#61 決着
ヴァサーゴは今、半身のオクトパスを失っている上に、ヘレナから受けた攻撃でかなり弱っている。
『晴香、奴は死に至らしめることは出来ない。だが魔力を尽かせ、眠りにつかせることは出来るだろう』
それは悪魔同士だからこそわかる共通項なのかもしれない。とりあえず相手に白旗を上げさせることは出来そうだ。剣を構える。そこに、ラボラスの手も一緒に重なって見えた。
「くっ……なぜだ、なぜこうも上手くいかない!?」
「紫塔さんを、皆を困らせたからだ!」
「生意気な子供! お前も魔女にたぶらかされたのだろう! 哀れな人間だ!」
「違う! これは私が選んだことだ! 紫塔さんを幸せにする……そのために!」
剣を振るう。ヴァサーゴが空中の魔法陣から赤黒い槍を出して、その柄で受け止める。
「馬鹿め! 魔女の手先、そして今は悪魔ラボラスの手先! お前の人生はもう終わり、全て魔女のために費やされるのだ!」
「それでいいんだ! 私の生き方は、私が決める!!」
私の魔力に歯止めが利かない。だけど必要もなかった。ありったけの力を注ぐと、剣は青く光り、目も開けられないほど輝いた。
「眠れ、オクトパスの血の中で!!」
「このような屈辱……!」
剣は黒槍を断ち、そしてヴァサーゴに届いた。ありったけ、海を真っ二つに割りそうな魔力の迸る剣。それは悪魔を切り裂いた。
「オオオオオ……」
光とともに、ヴァサーゴの身体は透き通り、消えていく。
「……こっちは終わった。あっちは……!」
背後で戦う二人の様子を見ると、ヘレナの前で膝を突くオクトパスの姿が見えた。
「……」
「多知晴香。……こちらも終わりだ」
どうやら勝負は決したみたい。
「オクトパス様!」
全ての戦いが終わり、まず駆けだしたのは二葉さんだった。オクトパスは膝をついて、虚ろな目を開いたまま動かない。……もしかして、死んでる?
「オクトパス様! オクトパス様ぁ!」
「……メイ、ド……」
微かに聞こえたオクトパスの声は、もう風前の灯のようだった。
「オクトパス様。今、手当てを……!」
「……」
オクトパスは力なく、二葉さんの胸の中に倒れ込む。もう終わった、それを体現するかのようだった。
「オクトパス様……?」
「……」
目は微かに開かれたまま、息の音も聞こえない。
「……ぐすっ」
二葉さんは、あふれる涙を止めることなく、ただただオクトパスを抱きしめる。……少しこの場を離れたほうがいいかもしれない。
「……晴香、終わったのね」
隔離壁はいつの間にか消滅し、紫塔さんがフラフラとこちらに近づいてきた。疲れてるみたいだ。
「紫塔さん……うん。やっと」
笑って見せたつもりだったけど、上手く笑えなかった。
「……。ありがとう、晴香」
「うん」
私のそばまで近寄ると、紫塔さんも倒れ込む様に、私に身を預けてきた。慌てて受け止めて、気付く。すごい高熱を出している。
「紫塔さん、熱が……!」
「貴女に魔力をパスしていたのは、ラボラスだけじゃないのよ」
「……ありがと。紫塔さん。帰ろう」
「……そうしたいのは、山々だけど……」
そう言って、紫塔さんは気を失ってしまった。元の疲労と、私への魔力のパスでもう限界だったのかもしれない。
「多知晴香」
そこに、大鉈の魔女が寄ってきた。
「ヘレナ」
「ああ」
「フルネームで呼ぶの、やめてほしいな」
「おや。頭から終わりまで美しい名前を呼ぶ権利が、私にはない、と」
その言い方は、ちょっと調子が狂う。
「じゃあいいよ」
「多知晴香、君のおかげでこの戦いは終結を迎えた。本当にありがとう」
私のおかげだろうか。いや、まあ、そうだったかも。
「この後どうするんだ?」
「ここから出……あっ」
思い出した。この水族館の中で、生き別れた仲間たち。元来た道を見ると、もう海水に沈んで、水族館につながってないようにすら見えた。
「……みんなを助けたかったけど……」
「そうか。なら、私が来た道でも戻ろうか」
なにも悲しそうな素振りすら見せず、ヘレナは歩き出す。そういや彼女はどこから来たんだ? ヘレナは確か……レジーナたちと一緒だったはず。そこまで考えて、ハッと気づいた。同時に私も笑顔になった。
「紫塔さんや、二葉さんたちはどうしよう?」
「彼女たちも連れて行こう。向こうでいくらでも休むことはできるとも」
ヘレナの案内した道は、瓦礫の道だった。ところどころ海水が浸水していて、どうにもこの先に安心できる場所が待っているとは思えなかった。
「ねえヘレナ、本当にこっちであってる?」
「合ってるさ。シェリー・アンカレジの匂いがするからな」
「え?」
シェリーの名前が出たことに少し驚いた。でも以前のヘレナを一番かわいがっていたのはシェリーだったな。
「……」
二葉さんが静かに私たちについてくる。きっと話す気分ではないのだろう。紫塔さんは私が背負い、オクトパスはヘレナが担いでいた。
「ここだ」
「ここ?」
どう見ても瓦礫の壁だ。私は何も感じられないけれど、ヘレナは感じているらしい。
「離れててくれ」
するとヘレナは、大鉈を一振り、オクトパスを背負ったままに振るった。すると、瓦礫の山は綺麗に割れてその先の道を示した。その奥に――。
「あれは……!」
見覚えのある、楕円形の穴が見えた。
穴を通って見えたのはログハウスではなかった。そこにあったのは、夜空に照らされる小さな砂浜と見覚えのあるクルーザーだった。
「これって……私たちが乗っていた船じゃん!」
十人も立てないような小さな砂浜に降り立つ。しゃり、としっかり砂の感触がした。
「おや、そうなのかい? 立派な船で水族館まで来たと言うのか?」
「うん、これに乗ってる最中に嵐に遭って、気付いたら水族館にいたんだ」
そう話をしていると、船の上から誰か出てくる。
「おーい! はるっちー! ヘレナちゃーん!」
「紗矢ちゃん! 無事だったんだね!」
「ふっ、安らぎのひと時と行こうか」
船に乗ると、あの時別れた面々がそこにはいた。
「レジーナ! あそこから脱出できたんだね!」
「……おかげさまでな」
急ごしらえの杖をついて、レジーナは私たちを迎えてくれた。槍で貫かれた足はまだ使えないみたいだ。
「おやおやレジーナ嬢、お労しい姿になって……」
「……果たしてこんな奴だったか、『軍神』ヘレナは……? いやこんな奴だったかもしれん」
つくづく変な奴だった、ヘレナ……。
「他の皆は?」
「中の客室にいる。案内しよう」
レジーナの杖はゆっくり進む。紗矢ちゃんが手助けしようとしたら、レジーナは「いい」と優しく断った。その緩い歩調は、なんだか再会を焦らされているような気がした。