#4 大鉈の魔女
私たちはまず、自分たちのいた部屋を調べる。外に魚が泳いでいる以外は特に何もない空間。人の住まわせる部屋じゃない。水槽に沿って歩けばオクトパスたちが出て行った通路のほうへと行けるみたいだ。
元いた空間を調べようにも薄暗くて床の隅々とか、壁の隅々とか調べるのは難しいと感じた私たちは決心する。
「行くしかないわね、オクトパスの後を」
その意見に反対する人はいなかった。シェリーは不安そうな顔をしていたけれど、反対しなかった。
身の回りに用心しながら通路を往く。大きな水槽にはクジラのような大きい魚が泳いでいる。……水族館だからか、水槽がいちばん明るい。それ以外はほぼほぼ闇のような室内。どんより暗くて、ちょっと嫌になってくる。
それにしても、この通路、一本道になっていて、途中で身を隠すようなスペースも見当たらない。だから、向かいからオクトパスが迫ってきたときはどうしようもない気がしている。
「ねえ紫塔さん、ここはあえて早く進んでみるのはどう?」
私の提案に、紫塔さんは少し考え込む。
「アリね……さっさと進んで、他の部屋の一つでも探し当てられれば御の字ね」
歩くスピードが早まる。一応目は敵を探している。とはいえ、そんな人物は見当たらない。
やがて一つの扉に行き当たった。扉の上には「001」と書かれたプレートがある。部屋番号かな?
「……ねえ、ここ本当に開けるの?」
「シェリー、ここしか行き場がなかったわ。でも……確かになにか危ないものが中にいたらマズいわね」
「みおっち、とっておきの切札があるじゃん。気配消去」
「……オクトパスにそれが通じるかしら」
でも私たちに出来るような自衛策はそれくらいしかない。これが効かなかったとしても不思議じゃないと考えたうえで、私たちは気配消去の魔法を使おうとした。
「……ペンある? 魔法陣を描かないと」
「あっ」
……ない。今私たちの手元にはロクなアイテムは存在しない。それこそ着ている服や靴以外に使えそうなものがない。
「……考え物ね。その上で敵に見つからないようにしないと」
「一旦戻った方がいいんじゃない?」
不安そうな顔のシェリーは今にも泣き出してしまうんじゃないか、とハラハラする。
「それも……ありね」
どうしようか、手詰まりだ。こんな状況で取れる冴えた手など、私たちの元にはない。戻っても解決しない、というのなら。
「いや、行こう紫塔さん。何か変わるきっかけが欲しい」
「……」
紫塔さんは迷っている。私とシェリーの視線が合って、意見が空中でぶつかる……かと思えば、シェリーはその目を伏せた。シェリーだって自信をもって引き返そうと言っているわけじゃないみたい。
「そうだね。やっぱ、もうちょっと情報とか欲しいし。アタシも、さっきのヴァサ子にはぎゃふんと言わせたいし」
紗矢ちゃんが乗ってきた。三人の意見を問うなら過半数がこの扉の向こうへ行くと言っているけれど……。
「……。……うーん」
なによりそれを決めるのは紫塔さん。紫塔さんの判断でもしひどい目に遭ったらきっと背負い込んでしまうだろう。
「……みおっち、何が起きても、アタシたちはみおっちのせいになんかしないって」
「……ふぅ」
一息ついて、
「行きましょう!」
紫塔さんは扉を開いた。
ドアの向こうには、更に水槽が広がる。部屋の中を縦に貫くような水槽が通っていたり、今まで見ていた水槽とは別の方向に水槽が広がっている。
「……気を付けて進むわ、よ!?」
紫塔さんが急に横を振り向いた。その見開いた目は普通じゃないというのがすぐに分かった。
「伏せて!」
言われる前に準備は出来ていた。大きく身体をかがめると、頭上を、空気を切り裂く音が過ぎて行った。
「……へ?」
一瞬の出来事に、私は思考が止まってしまった。なんだ、なにが起こったんだ?
「な……」
ゆっくり立ち上がる紫塔さんが視界に入って、私も立ち上がる。その時、紫塔さんの足が震えているのを見逃さなかった。
「……」
まるで苦痛に抗うかのような紫塔さんの表情に見えたのは後悔だった。彼女はきっと、この部屋に私たちを誘ったことを後悔している。彼女の視線の先の人物、そしてソイツが持っている、血塗られた大鉈が目に入ったからだ。
「アァ……」
おおよそ人のものとは思えない声。獣のようなそれを吐いた人物をきちんと見る。170センチは超えてそうな長身、フードの中に収まっている頭部とそこからこぼれてくる床につきそうな長くて手入れのなっていない髪、理性を感じさせない瞳、よだれを垂らしただらしない口元。そして……その顔は女性のもの。汚れた全身一体型の服に身を包んだ彼女の手元の大鉈にはどうしても目を引かれてしまう。恐らく血であろう赤い汚れと、やはりここも手入れのなっていない、ガタガタの刃。ガタガタなのが逆に私は怖い。
「あいつ、魔女よ!」
紫塔さんの声で、私の全神経が逆立つ。相手は自身の脚ほどの長さの大鉈を、軽く片手で回すと、こちらに構えた。
「アアゥ……」
獣だ。今目の前にいるのは人間じゃない!
「エアッ!」
先ほどのような殺気を感じて、私は思わずしゃがんでしまう。でもそれは正解だったみたいだ。再び頭上を切り裂く音がする。その後、大鉈がどこか硬いところにぶち当たる音が聞こえた。
「……妙ね」
そう口にした紫塔さんは、恐怖よりもなにか困惑のような表情を見せていた。それはきっと私も感じたことだ。
「一撃目より、勢いが弱い……」
相手の攻撃は確かに二回目もとんでもない速さの一撃……だったのだけれど、一撃目に感じたどうしようもないくらいに研ぎ澄まされたものに比べると、別の人物のものではないか、と思うくらい何か物足りなさを感じたのだ。
「……」
紫塔さんは真剣な目そのまま、相手の方へと歩き出した。
「みおっち、危ないよ!!」
「いいえ、サプライズは終了よ」
紫塔さんが向かう先、フードの魔女は壁に刺さった鉈を引き抜こうと頑張っている。が、深々と刺さったそれは簡単に取れないのか、それとも――。
「アアッ、アゥゥ……」
見てわかるくらいフードの魔女は焦っている。その横に紫塔さんは並び立って、相手の顔をまじまじと見つめる。するとそいつはグルルと獣のように唸る。でも手元は刺さった鉈と苦戦しているのであまり迫力はない。
「……お風呂にあまり入れてないのね」
紫塔さんの観察が始まる。頭の先から足先まで観察した後、紫塔さんはいまだに抜けない鉈の取っ手を握ると、いとも簡単に引き抜いた。
「えっ……?」
「……どうしたものかしらね」
抜いた鉈を紫塔さんはなんと持ち主に渡す。そんなことをしたらまた危ない目に遭うのでは? そう言葉が出かけたけれど、相手はそれを手に取った瞬間、力なく落とした。
「紫塔さん、その子は……」
「たぶんエネルギー切れよ、シェリー。鉈を持てないくらいには、ね」
フードの魔女は取り損ねて床に転がった鉈を再び持ち上げようとして、また取り損ねてを繰り返している。
「……」
さっきまで感じた恐怖はどこへやら、今はもう大きな鉈とじゃれている服の汚れた魔女に、憐みのような感情すら湧いてくる。
「……お風呂、どこかにあるかしら」
水槽に囲まれているような場所なのに人間用のお風呂は見当たらない、ちょっとだけ不思議だ。
「どうするのみおっち、この子」
「敵になるでしょうし、ここに置いていきましょう。幸い、今なら脅威にならなさそうよ」
紫塔さんの一存で、フードの魔女は無視して行動することにした……はずだった。
フードの魔女の部屋を捜索することにした私たち。だけれどフードの魔女の扱いに困った。気を抜いたらエネルギー切れが解消して私たちを狙いに来るかもしれない。扉の外に追い出そうと思ったけれど、見えなくなることがかえって不安にさせたものだから一人監視を付けて見張ることにした。その役目を負ったのは……。
「は~い、もうすぐおわりまちゅからね~」
シェリーだ。
「……シェリーちゃん、あの魔女をペットか何かと思ってない?」
「不思議ね……シェリーがあんな甘々に誰かと接するなんて……」
ドキッとした。あんな面があるのを知っているのは私だけだったか……。いやそれにしても、知らない誰かにあんな態度を取るとは私も思っていなかった。
「あらあら髪が汚れてる……拭いてあげまちゅからね~」
「エヘ、エヘヘ」
どうも相手の魔女も満更では無いらしく、笑みのような表情を浮かべている。
「とりあえず、あの魔女が暴れ出すことなさそうだしさ、私たちは部屋の捜索に集中できそうじゃない?」
「それもそうね」
一応フードの魔女の脅威を取り除く、ということはイメージと形は違えど出来ているのでいろいろ調べて回る。私たちのいた部屋とは違い、少し家具のようなものも置かれたこの部屋。特に目立つのは革張りのソファだ。二人掛けのそれは結構しっかりした作り。でもちょっと傷みが目立つ。元からなのか、それともフードの魔女が傷つけていたのかは分からない。それ以外は特に変なところもなく、何かが隠されているなんて事もなかった。
「うーん、収穫なさそー……」
「残念ながら私も何も……」
「変な、魔力の跡とか、そんなのもなかった?」
「ええ」
うーむ。この部屋にも特に手がかりになるものはなかった、か。この部屋の入口とは向かい側の所に、もう一つ扉がある。新たな手がかりを探すにはあそこを出るのがいいのだろうか?
「よし。行きましょうか。……お腹が空いてしまったわね」
紫塔さんは多分気遣ってたのかもしれない。目覚めてから何も食べてない。お腹はぺったんこだ。
「うーん……確かに」
ちょっと、身体のガス欠的な感じもある。気合でどうにかしろと言われれば出来るけれど、たぶんそれをするのもエネルギーは要る。
と、突然室内にチャイムが流れる。異変と思った私たちは身構える。何か来るんだろう。シェリーが手なずけていた魔女も威嚇するように唸りだす。
間もなくバタンと扉が開いた。入口の方だ。心臓が飛び跳ねた。
「はい、ヘレナさま、昼食のお時間です! ……おや、紫塔さまご一行もご一緒で」
……さっきオクトパスを連れて行った熊耳のメイドだった。
「え……っと……」
「ああ、伝え忘れておりましたね。この水族館では毎日決まった時刻にお食事をご用意しているのです」
奇妙なタイミングの合致に、ちょっと気味が悪くなった。
熊耳メイド、二葉さんはワゴンと一緒に来ていた。どうやらそれで昼食を運んでいたみたいだ。
一つ目に差し出されたのは麻婆春雨……の山盛り。これがフードの魔女、ヘレナに渡される。ヘレナは目を輝かせると、よだれを滝のように流しながらそれを手づかみで口に運ぼうとする。
「めっ!!」
突然、シェリーがヘレナの手を叩く。掴んだ半分ほど口に入った状態でヘレナはシェリーのほうを見る。
「フォークを使いなさい」
「むぐぐ……」
シェリーが叱ると、二口目以降ヘレナはフォークを逆手で握って食べ始める。……なんだか監視というよりもお世話係になっている。
「あらら、いつの間にこんなに仲良く」
「いや、それがアタシらにもなんだか……」
当のシェリーはなんだか楽しそうだから、あまり遮るのも良くなさそうだ。
「……アタシらも食べよう、みおっち」
ともかく私たちも腹ごしらえは必要だ。適当なスペースに座って、昼食を取ることにした。