#13 開戦 魔女達の戦い
目的の人物はすぐに姿を表した。五分くらいだったと思う。その間、レジーナは居てもたってもいられず、部屋の中を行ったり来たり、その歩様は荒々しく、その顔を見なくとも彼女の怒りが伝わってくる。
近寄りがたくて、声をかけることも出来なかった。
「待たせたかしら? 一時間くらい」
「んなに待ってない!」
オクトパスの冗談はレジーナの神経を逆撫でした。今にも噛みつきに行きそうな勢いがある。
「あの……オクトパス、ここで戦うの?」
「ん? 一般人、くだらないことを聞くのね。そうよ。ここには決闘場なんてものはないもの」
オクトパスは戦いに備えてか黒いグローブを着け始める。これは……かなり荒っぽいことになりそうな予感がする。自然と、私は一歩引いていた。
「館内の騒ぎを収めるのも、館長の務め、ですものね」
オクトパスの視線は、レジーナを貫く。その瞬間、ぴくっと、レジーナの肩が跳ねた……気がした。
「今度こそ、その面、ボロボロにしてやる……!」
「ふん……確認するわよ。あんたが勝ったら?」
「キサマに謝罪してもらう、ミス二葉に!」
「じゃ、私が勝ったら、二度と怒りなんて湧かないようにしてあげる」
ん? どういうことだろう。「怒りを湧かないようにする」って。もうコテンパンに心を折るってことかな?
「いいよ。ぶっ潰してやる」
「ふぅ。後悔しないことね」
オクトパスが何もない空間から黒くて、細い、スピアって分類されるような槍を取り出す。彼女にお似合いな華奢なものだ。武器召喚とかそんな技術があるなんて……!
対してレジーナがどこからか取り出したのは、大きくて、分厚い本。イメージするに、あの本に呪文か何かが書いてあるのかもしれない。
「では美央。戦いの合図をお願いするわよ」
甘さの増した声音で、オクトパスは紫塔さんに告げた。困り顔をしつつも、紫塔さんはとりあえず、従うことにしたみたいだ。
「じゃあ……はじめ」
その瞬間、オクトパスとレジーナの二人の世界が瞬く間に広がった。目線が互いにぶつかり合って、外の私たちに向かない。オクトパスは堂々と構え動かず、レジーナは相手の隙を伺うようにジリジリと横に動く。
先にレジーナが動いた。本を開いて、ページのある部分を指でなぞり、何か呟く。すると、彼女の背後から、空間の揺らぎが始まった。
「な、何が起こってるんだ……!?」
信じられない光景が繰り広げられている。そう、皆が思っていた。紫塔さんでさえ、そんなものは見たことが無かったらしい。
「ヴァサーゴの魔女! キサマを捕らえるッ!」
空間の揺らぎはブラックホールのような暗闇の穴になった。よく見ると他の場所にも同じような穴が出来ている。そこから、巨大なタコの触手のようなものがオクトパスに向かって伸びる。
「漫画みたいだね」
シェリーの、あまり驚いてもいない反応と、オクトパスが触手を避けるタイミングが重なる。触手のパワーで、部屋の床が砕ける。
「……建造物損壊で、お仕置きが必要ね? アンタに」
レジーナの呼びだした触手はまだオクトパスを追っている。だけれど、それをオクトパスは持っている槍で、流れるように切り裂いてしまった。
「っ……! 次だ……!」
「遅いわね」
次は私のターンだ、と言わんばかりにオクトパスの攻撃が始まった。一気にレジーナに近づいたオクトパスは真っ先にレジーナのお腹に蹴りをいれた。でもそのパワーがすさまじく、五メートルは先の壁までレジーナは吹っ飛んでしまったのだ。
「ぐっ……!」
レジーナが手元の本を落としそうになる。それをなんとか抑えて、レジーナは再び本の詠唱を始める。
「……負けるか……! ミス二葉に、土下座させてやる……!」
空間の揺らぎを感じた。だけれど、その範囲がどうにも部屋全体に及んでいる気がする。なんかヤバい気がする!
「! ここから出よう!」
「ご安心なさい、美央を傷つけさせはしないわ」
すると、紫塔さんを中心に、見えない壁のような何かが現われた気がする。それは、大浴場で紗矢ちゃんを囲ったような、立方体の壁。それを感じたのは、部屋に響く戦闘の轟音が、フィルターをかけたように少し控えめになったからだった。
「まあ、驚きなさい」
そうオクトパスが言ったのち、「何かが起こった」。
枷が外れたかのように、部屋中の物が、オクトパスとレジーナも、ふわっと浮き始めたんだ。全てが無秩序に浮かぶ中、見えない壁に囲われている私たちには何も起こらない。
「一体、何が起こっているというの……!?」
「無重力……!」
紗矢ちゃんの呟いたワードは、目の前で起きている現象を理解しきれない頭にスッと入ってきた。無重力状態、もしかしたらこの部屋全体がそれに包まれているのかもしれない。
「この部屋全体、私のフィールドだ!」
空間の揺らぎが部屋のあちこちから見える。レジーナの言葉はどうやらどうも嘘じゃないらしい。天井、壁、床関係なく、揺らいだ空間からオクトパスへ触手が伸びる。
「!」
ほぼ360度から飛んでくる攻撃、オクトパスがどう捌くのか、私は釘付けになっていた。だけれど、期待していた光景は裏切られてしまう。
あらゆる方位から伸びた触手はきっちりオクトパスを捕えて、球を作るようにグルグル閉じ込めてしまったのだ。
「ふっ……捕えた! このままキサマを圧殺してやる!」
オクトパスを捕えているであろう球は、どんどんと小さく圧縮されていく。それはもう、オクトパスが入らないんじゃないか、というふうに。
「キサマの負けだ! 謝罪の準備をしろ!」
……しかし、球の圧縮があるとき止まった。
「!? な、なんだ!?」
「ふぅ。……油断ばっかりね、あんた」
オクトパスの声がはっきりくっきり聞こえたと思うと、球を成していた触手たちが、動きを止めた。
「なっ、私はそんな指示はしていないぞ!?」
やがて、触手たちは力を失ったようにバラバラと、千切れ崩れ落ちてしまった。そして崩れる球からオクトパスの姿が見えた一瞬、一筋の閃光のような攻撃がレジーナを貫いた。
「がはっ……!」
「触手に包む過程で、私を視界から外した……おっちょこちょいさん」
部屋の無重力はいつの間にかなくなって、レジーナも、オクトパスも地面に降り立つ。部屋の物たちは一斉に音を立てて床に叩きつけられた。
「楽しかった? 一瞬でも希望が見えて」
「ぐっ……はぁ、はぁ……」
貫かれた腹部を抑えて、レジーナはそれでも負けまいと、オクトパスを睨む。が、もうボロボロだ。
「じゃあ……約束通り、あんたの魂は……砕かせてもらうわね」
何か、オクトパスの右手に、怪しい稲妻のようなものが纏わりはじめる。奇妙なのは、それが赤黒くて、私の知っている稲妻とは明らかに違うものだったこと。
「くっ、ヘレナの二の舞になんて……!」
そのとき、視界の外からバタバタと、慌ただしい足音が聞こえた。
「やめてくださーい! オクトパス様!!」
「! ミス二葉……!」
二葉さんが必死の形相でオクトパスの元へ迫る。さっき無重力からいきなり落とされた衝撃で、流石に起きてしまったみたいだ。
「何のつもりよメイド? これは私とコイツだけの決闘。決闘の勝敗には決まりごとが取り付けてあるのよ」
「いいからやめてください! くだらない諍い事なんてナシって前にも言ったじゃないですか!」
「しかし」
「とにかくです! オクトパス様の晩御飯、抜きにしますよ!?」
「……」
しばらく顔をしかめた後、オクトパスはトドメの一撃の用意をしていた右手を降ろした。
「……まあいいわ。こんな混血など、いつでも捻りつぶせるもの」
気が収まったと言わんばかりに、オクトパスが肩の力を抜いたのが分かった。同時に気の抜けたレジーナも尻もちをつく。貫かれたはずの腹部は血が出てない。なんだったんだろう、あの攻撃は。
「どうしたのオクトパス? そのメイドには随分頭が上がらないみたいじゃない」
「恥ずかしいところを見られてしまったわ……」
本当に気恥ずかしそうに、口を淑やかに抑えると、オクトパスは紫塔さんから目を逸らしてしまった。
「?」
「また……電話、待ってるわよ、美央……?」
その乙女っぽさのある視線に、紫塔さんは顔を歪めた。
「片付けますよ、オクトパス様は戻って! あら、紫塔さま達も一緒で……」
やっと私たちに気付いたらしい二葉さんは、いつもの笑顔を見せてくれた。これから散らかってしまった部屋の片づけが始まる。手持ち無沙汰でもあるし、美味しい夕飯のお礼も込めて、私はお手伝いをすることにした。