#33 三位一体、茹でダコたち
予想していた通り、ヘレナの部屋に二葉さんは来ない。電話をかけても出ないし、連絡が取れない。
「ふぅ……」
レジーナが水槽の壁にもたれて座る。それに応じて皆も座った。ソファの上でシェリーは豪快に、ヘレナもウトウト寝ている。
「ふむ。どうしたものか。たとえば……」
レジーナの目が怪しく光る。それは水槽の外の魚に向いていた。
「彼らを食料として考えたとき、採る方法はあるだろうか?」
「うっ……」
ワイルドなやり方。水槽にはタコやら、マグロやら、食べられそうな魚は泳いではいる。……もちろん漁のやり方なんて私は知らない。
「ちょっと厳しいかな~、レジーナちゃん」
「そうかもしれないな。第一、この水槽の壁を超える方法がない。困った困った」
レジーナはそれから考えるような様子は見せない。諦めているのかもしれない。
「困ったわね。果たして二葉以外に夕食を持ってくるメンバー、あるいはシステムはないのかしら」
「……そもそも、二葉さんが調理から運搬までやってたのかな? となると二葉さんが休みってなるともう無いってことに……」
「そういうことだな」
「レジーナちゃん、あのレジーナちゃんの空間では、コーヒーの他に、食べ物は出てこないの?」
「厚かましいなサヤ。残念ながら用意していない。ミス二葉の料理が楽しみだからだ」
……一理ある考え方だ。料理に関しても構築に時間がかかるのなら、省けるところは省くだろう。
「はて……」
するとレジーナは目を閉じ始めた。寝る気?
「こういう時は寝て空腹を紛らわすに限る……」
ひもじいやり方にちょっと、私は気が進まない。なんかないかな……。
「レジーナ、質問ばっかりだけどいい? この水族館、二葉さんが持ってくる物以外で食べ物って手に入る?」
「んー、そういえば無いな……。ミス二葉の料理が好きだから……考えたこともなかった……」
あ、この声はもう寝そうだ。聞くなら今のうちだ。だけれどこれから寝るって人間を無理やり起こしておくのも気が引ける。やがてレジーナはすぅ、すぅ、と寝息を立て始めた。一分もしないうちに。
「随分寝つきがいいのね。うーん……」
紫塔さんもかなり困った様子だ。
「こういう時、オクトパスはどういう対応をするのかしら。アイツだもの、そういうシステムの抜けは、放置しないような気がするけれど……」
私もなんだかそう思った。もし二葉さんがなにか病気になってしまったら、ここにいる人達はみな数日給仕を受けられない、ということになる。
「ねえみおっち、もしかしてオクトパスの考えとか、わかっちゃう?」
「……正直理解してるの嫌だけど、アイツがこんなマヌケじゃないってのは、分かるわ。……」
「ねえ、みおっちが『オクトパス助けて! 空腹で死にそうよ!』って大声で叫んでみたら、アイツ来るんじゃない?」
そんな提案をする紗矢ちゃんに、紫塔さんは刀のように鋭い眼光を向ける。
「なんですって……? あなた、いつの間にそんな悪ふざけを言うようになったのよっ!?」
紫塔さんが怒りあらわに、紗矢ちゃんの両頬をつねる。
「あっあだだだだだ、ごめんなさいごめんなさい! もうそんなこといわない!!」
どうも手加減なしでつねっている。口は災いの元、紗矢ちゃん迂闊だったな……と思いつつ、ギリギリじゃれているようにも見えて、私の頬は緩んでいた。
「なに笑ってるのよ、晴香!」
「いや、ごめんごめん、紫塔さん楽しそうだなって」
「楽しくないわよ! オクトパスに媚を売るなんて死んでも嫌よ!!」
――なんだか、以前の彼女と比べてしまう。あの時より、何倍も何倍も、彼女は表情豊かで、それだけでなんか嬉しくなってくる。
「……? 晴香?」
「え?」
紫塔さんがこっちを見て怒りを鎮めた。何か変なものを見るように、きょとんとした顔でこっちを見ている。
「……いいわ、紗矢。やりすぎたかしら」
「あ、アタシもちょっと、後先考えずに喋っちゃったね、アハハ……」
悪かったわ、と紫塔さんが赤くなった紗矢ちゃんの両頬を診ようとすると、紗矢ちゃんは「大丈夫だって!」と気にする様子もなく紫塔さんに笑い掛ける。
「うん……」
なんだか謝り足りない。そう紫塔さんの顔には書いてあった。
「紫塔さん、こっちこっち」
「?」
座っている私の隣に、紫塔さんを招く。ちょこんと座ると、彼女の赤くなった手が見えた。随分力を込めてつねったんだな……。
「なんで笑ってたのかしら」
「……えーと」
それは多分、紫塔さんがきょとんとしたときの事だろう。
「紫塔さん、随分表情豊かになったな、って」
「……そうかしら?」
「うん! 断言できる」
「そう……なのね」
うん、紫塔さんがあんなに楽しそうに誰かに気持ちをぶつけたり、お喋りしたり、そういう年相応の振る舞いが見えてすごく、私は嬉しかったんだ。
「いい事なのかしら……」
「紫塔さんが自然でいられることが一番だよ!」
「……っ」
急に、紫塔さんは自分の両頬を覆った。何事? と思って彼女のほうを見ると、覆い切れていない紅潮が見えた。……照れてる。
「かわいい……」
「へ? 晴香、今なんか言った?」
「え? あ、いや……」
無意識に声に出ていたみたいだ……! うわ、こっちが恥ずかしくなる!!
「晴香も赤いわよ。どうしてかしらね」
「……ぅっ」
や、やべー……! 意識すればするほどどんどん顔が熱くなるのが分かる! し、しずまれ、しずまれ……!
「……ふふっ」
今度は紫塔さんが笑う。わ、笑わないでくれ……っ!
「……アタシら三人とも茹でダコみたいだ」
そんな外野の声が聞こえてきて、もうこの紅潮は止める術がないと諦めた。そして減らず口を叩く紗矢ちゃんを私もつねった。ごめん、紗矢ちゃん。優しくするから、つねらせてくれ。
三人茹でダコになって、ちょっと落ち着いた頃にやっと、どうするかって話ができた。冷静になった紫塔さんは一度蹴った紗矢ちゃんの案を「……背に腹は代えられないわね」と飲みかけた。「空腹だけに?」とアホの返事をした紗矢ちゃんは二人から冷たい視線で貫かれることになった。
「でも、それしかない気がするわ。何もしなければ、私たちは夕食抜きよ。気持ち的にも、エネルギー補給的にも良くないわ」
「じゃあ……紫塔さん、お願いしてもいいかな?」
「ただし、条件があるわ」
おや、条件とは何だろう。紫塔さんがやりにくいというのなら、どれだけでも手助けしたいところだけど。
「あなたたちも一緒にやって」
「っ!」
紗矢ちゃんの表情が固まった。私もきっと同じ反応をしていた。な、……紫塔さんがそんな、悪い道連れをしてくるなんて……!
「……みおっち、まだ怒ってる?」
「怒ってないわよ! その……ちょっと、一人じゃ、やりにくい……というか……そうよ! 三人一緒にやれば、きっとオクトパスにも届く声量になるわよ!」
あー、紫塔さん、かなり無理のある理由付けだ。……でもそうと決まれば。
「よし!」
「はるっち!?」
「いいとこ、見せてあげなきゃ!」
私は迷わない。
「……アタシも?」
「紗矢ちゃん、言い出しっぺの責任は……取らなくちゃ」
「そうよ紗矢。これはあなたが出した案。チュートリアルもしてもらわなくちゃ」
「アタシの扱い酷くない!? 一回一人でやらされるってこと!?」
紗矢ちゃんの目に光が失われる。それでも、紗矢ちゃんはやってくれると頷いてくれた。……諦めたと言ってもいい。
「じゃ、やるわよ」
意思を固めた紫塔さんは、ヘレナの部屋の出口を開いた。
「ほ、ほんとにアタシが先陣切るの……?」
「冗談よ。みんなで一斉に『オクトパス助けて! お腹がすいた!』って叫ぶのよ」
「……今考えたら、だいぶ恥ずかしい文言じゃん……考え直さない? みおっち」
「やるわよ、はい、三、二……」
もう有無を言わせないスタイルだ。私は準備が出来た。紗矢ちゃんはかなり慌てている。そしてカウントはゼロになった。
「オクトパス助けて! お腹が空いた!」