#22 ヘレナの魂
「ガアウッ!」
「ぐっ、こいつ、なんなんだ!」
扉を開けた途端に聞こえてきた激しい衝突音に、心臓が疾る。見れば、ヘレナとレジーナが距離を取ってにらみ合っている。これは喧嘩……というよりも。
「戦ってる……!」
ヘレナは大鉈を構えてレジーナを睨んで唸り声を上げているし、レジーナもそれに応戦するような格好だ。手元に、オクトパス戦で使った本があるから彼女も戦闘態勢だろう。
「ヘレナっ!」
シェリーが魔女の名前を全力で叫ぶ。ヘレナはこちらを一瞥したのち、ハッとしたような顔でシェリーを見た。それは驚いたほかに、嬉しさのようなものが見えた気もした。
「ダメ、ヘレナ! おすわり!!」
犬の躾けのように、シェリーが指示する。だけれどそれに従うのは躾けられたペットだけだ。ヘレナにそんなことは一度もしていないから、その指示が意味のないものだというのはすぐに分かった。
「グウッ……!」
「レジーナ、なにがあったか教えて!」
「この鉈の魔女が、いきなり私に襲い掛かってきたんだ! こんなおっかない奴だったなんて!」
その間にも、シェリーはヘレナのところへ駆けて、急いでヘレナを落ち着けようとしている。怒っているように見えるけれど、私にはわかる、アレは全力の躾けだ。
「ヘレナ、落ち着いて。あの子は敵じゃないよ?」
「ウ……ウゥ……」
飼い主が必死に宥めると、ようやくヘレナは握り込んでいた鉈を放した。カラン、と金属が転がる音は、どうにか事態が収まったことを示していた。
「レジーナ、大丈夫?」
「ああ、幸い」
どうやら私たちが部屋に戻る直前にスタートした喧嘩だったみたいで、両者ともに大きなケガも無かった。
「なあ、あの鉈の魔女……ヘレナって言ったか?」
「え? うん。知ってたんじゃないの?」
確か、オクトパスとの戦いで彼女の口から「ヘレナ」という名前は出てきていた。だからてっきり面識のあるものかと思っていた。
「あれが……? 髪をかき上げてみてくれ」
シェリーが慣れたような手つきで、ヘレナの超がつくほど長い髪をかき分ける。ヘレナの顔を見るなり、レジーナは感嘆するかのように、口を両手で抑える。その目はなんだか、光り輝いていた。
「……なんと」
どこか意味ありげなレジーナの反応に、ヘレナの過去や、レジーナのこれまでも気になってしまった。
「生きていたのか」
衝撃的な発言も飛びだして、ますます興味が湧いた。
「……よし、紗矢ちゃん頼んだ!」
急なタイミングだったけど、紗矢ちゃんにバトンを渡すことにした。レジーナと距離を詰める役は、きっと彼女が適任だろう。
「お・ま・か・せっ! アタシから聞かせてもらうね」
紗矢ちゃんを見るレジーナは、どこか……なにか疑うような視線を紗矢ちゃんに投げていた。
「まず、レジーナちゃん、色々話を聞きたいんだけれど……ヘレナについて教えてほしいな」
「……聞いてどうするのだ? 君らはヘレナとどういう関係だ?」
「ああ、この部屋で偶然会った魔女だよ。仲良くなれそうかな、って思ってるんだけれど」
シェリーと戯れている様子を見れば、それなりに仲良くなっているような気がする。
「やめておいた方がいいぞ。アイツは、ここの収容者で随一の反逆者だ」
その言葉の迫力に、紗矢ちゃんは圧倒されてしまった。私たちもだ。
「あ……あんなワンちゃんみたいなヘレナちゃんが? いやーないって」
「あのワンちゃんのようになる前の話だ。以前、この水族館でオクトパス相手に暴動が起きたことがあった。そのなかでオクトパスを一番追い詰めたのがヘレナだ」
……紗矢ちゃんが言葉を失ってしまった。あのヘレナが……? 言い方は悪いけれど、武器も持たない紫塔さんにすぐやられちゃったあの子が、オクトパスを追い詰めた……?
「私との戦いを見て知っていると思うが、オクトパスは強い。生半可な戦闘力じゃ歯が立たない。だからこそ、戦闘以外で奴を出し抜こうとした奴もいたわけだが――それはともかく。ヘレナはその『戦闘』でオクトパスを追い詰めた唯一の収容者だ」
ちら、とヘレナを見ると、シェリーによしよしされてすっかりご機嫌な様子が見えた。……レジーナの言葉が形の違うパズルのピースのように、噛み合わず、混乱してくる。
「だからこそ、オクトパスも死力を尽くして、ヘレナと対峙した。だが……ヘレナは最後の最後で、奴に負けた。そしてヘレナを恐れたオクトパスは、二度と反逆できないように、――ヘレナの魂を分解した」
『魂を分解した』。馴染みのない言葉は、ちんぷんかんぷん。シェリーの様子が気になった。ヘレナをよしよししつつ、顔は真剣にレジーナのほうへと向いていた。シェリーなら今の言葉、理解できたのだろうか?
「ちょ、ちょっとタンマ! 魂の分解ってなに? アタシ、流石についてけないよ!?」
「……難しい話だったか」
レジーナは仕方がない、と言わんばかりに、肩をすくめる。
「紫塔さんは分かる? 今の話」
「んー……魂、と急に言われても……。私も、そんなものに馴染みのある人生じゃなかったし……」
魔女なら誰でも知っているという話題ではなかった。
「ふむ、では魂というのは分かるな? 人を動かしている、不可視のエネルギーのようなものだ」
それは分かる。ただそれは空想上の存在としてだ。
「それを、オクトパスが分解した。それだけのことだ」
魂という単語に「分解」とつくだけで、一切意味が分からなくなる。日本語の魔力を感じる。
「私から質問いい?」
きっと自身の興味と、私たちが理解できていない様子からシェリーが先陣を切って聞く。
「魂を分解すると、どうなるの?」
「そうだな。私も魂というのに詳しくは無いが……」
少し息を入れて、レジーナは続ける。
「ヘレナはどうも『理性』と『本能』――この二つに分解されてしまったらしい」
これは後々聞いた噂だ、と彼女は付け足した。
「恐らく、目の前の彼女に残っているのは『本能』だろう」
犬のようにシェリーにご機嫌な様子を見せているヘレナを見て、それは間違いないと確信した。
「『理性』を切り離された結果、そのようになってしまったんだろう」
「んー……なんとなく、わかった、よーな? わからないよーな?」
紗矢ちゃんの感想は、私の代弁でもしているのかと思った。
「その、切り離した『理性』はどうなるの? 消えるの?」
「君は理解できているのか? サヤ、だったか?」
名前を呼ばれると、紗矢ちゃんはニヤッと笑む。
「悪いね、ちょっと難しい。……で、その『理性』は?」
「わからん。だがわざわざ『破壊』を選ばなかった辺り、捨ててはいないんじゃないか?」
ほう。確かに。魂を分解するよりも、一緒くたに破壊してしまう方が楽な気はする。想像でしかないけれど。
「それに、こうしてわざわざ三食食事を提供して餓死させない辺り、オクトパスの目的に私たちを殺すことは含まれていないと思うぞ」
……あれ、この子、すっごい賢い。びっくりした。丸眼鏡は可憐さを演出して、激情は近寄りがたさを植え付け、分析力は頼もしさを感じる。なんだこの子は? 全てがアンバランスだ。
「ヒュー!」
軽快な口笛で紗矢ちゃんがレジーナを煽る。
「かっこいい!」
「……冗談だな」
「そんなんじゃないって!」
なんだかんだ、当初の目的だった、紗矢ちゃんとレジーナの親交を深めるのは成功したように見える。よかった。
「一ついいかしら」
紫塔さんが挙手して、礼儀正しくレジーナに問う。
「『理性』を取り戻せば、ヘレナは元に戻るかしら?」
「さあ。そんな事ができるのは、オクトパスくらいじゃないか? 取り出せるのだもの、入れることだってできるだろう」
少しぶっきらぼうな言い方で、レジーナは答える。
ヘレナは相変わらずシェリーとじゃれている。そういえば、どうしてヘレナはレジーナに攻撃をしたのだろう。色々聞けたようで、まだまだ聞きたいことはたくさんある。もう少し彼女を知る時間は長くなりそうだ。