#42 晴香の決意
結局プルートからはロクな事は聞き出せなかった。もともとレジーナの行方の手がかりとかも聞きたかったはずなのに、どうも上手い質問もできずじまいだ。それよりも、このロリータの魔女が、ちらちらブロンドの幼馴染を見ているのが分かって、コイツも集中力が切れていると分かった。建設的じゃない。どうしようもないし、私たちはこの後どうするか考えることにした。
空きっ腹。二葉さんが来るとして、それがいつになるのか分からない。そもそも来るのかもわからないし、来たとして味はどうだろう? 最初に食べた彼女の料理を思い出すと、期待しすぎるのも良くないと思った。
私はこれから朝まで動き続けることは出来るだろう。だけれど他の皆はどうだろうか? レジーナの空間でぐっすり寝れてないであろう紗矢ちゃん、紫塔さんはちょっと辛いかもしれない。シェリーは大丈夫そうだけど、その横にいるヘレナはあくびを繰り返している。
「どうしようか。休むか、動くか」
「はるっちはどう?」
それは本音はレジーナを探しに行きたい。だけど、今の皆の状態を鑑みるとちょっと難しそうだから、ストレートにそう伝えようという気持ちはイマイチ貫けそうにない。
「行きたそうな顔してるねぇ、はるっち。アタシは付き合うよ? オールナイトなんて、サイコーに青春、みたいな」
「気持ちは嬉しいけど……」
「いいっていいって、レジーナちゃん見つけ出してから三日くらい寝てやるから」
それはそれで不健康な寝方じゃないかな……。
「みおっちはどう?」
「……お願い、皆。晴香と話をさせて」
神妙な面持ち。さっき声を荒げた時からずっと、険しい顔は変わらない紫塔さん。何を話したいのかは、なんとなくわかっていた。
紗矢ちゃんとシェリーと、椅子に縛られたロリータ服の魔女を部屋に置いて、私と紫塔さんは部屋の外に出る。水槽の魚たちは相変わらず、グルグル際限なく違う魚が入れ替わる。
「……晴香、その指輪」
「うん」
これを手に入れたとき、見えたあの異形の存在。そのことを伝えよう。
「紫塔さんがこの前言っていた、ラボラスっていう……悪魔? それが見えた」
「……なんでよ」
彼女は俯いて、声音に悔しさのようなものが滲んでいたような、気がした。
「私……晴香には、魔女なんかになってほしくなかった」
「どうして?」
「わかるでしょう? 私がどういう人生を送ってきたか。……今でこそ、どうにかこうにか生きてこれてるけれど……魔女になっちゃったら、この世界で安住なんて無理なのよ」
「……そうかもね」
「だから……晴香には、いつでも逃げることのできる退路だけは持っててほしかった。……それなのに、私……魔女なのに、弱いから……!」
「そんなことない」
しゃがみ込んだのち、紫塔さんは顔を両手で抑えて泣き始めてしまった。堰を切ったかのように声を上げて泣く彼女は、張り詰めていたものが切れてしまったかのような、そんなどうしようもなさを感じる。どうにか掛ける言葉を探す。だけれど、そのどれもが気休めにもならない、紫塔さんの気持ちを落ち着かせることも、傷を塞ぐことも出来ないような出来損ないな物ばかりで、私は何も言えなかった。
だから、ただただ彼女と同様にしゃがんで、紫塔さんを腕の中に包むくらいのささやかな事しかできなかった。
魔女になってしまった。
それがどういう意味なのか。
教会の連中に直接追われるし、この水族館の主にだって、おかしな目で見られ始めるだろう。それがどうなのか。この世の中に居場所はなく、――あ。
そう思った時、ふと思い出したのは、故郷のあの街だった。
あそこに住んでいた私の家はどうなる、家族はどうなる? 学校は、同じクラスだったみんなはどうなる?
そこまで思考が巡ると、どうやら私は取り返しのつかないことをしたのだと、だんだん、恐ろしい気持ちになった。
「ああ……」
私の選択が、あの街を壊そうとしているような気がした。きっと帰ってくることは出来ないだろうあの町。あれがもし「退路」の一つ、私が取れる最後の逃げ道だとしたら、それも……。
魔女を生みだした家、町、学校としてこの世から爪弾きにされてしまうのかもしれない。そう思うと、手が、足が震えた。
でもね。それだって、織り込み済みだ。紫塔さんの手を取った瞬間から、こうなる道に繋がっていたはずだ。
これは今見えた地獄への恐怖じゃない。すでにしていた、覚悟の確認だ。
「決めていたことだよ、紫塔さん。紫塔さんと来てから、ずっと決めてたこと。――この世界にある魔女を葬る仕組み。それを潰さなくちゃ。……紫塔さん。紫塔さんは悲しいかもしれない。でも私は悲しくない。私だって、『自分に力があれば……』って、よく思っていたもん」
そう告げると、目の前でしくしく泣いている魔女はやっと、顔を上げた。
「何を……」
「行こう、紫塔さん。私、紫塔さんのために、そして……私のために、この力を使う」
「……え」
紫塔さんのために。最高の自己犠牲だった「彼女のため」、それが「自分のため」になったんだ。私は、それでいい。退路はなくなった。私が立たなくちゃ、私の世界は終わりだ。私の世界のために立ち向かうことが、彼女のためにもなる、一石二鳥じゃないか。
「私の準備はできてる。紫塔さんの準備はどう?」
「……」
涙で濡れた彼女の目は、真っすぐ私を見つめる。「どうしてそんなことを言えるの?」「あなたの道はもう一方通行なのよ」「地獄で死ぬのは私だけでよかったのに」……そんな声が聞こえるような気がした。でも、紫塔さんはそれを口にすることはなかった。
「……ぐすっ」
それから、彼女が上げていた泣き声は止んで、彼女の涙もようやく止まって、紫塔さんは立った。
「あなた……」
何かすっきりしたような、そんな安堵の表情が見えて、私は自然と笑っていたみたいだ。そんなときに、キン、と地面に何か落ちたような音がした。
「……あら?」
私も音の方向へ、目をやる。すると、何かごつごつした輪っかのような物が落ちていた。拾おうとした自分の右手に、例の指輪が無いことに気付いて、ハッとした。
「……あれ!?」
――指輪が、抜けていた。
「……なにこれ」
「さあ……晴香、身体の調子はどう?」
そう言われて確認するのは、魔力の感覚。だけれど、それがどうやって流れていたのか、どうも思い出せない。一つ言えるのは、さっきほど、身体が軽くはないということだった。
「……魔力、ないかも」
「……ぷっ」
一度吹き出して、紫塔さんは大笑いをはじめた。
「あーあ! なんか、馬鹿みたい。無駄に泣いちゃった気がするわ! 何よこれ!」
「……んー?」
拾ったリングをまじまじと見つめる。どうしたんだろう、この指輪。どうしてさっき私がどうやっても抜けなかったそれが、重力に従って落ちるような真似をしたのか、全く理解できなかった。
どうして? と思いながら、再び右手の中指にそれを付けた。その瞬間、「パキ」となんか嫌な音がした。リングを見ると綺麗に亀裂が入って、輪の形をやめていた。
「……エネルギー切れね。どうやらラボラス、お茶目な真似をしてくれたみたいね」
「そう、なのかな……?」
魔女の話はよくわからない。私は魔女じゃなくなったのかもしれない。
だけれど、紫塔さんに、そして私自身に誓った気持ちは本当だ。例え戻れなくとも、私は絶対、紫塔さんの生きていける道を切り開きたい。……もしかして、ラボラスはさっきのやり取りをどこかでひっそり見ていたのかな? だとしたら、随分おせっかいだ。
紫塔さんが落ち着いたところで、私たちはプルートの部屋へ戻ることにした。