#20 ラボラス
※□で視点変更、晴香視点になります。
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紫塔さんが目覚めるころには、二葉さんから昼食が届けられていた。私たちと興が乗った二葉さんとでお喋りを楽しんでいたころに、彼女は何事もなかったかのようにむくりと起き上がったのだ。
「あ、紫塔さん!」
思わず駆け寄る。それに連なって、シェリーや紗矢ちゃんも彼女の元へ。
「紫塔さん、大丈夫!? もうお昼だよ!」
「……おはよう、皆」
しっとり、そしてしっかりと紫塔さんは挨拶してくれた。声音に異常はなくて、ホッとした。
「もー、みおっち、お寝坊さん。ほら、二葉ちゃんのおいしい昼食が届いてるぞっ」
紗矢ちゃんに担がれるように立ち上がった紫塔さんは、戸惑いつつも歩調に異常はない。よかった、本当に寝坊だったんだね……。
「あら紫塔様。お目覚めですか」
「ええ。心配かけたかしら」
「いいえ。元気そうで何よりです」
そして紫塔さんの元に運ばれる、とんかつ定食。
「……二葉、あなた……レパートリーが広いわね」
「そうでしょう? 私だって、進歩したいですから」
「ミス二葉のとんかつ定食は、初めて食べた。もう二年もいるのに」
そのレジーナの言葉に、紫塔さんはじっと二葉さんを見つめた。その視線に、二葉さんは耐えられなかったのか、目を逸らした。
「そう」
何か言うのかと思ったけれど、紫塔さんはそれ以上追求しなかった。二葉さんも、拍子抜けしたように、また紫塔さんを見る。紫塔さんはメイドの目を見ることはなかった。
昼まで寝てて空腹だったのか、しっかり量のあったとんかつ定食は瞬く間になくなった。紫塔さんは満足そうに口を紙ナプキンで拭いている。
「ごちそうさま。美味しかったわ。とても」
「っ。ありがとうございます」
二葉さんの笑顔は、見ているこちらも幸せになる。私はそうだ。
二葉さんが次の給仕の予定が迫って、部屋を出た。あんなメイドが実際にいたら、どれだけ楽しいだろう……。
「追うの? みおっち」
「……みんな、話があるの」
「え?」
紫塔さんはレジーナの姿をチラッとみると、部屋を出るように出口へ向かった。レジーナも少し迷ってついて来ようとしたけれど、紫塔さんはそれを制止した。
部屋の外、外壁の水槽を見つつ、彼女の話が始まる。
「どうしたの、紫塔さん。大事な話?」
「そう……かも」
歯切れの悪さが気になったけれど、ともかく彼女の話を聞いてみることにした。
「フゥ……」
何か決心するように、息を一つ吐いて、紫塔さんは続けた。
「私が長く眠っていた間……不思議な夢を見たの」
「夢の話? ロマンチスト・ミオのファーストリリック?」
紗矢ちゃんのからかいに、紫塔さんの蛇のような睨みが返る。カエルの紗矢ちゃんは固まって、苦笑いを浮かべた。
「んん……夢、と思うんだけれど、そこで出会った奴がいるの」
「……うん」
ホラーのような語り口に、思わず息をのむ。
「オクトパスから『ラボラス』という名前は皆聞いたと思うけど、その本人」
「え?」
「……えっと、なんだったっけ」
「私が血を引いているとされる、悪魔よ」
一気に緊張感が走った。と同時に、そんなバカな、と紫塔さんの話を信じられない気持ちも湧いた。もちろん紫塔さんを疑うわけじゃない。ただ、突拍子もなくてまだ信じられないだけだ。だって悪魔でしょ? 夢で出会った存在である以上、それが真の姿と証明できるものは無い。
「どんな奴だった? 紫塔さん」
「……人間では、なかったわ。洒落たツートンカラーのスーツを着た、ヤギの角の生えた人の骸骨」
にわかにはイメージが出来なかった。漫画やアニメのキャラとして考えるのは出来るはずなのに、いざそれを現実の存在としてイメージしろ、と言われても私には難しかった。ちょっとしたパニックになっているような感覚もある。
「みおっち、ちょっとアタシには想像つかないと言うか……」
「私も、現実となるとちょっとできない」
「イメージはできるけれど、ホントにそんなのと会ったの?」
しかし、真剣な面持ちで紫塔さんは頷くのだから、私たち三人はそれを笑い飛ばすようなことはしなかった。
「不思議と……親近感のようなものを覚えたのよ。明らかな異形の存在だというのに、私は怯えるどころか安心さえしていた。……変よね」
私がそんなのと遭遇したら、心臓止まると思う。
「たぶん、私に奴の血が流れているから――そいつに親近感やら安心感を覚えてしまったの」
「ふーん、みおっち、その悪魔と仲良くなれたんだ」
「わからない。あまりお喋りはしてないから。でも、敵ではなかったと思う。彼は私に『危機だ』と告げてくれたのよ」
……その時、ふと気付いた。紫塔さんが、とても柔らかい表情をしていることを。ドキッとしてしまうくらい、柔和な表情。こんな顔は見たことがなかった。
「危機って?」
「別の悪魔の血に脅かされてる、と――オクトパスのことでしょうね」
「となると」
シェリーが興味津々に手を挙げた。
「その悪魔さんは、紫塔さんの危機にわざわざ夢にまで出てきてくれた、ってことなの?」
「そう……思うわ」
シェリーが難しそうな顔、その後満足げな様子を見せた。シェリーこういうファンタジーっぽいの好きだったからなぁ。
「なんか素敵」
「にしても……どこから来たの、その悪魔は。まさか亡霊?」
「たぶん……私の『血』よ」
「血?」
その場の三人が固まった。血から? どういう意味なんだろう。ふとシェリーの方を見ると真剣な顔で頷いている。ファンタジーに詳しかったらついていける話なのかな。
「彼の肉体は既に無く、数千年の時を……私の中に受け継がれた血の中で生きていたのよ」
私と紗矢ちゃんは理解が出来ていなかった。金髪の彼女はなんだか鼻息が荒い気がする。なんだかよくわからない。きっと日本語の意味は理解しているけれど、それで浮かび上がるイメージが理解できていなかった。
「なんて言えばいいのかしら……ええと」
「魂、とか?」
「そういうものかしらね、シェリー。随分勘がいいのね」
うんうん、とシェリーは頷く。魂。実際にあるものなのかな?
「……で、みおっち。その悪魔さんは、何か具体的に助けてくれるって?」
「いいえ、それはまだ。ラボラスは数千年の眠りから目覚めたばかりで、まだ本調子じゃないみたい」
じゃあ……今回の登場は、挨拶みたいなものなのかな。悪魔と言われているけれど、やっていることは子孫を助ける先祖の図、とても優しいものだ。ちょっと怖くなくなったかも。
「……なんか、変な話をしてごめんなさい。もしかしたら、本当にただの夢で、デタラメな事なのかもしれないけれど」
「ううん、紫塔さんがそういうのなら、どっか信憑性があるというか」
「紫塔さん、きっとそれはお告げだよ!」
「シェリーちゃん……? ずいぶんテンションが高いね……」
紫塔さんが話していた夢の内容。悪魔・ラボラスの目覚めと、紫塔さんへの助力。夢だったのならかなりクオリティの高い創作だ。そもそも夢の内容ってすぐ忘れてしまうものだと思うし、きっと夢とは違うものだと思う。
もし紫塔さんがパワーアップして、レジーナやオクトパスのような、とんでもない超人になっちゃったら……ちょっと怖いな。
ともかく、何かここを出るための兆しとなってくれるなら嬉しい。
「美央? その話詳しく聞かせてくれるかしら?」
水族館の主は、どうやらここのどこにでも目がついているらしい。
「しまった……!」
水槽を見ながら話を聞いていた私たちは、そこにいるオクトパスに気付いていなかったのだ。