#54 見え始めた隙
「意味の分からないことを言わないで頂戴、美央。いくらあなたでも、まだ出会って数日よ?」
「あなた……二葉に対して、変な感情が芽生えているのよ」
「私?」
二葉さんは少し驚いた。
「何を言っているのよ。メイドはただのメイドよ。従順に従わせるだけ。それ以上でも、それ以下でもない」
「嘘ね」
とことん追い詰めるような口調の紫塔さん、そして指摘されるたびに、だんだん焦りを見せるオクトパス……、なにか面白いものが見れるような気がする。
「本当は二葉の料理に『おいしい』って言いたかったのよね?」
「……そんなことはないわよ」
「『いつもありがとう』『話し相手がいてうれしかった』」
「……美央、あなた」
紫塔さんが後ろ手に隠していた何かを取り出した。
「私の日記を……!」
「日記……? オクトパス様、そんなものをつけていたのですか?」
上質な装丁のなされた分厚い日記帳が、紫塔さんの手にあった。
「ずいぶんピュアなのね、あなたは。あれだけ非道な行動を取っておきながら、実のところ心の中でピュアに動いている部分がある」
「美央、それを渡しなさい。これはお願いよ」
「――わかったぞ。オクトパス」
答えにたどり着いた、レジーナの声色はそう語っていた。
「お前、あの日記に本当の気持ちを出し切って、非道を演じていたな?」
「!」
急所に当たった――オクトパスの表情からはそう読み取れた。
「違う、違うわ!」
「惜しいわレジーナ。日記を見る限り、善性は二葉と出会ってから芽生えてしまったみたいよ」
「返してっ!」
オクトパスが紫塔さんの元へと駆けだす。紫塔さんがどこかへ逃げることもなく、日記はあっさりオクトパスの元へ渡った。
「はぁ、はぁ……」
「オクトパス様……」
「違う、違う! こんなの、私の気持ちじゃない!!」
自然な何かを、オクトパスは否定するように首を振る。
「やっぱり、オクトパス様は……」
「メイド……! あなたを……!」
その瞬間、オクトパスの手元に槍が現われた。みんな身構える。
「あなたを殺してこそ、このモヤモヤは晴れるのよ……!」
槍を構えて、オクトパスは二葉さんの元へ歩き出す。そのまま刺しに行くつもりなのか? プルートが影で攻撃しようとしたけれど、見えない壁に阻まれた。
「邪魔なんてさせないわ……メイド、怖いでしょう? 私に殺されるのが」
「怖いですよ。でも……オクトパス様、もっと素直になっていいと思いますよ?」
「ヘレナ!」
ヘレナの一太刀なら、と私は名前を呼んだ。だけれど、ヘレナはすでに身体を囲うように隔離の魔法で囲まれている。そもそも身動きを取れないのなら鉈を振りようがない。
トン、と槍の穂先は二葉さんの胸ど真ん中に当てられる。そのまま押してしまえば、彼女の心臓はいとも容易く貫かれてしまうだろう。だけれど周到にオクトパスは周りに見えない壁を置いて邪魔されないようにしている。私たちに出来ることは「見ていること」だけだった。
「どうして退かないの?」
「オクトパス様……ご自分の気持ちと、ちゃんと向き合うのがよろしいかと」
「メイドの癖に、生意気よ」
二葉さんが顔をしかめると、彼女の胸元に赤い染みが現れた。
「オクトパス様、オクトパス様はきっと、意地っ張りなのです。普通の人間は憎いものと決めつけているだけ。人はそんな定型的ものばかりじゃないです」
「……地上に魔法使いの居場所はないのよ、メイド。それに、私が人間にされたことだって、忘れてはいないわ!」
「オクトパス様……」
槍の穂先、刃の部分を構わず二葉さんは握りこむ。
「ケガするわよ?」
「ほら、あなたは優しい」
「っ!?」
驚いたように、オクトパスは槍を下げる。二葉さんの赤い染みは握りこぶしくらいの大きさで止まっていた。
「オクトパス様。私は、あなた様の事、信じています」
「何を言っているのよ、あんたは……! メイド喫茶上がりのまがい物のメイドの癖に!」
「それでも私は、オクトパス様のメイドです」
オクトパスの目は揺らぎ、二葉さんの目はブレない。
「……っ」
カラン、と槍が落ちる。息を乱してオクトパスは数歩下がった。
「理解、出来ないわ……なにもかも」
逃げるように、オクトパスは駆けだす。その手には日記帳をしっかり持ちながら。
「行ってしまったな。ミス二葉、大丈夫か?」
もう見えない壁はない。レジーナが駆け寄ると二葉さんはしゃがみ込んだ。
「うぅ、痛い痛い痛い!」
落ちている槍の穂先、1センチくらいの血がついていた。それぐらいの深さって確かに痛いかも。
「手当てをしよう。まったく、危険な真似を……」
「私がオクトパス様を信じているのは事実ですし……」
痛みで半泣きの二葉さんはどこかコミカルにも見えた。
「でもまさか……あの館長様があんな脆さを見せるなんてねぇ」
こんなときにこんな発言をするのはロリータ服の魔女だっていうのは分かってきた。
「弄り甲斐がありそうじゃない?」
「しかし……どうしたものか。この状況、むやみにオクトパスを追い詰めるというのもやりづらくなってきたな」
「どうしてよ丸眼鏡」
「ミス二葉が悲しむ」
「ハァ!?」
プルートの気持ちも分からなくはない。ここまで来てチャンスが巡ってきているというのに、それをためらうというのはもどかしい。
「追うわよ。あんたらが行かないというのなら、私一人だけでも」
そう言い残すと、プルートはすぐさまオクトパスの跡を追って行ってしまった。シェリーや他の誰かが言葉をかける暇も無かった。
「……勝手なことを。どうなっても知らんぞ」
「全くですわ」
「あれー? 水蓮ちゃん、キミは追わないんだー?」
「なっ……当たり前でしょう! 万全の体勢で挑むのが最も可能性があるだけのことですわ!」
「それもそっか」
ともかく、私たちの中でプルートとともに行くものは誰もいなかった。それは水蓮の言葉同様、少人数で挑むのは厳しいものがあると分かっていたからだ。
とりあえず嵐は去った。紫塔さんが思わぬ形で戻ってきたのをまずは喜ぼう。
「紫塔さん、無事だったんだね」
「ええ。あいつ、何もしてこなかったわ」
紫塔さんを痛めつけるために誘拐したわけではなさそうだったから、それは変とは思わなかった。
「紫塔さんは……」
そう口をを開いて、少し聞くことを変えた。
「オクトパスのことを、どう思う?」
「哀れよ」
考えることもなく、紫塔さんは答えた。
「理解してくれる人なんて、すぐそばにいたのに」
哀れみ。紫塔さんの気持ちはわかる。自分の気持ちに背いて、信念のようなものを貫くのは辛いことのはず。なのに……。
「オクトパスにつけ入る隙ができた。それはいいことかもしれないわね」
――でも、その隙とやらが、まわりまわって私たちに牙を向くことがあるかもしれない。どこかでそう感じていた。