアが転んでひっくり返したせいで生まれた、傑作のスープだった。
「これ」セリアは言った。
「式の正式メニューになったスープですね」とルークは言った。
「私がひっくり返したせいで生まれた」
「そうです」
「腹が立つ」
「なぜ」
「自分の失敗が美味しい」
「複雑ですね」
そこへアルフレッドが来た。
「セリア! 来てくれてありがとう。本当に色々やってくれたな、この半年。衣装も、花も、スープも、お前がいなかったらこんな式にならなかったよ。エレナも感謝してた。式を盛り上げようとしてくれたんだろ、ありがとう」
「……どういたしまして」
アルフレッドが笑顔でエレナのところへ戻った。
セリアはスープを見た。
「……妨害工作の感謝をされました」
「結果は結果ですから」とルークは言った。
「全部裏目だったのに」
「裏目の結果が式を豊かにしました」
「腹が立つ」
「二回目ですね」
「二回腹が立っているんです」
セリアはスープを一口飲んだ。
美味しかった。
ルークも自分のスープを飲んだ。
しばらく、二人とも黙っていた。
セリアはふと、隣を見た。
黒髪、仏頂面、スープを飲んでいる。
(この半年で、一番近くにいたのはこの人だった)
失敗するたびに隣にいた。
呆れた顔で、でも一度もやめろと言わなかった。
(ずっと隣にいたのは、アルフレッドじゃなくて、この人だった)
「ルーク」
「なんですか」
「昨夜、隣にいたかったと言いましたよね」
ルークが少し止まった。
「……言いました」
「護衛の任が解けても、隣にいたいですか」
「…………」
「答えてください」
「……はい」
「どういう意味ですか」
「……どういう意味、とは」
「護衛として、ということですか」
「護衛として、ではなく」
「では何として」
ルークがセリアを向いた。
「セリア嬢」
「なんですか」
「この半年、ずっと隣にいたかった。これからも隣にいたい」
「……それは」
「結婚してください」
セリアがスープをひっくり返した。
盛大な音がした。
周囲のテーブルが一斉にこちらを見た。
「…………」
「…………」
「今のは」セリアは言った。「事故です」
「そうですね」ルークは言った。「返事は」
「事故の処理が」
「テーブルクロスを変えれば済みます。返事は」
「……練習しましたか、今の」
「昨夜から式の間に」
「一日でこれが限界でしたか」
「はい」
「プロポーズにスープがひっくり返るとは思いませんでしたか」
「……想定していませんでした」
「半年間護衛して、私の体質を把握していなかったんですか」
「把握していましたが、まさかプロポーズでも発動するとは」
「私の体質はそういうものです」
「……学びました」
セリアは濡れたテーブルクロスを見た。
スープの匂いがした。
(失敗して生まれたスープだ)
(半年間、全部失敗した)
(でも、ずっと隣にいてくれた人がいた)
「……返事をします」
「どうぞ」
「はい」
セリアは立ち上がった。
勢いがありすぎた。
椅子が倒れた。
ルークが素早く支えた。
「……反射神経がいいですね」
「半年間で鍛えられました」
「スープ、椅子、と来たら次は扉ですよ」
「把握しています。先に押さえます」
「それが、これからの仕事ですか」
「夫の仕事です」とルークは言った。
セリアがよろけた。
ルークが腕を掴んだ。
「……スープでも椅子でもなく、本人が倒れましたね」
「夫の仕事と言ったのがいけません」
「慣れてください」
「時間がかかります」
「……時間はあります」
春の光が石畳を照らしていた。
ルークが扉を先に押さえた。
セリアは外へ出た。
二人は石畳を歩いた。
セリアの半年間の妨害工作は、全部失敗した。
式は無事に執り行われた。
スープは傑作になった。
花は豪華になった。
アルフレッドは感謝した。
そしてセリアは、式を止めに行った先で、別のものを手に入れて帰った。
半年間ずっと隣にいた、呆れ顔の騎士を。




