#60 チェックメイト
「ええい……! 貴様ら全員、捻りつぶせばいいだけの話!」
オクトパスと同化したヴァサーゴの姿は、半人半妖、人ではない怪物の姿になっていた。
「その姿を私に見せたことは無かったね、オクトパス。だがその肉体で出来ることなど、手に取るようにわかる」
「偉そうな口を利く!」
生えた尻尾に、隔離剣と同じ意匠が見て取れた。あそこからも注意しないといけない。
「人間や出来損ないの魔女ごときが、我に勝てるわけがない!」
「なら来たまえ。悪魔など、長い時間の中で淘汰された弱い存在だ!」
先に動いたのはヴァサーゴの方だった。奴の残像すら生む速さで飛んでくる攻撃は、もう人の及ぶ領域じゃない。だけどそれを、ヘレナは最低限な動きで躱し続ける。
(なんだあの動き……!?)
思わず見入るくらい洗練された動き。柔らかさを活かした回避は感心すらしてしまう。
「ふむ、なんとも直線的。君は、人のできる動きを半分も理解していない」
その瞬間、ヘレナの目が光った。握られた番いの大鉈が閃くと、ヴァサーゴの身体に傷が走った。
「ぐあっ!?」
「前回から何も学んでいないようだね。いや、オクトパスではないか、今の君は」
今の私の目から見ても、ヘレナの動きは無駄が無かった。機械なのではと思うくらいだ。以前のヘレナの動きは放つ一撃に対して無駄がなかったけれど、それが今は身のこなし含めた全ての動作で無駄がない。
「来たまえヴァサーゴ。体術で私に勝つことはできないのだから」
「調子に乗るな!」
オクトパスの周囲の空中に魔法陣が展開される。そこから出てくる複数の隔離剣に、私は身構える。飛んでくる!
しかし、それは飛んでは来ない。そのすべてに魔力が注がれ、魔法陣に固定されたまま光り始めた。これは――!
隔離剣の光は全てを切り裂く。隔離壁が斬撃となって飛んでくるからだ。それが、無数の光線に分散して飛んでくるとしたら……?
周囲のあらゆるものが、鋭い斬撃の前に散り散りになっていく。オクトパスが用意した脱出に使うであろうこの空間も、ズタズタになっていく。
「くっ!」
そして、斬撃のひとつが戦っていない二人のところにも飛んでいく。紫塔さんにはオクトパスの張った隔離壁があるけど、二葉さんには――。
「ううっ!」
身体のあちこちに傷が出来ている。致命傷になりそうなものは今のところ無さそうだけど、時間の問題だ。
「二葉さん!」
私が駆け寄ろうとすると、斬撃の奔流が目の前を通り過ぎる。これじゃ、二葉さんを避難させることすらできない……!
「晴香さん! 私のことはいいです! アイツを倒してください! あなたなら、きっとやれますから!」
「……うん!」
速攻でカタをつけるのが最適解に思えた。なら、迷わずやるしかない。
「ほうら! 斬撃の嵐になすすべも無かろう!」
「ん? 私たちはまだ、何もしていないだけだ」
「できないのだろう!」
「否――手はいくらだってあるとも。多知晴香、君もそう思わないかい?」
「……うん!」
「よろしい。私たちは気が合うみたいだ」
フルネーム呼びは少し堅苦しいという感想を飲み込みつつ、私もヘレナも各々の武器を構える。こんな斬撃の雨が何だ。狙いも定まっていないそんな物に、引っかかるわけもない。
「行こう」
ヘレナがゆっくり駆けだしていく。飛んでくる斬撃などお構いなしに、ぐんぐんとヴァサーゴの元へと近づく。
「ここまで来たって、一つと当たりゃしない。無駄だらけだ」
「何故だ! 何故当たらん!?」
「当てる気のない攻撃など、そよ風と同様」
ヘレナの大鉈の一つが、素早く動く。一筋の軌道、それはヴァサーゴの残った腕を切り落とす一撃だった。
「くっ……だが、我がその程度で!」
「お喋りが過ぎる」
今度はもう一方の大鉈が動いたかもしれない。確信できなかったのはその動きがあまりにも速すぎたからだ。文字通り目にもとまらぬ速さで振るわれていた。
「ぐおおっ!」
ヴァサーゴの胴体を一太刀に切り裂くその攻撃は、どう見ても致命傷になるものだった。
「……お前は素のオクトパスよりも無粋で、華がない。せっかく駆けつけたというのに」
「貴様なんぞに……!」
ヴァサーゴの傷口が燃え上がったかと思えば、そこには切り裂かれた筈の肌や身体の部位が、新たに再生されていた。
「調子に乗るな、混血の雑種が!」
「……オクトパス、君に敬意を払う時が来たようだ」
そう言うと、ヘレナは跳び上がり、光を放ち続ける隔離剣の一つを切り落とし、魔法陣からもぎ取り手に取った。
「私の魂を分かったのは、こんな剣だったはずだ」
「どういうつもりだ!」
「ならば、オクトパスとお前を分離させることだって……できるだろう」
「!!」
残った隔離剣たちの角度が変わり、斬撃の嵐はヘレナを包み込む様に襲う。その中でも、ヘレナに攻撃が当たることはなかった。
「オクトパス、待っていたまえ」
「貴様ぁ!」
瞬間、ヘレナの動きは動作を見せずにヴァサーゴの肉体に隔離剣を刺したのだ。
「ぐうおおおおっ!!!」
斬撃の光たちが、ヴァサーゴを切り裂く。血も大量に、その身体から吹き出していく。
ヘレナの隔離剣が砕けた。同時に、他の隔離剣たちも動きを止めた。
「オクトパス……」
そこにいたのは、人の身体に戻ったオクトパスと、合体前のヴァサーゴの姿だった。
「ん、ぐうっ……!」
どうにか気合いで、オクトパスは立ち上がろうとする。そこにヘレナが手を差し伸べたところ、オクトパスは素早くその手を叩いた。
「いらないわよ……雑種の助けなんて……」
「オクトパス。あの醜悪な怪物はなんだい?」
「私の中の悪魔……勘違いしないで。アイツは私と、意気投合した存在よっ!」
オクトパスはボロボロの身体で、なおも槍を呼びだして、ヘレナに応戦する。きっとさっきよりも強く戦えないだろうその相手に、ヘレナは満面の笑みを浮かべた。
「ああ……なんて美しいんだオクトパス! 身体は万全でなくとも、君の意思、美しく輝いている……!」
「煩い……! はあっ……はあっ……」
もう息をするのも辛そうなオクトパス、だけれどその槍は不思議とブレていない。そんな彼女に向かって、ヘレナも武器を構えた。
「君の精一杯を出すといい! その美しさをたたえる一撃を!」
「……はあっ、……ふぅ……」
仰々しく褒めるヘレナに対して、息を整えるオクトパス。さっきまでの暴力的な魔力は感じない、だけれど刀のように洗練された魔力がそこに宿っていた。
「……何を勝手なことをしている、オクトパス!」
「――」
オクトパスはヴァサーゴに答えない。全ての集中力を、目の前の魔女に向けているのだ。
『……ヴァサーゴ。聞こえるか』
そう私の口が発した。驚いた。これは私の意図じゃない。ラボラスの物だった。
「……グラシャ=ラボラス! 貴様か!」
『覚えていたのだな。太古のことを。吾輩の子孫を陥れようとしたことを――悔いるがいい』
私の身体に魔力が満ちていく。もうこれを止められるものは何もない。
『行け、晴香――心のままに』
従う。私はこいつを討つ。