#12 激情
結局眼鏡の少女に脱がされた二葉さんは、とりあえず元通りになった。メイドさんの服って……ああいや、普通に誰かの服を寝かせたまま着させるのは難しいか。
それでもやっぱり、二葉さんは起きる気配がない。まるで麻酔でも効いているかのように。……麻酔だったら寝息を立てたりはしないか?
「……とりあえず、彼女の仕事をどうにかしなければ……ミス二葉はきっと限界だったのだ」
脱がせる、というとてつもないアクションをしたけれど、二葉さんを思いやる気持ちは丸眼鏡の少女からはあふれ出ている。
「うーん、とりあえず、腹ごしらえしてからでいいんじゃない?」
紗矢ちゃんはすっかり夕食モードに入っている。待って、紗矢ちゃんもうお腹空いたの? もしかして大食い?
「駄目だ! 彼女の仕事が止まってしまえば、館内のいたるところに食事が回らない! それでは各所から不満が爆発し、ミス二葉に批判が相次ぎ、彼女を追い詰めてしまう……!」
館内の他の魔女とかを気にかけているのかと思ったけれど、これはただ二葉さんを心配しているだけだな……。
「そうは言っても……私たち、二葉さんのルートはよく知らないし……」
「くっ……私もだ」
いや知らないんだ!? 二葉さん大好きっぽいからなんとなくそれは知ってるものかと思っていたけど!?
「弱った……一体どうすればミス二葉の仕事を完遂できる……? やはり、足がものを言うのか?」
それはかなりリスキーな判断じゃないだろうか……? どうにも埒が明かない気がして、私も二葉さんのワゴンから夕食を取ってくる。まだ出来たてだから、熱が伝わってくる。それに続いて、シェリーも紫塔さんも、更にはヘレナすらワゴンから夕食を取ってくる。それに気づいた丸眼鏡の彼女は怪訝な顔を隠さなかった。
「なっ……おまえたち……!」
「うん、無理だね」
「ええ、無計画すぎるわ」
「ちょっと待ってくれ! 一緒にミス二葉の仕事をどう完遂するかを考えてはくれまいか!?」
「考えているわよ。その結果、あまり根詰めないで、休憩したほうがいいと判断したのよ。いただきます」
お構いなく紫塔さん、私たちは夕食のふたを開けた。そこにあったのは、美味しそうな唐揚げ定食だった。や、ヤバい、ここで唐揚げにありつけるとは思ってもみなかった。腹の虫が元気に鳴き始めた。
「いただきます」
私も手を合わせた後、目の前で黄金色に輝く希望を口にする。程よくカリカリな食感、お肉のジューシーさ、……ああ、たまんない!
「おいしい!」
すごく美味しい。空腹が一番のスパイスとはいうけれど、それにしても美味しい。一体昼に食べたあのよくわからない麻婆春雨はなんだったんだろう……?
「なんか……すごく、美味ね……」
そう感じたのはどうやら私だけではないらしい。紫塔さん、そして紗矢ちゃんたちも目がキラキラしている。
「……二葉ちゃん以外の別の誰かが作ったのかな、これ」
あるいは昼が二葉さんじゃなかった可能性だってある。
「どうしてだ! 五人もいるのに皆休憩して……!」
「落ち着いて。このままじゃ、何もいいアイデアは浮かばないよ」
明らかに焦っている丸眼鏡の少女を宥めつつ、ぺろりと唐揚げ定食を平らげた。ごちそうさまでした。
「よし」
美味しい食事でエネルギーは補充出来た。寝る前に最後のひと踏ん張りでもすることにする。丸眼鏡の少女の慌ただしくただ慌てている姿を見て、とりあえず私も何か出来ないかと思った。
「うーん、まず何ができるかな……」
二葉さんの仕事を代行するとして――まず、やっているのはご飯の給仕。それを館内のいたるところへと配っている。それをするにはルートが分からない。そして、と二葉さんのワゴンを見る。
明らかにお皿の量が少ない。
館内に一体どれだけの収容者がいるのかは分からないけれど、どう見てもあと二、三人分くらいしか乗っていないのだ。丸眼鏡の少女の言い方からするに、たぶん、もう少し人はいるだろう。私のイメージでも、そっちの方が合っている。
かといって、彼女のルートをイメージできる手がかりもない。……もしかしてこの施設は一本道? だとしたらまだどうにかなりそう。
「ねえ、この館内は一本道?」
「違う」
希望は絶たれた。
「無理だ。私たちにそれは出来ない。あとで文句でも言われるかもしれないけれど、仕方ない。その時は二葉さんを慰めてあげるのがいいんじゃないかな」
「クソーっ」
悔しそうに丸眼鏡の少女は地面を叩く。ともかく、二葉さんが目を覚ますのを待つのが一番だろう。
ピッピッピ、ピッピッピ。
電子音のような、アラームのような音が鳴り響いた。
「わっ」
シェリーの小さな悲鳴が上がった。そのアラームはシェリーの持っている、メイドのガラケーから鳴っているものだった。ガラケーから音がなるなんて、そんなことが起こる理由なんて一つしか思い浮かばない。
「どうしよう……?」
シェリーは少し戸惑っている。いきなり着信が来たのだから無理もない。ところでその相手というのは誰だろう。私的には一人思い浮かぶけれど。
「シェリー、落ち着いて相手の名前を見るのよ」
紫塔さんが冷静に指示して、シェリーは小さな液晶画面を見る。
「オクトパス……」
どきん、と心臓が跳ねた。
「ど、どど、どうしよう!」
「お、おおおおおちついて」
シェリーに吊られるように、私もかなりテンパってしまう。どうすれば……!? 出ても出なくても、これはかなりマズい状況じゃ!?
「落ち着きなさい、二人とも」
その声音は怒るでもなく、焦るでもなく、ただただ、本来の私たちのペースを思い出させるような、落ち着く声音。紫塔さんがシェリーのガラケーを取る。
「……出てみましょう」
ボタンを押して、紫塔さんがガラケーを耳に当てた。
「もしもし」
「その声は――おや、おやおや」
何か予期せぬ出会いに心が浮上していくような、そんなトーンでスピーカーの音は明るくなっていく。
「これはこれは親愛なる美央。私からのラブコールに応えてくれるなんてね」
「気持ち悪いわよ」
稲妻のようなリターンエースが決まったと思ったけど、スピーカーの奥からは豪快な笑い声が聞こえてきた。スピーカーの性能の限界か、音割れがすさまじい。
「それでこそ美央ね。貴女はそうでなくちゃ、張り合いがないもの」
げんなりした顔を紫塔さんは私に向けてきた。ご愁傷さま……。
「で、美央。貴女との心震える長電話を楽しみたいところだけれど、その前にひとつ聞きたいことがあるわ。この携帯の持ち主についてよ。まさか、あのメイドはサボりでもしているのかしら」
「そのことについてよ。あのメイドなら、疲労で寝ているわ」
「――ふぅ」
一つ、ため息のような音がスピーカーから聞こえた。
「とんだ役立たずね」
冷たい言葉。二葉さんが寝ている今放たれたそれは、「陰口」と言われるものかもしれない。
「……おい!」
怒号。それを発したのは私たち四人じゃない。ヘレナでもない。その主は、丸眼鏡の奥に、激情を揺らしている。
「お前……今なんて言った!?」
「ん? この声……マイクの音質が悪くて分からないわね……」
「私だ、お前がコケにした魔女だ!」
「んー……思い出せないわ」
「レジーナ!!」
心の炎は見えないけれど、確実に私たちの所まで熱を伝えていた。あの大人しそうだった丸眼鏡の少女・レジーナに、今やそんな面影は見当たらない。
「ああ……あの混血の」
「私のことはどうでもいい、だがミス二葉に対しては謝ってもらおうか!」
「ん~? なぜメイドのことについて、お前が関わろうとするのかしら? 混血の魔女」
「お前がミス二葉を愚弄したことを謝れと言っている!」
完全にキレている。レジーナの怒りを鎮めるためには、きっとオクトパスの謝罪が必要だろう。
「事実を言ったまでじゃない? 業務中に疲労で寝てしまうなんて」
「キサマが無理な労働を強いているからだろう!!」
「まさか。私は彼女にきちんと労働契約を結び、その契約通りに彼女を使役しているまでよ? 証拠なら、この館内での映像をもって……」
「労働者の状態も管理できない無能が!!」
「大体、あのメイドが夜な夜な何をしているかなんて、私が知らないわけないじゃない。それをもってして『役立たず』と言ったのよ」
とことん冷静に切り返してくるオクトパスに対して、レジーナの表情はそれはもう鬼神のような、すさまじいものになっていた。眼光鋭く、ぎりりと歯が軋んで、顔には血が上って赤が上乗りしている。
「~~! 出てこい! 今度こそ、キサマをぶっ飛ばす!!」
「あら? 決闘のお誘いかしら? ……いいわ。ちょうど手が空いていたもの。すぐ行くわ」
すると、電話はブツッと切れてしまった。
「れ、レジーナ、落ち着いて……」
「落ち着いてなどいられるか!! 私が奴をぶっ飛ばし、絶対に謝罪させてやる……!」
もう彼女は聞く耳など持ってない。宥めるのは無理そうだ。
「来い、オクトパス……初戦はしくじったが、今度こそは……!」
意気込む丸眼鏡に、ただ距離を取っている私がいた。これは……なんだかめんどくさいことになっちゃった気がする。
「……電話なんか、取るんじゃなかった」
紫塔さんが頭を抱えて、
「あの子、結構ヤバいね……」
紗矢ちゃんも苦笑いを隠せず、
「晴香ちゃん……」
シェリーはただただ困って、
「……はぁ」
私は疲れてしまっていた。
諍い事なんか、見ていても疲れてしまうだけだ。……オクトパスに一泡吹かせる事ができるのなら、これから起こることはもしかしたら希望になるのかもしれない。でも……そうなる可能性は限りなく低い気がする。レジーナのあの怒り狂った様を見て、私はそう感じてしまった。