#48 どん底からの浮上
どれくらい呼吸を繰り返しただろう。何度か意識は飛びかけた。どれくらい時間が経ったのかもわからない。目の前の光景は焦点が合わないまま。どこか薄暗い空間は曖昧な視界に拍車をかけていた。
それでも、私はどうにか意識を手放すことなく、生きている。右手から走る激痛が意識を繋ぎとめていた。何回かレジーナの声は聞こえた。だけれど、それを思い出す気はしなかった。自分のことで精一杯だった。
「ハルカ、聞こえるか?」
「……ぁ」
ギリギリ、ほんの微かに声が出せた。張りなどなく、声とは思えない声。それを、レジーナは確かに聞き取ってくれたようだ。
「ふむ、少しずつ、回復してきているな。不思議と思っただろう?」
確かに不思議だった。あれだけ死を迫るような痛みと傷だったはずなのに、さっきまでは声なんて出すエネルギーすらなかったのに。今は、わずかながら、回復の兆しが見える。曖昧だった意識もほんの少し、明瞭になってきた。それに伴って、全身の痛みもはっきりしてきたのはちょっと辛いけれど。
「この調子で、君やお友達の傷は回復していくはずだ。まだまだ辛いが、耐えてくれ。――私は同じことを、お友達にも言っていくだろう」
そうして、レジーナの声は遠ざかっていく。……もっとも、すぐ近くには居たみたいけれど。
また、しばらく経った。いつからか、身体の痛みが少しだけ、和らいできたような気がする。代わりに怠さが広がってきた。熱も出ている気がする。風邪みたいな感覚だ。風邪とは比べ物にならないくらい今のほうが辛いけれど。
相変わらず定期的にレジーナが面倒を見てくれている。それと、なんだか見覚えのない人影も見えた気がする。足音を聞く限り、レジーナともう一人、私たちの手当てをしているような、そんな気がする。
「ハルカ、ヤマは超えたようだな」
「うん」
このころになると、もう一言二言くらいは喋れるようになっていた。
「よし」
そう言って、レジーナは何かしている。しばらくすると、右手に走り続けていた痛みがスッと引いた。
「眠るといい。今なら、意識ごとダウンすることもないだろう」
そう言われるとすぐに眠気は訪れた。抗えない津波のような眠気に、私はすぐに身を委ねた。ホントに意識を失うことはないのか、少しだけ疑問に思ったけれど、もう「寝ていい」と言われたからにはそれに抗う気持ちも力も残っていなかった。
泥のように眠る。その意味を分かったような睡眠を取った。レム睡眠で見る夢とやらも見なかった辺り、本当に沈むように眠っていたらしい。体感24時間くらい寝ていたような気がする。でもレジーナに聞いたら72時間の間違いだった。
「どうだ、調子は。会話の一つくらいは出来るようになったか?」
「うん」
「起きれるか?」
体に力を入れてみる。……体が重い、力が全然足りない。ただ、体を起こすことで痛みは走らない。それを伝えると、レジーナは体を起こすのを手伝ってくれた。
いつか振りに見た、薄暗い天井以外の景色。本当に首を動かすのも難しかった。起き上がって、やっと周囲が見えた。見覚えのある、レジーナの虚数空間のログハウス。……。
「みんな……」
ベッド……すごく簡素なものが幾つか、丁度私たちの人数分用意されていて、その上にオクトパスに散々な目に遭わされた皆の姿があった。……見たところ、包帯でグルグル巻きになってるのが殆どだ。
「……っ」
痛々しい。それが最初の感想だった。身体のあらゆるところを包帯で覆われているところを見て、微笑ましいだなんて思わない。あの時のことを思い出して、気持ち悪くもなってくる。
「安心しろ。みんな、一命はとりとめた」
「レジーナ……」
レジーナ、もしかして君は医者か何かなの?
「私は医者でも何でもない。ただ、魔女としての人生において、傷の処置なんかは出来るようになってしまっただけさ。あと、そこの助手にも礼をするといい」
助手、とレジーナが示したほうに目を向ける。するとそこにいた人物は急いでフードを被った。……黄色いレインコートの。
「水蓮……!?」
「……そこの丸眼鏡の魔女に脅されただけですわ」
そうなの? とレジーナに聞くと、レジーナは鼻で笑った。
「まさか。どうにも彼女には、君たちの中で死んでほしくない者がいたらしい。私が話をした途端、スイレンは目の色を変えて『私を連れて行きなさい!!』って鼻息荒く――」
「おやめなさいっ!!」
どうやら紗矢ちゃんが結んだ縁は、無駄じゃなかった。
「でも、どうして水蓮を? 仲いいの?」
「いいや? だが、彼女の水分を操る能力というのはかなり便利だと思ってな。君たちの流血も操れるんじゃないかってな、はは」
「鉄臭くて嫌になりましたわ! もう医者の真似事なんて真っ平ごめんですの」
なるほど。つまりここまで復活できたのも、水蓮のおかげなんだ。
「ありがとう、水蓮」
「礼ならあの子に精一杯言ってもらいますわ」
そういうと、水蓮は未だ目覚めない、ギャルの方を向く。そうか、友達からのお礼のほうがいいか。それはそうとして、私からも言っておく。
ともかく、身体の痛みは耐えられる程にはなったし、意識も戻った。となると……。
ぐぅ、とお腹が鳴った。そういやあれからずっと、何も食べられていない。72時間も寝たきりになっていたとなれば、お腹だってぺったんこだ。
「ああ、おきたんですね、晴香さん……」
そう嗄れた声で近づいてきたのは、熊耳のメイドだった。そう言えばこの人だっていた。だけれど……。
「二葉さん、随分不摂生してたんだね」
目の下のクマはすごく濃くて、目も泣き腫らしたように真っ赤で、化粧もあんまり乗りきってない。でも、それくらい、ここ数日くらいの事は深刻だったって言う事なのかもしれない。
「皆さん、大変なことになってしまったんですから……!」
そういうと、二葉さんは堰を切ったように、涙が止まらなくなった。
「うっ……うわあああん!!」
それはもう子どものように、いや、子どもよりもド派手に彼女は泣き出したのだ。
「ミス二葉、ようやく出来た化粧が台無しだ。……ま、無理もないか」
レジーナの言葉は届いていないのか、それとも届いてなお、涙を止める気がないのか。二葉さんは泣くことをやめない。でも二葉さんのことだ、目一杯泣いてもらった方がスッキリしそう。
「他の皆はどう?」
「一命はとりとめたが、まだ油断ならない状況なのと、傷の治りがかなり遅い。ハルカ、君が特別軽傷だったという訳でもない。だが君の傷はどうも早送りのように治ったのだ」
「……どういうこと?」
「君、なにか特異体質なのか?」
少しその言葉の意味を考える。特異体質? 今までに大きな怪我を負って、すさまじい回復力を感じた経験はない。
「いや……そんなことはないと思うけど」
「ふむ……そういや、ポケットにこんなものが入っていたが」
そうレジーナが見せたのは、ラボラスから授かった、魔女の指輪の残骸。割れた後、捨てる暇も無くとりあえずポケットに入れていたのだ。
「なんだか無骨な形をしているが……これは指輪か?」
「うん」
装備したら魔女になったことを、彼女に言うべきか少しだけ考えた。でもすぐに答えは出た。
「これを付けたら、私魔女になったんだ」
「――ほう」
レジーナは目を細める。その奥には「興味あり」と書かれていた。
「詳しく聞かせてもらおう。もしかしたらそれは、オクトパスを打ち破る決定打になるかもしれない」
こうして、彼女に自分の分かる範囲で指輪の事やラボラスのことを伝えるのだった。