#21 歪んだ乙女心
「美央? 面白い話をしているみたいじゃない? 私も混ぜてほしいわ」
……いや、こいつはきっと、話の内容は頭から終わりまで聞いていたんじゃないだろうか? 間が悪すぎる。
「……」
「どうしたの? 固まっちゃって」
オクトパスはどんどんこちらに歩み寄り、ついには紫塔さんの目と鼻の先ってくらいの距離まで来た。
「ねえ、なんで何も話してくれないの? 美央?」
随分フレンドリーな接し方をしている。でも紫塔さんの表情は思った通りのものだった。
「触らないで」
「どうして? 私はあなたと、もっとよく接したいのよ?」
「聞いていたでしょう? 私を脅かす、悪魔の血のこと」
紫塔さんが張り詰めたトーンでオクトパスに告げると、オクトパスは何やら驚いた様子を見せた。
「まあ……酷い、そんな悪者が、美央に迫っているなんてね。大丈夫よ美央、私がそんなのを遠ざけてやるもの」
ん? これ、わざとやってるのか? 気付いてないなんてことないよね? 皆とアイコンタクトをすると、案の定、皆困惑している。
「そうね、じゃあまずは一歩、引いて頂戴オクトパス」
「ええ、わかったわ」
「もう一歩」
「ええ」
「もう一歩よ」
「え、ええ……」
どうやら紫塔さんの意図に気付いたのか、オクトパスの表情がだんだんと曇っていく。明らかに焦った表情に、私はこれは本気だったんだ、と驚いてしまった。
「み、美央……このままじゃ私たち、離れ離れになってしまうわ……?」
「まだ下がりなさいオクトパス。私の脅威を取り除きたいのなら、私のいう通りに動いて頂戴」
少しためらった後、オクトパスは紫塔さんのいう通りにまた一歩下がった。
「あれ……マジ?」
「マジっぽいね……」
紗矢ちゃんも半分呆れたような様子だ。どうにも、紫塔さんに弄ばれているオクトパスの図がちょっと面白いのか、私も紗矢ちゃんも笑ってしまっていた。
「って! もう美央からかわないで!!」
ついに気づいたオクトパスが反抗し始めた。ここだけ見ると仲のいい友人同士のやりとり……だけれど、それを是としない事情が私たちにはある。
「わからないかしら、オクトパス。私を脅かす悪魔の血、というのはあなたの事よ」
「んん? 冗談にしてはちょっと冴えてないわね」
会話のドッジボールが繰り広げられている。おちょくっているのか? と思わなくもない。
「私が美央を脅かすわけないでしょう? 私とあなたは悪魔の血を引く者同士。仲間なのよ?」
「どこが? 悪魔の祖先は一緒でもないのに」
「それはそうだけれど。でも生まれつき魔法は使えて、こうしてコミュニケーションを取れる。そして世の中から『魔女』と厭われているのも一緒じゃない」
「……だからといって、仲良くなれる確証はないでしょう?」
徹底して紫塔さんはオクトパスに靡かない。だんだんオクトパスの目から自信が抜け落ちてきた。
「ど、どうしてそんなことをいうの……? そんなの、変よ……」
「オクトパス、あなたは、私が『純血だから』仲良くしようとしていないかしら?」
「そうよ。純血同士、私たちは必ず分かり合えるはずよ」
「それは、あなただけの都合でしょう。私がどう思うか、それを一つも考えていない。あなたは『支配』したいのよ、私を。私の考えなんて、どうでもよくって」
「そんなことないわよ! 私は、美央のためを思って……!」
それからオクトパスはどうにかこうにか言い訳を繋いで、繋いで、それを紫塔さんにサラッと躱されるのを何回か繰り返した。でも、彼女の言い訳の中で気になったのは、紫塔さんも指摘した通り、「紫塔さんの意思は全く反映されていない」ことだった。
彼女は自分の都合のみで紫塔さんを勝手に仲間にしようとし、それが最善、純血の魔女として最良だと押し付けていたのだ。それを紫塔さんは受け入れる気が一切なかった。
「なんで受け入れてくれないの……? 分からない、どうして美央、どうして不合理なことばかり……」
オクトパスは今にもこぼれそうな涙を浮かべて、紫塔さんに訴えかける。それでも、怒鳴ったり、凄んだりしてこないのは少し意外だったかもしれない。
「分からないのね。なら、あなたは一生孤独なままでしょうね」
「う、うぅ……」
ヴァサーゴの魔女は膝をつく。ついに限界を迎えた雫が零れ落ちた。
「あなたは独りに慣れすぎたのよ。自分以外のものが、全て意思のない物質にしか見えていない。相手の意思を聞けるようになってから、また来るのね」
「え……?」
最後の言葉の締めは、紫塔さんの優しさが出た。――出てしまった、とも言える。
「美央……! まだ、チャンスをくれるのね!?」
「うっ……!」
「やっぱりそれでこそ美央よ、まだ、チャンスがあるのなら……ええ、なんとしてでも、あなたを私の計画に引き込んで見せるわ」
カラッと泣き顔を晴らして、元気にオクトパスはその場を後にした。オクトパスは自分のやりとりに違和感を覚えないのだろうか……? それはともかくとして、紫塔さんがオクトパスを舌戦で圧倒する様はちょっと爽快だった。
「紫塔さん、疲れたね」
「ええ。……最後にやらかしてしまったけれど」
あの言葉で、きっとオクトパスは懲りずに紫塔さんに絡んでくるだろう。
「いいじゃんみおっち、次回も思い切り叩きのめせばいいんだから」
「それもそうね」
紫塔さんは特に失敗を気にすることもなく、笑みを向けてくれた。
あのオクトパスの様は、どこかで見たことがある。どこかディスコネクトな人当たり、相手をあまり考えない、自分の考えが最良で、それを他人に押し付ける……。
「なんか、昔の紫塔さんの事思い出しちゃった」
「え? どういう意味かしら」
「あの、人とのつながり方が分からない感じ」
「嘘でしょ?」
「あー、なんか、はるっちの言っていること、分かるかも。実は根っこは似たもの同士なんじゃない?」
馬鹿を言わないで! そう紫塔さんは叫んだあと、今までのことを顧みたのか、怒ってそうな目はだんだんと、目線が下がっていく。「ん~……」と不完全燃焼な唸り声のあと、とぼとぼと、ヘレナの部屋へと歩き出した。
「そう……かもね。そうだったのかもしれないわね」
「今は違うけどね」
頭から湯気が出るんじゃないかってくらい、紫塔さんの顔が赤い。昔のあなたは(と言っても二、三週間くらい前だけど)かなり尖っていたぞ。
丸くなっていく宝石は綺麗だ。これからの輝きを楽しみにするとして、私は紫塔さんとともにヘレナの部屋の扉を開ける。これからどうしようか、というのをそろそろ本格的に決めなくちゃいけない気がする。ちょっと悠長にし過ぎた。
「レジーナはどうしようか?」
「そうね。あの子流れでちょっと一緒に過ごしているけれど、扱いはまだ決めていないわね」
実際ロクにやりとりもできていない。オクトパスに見せたあの激情からして、一緒に仲間として行動するのは少し、難がありそうで緊張する。
「友達作りのプロフェッショナルさんははどう思う?」
「……」
「紗矢ちゃん」
「え、アタシ!?」
あまりに呼ばれなれてない肩書だったからか、紗矢ちゃんはビックリしていた。
「レジーナちゃんか……まあ、まだ分かんないよね。二葉ちゃんと仲良さそうなのは分かるけれど、アタシたち、上手くつるめるかなぁ。みおっち、ともかく仲間が欲しいってスタンスでしょ?」
紫塔さんは頷く。彼女とオクトパスとのやりとりはどこか奇妙だけれど、水族館を脱するための実力行使をするとき、オクトパスは最大の壁になるだろう。力はできる限り欲しい。
「じゃあ、仲間にするために、レジーナちゃんと楽しく絡んでいけばいいでしょ! アタシに任せてよ」
ああ、彼女の明るさなら、きっと世界中の全員と友達になれるような気がする。それくらい、紗矢ちゃんの陽のオーラはすさまじく思えた。
「ふふっ、なら紗矢、任せたわよ」
紗矢ちゃんは胸を張る。頼もしい彼女の姿は後光が差して見えた。
ヘレナの部屋の扉を開ける。だけれどそこに待っていたのは、平穏な光景じゃなかった。