#44 悲しき過去?
プルートの縄が解けたのはそれから30分も経った後だった。シェリーや皆が起きたのがその時間だった。その30分ものあいだ、私は何もできなかったし、ヘレナは二度寝して、プルートもピクリとも動かなかった。死んでいるんじゃないか? などと思ってしまったけれど瞬きはしていたから生きてはいたみたい。声を掛けると「あぁ……」とかとても人間らしさのない返答が返ってきた。
「あらー……なんか、悪いことしちゃった気分……」
紗矢ちゃんがどうにかこうにかしようとしているところに、シェリーがヘレナを起こして、私と同じ指示をすると、ヘレナはスムーズな手つきで鉈を振るい、プルートに傷一つ付けず縄を断ち切った。
力なくプルートが床に倒れる。もう生気がない。
「お姉さん、ごめんね、アタシたちのせいでこんなことになって」
「いーのよ。こだわりの服が汚れようと、また服は作ればいいもの……」
完っ全に心が折れている。醜態を晒してしまったのがそんなにショックだったのだろうか?
「寝かせて……私、いま、怒る気力も、泣く気力もないから……」
ゆっくりゆっくり目を閉じると、プルートは数える間もなく寝息を立て始める。もう彼女に何かを問うこともないだろう。……床に寝かせてしまうのはなんだか可哀想だったので、協力して彼女をベッドの上まで運んだ。
「行こっか。なんか、悪いことしちゃったみたいな感じだし……」
「そういや紫塔さん、昨日の傷は大丈夫?」
包帯であちこち巻いている紫塔さんは、大丈夫そうに見えるけれど……。
「まだ少し痛むわ。……それに、多分アイツの魔法は残っていると思う」
え? そうなの?
「今はアイツが、行動不能だから機能してないだけ。アイツがその気になれば、また私の身体の自由は乗っ取られると思う」
そんな……ちょっとまずいな……。
「ラボラスの力でどうにかならないかな?」
「たぶん、無理ね。私自身がラボラスの力をコントロールできるわけじゃないから」
……とりあえず、プルートと再会して、また不利な展開にならないことを祈るばかりだ。
一晩寝て、頭はスッキリしている。だけれど空腹感がどうにも来ている。夕食、そして朝食も食べていないのなら仕方ないけれど、正直辛い。
あと、お風呂にも入りたかった。この水族館、大浴場はヘレナの部屋の近くにしか無いのだろうか? だとしたらちょっと不便だ。
「……ひとっ風呂、入りたくない?」
「紗矢ちゃん。同じこと思ってた」
「そうね。清潔感だけは、ちょっと欲しいわね」
「うん。さすがにね……」
一日のスタートを切るために、私たちはとりあえず来た道を戻って大浴場へ行った。
さっぱりしたのち、また元いたプルートの部屋へたどり着く。「058」と書かれているプレートが目印。
戻るついでにヘレナの部屋にも戻ってみたけれど、二葉さんが来た形跡は無かった。どうしているのか、心配する気持ちがどんどん膨らんでくる。
……プルートの部屋からはすすり泣く声が聞こえてくる。昨晩の悲劇がまだ堪えているらしい。少しだけまた部屋に行ってみようと思った。
……どうにも、私たちの行動は少し危険なやり方をしていると思う。今、戦闘をこなせる人もいない。私にあった力は今は使えない。そうなると、この先また危ない目に遭ったらもう終わりじゃないだろうか。そう皆に相談すると、皆納得したように頷いた。
「そうね。……で、どうしようと?」
「……プルートを勧誘してみる」
正直嫌な奴だと思うし、あんまり関わりたいとも思えない。だけれど、もう手がない。本当はレジーナと一緒に探検でもしたかったけれど、今彼女がいない以上、これは苦しくてもどうにか取れる手の一つ。
水蓮には断られてしまった。……それに、敵を一人味方にしてしまうのは、一つでも危険材料を減らすことになるんじゃないだろうか?
よし、そのためには……。
「シェリー、頼みがある」
「え?」
プルートが目を惹かれたブロンドの彼女。彼女の力を借りれないだろうか?
「……晴香ちゃん? なにを言わせようとしてるのかな?」
彼女の眼鏡の奥は今は優しい。……これが烈火の炎に燃えるか、悲哀の涙に濡れるか。私はどっちも見たくはない。
「頼む! プルートを勧誘してほしい!」
「無理!!」
即答。たった一秒の隙間もない。ここまではっきりと断ってくるのはあまりない。だからこそ、彼女の気持ちが伝わる。ダメか……。
「どうしても……ダメ? あの、たぶん私たちだけじゃ、この水族館を攻略は難しいと思うんだ。だから……。もちろんシェリーが危ない目に合わないように、私も付き合うって!」
私も付き合う、そう言った瞬間に彼女の逆八の字だった眉毛は真っすぐになった。
「ほう……。じゃあ一緒に御同行願いますね」
「え」
するとシェリーは私の腕をがっしり掴んで、私が心の準備をする間もなく、プルートの部屋のドアをノックする。彼女の動きに迷いが一つも感じられない! 怖い! 助けて! 私もプルートの餌食になってしまう! そう目で紫塔さんと紗矢ちゃんに訴えるけれど、どうにも生温かい視線が返ってくるだけだった。たぶん見捨てたりは……しないと思うけれど……。ちょっと怖くなる。
扉の向こうから返事が聞こえて、シェリーはドアを開く。
部屋の真ん中には、涙で目を腫らしながらも、汚れてしまった部屋の掃除に勤しむプルートの姿があった。……新しいロリータファッションに身を包んでいる。
「あら……何の用」
蚊の鳴くような細い声は、集中しないと聞こえない位に小さい。最初会った時の覇気はどこへやら、そこにいるのはロリータファッションの、失望にまみれやつれた成人女性だった。
「……プルートさん! お話があります!」
シェリーが勇気を出して、先陣を切った。私は出来るだけ二人のやりとりに集中できるように、少し身を引く。
「……なにかしら。あぁ……なんだか眩しい……」
シェリーの頬を優しく包みに行くプルートの手。それを容赦なくシェリーは叩き落として、話を続ける。
「私たち、プルートさんの力が必要なんです」
「……」
再び無言でシェリーに触れようとするプルートの手。またしても叩き落とされる。
「お願いします……!」
「ねぇ、私のおねがい、一つ聞いてもらっていいかしら?」
ぼそっと、プルートがシェリーに告げる。ギリギリ、私も聞き取ることに成功した。
「私、妹がいて、むかし『プル姉』って呼ばれていたの。……あなたを見ると、どうしてだか妹のことを思い出してしまうの」
……なるほど。もしかしたら初めて会った時から、シェリーにその影を重ねていたのかもしれない。
シェリーがこちらに目線でSOSを送ってくる。「呼んでやれ」と目で訴えて頷くと、少し困った顔をしつつも、シェリーは意を決したみたいだった。
「――プル姉。おねがい。プル姉の力が必要なの」
「っ!!」
さっきまで枯れ木を思わせていた表情が、一気に明るく、生者のものになる。でもその表情は喜び……というよりも、なんだか驚愕に満ちたような、はっきり言えば変な表情だった。
「……なんでここまで、口調までそっくりなわけ……!?」
あまりにおかしな表情に、シェリーは耐えられず、吹き出してしまった。私も……。
「あなた……もしかして、お姉さんがいなかったりしない? 十数年前に生き別れた、お姉さんがいなかったりしない!?」
「いえ、私は一人っ子です……」
シェリーが一人っ子なのは私が証人だ。
「髪の色……はちょっと違うけど、でもそっくりだわ。顔つき、眼差し、声音、アクセント、雰囲気……何もかも、あの子にそっくりで……私……」
なんだかセンチメンタルなツボを押してしまったみたい。こんな展開は予想しておらず、私もシェリーも対応に困る。部屋のドアを少し開けて、紫塔さんたちも見ているのは知っている、彼女たちはどう見ているだろうか。
「ごめんなさい、ちょっと席を外してもらえると、嬉しいわ」
その悲し気な雰囲気に、私たちはすっかり反抗する牙を抜かれてしまった。大人しく部屋を出て、紫塔さんたちにさっきのやりとりを伝えると二人とも驚いていた。
落ち着いたら、また彼女に顔を合わせよう。