#9 堅実な選択肢
「ん……あ……」
紗矢ちゃんが目を覚ますころには、二葉さんは自分の仕事に戻るため部屋を出て、ヘレナは昼寝を満喫していた。私、シェリー、紫塔さんが肩を寄せ合ってうつらうつらしていた、というところにギャルが目を覚ましたのだ。
「あ、紗矢ちゃん、起きたんだ」
あれからどれくらい経っただろうか。手元や部屋に時計はないし、部屋から覗く水槽たちの明度は変わりがない。お昼から二、三時間か経っている気はするけれど、確証が持てない。
「はるっち……おはよ……」
起き抜けの声はまだエンジンがかかってないと訴えている。
「どう、紗矢ちゃん? 体調」
「うーん、ちょい頭痛、あるかも」
彼女が額に右手を置くと目をつむる。もしかして熱も出てたりするのかな?
「ど、どう?」
私も右手を彼女の額に置く。……特に熱いとは感じなかった。
「はるっち、心配性だなぁ」
「そりゃ心配になるよ。お湯に沈められてぐったりしてたんだから」
「まあ、そりゃそうか」
らしくもないアンニュイさを一瞬紗矢ちゃんは含めると、すぐにニヤッと歯を見せた。
「お腹空いたよ。はるっちたちは食べたの?」
紗矢ちゃんの分のお昼なら、二葉さんは置いていった。流石に数時間も経てば熱など残っているわけもない。どうにかして温めてあげたいとも思ったけれど、レンジもない。二葉さんを呼べれば、それも叶いそうだけれど――そう思っている間に、紗矢ちゃんの手元には麻婆春雨の皿があった。
「いただきま~す」
冷たくなってしまったとかお構いなしに、紗矢ちゃんは大きく一口、かぶりつく。よほどお腹が空いてしまってたんだろう。
「うーん……」
紗矢ちゃんの表情が困惑を選んだ。冷えてしまっているのに加え、私から見てもそれなりの味だったということを考えたらその顔も頷けてしまった。
「紗矢ちゃん、たぶん他に食料はないと思うんだ……」
「まあ、食べられないことはないからさ」
……ここに二葉さんが居たら、ショックを受けていたかもしれない。それでも紗矢ちゃんはきちんと平らげて「ごちそうさまでした」と礼儀良くお昼ご飯を終えた。
紗矢ちゃんが起きたのをきっかけに、紫塔さんも閉じそうだった目をあけて、立ち上がる。それに気づいたシェリーもムニャムニャとつられるように立つ。ヘレナは気持ちよさそうによだれを垂らして寝ている。
「もう平気なの? 紗矢」
「うん、だんだん調子戻ってきたかも!」
紗矢ちゃんのギアが少しずつ上がっていくのを感じた。彼女はストレッチのような伸びをしながら、準備を整える。
「シェリーちゃんも、可愛らしいお顔が……!」
「? んー……?」
あんまりピンと来てないみたい。シェリー、自己評価がそこまで高くなかった気がするし。
「何やるか決まったの? みおっち」
「ええ。ちょうどさっき決まったわ」
私たちの目的、その一。二葉さんの部屋を特定すること。それを告げると、紗矢ちゃんはなぜだかポカンとしたような表情を浮かべる。
「追ってけば良かったんでないの?」
「あなたを置いていけるわけないじゃない」
眉をひそめて、紫塔さんは毒づく。
「あら、そーりーそーりー」
……やっぱり、どこか紗矢ちゃんは自分のことは最悪見捨ててもいい、という考えが見え隠れする。どうしてそこまで、自己犠牲のような考えをしているのか、と聞きたい気持ちはあったけれど、今それを聞く場面じゃないと思った。
「あと、追うにしてもちょっと色々確認をしたほうがいいんじゃないか、って一度立ち止まったのよ。何か不測の事態が起こってからでは遅いから」
「うーん、じゃあ、作戦会議って事だねっ」
うん。これは皆できちんと確認し合ったほうがいいと思う。私も、この先何がありそうなのか、っていうのがやんわりとしかイメージできていないし……。
「じゃあ……。そうね」
紫塔さんが考え得るこれからの危険を一通り挙げてきた。やっぱり紫塔さんは一般人の私なんかより、よっぽど危険な点が見えていると思う。
「一つは、この『水族館』内に、監視カメラがあるという危険性よ」
二葉さんが言っていた、コンピュータで施設内の監視をしている、という話があったから、これは私からも納得のできる話。でも、見渡した感じではそれらしきものはどこにもない。部屋の中を探してみたものの、やっぱり無かった。
「ないのかな……?」
「どうかしらね……」
「紫塔さん、魔力でなにか感じたりしない?」
シェリーの問いは私も思った。でもその答えはちょっと意外なものだった。
「魔力は感じるわ。ただ……すごく、雑多な魔力よ。言うなれば『違う魔女のものが入り乱れた』魔力。ここからオクトパスの魔力だけを探していくのはかなり骨が折れるわ」
なるほど……現にここにはヘレナもいる。……ヘレナ以外にも魔女がいたことがある部屋なのだろうか?
「でも、最悪それを分かりながらでも、一旦二葉の部屋を探すことも考えたほうがいいかもしれないわね」
「うーん……」
ちら、と横目に映った紗矢ちゃんに、頷きかけた私は急遽言葉を濁した。それをやって、また紗矢ちゃんが、いや、ここにいる誰かがまた命の危機になったら……私は心が持たない。
「どっちにしても、この状況をどうにか打破しないことには、一生囚われの身よ」
それは嫌だ。この薄暗い水族館で一生を終えるのは、勘弁してほしい。
「そして、この水族館での敵はオクトパスだけなのか、というところも少し気になっているわ」
「ほう」
思ってもみない言葉。ここはオクトパスの作った施設だ。それを、オクトパス以外の脅威があるというのは……?
「オクトパス以外?」
「この水族館、魔法使いが囚われているというのなら、それは決してオクトパスに敵対心を燃やしてる奴ばっかりじゃないかも、っていうことよ。言うなら、彼女に賛同して、彼女に味方をする奴がいるかもって」
ほほう、少し分かった気がする。ここに囚われて生きていく以上、そういう考え方にシフトチェンジしているのもいる可能性がある、ということか。
「……まあ、他の魔法使いというのに会ってみないとそこは分からないけれど」
「よし……じゃあ、まずは……どうしようか? この水族館の探索を始める? それとも、次の二葉さんの巡回を待つ?」
待てば二葉さんが夕食を配りに来るかもしれない。探索をしたら、この水族館のことをもっと知れるかもしれない。いま私たちに足りないものは……?
「あ、あたし二葉ちゃんに料理の感想言いたい!」
「えっ? 美味しかった? 紗矢」
「まあまあだったけど、こんな状況だし、手当のお礼も言いたいし」
「そうね。夕食後に、二葉を追うという選択肢を取ることもできるわね」
大まかに、次の行動が決まった。ただ、多分まだ二葉さんは来ない。中途半端に数時間の猶予がある。その間に、もう少しこの部屋にあるかもしれない監視カメラをしっかり探すのも悪くない気がしてきた。