#18 魔女の夢は覚めない
※■マークのところで視点が変わります。
「ごちそうさまでした」
朝食に満足して、手を合わせた。なんだろう、昨日の麻婆春雨のあとから、普通にレストランと遜色ないくらいに美味しいものが続いている。麻婆春雨が外れだったのか、不得意だったのか、なにか理由がありそうだ。
「おいしかったですよ、二葉さん」
「まあ! 嬉しいです。皆様のお口に合って」
「二葉ちゃん、麻婆春雨のあとからなんか気合入ってる?」
「……そんなことはございません」
ちょっとした間があったのを私は聞き逃さない。今の一瞬、図星って二葉さんの顔には出ていた。もしや私たちからのダメ出しで、お料理のレベルが上がった……!? 彼女が気合を入れてお料理スキルを上げてきたのは素直にすごい。
「二葉さん、本気出せば最強なんじゃないですか?」
「いつでも本気ですよ。こう見えて」
ふとその言葉の意味が、なんだかすごく、……かっこいい大人の生き方の集大成みたいに思えた。果たしてそんな意味を込めているかどうかは分からないけれど。
「ミス二葉……今朝の朝食も美味しい。感謝する」
「あら、レジーナさん。いつもありがとうございます」
いつも? レジーナはいつも褒めてあげているのだろうか。
「ミス二葉、その、よかったら私も、あなたの仕事を手伝いたい。なにか出来ることはないだろうか?」
「いやいや、これはメイドとしての仕事です。レジーナさんに分けてあげるほど余ってませんよ」
「そ、そうか……?」
二葉さんは自分の仕事をレジーナに分担しようとはしなかった。
「二葉さん、忙しくないの?」
「忙しいですよ。でも、きちんと自分でこなせる量と質の仕事ですから」
……実はオクトパスはそこまで無茶な労働を強いているわけでもないのかも。事実、二葉さんはきちんと一日三食の給仕を大きな遅れもなくこなせている。昨日の寝落ちは事故として。
「今度はゲームのし過ぎで倒れたりしないでくださいね」
「っ!? そ、それはここでは言わないでください!!」
「ミス二葉? ゲーム、とは……?」
「いやいや、レジーナさんは気にしないでください。何でもないですから!」
疑惑の目を向けるレジーナに、二葉さんはどうにか誤魔化そうとしている。微笑ましい光景だ。……そんなことより。
未だ視界の隅で動かない、彼女の事が気になった。二葉さんが来るほどの時間だというのに、紫塔さんはまだ起きようとしない。寝顔を見た感じはなにか体調が悪いというわけではなさそうだけれど、……やっぱり気になる。寝ている彼女の所へ寄って、少し、看病というか、そんなふうに紫塔さんの手を取った。温かい。冷たくはない。握ってあげると安心する柔らかさ。
「……」
随分疲れていたのかな。ともかく、待っててあげるしかない。彼女が起きてから、この水族館の探索なり、二葉さんの尾行なりをしていきたいから……。
■
長い長いトンネルを歩いて、もう何時間経つのか。手元の頼りない電気ランプだけが、道を照らしている。どことなく寒くて、居心地はよくない。
実はこれが現実でないのは分かっている。寝る前に水族館にいたこと、晴香がお風呂で寝てしまったこと、全部覚えている。夢でありがちな変な強迫観念に駆られているわけでもない。
だけれど、現実へ目覚める手段が見当たらない。いくら私の意識を研ぎ澄ませようと、晴香が教えてくれた夢か現実かを区別する方法――頬をつねるのをやってみても、戻れないのだ。
気が付いたら人が二人くらいしか通れない隧道と、時たま点滅を繰り返すランプがあった。隧道は入口があったわけじゃない、夢の最初から隧道の途中に私は置かれていて、後ろを見ても出れるようには見えなかった。
ずっとずっと、足を動かしている。ここから元居た場所へ戻るというのはかなり骨が折れる。進み続けているけれど、これが正解なのかは分からない。
「なんなのよ……」
隧道は整備されているという感じはない。地面はごつごつしていて、壁面もボロボロで崩れそうとすら思える。ランプで壁面を照らすと、たまに落書きが見える。他に誰かいたのだろうか?
「……」
静寂で耳鳴りがする。私以外の存在はない。この夢は一体何なのか。夢にしてははっきりしているし、夢と分かるくらいには現実離れした感覚もある。だけれど私を出してはくれない。現実の時間がそこまで進んでなければいいけれど、どうも長居しているような気がする。お腹もはっきり空いてきた。
ときどきこのトンネルの中を走って進んでみたりした。寒さを紛らわすためもあったし、なにより早く出たかった。でも私の希望がかなえられることは無かった。
「あっ……」
ついに持っていたランプが限界を迎えようとしている。チカチカとした点滅が止まらなくなって、数秒消灯して、またチカチカ点滅して、というのを繰り返し始めた。
たまらなく不安になってきた。……誰かいないだろうか? 夢の存在でいいから、誰か。晴香、シェリー、紗矢。その誰かがここに現われてほしかった。
願いむなしく、ランプは完全に消えてしまった。スイッチを押しても、光が点くことはない。辺りは暗闇で何も見えなくなった。目が慣れてないだけかもしれない。それにしたって、この暗闇の中を歩くのは、もう嫌だ。
寒さが増してくる。息が白くなっているのが分かる。歩く気力も、ランプと一緒に消えてしまったのか、足が重くなってしまった。
「なんなのよ、もう……!」
感情的になってしまった。昔なら、こんなことはしない。ランプに魔力を注ぐという、無駄としか思えない行為をした。感覚的には注いでいるけれど、ここは夢の中。現実のほうで魔力を使っているかわからない。
すると、命を絶やしたはずのランプは急に点灯し始めた。ただその光は真っ赤だ。電気ランプなのだから電球の黄色い光が点くはずのそれは、炎が燃え盛るような赤色を宿した。
「うわっ」
まるで太陽でも見ているかのような眩しさに、私は目を瞑る。ダメだ、目を瞑っても眩しい。
思わずランプを放り投げた。光の塊となったランプは思いのほか遠くへと投げられた。それでも眩しい。……というより、この隧道全部を照らしてしまうような感じさえする。
その感想は当たった。極限に照らしだす光は、隧道の暗闇を全て消し去ってしまったのだ。
「え……?」
光が隧道すべてに行き渡ると、ランプの中の太陽は、落ち着きを取り戻す。元の電球の明りを、元気に光らせていた。
転がったランプをとりあえず手に取る。なんとなく、不安を拭うためでもあった。そのときにふと壁面に目が行った。大きくヒビが走っている。そのヒビの向こうに何かあるような気がする。だけれど、トンネルの壁を破壊するような術がない。殴って割れるものでもないだろう。
なら、と私はランプの光を呼び覚ました自分の魔力を信じることにした。エネルギー化して弾に出来るわけではないけれど、それを他の物体に任せるのは出来ることじゃないか?
転がっていた、ちょっと大きめの小石を手に取る。投げるには最適のサイズ、それに魔力を込める。ビリビリ、と黄金色の稲妻が小石から走ったのを見て、私は小石を壁面のヒビ目掛けて大きく放り投げた。
想像以上のスピードが出たのが分かった瞬間、大きな音が隧道を駆け抜けた。まるで大砲のような破壊力を持って、小石は壁面を砕いていた。砕かれた壁面は穴が開き、そして。
「……隠し出口、とはね」
隧道を抜けだせる気がする、階段が見えた。迷わず、私はそれを駆けあがることにした。ああ、やっと出られる。この意味の分からない夢から、覚めることが出来る。そう信じて。――だけれど、その期待は裏切られることになった。