#14 おわりの夢
「じゃあメイド、頼むわよ」
「お任せください」
オクトパスは部屋の片づけをメイドに一任して、部屋を立ち去る。その際、忘れずに紫塔さんへ投げキッスをしていたのを私は見た。……どうも紫塔さんは見てなかったようだけれど。
私たち四人はやることもないから部屋の片づけを手伝う。二葉さんは「皆様のお手を煩わせるわけにいきませんから」と一度は断ったけれど、何か彼女の手伝いを一つでもしたかったのが本音だ。二葉さんが折れるのは結構早かった。
部屋の状態としては、無重力によって部屋の置物が散らかってしまった、というのと、レジーナの攻撃によって床などにヒビが入っているのとが目立った。
「ミス二葉……」
どうもさっきの戦いのショックで、手伝いもままならないレジーナが二葉さんに声をかけると、二葉さんは私たちと接するとき同様に「大丈夫です」と微笑みながら返事していた。きっと彼女の元来の性格なんだろう。だらしのない大人とは思うけれど、物腰柔らかいところは尊敬する。
散らかったものはきちんと片付けて、床や壁のヒビは二葉さんだけじゃどうしようもないようで、彼女はメモ帳に何か書いていた。
「ふう。皆様のおかげで早く終わりました。お礼を申し上げます」
実際、とんでもない散らかり具合とは裏腹に、十五分くらいでそれらは大体片付いた。
「いいんですよ二葉さん。ご飯のお礼もしたかったし!」
「そう言って頂けるなんて……はっ、ご飯……うわっ! しまった、今の時間は……!」
懐中時計を取り出し、二葉さんは時間を見ると、目を白黒させながら言った。
「うわー! 皆さんお腹を空かせて待ってます!!」
すると急いでワゴンの所へと二葉さんは駆けて行く。そこにレジーナの料理が残っていて、それがめちゃくちゃになっていることを知ると、メイドは肩を落とした。
「はぁ……なんてこと」
とぼとぼレジーナのところに来ると、メイドは、
「申し訳ありません」
と夕飯が提供できないことを謝った。
「……ミス二葉。気にしないでくれ。私が悪いんだ……」
「またあとで作ってきてあげますから」
「本当にいいのに!」
レジーナの返事を聞いたか聞いてないか、二葉さんはワゴンを急いで運んで、部屋を慌ただしく出た。またどこかぶつけた音が聞こえた。
二葉さんが出ていくと、嵐が去ったかのように部屋に静寂が戻る。どうもレジーナもお喋りなタイプじゃないみたいで、話しかけてくることもない。だけど、彼女はひとりでに座り込んで、ため息をついた。
「はぁ……私は一体、なにをやっているんだ……」
丸眼鏡の奥は、さっきの激情とは対照的にかなり沈んだ色をしていた。
「レジーナ、元気出して」
月並みの言葉をかけてみる。とりあえず、彼女と話をしてみたかった。
「……ああミス二葉……疲弊しているというのに、私のことを責めもせず、さらには夕飯をまた用意するなんて……私は彼女に何を返せばいい、返し切れるかも分からない……」
「レジーナ……」
「ああ……こんな私と、どうしてあそこまで親しくしてくれるのか……」
完全に自分の世界に入っている。横から話しかけている私のことは一切眼中にないみたいだ。それはともかく、このレジーナの二葉さんへの重い思いはどこか危うさすら感じる……。
「そっとしておきましょう」
紫塔さんに肩を叩かれ、とりあえずレジーナから離れることにした。
これからどうするか、というのが少し話題になった。今日はもう寝るのがいいのかもしれない。すでに遠くなった二葉さんの尾行は出来るわけもなく、そもそもレジーナの戦闘を見ているだけで、どこか疲れてしまった。いや夜だからというのもあるか。明日、気を取り直して作戦の再開でもしたほうがいいと思った。
「今日はもうお休みだね」
「私、寝る前にお風呂入りたいな」
シェリーが呟くと、私は「確かに……」と口にしていた。私だって元々お風呂は夜に入るタイプ。いくら昼に入ってたからと言って、夜我慢する理由にはならなかった。
「じゃあ、行こうかシェリー。二人はどうする?」
「あ、アタシも行こうかな。みおっちお留守番?」
「私も行くわよ」
私たちの今日の締めが決まった。大浴場に向かう私たちの後ろには、飼い主を求めてヘレナもついてきた。
「ねえ、またオクトパスが乱入して来たりしないかな」
「……流石に迷惑すぎるなぁ」
親友の不安は確かに私の頭にもあったことだけれど、またぶっ倒せばいいのではと、もう考える気力もなくなっている。事実だし。
大浴場に着くと、昼と変わらず広くて清潔な空間が広がっている。待っていた、早くお風呂に浸かりたくてソワソワしていたんだ。
身体を洗って、お風呂に浸かると疲れが抜けていく。程よく熱いお湯に疲労が溶けて行って、身体に溜まっていた名前のつけようのない負の物質すら抜けていく気がする。
「……っと」
一気に緊張が解けたような気がする、一瞬意識が飛びかけた。眠い。湯面に顔を浸すところだった。
「あれ、はるっちお疲れ?」
「なんだか、うん」
「仕方ないね。まあ、はるっちが寝ちゃったら、今度はアタシが送ってってあげるからさ」
昼は紗矢ちゃんを担いであげたなぁ、とちょっと思い出す。――そんな言葉、真に受けちゃいけないのに、なんだか本当に身体はお眠り体勢に入りかけている。身体がガス欠を起こしたように重い。湯船から出られそうにない。
「あら? 晴香、のぼせたの?」
のぼせた、と考えるには入浴時間が足りない。まだ入って二、三分くらい。いや、でも、疲れてたらそれでのぼせてしまうのかも。
「う、うぅ……」
意識が何だがぼんやりしてきて、私にかけられる言葉がどんどん滲んでいく。大浴場のエコーがかかっているのもなおさら。身体を包むお湯の温度が異様に心地よくて、まるでお布団のように思えてくる。ああ、ここが私のベッドだったのかもしれない。
「……」
くたっと、最後に感じた誰かの肩と手の感覚。確かシェリーのものだったと思う。天国のような心地よさに、私の意識は抱かれて昇って行った。
どこか夢なのか現実なのか分からない空間、気が付くとそこにいた。目の前ははっきりしないけれど、ただただ優しく包み込む温度と、誰かの鼓動が聞こえてくる。でもその鼓動は心地よくて――もっと言えば、私の鼓動と合っているそれが誰のものなのかはすぐわかった。どうしよう、このままだと本当に天に召されてしまうような、そんな気がする。待って? 私お風呂の中で気を失っちゃったんだよね? そんな状況でこんな夢を見ている。それってヤバくないかな?
「うっ……」
でもこの果てしなく続いていく心地よさは私程度のちっぽけな理性で拒否できなかった。身体中を曖昧に溶かしてしまうような、優しい感覚。そこに響いてくる彼女の鼓動。もうダメだ。ここで人生終わっても多分後悔なく逝ける気がする。
彼女の声がする。そっちに目を移すと、ああ、やっぱり。彼女だ。ブロンドの彼女が微笑んでいる。きっと彼女とは生命レベルで波長が合っていたんだ。
このまま目を閉じたらどうなってしまうんだろう。もしかして死んでしまうかな。心地よくてしょうがない空間に溶けて行ってしまうかな。こんな幸せな感覚、初めてだ。
最後だとしたら……彼女の姿が見れてよかった。人生の三分の二を共に過ごしている彼女の笑顔が見れて。