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#47 一度目のバッドエンド

 足音の主、それは私たちが予想した通りのものだった。


「……どうしてここに、アンタたちがいるのかしら」

「それはこっちの台詞ねぇ、館長さん?」


 プルートが問う。オクトパスの動機を、直接聞くつもりのようだ。


「決まっているじゃない。そこのメイドに、躾けをしなくちゃいけないの」

「二葉さんを犬とでも思っているの!?」


 私が声を荒げると、水族館の長は首を傾げた。その意味がすこし、私には分かりかねた。


「犬? どうして?」

「どう考えても、あんたの二葉さんへの接し方、人との接し方じゃない!」

「いいえ? あれが人との接し方よ? 『普通の人間』とのね」




 ……つまり、このオクトパスという魔女は、普通の人間は犬畜生道然という考えなのだ。


「アツくなってるところ悪いけれど、このお方はあなたのお話が通じる相手じゃないわ」


 そんなのはもうだいたい分かっていた。それが99%から100%になっちゃっただけのこと。


「オクトパス、悪いけどあなたのメイドは頂いていくわ。私たち、お腹が空いちゃったもの」

「はぁ? どうしてそんな権限があるのかしら? っていうかアンタたち邪魔よ? 早く退いて頂戴」


 牢屋の中の私たちにオクトパスは言う。


「オクトパス。力づくでやればいいじゃない。アンタ、私たちの事なーんとも思ってないんだから」

「……めんどくさいわね。どうしてメイドに会いに来ただけで、アンタたちと戦わなくちゃいけないのかしら。どきなさい!」

「嫌よ。アンタの指示に従うのなんて、まっぴら」


 プルートの声音が暗くなったと思うと、オクトパスの周囲を、4頭の犬の影たちが取り囲んだ。


「煩いのよ。前からアンタの事気に入らなかったわ」

「へえ。こういう機会が欲しくて、そこの一般人たちについてきたっていうのね」

「あらやだ、私のことを存じ上げるなんて!」


 プルートが驚いたような声を上げた。顔を見ると本当に驚いたような表情だった。


「でも、アンタを殴ることに変わりはないわ」


 そう言うと、犬の影たちがオクトパスに襲い掛かる。するとオクトパスの周囲に見えない壁が張られたようで、オクトパスに飛び掛かる犬たちは彼女にたどり着く前に阻まれた。


「邪魔よ。キャンキャン、キャンキャン」


 壁で自分をバリアしたオクトパスはためらうことなく牢屋の中に入ってくる。ヘレナが大鉈を構える。


「アンタも、さっき力を使ってたみたいね? この壁が打ち破れるかしら?」


 余裕たっぷり、憎たらしい言葉がオクトパスから出たその時。




 オクトパスの左手首から、血が吹き出した。


「っ?」

「がら空きじゃない? おまぬけさん」


 黒い、形の不明瞭な影がオクトパスの左手首に噛みついていた。


「……」


 不明瞭だった影はだんだん形がはっきりしてくる。あれはピラニアのような、そんな形に見えた。


 だけど、オクトパスは驚きもしないし、手首を噛みつくピラニアを離そうともしない。


「……はー……!」


 あ、やばい。そう直感的に感じた。


 ピラニアは真っ二つに胴体を裂かれると、力を失ったように、オクトパスの手首から力なく落ちた。それを勢いよく、オクトパスは踏みつけた。


「……あんた、今どうやってその影を裂いたの?」

「言う気はないわ。あなたが今から、自分の身で分かるもの」


 そういうオクトパスの目を見た瞬間。私は心臓が止まるかと思った。


 憎悪。怒り。そんな負の感情が、彼女の目の中に、はっきりと渦巻いているのが見えたのだ。彼女のそんな目を見るのは初めてで、それ以上に今まで見た誰のどの怒りよりも邪悪さを感じたのだ。


「来るわよ!!」


 そう叫んだプルートの身体が、すぐに倒れ込む。みると、彼女の右脚が――『本体』と別れている。


「ううっ!!」

「もう一本切り落としてやるわ!」


 そう言ってオクトパスが右手を上げ切る瞬間、大鉈が閃く。金属音が響いた後、吹っ飛んだのはヘレナだった。


「ウウゥ……」


 ヘレナの腹部からおびただしい量の血が出るのを見て、シェリーが悲鳴を上げる。でも、そんな彼女も……。


「あっ、がはっ」

「一般人。アンタたちが元凶よ……死んでもらうわ」


 そうこちらを貫く眼光に、私は終わりを悟った。




 オクトパスが去る靴音がどうにも頭に響く。「服が汚れた」などと言って引き返してしまったのだ。でも――なんだが鉄臭くて、気分が悪い。いや……それ以上に――私の腹部から流れる真っ赤な血。見えた終わりは逸れることなく、私を迎えに来た。


「あ……ぁ……」


 誰の声かわからない。声じゃないかもしれない。


「ごめんね……」


 そう優し気な声音の正体は分かった。


 他に動いているのはもう二葉さんしかいない。紫塔さんはオクトパスに連れ去られてしまった。アイツが純血の紫塔さんを手にかけるわけはなかった。――それ以外は皆殺しにしようとしていたけど。


 視界の隅にいる、眼鏡がズレた幼馴染の動かない姿をみて、私はもう、――もう限界だ。視界が揺らぐ。さっきから何かに引っ張られるように、意識が飛びそうになっている。もう5秒前なにを考えていたかもわからない。ただ申し訳ない気持ち、やるせない気持ち、苦しいという気持ち。全部全部、赤い血となって流れて行ってしまっている。


 二葉さんが何か叫びながら、皆の傷を見に行っている。――。凄惨だ。――。――――。




 落下するような感覚は、私が死ぬということを理解するのに丁度ぴったりな物だった。













「おい」


 目が覚めた。焦点は合わず、耳鳴りと頭痛は酷く、気分の悪さもこの上ない。霞む視界が捉える、丸眼鏡はどこかで見たことがあるような気がした。


「酷いやられ方だな」


 彼女の声はぼんやりとした意識の中で、ずいぶんはっきり頭に入ってくる。それでいて頭がそれを拒否するような、鋭さもない。優しいその声に私は安心感を覚えた。


「水蓮、そっちはどうだ」


 スイレン、すいれん……なんだっけ、と思っていると、また重い眠気が襲い掛かってきて目が塞がる。意識も雪崩るように消えそうなところを、右手の鋭い痛みが引き戻す。


「悪いな、ハルカ。だが死にたくはないだろう?」


 頷こうとするけど、首に力は入らない。声だって出るわけもない。


「ミス二葉、泣かないでいい」


 ……二葉さんがいるんだろうか? 彼女は無事なのだろうか?


「……ハルカ、君が最初に目覚めた。どうも早起きさんらしいな」


 右手の痛みだけが、海底へ沈む意識を繋いでいる錨だ。


「苦しいかもしれないが……君にはやらないといけないことがあるんじゃないか?」


 ……そうだ。紫塔さんの悲鳴と、あの表情と。彼女を、取り戻さなくちゃいけない。ぼんやりとそう思った私の意識。それは少しだけ、海底への渦から逃げる浮力を得た気がした。


「心配するなハルカ。他のお友達も、今のところは息をしている。あのブロンドの彼女もだ」


 シェリーの姿、こうなる前に見た、力尽きていた彼女の姿を思い出して、それでも生きていると聞いて、また、浮き上がった。


「まずは、息を吸え」


 言われたとおりに、肺一杯に空気を取り込もうとする。だけど、痛みが走って上手くできない。


「苦しいかもしれないが、それを忘れずに繰り返せ。痛みは君の生命の証だ」


 痛いのは嫌だ。だけれど、このまま全てを失うのはもっと嫌だ。痛む全身、ぼやける意識を抱えながらも、私は一心に出来損ないの呼吸を繰り返した。

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