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#6 戦場はすぐそこに

 この水族館のお風呂は大浴場だった。かなり大きい。もしかしてこの「水族館」という名称はホテルの名前なんじゃないかって思い始めている。


「でっかいね~! みおっち、はるっち!」

「ええ、すごく豪華ね」


 広さや清潔さがそう感じさせている。お湯の温度もかなり快適だ。身体を洗ってからお湯につかると、久々の解放感に全身の疲れが溶けていく。


「あー生き返る~」

「晴香、随分気持ちよさそうね」


 しゃかしゃかシャンプーしている紫塔さんが私を見て言ってきた。紫塔さんはお風呂そんなに好きじゃないのかな?


「紫塔さん、もしかして大浴場初めて?」

「……そうね。初めてかも」

「はやくいらっしゃ~い」

「……変なの」


 疑うような目で私を見る紫塔さん。これはこれは後が楽しみだ。

「ここジャグジーあるんだねぇ! すごい施設だねぇ!」

 紗矢ちゃんはこの大浴場の色んなお風呂を楽しんでいる……遊びに来たみたいじゃん。


「二人ともはしゃぎ過ぎじゃないかしら?」

「じきに紫塔さんも、こっち側の人間になるって」


 ウインクを飛ばすと、紫塔さんの表情は怪訝なものを見るものになっちゃった。




 お風呂に浸かった紫塔さんは天井を見上げて、何かぼーっとしている。その視線の先に何か珍しいものでもあったかな、と私も視線を上げる。……何もない。


「あなたたちがお風呂好きな理由、分かった気がするわ」

「ほらね。さっぱりするでしょ、紫塔さん」

「……血の巡りを感じるわ。窮屈じゃない入浴って、素敵ね」


 どうやら満足したみたいだ。


「あ、みおっちどう、初めての大浴場は」

「悪くないわね。ふぅ……」


 安らいでいる紫塔さんを見て、私は心のどこかでほっとしたのを感じた。



 その時、ガラッと大浴場の戸が開いた。誰だろう、と思うと同時にさっきの紫塔さんの言葉を思い出した。「ここ敵地ってことでいいわよね?」……ここで襲われたらかなりヤバいぞ!


 ちょっと緊張しながら開いた戸のほうを見る。そこには……。


「あら、美央と連れの皆さま」

「オクトパス……!」


 急に緊張感が走り出す。立ち上がって、逃げる用意をするとオクトパスはまあまあ、と手で示した。


「ここは私の大浴場よ? 私が使って文句を言われる筋合いはないわね」

「いや、上がるだけだし」

「ちょっと話がしたかったのよ? それとも、相手のことをよく知らないで敵とみなすのかしら?」

「……」


 嫌な奴。単にそう思ったけれど、一応、相手の情報を集められるのは悪くないと思った私は、もう一度お湯に肩まで浸かる。


「よろしい」


 そういうとヴァサーゴの魔女は髪を洗い始めた。ピンク色の髪を丁寧に洗っている……。


(それにしても私たち大浴場来てまあまあ時間経ってないかな?)


 あんまり長風呂するとのぼせそうな気がしてきて、私は紗矢ちゃんに話しかける。


「ここって水風呂あった?」

「あーうんあそこ。どしたん?」

「のぼせそうだから」

「確かに!」

「紗矢ちゃんもどう?」

「いや、アタシはみおっちが危ない目に遭わないか、近くで見とくよ」

「分かった」


 一応紗矢ちゃんもオクトパスのことは警戒しているらしい。水風呂は少しだけ遠いから、紗矢ちゃんがそう言ってくれるのは助かる。紗矢ちゃんがのぼせないかは心配だけど。



 一通り身体を洗い終えたオクトパスは堂々と紫塔さんの横に座る。紫塔さんが近すぎると感じたのか少し移動すると、それに合わせてオクトパスも追いかける。ストーカーだ……。


「話なら、そんなに密着しなくても出来ると思うわよ」

「大事なことだからこそ、二人で確実に話をするのよ」

「気色悪いよヴァサ子、手短に話したら?」

「一般人はお静かに」


 やはりここでも出てくる「一般人」呼ばわり。でもここで凹むような紗矢ちゃんじゃない。


「おりゃっ!」


 手元の桶を握って、紗矢ちゃんは振りかぶった。中のお湯が、オクトパスめがけて飛んでいくと、そのままお湯はオクトパスをびっしょり濡らした。


「……いい度胸ね、一般人。そんなことをすると、あなたをお湯の中に沈めてしまうわよ?」


 オクトパスの目が文字通り、妖しく光ったような気がした。

 次の瞬間、なにか、空気の流れがおかしくなったように感じた。……見た目的には何も起きていないけれど、何か起きたと私の直感は答えた。


「紗矢ちゃん!」

「……やば、これ!」


 紗矢ちゃんが壁を叩くような動きをしている。見えない壁を叩くような。彼女の周囲は湯気が濃くなり、だんだんと紗矢ちゃんを捕えているものの正体が見えてきた。


「あなた……紗矢に何を!」

「お仕置きよ? ここの主は私。ちょーっとだけ、それを教えてあげるのよ」


 ふふ、とオクトパスが笑うと、立った紗矢ちゃんの膝まであったお風呂の湯が、だんだんと水位を上げてきているのが見えた。その水位は、紗矢ちゃんを囲う見えない立方体の檻を満たすように上がっている。


「……! やめろ!」


 このままだと、紗矢ちゃんが溺れてしまう! ここは大浴場、武器になりそうな代物はない。


「あら、なら力づくでもやってみることね。もちろん、あなたを捕えることだってできるのよ、一般人その2。」


 言い方は気に入らない。それはそれとして、どうすればいい、私。紗矢ちゃんを捕らえる檻をどうにかこじ開けるか、それとも檻の主をぶっ飛ばせばいいか。どっちにしたって確実に決まる手段じゃない。


「……先に用件を言いなさい、オクトパス」


 紫塔さんがあの魔女と話を進める。私に上手くいく手がない以上、彼女にお任せするほかない気がする。


「ただ一つよ、美央。私の盟友になりなさい」

「理由を聞かせなさい」

「純血の魔女による世界の支配の為よ」

「却下ね」


 ハイスピードな会話を行ったのち、少しだけオクトパスが沈黙を選ぶ。その後、紗矢ちゃんの檻の水位がぐぐっと上がる。彼女のお腹のあたりまで上がって、勢いを緩めた。


「っ……! 紗矢ちゃん!」

「紗矢!」


 紫塔さんも気付いた。これは話し合いじゃない、取引だ。紗矢ちゃんの命をかけて、奴は取引を持ちかけている。


「あなた……最初からそのつもりで!」

「まさか。ただ、交渉に有利な材料は、使っていかないと」


 こんな状況で、冷静に判断できるわけなんてない。これでは、紫塔さんが白旗を上げるのも時間の問題だ。


 真綿で首を締められるような、苦しい時間が来るように見えて、私は歯を食いしばる。きっとどう答えたって、私たちのとっての最適解は出てこない。


「みおっち! 私のことはいいから、絶対そいつの言う事聞かないで!」

「何を言ってるの紗矢! このままじゃあなたが溺れ死ぬわよ!?」

「みおっちお願い!」


 やめてほしい紗矢ちゃん、そんなこと言われたら、ますますこの状況が悲痛なものになる。


「さあどうする美央、あの一般人、あなたにとって大事な子なのかしら? そうじゃないなら、潔くここで切り捨てるのも、懸命な判断じゃない?」


 その瞬間、ビタンと弾けるような音が響いた。紫塔さんの目付きは鋭く、オクトパスを睨んでいる。


「何が盟友よ。その言葉の意味を分かって言っているのなら、一生分かり合えないわ」

「ぁっ……」


 オクトパスの頬は赤く腫れ始めている。私の中では「やった!」と喜ぶ気持ちと「まずい!」と冷静にこの後を憂う気持ちがせめぎ合っていた。


「……もう一度、問うわよ」


 うめき声のようなものが聞こえたと思うと、紗矢ちゃんの首元まで水位が迫っているのが見えた。彼女は見えない天井に必死に口を開けて必死にお湯に抗っている。まずい、こんなの、嫌だ! 心臓の鼓動は不快さを増していく。


「私と手を組みなさい、ラボラスの魔女。あなたには、その権利があるわ」


 しかし、紫塔さんは視線を動かさず、真っすぐオクトパスを見つめ続ける。紗矢ちゃんのことは意に介さないと言わんばかりに。


「不愉快。何が純血よ。あなたの思考は汚れているわ。一切、拒否させてもらうわ」


 もう一度、紫塔さんはオクトパスにビンタを叩き込む。赤くなってない方へ。


 でも、その腕はオクトパスによって受け止められた。見ればオクトパスの目は笑っていない。


「……残念ね。あなたの選択は重いと言う事を理解してほしいわね」

「が、があっ」

「紗矢ちゃん!!」


 ついに紗矢ちゃんの檻の中を、お湯がすべて満たした。紗矢ちゃんが必死に息を止めているけれど、時間の問題のようにも思えた。


 私は居てもたってもいられず、彼女の檻の元へと向かう。もう何も考えられない。どうにかして、彼女の檻を、壊さなくちゃ。壊さないと……!


「最後よ。手を組みなさい」

「絶対に嫌よ」


 紫塔さん、どうして……!? このままじゃ、紗矢ちゃんが、死んじゃう……!!




 大浴場の湯気が一瞬にして晴れる。同時に、何かが割れるような音が響いた。


「なっ……!」


 紗矢ちゃんを囲う立方体のお湯は、形を崩し、そして水位を急激に下げていく。紗矢ちゃんの頭がお湯を脱したと思うと、彼女はぐったり、倒れ込む。それをどうにか私が受け止める。


「……混血の魔女。あなたにこんなことをする能が残っていたのね」


 見れば、私のすぐそこにヘレナが立っている。その手元には、あの血塗られた大鉈があった。


「そうさせたのは私だよ」


 大浴場の入口から、聞きなれた声が聞こえた。


「シェリー!」

「ヘレナ、奴を捕らえられる? 次の一手で」

「アアウ!」


 元気よくヘレナが返事をして鉈を構える。


「あらやだ、まるで動物のようね。混血の雑種にぴったりの役どころよ」

「……気付いてないのね、オクトパス。あなた……不利よ」


 紫塔さんが静かに、ヴァサーゴの魔女へ告げる。


「まさか、混血の雑種に、私は負けないわ」

「負ける相手は、『私たち』よ」


 紫塔さんがヘレナの大鉈に触れると、何かその刃に指でなぞっていく。


「……!」

「シェリー、ヘレナに指示を」

「ヘレナ。やっちゃいなさい!」


 シェリーの声を聞いた途端、ヘレナの目は獣としての光を宿す。


「鉈が見えない……!?」

「子供だましと思うかしら? でもこれから五秒の間、あの大鉈が見えなくなるというのは、さぞかし怖いんじゃないかしら」

「くっ……!」


 オクトパスが顔をゆがめる。ヘレナの持っていたはずの大鉈は、まるで湯気に隠されたかのように私にも見えない。


「ウウウ……」


 ヘレナは研ぎ澄ますかのように、姿勢を止める。


「ハアッ!」

 大鉈の魔女の姿が消えた。




 豪快に叩き割る音が大浴場に響く。鋭く、鮮明な音は、私に耳鳴りをもたらした。


「――分かっているのよ、ヘレナ。あなたの攻撃が、手数ごとに力を半減させていくのは」


 ヘレナの腕は、オクトパスの首目前にして動きを止めている。見えない壁、もしかしたらそれを何重にも張って、防御を固めたのかもしれない。


「残念だったわね、所詮は混血。純血に敵うわけないわ」


「じゃあ、純血が一泡吹かせることにするわ」

「なっ!?」


 濁った鈍い音が響いた。オクトパスの表情が一瞬苦痛にゆがんだ。


「……一本取られたわ、ね」


 見れば、ヘレナが持っていたと思っていた大鉈は、どうやら背後の紫塔さんが気配を消して、持っていたらしい。


「……全然切れないわね、この鉈」

「やるじゃない、美央。それでこそ、私が見込んだ魔女……」


 立ち上がったオクトパスはじりじりと、大浴場の出口へ向かっていく。


「シェリー、離れたほうがいいわ。危険よ」


 紫塔さんが注意すると、シェリーは潔く塞いでいた出口を開ける。


「また会いましょう。なにせ、この水族館の主は私なのだから」


 そう言って、オクトパスは大浴場を出た。ちょっとして、気を失ってしまった紗矢ちゃんのことを考えて私たちも出ることにした。

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