#16 私の幼馴染は朝が弱い
オクトパスとの問答は思っていたより時間がかかっていたのか、奴が去った直後に誰か起きてきた。
「あ、おはようシェリー」
「んー……」
眠い目をこすりながら、彼女はむくっと身を起こす。
「あれ、晴香ちゃん……?」
「そうだよ」
「おはよう~……」
ぼんやりと彼女は挨拶をして来る。朝が弱い彼女らしい挨拶に、思わず私も笑ってしまう。
「晴香ちゃん、どうしたの、そんなところに立って……」
「ああ、」
一瞬、オクトパスとのことを話そうかと思ったけれど、……いま頭が一切回ってなさそうなシェリーに告げても、一時間後には忘れているんじゃないだろうか? そんな疑問が湧いてしまって、ためらった。
「……魚が綺麗だからさ」
「ふーん……」
「シェリー、キツいなら二度寝していいんだよ? 誰も文句言わないって」
「んん~……」
起きているけれど、今にも寝てしまいそうな雰囲気がある。こういう状態だったら、いつも私は彼女を寝かしつけに行く。
「ん、しょ……」
「立った!?」
驚いた。ここで「起きる」ことを選ぶシェリーは見たことがなかった。大体寝かしつけに行ってスヤスヤ二度寝するのがいつものパターンだったのに。
「ん~」
でもその後にも驚かされた。まるで酔っ払いか、はたまた赤ちゃんかのように、足元がおぼつかない。それでも一応私の隣に、さっきまでオクトパスがいた位置にシェリーはやってきた。
「さかな……」
ぼーっとした彼女の視線が一体どの魚を見ているのか、正直見当もつかない。
「まったく」
乱れている彼女の髪を手櫛で梳かす。さらさら、さらさら、と繊細で触れていて気持ちのいい髪の毛が流れを取り戻していく。かくん、と彼女の頭が揺れた。あれ? いま一瞬寝落ちした?
「シェリー?」
「ごめん、きもちよくって……」
どうしてだろう? そんな無理して起きる必要なんてないのに……。
「寝てていいのに」
「いや、うん……早起きは、三両の、得っていうから……」
「三文ね」
そんなに得なら誰だって毎日早起きしている。
「じっさい、晴香ちゃんと、おはなしできてるし……」
「それが三両?」
「うん」
うれしい。嬉しいけれど、私と話すだけのことにそんなに価値あるのかな……。
「はるかちゃんは、どう? 三両……」
「そんなの……あるに決まってんじゃ~ん!」
そういう聞き方はズルい。シェリーとお話しできる時間、どう考えたって三両以上の価値はある。
「もう、しかたないなあ」
なんだかたまらなくなって、彼女の頭を撫でることにした。撫でれば撫でるほど、彼女のにへぇっとした笑顔が輝いてくる。心があったかくなっていく気がする。たまにぎゅーっと抱きしめたり、あごの辺りもくすぐってあげると、シェリーはとても喜ぶ。……あれ、これ犬の愛で方かな?
「うふふふふ……」
「あはははは……」
なんだか懐かしいような時間。たまにこうして無邪気に遊ぶ時間は、他の人から見たらかなり変かもしれない。それでも、私たちの中ではすごく楽しい時間なんだ。
「はっ!」
いきなりシェリーはピンと背筋を伸ばす。目元を見ると、ぱっちり見開かれて、いかにも覚醒しました! って訴えている。
「あ、晴香ちゃん、おはよう」
「あ、目覚めた?」
シェリーは自分の置かれている状況を改めて確認している。頭に置かれた私の手、顎をくすぐる私の手、彼女を抱き寄せている私の腕。それに気づくと、彼女の顔が赤色に染まっていく。
「あ、ああ……」
「ご延長なさいます?」
「結構です……」
恥ずかしそうに、彼女は私の手や腕をそっと放した。うむ、もうちょっと堪能したかったけれど、嫌がるのを無理矢理するのはよくない。それにしても……すーっごく満たされちゃった。
「どれくらいやってた? これ」
「一時間くらい」
「へっ!? 嘘でしょ? 一時間も晴香ちゃんに寝起きで接してたなんて……!」
ウソ。実際は10分くらい。この反応を楽しみたくてついてしまったウソだ。
「うう……うぅ……」
なんだか見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、シェリーは恥ずかしがる。あまりにも悶々としていて直視できない。
「ごめん、10分くらい」
「それでも恥ずかしい!」
そりゃそうか。時間の長さが問題じゃなかった。
シェリーがやっと落ち着いた。実は結構早い時間なのか、紗矢ちゃんも紫塔さんも起きる様子を見せない。
「もう、心配したんだよ? 晴香ちゃん、お風呂でぐったり寝ちゃうんだから」
「いや~ごめんごめん。なんかものすっごく心地よくってさ」
「……疲れてたの?」
目を真っすぐ見て、彼女は喋りかけてくる。この聞き方は真剣な問い方だ。
「んー、そんな自覚は無かったけど……疲れてたのかも」
私の中でもすごく不思議だったんだ。お風呂の中でぐっすり寝てしまった事なんて、今まで一度もない。どこか調子が悪かったのか、疲れてたのか……。
「でも良かった、ちゃんと目覚めてくれて」
「そうだね。……あ、そういえば、夢の中でシェリーを見たんだ」
彼女は目を輝かせて、私の言葉の続きを待つ。ここまで期待されると、なんだか調子が狂う。
「夢の中でもすごく、天国みたいな心地よさだったんだけど、シェリーが出てきてから本当に天国だったんじゃないか、って思っちゃった」
「それって……私がいたら天国ってこと? いまここが天国って?」
「あー、そうなっちゃうかも」
考えてなかったけれど、今の話を繋げるとそういう結果になっちゃう。
「もう!」
「へ?」
予想してない反応だった。ぷんぷん、と怒り出したのだ。
「晴香ちゃんばっかりズルい! 私も天国に連れてって!」
「ええ?」
なんだかわけのわからない話になってきてしまった。するとシェリーは私を力強くハグしてきた。……優しさよりも力強さ、温かさより熱さを感じるような、強いハグ。
「ええ?」
「むぅ……」
そのままシェリーは唸るだけではなしてくれなかった。はぁ、彼女には敵わない。好きなだけ抱き枕になってあげよう。
そんな時間がどれくらい続いたんだろう。水槽から見える魚たちは代わる代わる私たちのやりとりを見ている。みんな興味はなさそう。
紗矢ちゃんたちはまだ起きない。もしかして、すごく疲れていたのは私だけじゃなかったのかもしれない。
「ねえ、晴香ちゃん」
「なに?」
「水族館、いっしょに行ったことなかったよね」
「そうだねぇ」
実際ない。家の近くに水族館がなかったというのもあるけれど、そもそもシェリーと遊ぶときは互いの家で遊ぶことが多かった。
「これって、デートじゃない?」
「違うと思う」
「ええっ!?」
「だって紫塔さんたちもいるし……」
デートと呼ぶには、少し賑やかすぎる。もっとこう、二人だけの時間じゃないかな?
「そんなぁ……」
しょぼん、とシェリーが落ち込んだところで、誰かが吹き出すような声が聞こえた。これは……。
「紗矢ちゃん?」
お仕置きが必要だと思う。私たちの時間を、盗み聞きするような悪い子には。