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友情  作者: 福村正治
5/5

あとがき

武者小路実篤氏の著作「友情」は、当時四百万部のベストセラーになった。それは太平洋戦争で打ちひしがれた庶民にとって、戦争と同じくらいの悲哀を呼ぶ話に飢えていた所に恋愛と友情のダブル破綻という設定に共感を呼ぶ要素があったせいかもしれない。だが令和の悲哀は戦争という目に見えるものではない。なんとなくすべてが「右肩下がりの状況」という希望の持てない社会状況の中で「SNS」というツールの登場も相まって、だんだんと熟成されていったものである。こういう状況下では、悲哀の上塗りよりもむしろ心温まる癒される「ささやかな右肩上がり」の状況を設定した方が、読者のニーズにこたえているのではないかという作者の思いからこの作品は生まれた。


「友情」って「恋愛」の前ではかくもむなしく跡形もなく消え去ってしまうのだ、という「悲しみの話」に終始するのではなく、令和時代の「友情」では、何か読者にささやかな希望を与えるような「ハッピーエンド」で終わらせるものにしたかった、というのがこの本を書いた率直な動機だ。恒一の「人見知り」というコンプレックスは、実は不登校や引きこもりにつながりかねない現代にとっては、思いの他深刻な悩みである。戦争、災害、大病が目に見える存在であり、文学のテーマとしては定番である。それに対し性格上のコンプレックスというのは、本人にしかわからないし他人にはなかなか目に見えるものではないだけに厄介である。肉親が病気や死に直面すると孤立化し、生涯独身というぼんやりとした恐怖も年と共に迫ってくる。これを克服するのにはどうしたらよいのであろうか?


私は、最近流行りの「心のセラピーによるハッピーアドバイス」よりもむしろ「会話を補完する生活文化」の充実化が重要なのではないかということを実体験で感じた。端的に言えば「娯楽」ということになるが、会話をしなくても共同作業で一緒に楽しめるもの(恒一の場合はテニス)が必要、ということになる。


核家族化で最近では正月でも家族や親戚で遊ぶことが少なくなった。家族や友達との旅行でもスマホゲームにずっと熱中している人達もいるようである。地域の祭りもだんだんと担い手が少なくなってきた。民俗学的に言うと、日本の生活文化を共同で楽しむという娯楽は平成、令和にはいり、どんどん減少してきているというのが実態である。


「人見知り」の人達にとって、共同で娯楽を提供してくれる場が失われるというのは、恋愛するに際してかなりの障害になる。一生独身の人達が増え続けていくというのも「会話を補完する生活文化の喪失」という観点から考えてみると何だか納得せざるを得ない。「遊び」(またはたわむれ)という動物の本能が奪われると、その種はだんだんと減少していく。自然界の法則はどうやら現代の日本社会においても当てはまるみたいだ。恋愛しないと結婚しないし、結婚(または同棲)しないと出産はありえない。


不登校三十六万人、引きこもり百四十六万人、日本は孤立化社会になってきたと言われる中、本書を読んで、一人でも多くの人達が「不登校」「引きこもり」を抜け出し、「人なつっこい人」という周りからの評価を受け、交際相手を獲得したり、結婚したり、孤立化を脱するきっかけとなれば幸いである。


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