#32 同盟
夢を見ることなく目が覚める。横にいる親友はまだ眠り続けている。いい夢を見てくれているといいけれど。
「おや? 起きたのか、ハルカ」
「……コーヒー飲んだからかな」
なるほど、となぜか地下室にいたレジーナがふっと笑う。どうやら一番最初に起きたみたいだ。
「そうか。だが結構君は寝ていたぞ。四時間ほどだろうか」
「……夜寝れないかも」
「気にするな、水族館に昼も夜も存在しないも同然だ」
「二葉さんのご飯のサイクルが狂うかも」
「ふむ。確かにそうかもしれない。……私もそろそろ、それ目当てでここを出て行こうと思っていたところだ。全員起こすか」
そうして私たちは皆を起こすことにした。ほぼ皆熟睡していたみたいで、中途半端なサイクルで起こされて寝起きが悪い子がちらほら……。
「あぁ……頭痛い……」
紗矢ちゃんは頭痛を抱えて、
「……んん……」
紫塔さんの目の下にはクマが出来ちゃった。
「あ……これシェリーちゃんマズいんじゃない?」
「そうだね……」
こんなおかしな睡眠を取らされたら、シェリーは起動に失敗してしまうような気がする。
「どうした? その子は起こさないのか?」
「あー、寝起きが死ぬほど悪いんだよ」
「なるほど……」
少しレジーナが考えた。本当に少し、五秒くらい。
「アロマでも焚いてあげるといいのかもしれんな。……ちょっと待ってろ」
地下室を出たレジーナは、これまた速やかに戻ってきて、火のついたロウソクを持ってきた。同時に、ふわっとラベンダーのような匂いが部屋にただよう。
「ほら、みんな出発すると言ってるぞ」
アロマキャンドルをシェリーの顔のそばに近づける。すると……。
「へっくしゅ!」
……。ロウソクの火は彼女のくしゃみで消されてしまった。ダメそう。
「もしやアロマ苦手なのか? 彼女は」
「たまたまだとは思うけれど……」
アロマが苦手だったという記憶はない。ただ、こうなったシェリーはだいたいどうやっても起きない。ほら、ゴロンと寝返りを打って、大胆な大の字になった。もう満足するまで安眠するぞ! って全身で訴えている。
「困ったな……」
「レジーナ、私がシェリーと一緒に留守番とか……どう?」
「んー、できない。この空間は主を認識して展開するギミックを含んでいる。だから、私がここを出て行った瞬間、この虚数空間は空間としてのふるまいをやめてしまう。すると、ここにいる君とシェリーが、電子ファイルのように別のものに変換されてしまうかもしれない」
言っていることはやっぱりわかりにくいけれど、とにかく駄目なんだな。
「……担ぎましょうか。起きないでしょうし」
そういうと、紫塔さんは進んでシェリーを背負う。いち女子高生ってそこまで軽くはないと思うけれど、紫塔さんの顔に険しさは見えない。
「大丈夫? みおっち」
「行きましょう。長く背負ってるのは流石に辛いから」
「分かった。忘れ物はないな」
「って、出口どこ? まさか屋根裏?」
あそこから入ってきたから、出口の可能性はある。シェリーを背負った紫塔さんがそこまで行くのはかなり辛そう。
「心配ない。私のタイミングでここはいつでも出られる」
レジーナは3、2、とカウントダウンを始める。そんなあっさり出られるんだ。
ゼロ、と言われた瞬間、目の前にあったログハウスの風景が、蛍光色に彩られていく。足元もなんだか泥のような変な柔らかさに覆われて……。
それ以上は形容しがたい感覚が全身を包んだ。
気が付くと、見覚えのある廊下にいた。目の前に魚が泳ぐ窓が見えて、水族館に戻って来たのだと気付いた。
「皆無事だな? 身体に違和感もないな?」
一応、私は特に異常はない。身に着けているものも元通りだ。
「よし。ではミス二葉のご夕食を待つことにしよう」
「あ、そういや……」
思い出したかのように、紗矢ちゃんは手を挙げた。
「二葉ちゃん、今元気なの?」
「ん?」
その言葉に、レジーナの丸眼鏡が光った。
「その文言はどういう意味だ? サヤ」
「あー……レジーナちゃんは知らないっけ? 脱走者の魔女に二葉ちゃんが攻撃されたって」
そういうと、人が変わったかのように、レジーナは紗矢ちゃんに詰め寄った。
「そういうことは早く言ってくれよ! それで、ミス二葉は……?」
「麻酔薬の蒸気を浴びて気を失ったけれど、それで目を覚ましたかな~って……」
「なんと……お労しい……」
レジーナは眉間を抑えるようにして俯く。
「こういうとき、彼女の居場所が分かればいいのだが……」
「ねえレジーナ、また電話してみるっていうのはどう?」
「……ああ、そうだな。元気であれば出てくれるだろう」
丸眼鏡の魔女はその手にまた巨大な本を呼びだして、コール音を響かせる。ぷるるる、ぷるるる。……。繰り返されるコール音は、相手の不自由を暗に示す。
「……出ないな。まだ起きてないのかもしれない」
「そういえば、レジーナは二葉さんの居場所っていうのは心当たりないの?」
「残念ながら、ない。居場所を割りだそうとしたこともあったが、いつもどこかで撒かれてしまう。尾行すれば不注意やアクシデントで見失い、かといって何か探知機を付けると大体道端に落ちている。不運なのか、それともミス二葉がそういうのを撒くプロなのか、はたまたそういう体質なのか……」
二葉さんのことだから体質というのが一番しっくり来る。魔女でもないのにここでやっていけているのは、なにか幸運な体質を持っているんじゃないだろうか。
「私だって知りたい」
「そうか~。私たちも探してるんだけどね」
「……。はっ、ははっ」
何やらレジーナは急に笑い出す。何が可笑しいんだろう。
「なんだ、私たち、実は同じ方を向いていたじゃないか。どうだ? 短い間かもしれないが、共に力を合わせることを提案しよう」
今回はレジーナが手を差し伸べてきた。
「どうする、リーダー?」
「承認するわ、晴香。彼女と手を組むの、悪い事じゃないと思うわ」
「だよね」
私も、レジーナと手を組むのは賛成だ。目的が一緒だし、なによりここまでの期間で、彼女が悪い人じゃないのは分かったから。
「あとはそっちの魔女がどういうかな? ヘレナ、私のことをどう思う?」
「……グルル」
あれ、ヘレナはあまり歓迎していない……?
「まあ、本能で他の魔法使いを恐れるのは無理もない。そのうち慣れてくれることを祈ろう」
差し出されたレジーナの手を、私が取る。
「よろしく、レジーナ」
「ああ、こちらこそ。ミス二葉の居場所が割れたら、この同盟は終わりだが」
……随分限定的。それでもいいか。二葉さんの場所を知ることは、私たちにとっても重要な課題だし。
「さぁて、夕食をどうしたものか……」
そういって、レジーナはヘレナの部屋へと向かう。そういえば、レジーナの「水族館での部屋」ってどんな感じなんだろう? 聞いてみよう、もう仲間になったんだし。
「は? 私の館内の部屋? 物置だぞ」
「物置? 何が置いてあるの?」
「本さ。といっても、どこかで買ったものじゃない。私が魔法を構築するために延々と書き続けた紙の束、と言ったほうが正しいか。もう足の踏み場もない」
あっけらかんとした感じで、レジーナは語る。もしかして、それで虚数空間を用意したのはあるのかな?
「あんなところに寝るのは無理だ。カビが生えてるかもしれないねぇ」
……急に行ってみたい気持ちがなくなった。不潔そうで……。
「それより、腹を満たす方法を私は考えたい。君たちが断食するっていうのなら、勝手にしろ」
そんな気はさらさらない。私たちもレジーナに続いて、ヘレナの部屋へと向かった。