#39 異端邂逅
――敵の方向へ目を向ける。それが仇となった。皆がそっちを見てしまったのだ。次の暗転の瞬間、紫塔さんから悲鳴が上がった。左腕から出血している。
「ぐっ!?」
「紫塔さん!」
「二匹、二匹よ……!」
左手に掴まれていたであろう影はそこにない。暗闇の中にいくら目を凝らしても、怪しい影は見えない。
さっき聞こえた靴音はまだこちらに近づいている。暗闇の中だからなのか、何もない廊下のなかに靴音の主はまだ見つけられない。
「紫塔さん大丈夫……?」
もう彼女の三か所から血が出ている。紫塔さんは平気そうにしているけれど、血が垂れている量が(客観的に見たら大したことがないとしても)見たことない多さだったから、私はもう落ち着く、という手が取れそうにない。
「影は一つだけじゃなかったわ。私の捕えていた一匹、そして、その外から攻撃してきた、もう一匹……!」
なぜ紫塔さんの四肢を狙うのか? 行動不能にするため? 命を取らないのか? 敵の狙いは何だろう? 頭が冷静さを取り戻すことなく、思考の迷路に迷い込む。
「みおっち、はるっち……敵はどうしてアタシたちを狙わないんだろう。一番邪魔をしているアタシたちを」
その問いだって答えは出そうにない。相手の狙いが何なのか、紫塔さんを痛めつける事なのか? 紫塔さんを痛めつけてどうするのか。どうして、どうして、……理由を探りたい一心、そして……。
「っ、ふぅ、はぁ……」
決して浅くない傷からは、血が流れ続けている紫塔さん。彼女の表情は辛そうで、そして苦しそうで私は……紫塔さんをそんな目にした奴を、――許せなくなった。
「晴香ちゃん……」
「奴を倒そう。……紫塔さんが危ない」
相も変わらず明滅を続ける照明。アイツがいるからこそ、私たちは苦労している。だからまずは。
「ヘレナ、あの照明を叩き切ってほしい」
「アウ?」
「……私から言うね」
シェリーが指示をすると、首を傾げていたヘレナは頷いて、照明へと飛び掛かる。天井までの3メートルほどをいとも簡単に跳んで、そして明滅する照明を叩き切る。すると、周囲のチラチラした視界は一気に暗闇で落ち着く。
すると見えた。影の全容。
「あれは……大型犬?」
大型犬……成長したドーベルマンみたいな黒い影が二匹、すぐそこに現われた。奴らはどうやら紫塔さんを狙っている。ヘレナが大鉈を構え、奴らを始末する準備をする。
「ステイ」
突然、誰かの声が聞こえた。私の知っている声ではなかった。落ち着いて澄んだその女性の声の方へ目を向ける。今度は視界の隅に、ドーベルマンの影は入っている。
「館内の施設を破壊するだなんて、悪い子たちだわ……」
ドーベルマンの影たちが、声のする方へ駆けて行く。すると、その相手はようやく姿が見えた。
「はじめまして、『純血の魔女』一味さん」
純血、というワードに一気に緊張感が高まった。相手を見ると、白い肌をロリータファッションに包んだ、赤い目の女がそこに立っていた。顔つき的に恐らく、大人だ。パーマのかかった栗色のロングヘアーがいやに目立つ。
「あんたが……」
「そうよ。私、聞いてしまったの。『純血』という人種が、オクトパスが求めているものだって」
だから紫塔さんを……!
「ね、だから、そちらの『純血』のお嬢さんを、お借りしたいのよ」
そういう相手のそばには、さっきのドーベルマンの影がじっと睨みを利かせている。これは脅しだ。
「嫌だ」
私は奴に告げる。しかしロリータファッションの女はにこやかな表情を全く崩さない。
「魔女でもないあなた達に、私の要求を止める術はないわよね? むしろ、あなた達から始末しても良いのよ?」
「じゃあ聞くけど……どうして最初にしなかったの? 紫塔さん以外を攻撃するのなんて、簡単だったろうし、それに……」
おそらくコイツの目的に、殺しは含まれていない。邪魔な私たちを殺すでも、純血の紫塔さんを殺すでもない。ではなぜ紫塔さんを攻撃したのだろう。
「しないでいいもの。あなたたち、どう見たって私の術に太刀打ちできるように思えないもの」
……それは反論できない。相手の出方はあの犬の影だけれど、それだけとは限らない。そして、私たちが何の力もない一般人ということもバレている。
「大人しくしてたら、その魔女一人いなくなるだけで済むわ。痛みも苦しみも、何も受けずに済む」
……そんな言葉に「はい」と頷けるわけ、ない。
「嫌だ。お引き取り願います」
「あら……残念」
暗闇の中で相手の目が、光を帯びたような気がした。……いやに眩しい、そう思った瞬間。
「うっ!?」
紫塔さんの、痛みに呻く声が聞こえた。……まさか、と思って彼女を見ると、最後の右足からも血を流していた。そろそろ洒落にならない光景になってきた。量も多い。
「……こ、これは……!」
紫塔さんが何かに気付いたように、目を見開く。そして、すっと痛みなど無い、とばかりに立ち上がった。
「紫塔さん?」
「晴香……紗矢! 誰か、私を、止めて!」
一歩、また一歩、と向こうの方へと歩いていく。弱々しいけれど、確かに向こうへ。
「身体が、言うことを聞かない……!」
「なんだって!?」
そう言われて、慌てて彼女の手を取ろうとする。すると、彼女の右手は容赦のない叩きを私の伸ばした手に入れてきた。
「だめ、駄目よ……! 私の身体を、どうするつもり……!?」
「さっき言ったわよ? 借りるって」
紗矢ちゃんも同様に、紫塔さんの手を取ろうとするけれど、ひらりとそれを避けた。まるで操り人形のような動き方からして、紫塔さんの意思によるものじゃないっていうのは明らかだった。
「嫌、嫌……!」
「こわい? 大丈夫よ、あなたは私が大切に扱うもの……」
やめろ……やめてよ……! 声にならないつぶやきとともに、紫塔さんの胴を掴もうとすると、彼女は遠慮のない足払いで、私を転ばせた。
「晴香、ごめんなさい……! そんなつもりじゃ……!」
相手の魔女のところへ、ヘレナの斬撃が飛ぶ。だけれど、軌道が直線的だったからか、見切られてしまった。
「鉈の腕は確かだけれど……真っすぐ来るだけなら、どうだって避けれるものね」
こうしている間にも、紫塔さんは少しずつ、あのロリータの魔女の所へと寄っていっている。
「誰か……お願い、動いて、私の身体! 私のものでしょう!? どうして私の言うことを聞かないのよ!」
紫塔さんの顔は力いっぱい食いしばっている。でもお構いなしに紫塔さんの身体はもうまっすぐロリータの女の方へ近づいていく。
「紫塔さん! 紫塔さんっ!!」
なんだこれ、悪い夢なのか? 私は一体、何を見せられているんだ? 転けた身体でせめて、と彼女の方へ腕を伸ばす。悪あがき。もう届かない。このまま、連れ去られてしまう……!
そのとき、私の触れていた床……紫塔さんが零していった血の筋が、確かな熱を持ったのを感じた。
ごう、とその血の跡たちは青く煌めく、炎を宿し始めたのだ。
「っ……!?」
「これは……!」
青い炎、だけれど本来の熱はなく、ただ「温かさ」のようなものがあった。
「これが、純血の魔女の力……!」
あのロリータの狂喜が見える。でも、それをかき消すように、包み込む炎の中に、何かが見えた。
「……!」
なんだろう、なにか、変なものが見える。私を囲う炎のなか、陽炎の中に異質なものが見えた気がした。目をこすっても、それは消えない。
「はるっち! 大丈夫なの!?」
紗矢ちゃんの声が聞こえる。……どうにも、紗矢ちゃんにこの異質なものは見えていない。
大きな二本の角の生えた、オシャレなスーツの骸骨。コイツは……!
「聞こえているかな、美央のご友人」
はっきり、そう聞こえて、私はその異質な存在と目を合わせた。