#35 一矢報いて
ああ、もう、と失意のような気持ちが胸を満たしていく。こんなところで喧嘩なんて、やらないでくれ。
「何か対策でも立ててきたのかしら、混血? さもなくばみっともなく、前回同様の結果に終わるでしょうね」
「第二の策で戦うとも。ああ、例えば」
横の、虚数空間に行くときにも見た楕円の穴から、一本の長剣が出てくる。
「私自身が剣を振る、とかな」
「へえ」
レジーナの手に握られる1メートルほどの長剣は、彼女と見比べると少し不似合いなサイズに見えた。大きすぎる気がする。
「それが一体、どういう策となるのかしら」
「さあな!」
ステップを踏む様に駆けだすと、レジーナは一直線にオクトパスに接近する。オクトパスの槍は獲物を狙うように構えられ、レジーナへ向いてその首を下げる。
「はあっ!」
吼えると、レジーナはジグザグにステップを踏んで、剣の範囲へ入り込んだ。だけど、オクトパスの槍は惑わされずに動くことはない。
一撃、レジーナが剣を振りかぶる。そのままでは当たってしまう、そこに見えない壁が主張した。激しい金属音が響いた後、長剣は空中で固まったように止まった。
「どうしてそれが通ると思ったの?」
「なに、この攻撃は、ダメージを与えるための物じゃあないさ」
「?」
するとレジーナも、見えない壁を利用するように空間を蹴って、距離を取る。戦いはじめと同じような距離になる。
「んー。やはりな」
「やはり?」
何か分かることでもあったんだろうか? 私には何も分からない。
「お前の壁、確かに硬い。だが……」
丸眼鏡を整えて、レジーナは一拍置いて言う。
「傷はつくな。数千回叩けば割れるのかもしれん」
「やってみなさい? もっとも、私はそんな隙を与えるわけは無いけど」
「だな」
そしてレジーナは剣を構える。そこに、オクトパスから駆けて近づく。
「こっちの番よ。退屈しちゃうわね」
「ふん」
オクトパスの槍が突きを繰り返す。レジーナは余裕を持って回避を続ける。だけれどオクトパスの槍の流れはなめらかで、隙あればレジーナに致命傷を負わせるような雰囲気がある。
「……アタシたち、なにか、出来ることないかな? 正直アタシ、ヴァサ子をぶっ飛ばしたい!」
「紗矢、ケガするわよ。今はレジーナが一矢報いることをうっすら期待して、避難することしかできないわ」
紫塔さんの言葉を、紗矢ちゃんは飲み込んだかのようにそれ以上何も言わなくなった。
それから二人の戦いは4分くらい続いた。でも、いまいちレジーナの方には「相手を倒すぞ」という気迫が感じられなかった。
そのまま何か決め手があるわけでもなく、レジーナはじわじわ押し切られた。
「ふん。腑抜けた戦い方だったわね。さっきまでの威勢はどうしちゃったのかしら? 私に怒りをぶつけるんじゃなかったの?」
「……いいや、今回は計画的に攻めさせてもらった。お前はどうして私の剣を17回も受け止めてしまったのか、後悔することになるだろう」
「?」
「ほら、こうやって」
レジーナがダンスを誘うかのようにオクトパスへ手を差し伸べる。すると、レジーナが呼びだす楕円の穴、それがオクトパスの方の見えない壁に現われる。
「!?」
「行け!」
するとそこから、前回の戦いでも呼びだした、触手のような物が「オクトパスのほうへ」伸びていく。壁の向こうへ伸びたのだ。
「……浅はか。壁が一枚だけしか出せないなんて、そんな無能ではないわ」
「そうだろうね。でも私は見つけたのだよ。その壁を、効率よく破壊する術を」
「……!」
タコのような触手は二枚目の見えない壁を勢いよく叩きつける。ドン、と重い衝撃音が響いたと思うと、オクトパスは苦しそうな表情を浮かべていた。
「あんたまさか……そんな魔法まで身に着けたってワケ?」
「おや? そんな魔法って何のことだろうな?」
「話が変わるわ。アンタを拘束しなくちゃならないわ」
「っ、来るか!」
すると、オクトパスは今度は積極的にレジーナのほうへと近づいていく。彼女の背後で、力を失った壁と共に崩れ落ちていく触手たちが見えた。
「っ!」
レジーナは剣を構え、急接近する相手を迎え撃とうとする。だけど、オクトパスの目的はその手の槍で刺すことじゃなかった。
槍を警戒したレジーナは後ろへ跳び退こうとする。だけれど、そこに現われる見えない壁。ならば横に、と動いた先にも壁。……見えない壁に囲まれたのだ。
「気を付けて、レジーナちゃん!!」
「なるほど」
そう言ってレジーナは手を懐にいれようとする。だけど。
「!」
「細かく、囲わせてもらうわよ」
見えない壁、それはどうやらサイズが自在みたいで、彼女の手を立方体で囲んで、動かせないようにした。
「便利だな、その魔法。私の身動きを全て、指一本レベルで取れないようにするなんてな」
「アンタは危険と判断した。あっちの層へ連れていくわ」
「はん、お断りだ」
レジーナの足元に楕円の穴が現われる。虚数空間へと逃げる気かもしれない!
「一泡、吹かせられたかな? ヴァサーゴの魔女。お前が悔しがってる顔、それが見れて満足だ! ハッハッハ!!」
レジーナは穴の中へと落っこちていく。オクトパスも追おうとしたけど、持っていた槍が穴の縁に触れた瞬間、いとも簡単に刃先が削れるのを見て、一瞬ためらう。
「じゃあな、ハルカ御一行。また会おう」
そう声が聞こえて、楕円の穴は消滅した。
「~~~~!!」
黒い槍が床に叩きつけられる。刃先を失った槍が床を傷つけることはない。からん、と乾いた音を響かせた槍は床に転がる。
「クソッ、クソッ!! あんな混血の雑種に、私がこんな思いをさせられるなんて!!」
ヴァサーゴの魔女は目に見えて激怒している。何をしでかすか分からない恐怖と同時に、人並みに怒ることもあるんだな、と妙に安心もした。
「あんの丸眼鏡……! 徹底的に探してやる!!」
「落ち着きがないわね、オクトパス。どうやら、この水族館での頂点が揺らいでいるようね」
「うるさいッ!!」
「……ふっ」
柄にもなく頭に血が上っているオクトパスに、紫塔さんは笑った。気分がいいのだろうか?
「あっ……美、央……そ、そうね……私、落ち着かなくちゃ、冷静に、冷静に、奴を……!」
自分の言葉に驚いたかのように、オクトパスはそう呟いて、深呼吸を始める。するとどうだろう、彼女の呼吸がどんどん整って、それに沿って些細な動きににじみ出ていた怒りも鳴りをひそめていく。
「……奴を探す。絶対に捕えて見せる。……美央、夕食はメイドを待ってちょうだい」
そう言って、オクトパスはこの部屋を速やかに出て行った。
「……怒りをコントロールする術を持っているのかもしれないわね。私の顔を見るなり、すぐ切り替えていた」
「……どうも、みおっちのこと、だいぶ特別視してるっぽいね」
一体どういう感情で紫塔さんに向き合っているんだろう、あの魔女は。
「それはそうと、レジーナがピンチなんじゃない!?」
私の心配はそこにあった。レジーナが恐らく虚数空間に逃げた。彼女の魔法がどれくらい逃げるのに特化しているのかは分からないけれど、もしかしたらオクトパスもそれをすぐに突破できる力を持っているような気がする。
「そうね。晴香、レジーナが心配?」
「そりゃそうだよ!」
「……そうね。彼女とは縁ができてしまったわね。夕食を待つのもいいけれど……」
「そもそも二葉ちゃん、ちゃんとご飯作れてるかな? 倒れてないかな?」
それは頭によぎる。待つ、という選択肢は私の中には無い。
「行こう、紫塔さん、紗矢ちゃん!」
「そうね。じゃあ……あそこの眠り姫を起こさなくちゃね」
……そういえば、こんな騒ぎがあったというのに、シェリーはぐっすりもぐっすりな位に寝ている。このまま朝まで寝てしまうのではないだろうか? とも思ってしまう。
「起こそう!」
彼女が無事起きることを祈りつつ、私はシェリーの寝るソファへ向かった。