【さぁさぁお立合い!】
崩壊が止まり、所々剥き出しになった瓦礫の端々から、小さな破片や砂埃が月明かりに照らされる中、棗さんが私を抱き抱えて瓦礫の中から脱出した。
一度爆発させた妖気は私の体力ごと身体から抜け出て、妙な倦怠感と喪失感を覚えさせた。
そんな私の背を支え、空いた片手で圧し掛かった瓦礫を軽々と退かす棗さん。
「健子ちゃん。大丈夫?」
「は…はい…」
「全く。言った傍から大暴れしちゃって…」
苦笑いを浮かべて、棗さんは私を平淡な地面の上に立たせてくれた。
支えられている間思ったけど、棗さんは多少の重さなどまるで気にしていない程の怪力の持ち主なようだ。
その怪力は見目麗しい姿に反しているが、額から天を突くように生え伸びた黒い角と鋭利な牙が、この人を人ならざる存在だと、嫌が応にも知らしめてくる。
「体の具合はどうだい? “妖まじり”は取り込んだ妖の力の影響で、傷は人だった時より治りが早いはずだ」
「そう…言われれば…」
さっきまで軋むように痛かった肺の痛みが、今は全然感じられない。
「おまけにさっき妖力を全解放したから、肉体の妖気回廊が今まで以上に広がっているはずだ。今後は日常的に妖力を開放する様にしていけば、もっと傷の治りが早くなっていくぞ」
「そうなんですか…?」
「そうだよ」
棗さんが私の手を取って、立ち上がらせてくれた。
周りは瓦礫の山―――見上げれば、本来そこにあったはずの本殿は、影も形も無い。
月明りが照らす大穴の中で、私は三年ぶりに白銀に輝く満月をじっと見つめた。
「……きれい」
本当にきれいだ……。
【贄血の儀】でほんの少しの間だけ外に出る事はあったが、月や星々をじっと眺める事が出来なかった。
こんなに穏やかな気持ちに慣れたのは、本当に久しぶりだ。
その時、すぐ足元の瓦礫が音を立てて動いた。
瓦礫を押し退ける様な動きで出て来たのは、人の腕―――。
「ひっ…」
「あ。忘れてた」
私は思わず小さな悲鳴を上げた。
だけど棗さんは平然とした様子で、それどころか何処か呆れた様な眼差しを、瓦礫から出てきた腕に向けている。
あれ? ……そう言えば私も忘れてた。
「~~~ッ、し、死ぬかと…思った…ッ!」
瓦礫から死霊のように這いずって出て来たのは、土埃で汚れたたか兄様。
その姿には最早、里中の女性を虜にする程の美貌や威厳は一切感じられない。
「へー意外としぶといなお前? まぁ死んだら死んだで、健子ちゃんが罪悪感に苛まれそうだから翠宮院に蘇生術をやってもらう必要があったから、生きててくれてある意味良かったよ」
「こ……このクソ鬼がっ!」
「お~? 麗しの尊人様はお口が悪いなぁ? そっちが素か?」
棗さんは怒りで顔を赤くさせるたか兄様を楽しそうに煽りまくっている。
それはもう、心底楽しそうに…。
「黙れ人外が! そもそも貴様は自分が何をしているのか分かっているのか!? 六華族の一族である我等、白城院の領地でこの様な蛮行を行ってただで済むと思っているのか!?」
「蛮行? それって身内の死を偽装して、剰え禁術を用いてその妖気と生き血を里の繁栄のための糧とし続けたお前達の方ではないのか?」
「そ……それは……い、一族と、里の者達を護るために、仕方なく! そう! 必要な事だったんだ!」
そう、たか兄様は端正な顔立ちを醜く歪ませて、唾を吐き散らしながら棗さんに弁明した。
(………必要な事、ですか)
ここまで来ると本当に、この目の前で地に這いつくばったまま吠える……兄であるはずの人を、赤の他人の様に感じてしまう。
それはとても悲しい事のはずなのに、何故かすぅっと胸の内が軽くなる感覚もする。
その時、俯いている私の頭を、棗さんの大きな手が優しく撫でてくれた。
私の心情を察してくれたのだろう。
仮面が外れて素顔を曝す棗さんの表情は、地に伏せる兄を無情に見下す。
「その守るべき一族……ましてや実の妹は対象外なのか?」
「た、健子が…! あの日お前が禁域とされていた【九尾狐の洞】へ行ったからだ! 幼い頃からあの場所へは決して立ち寄るなと……父上にそうきつく言われてきたはずなのに!」
「それは…! 清子義姉様が私をあの場所へ―――」
「え?」
たか兄様は私の放った言葉に、酷く驚いた様子だった。
(やっぱり……当然だけど、清子義姉様はあの日の出来事をたか兄様に教えていないのでしょう)
あの日、清子義姉様が私を禁域まで同行させたのは、“九尾狐”に私を襲わせる為だった。
そして思惑は上手く行き、私は“九尾狐”に穢されて“妖まじり”になった。
代々“妖”を嫌う白城院家の者ならば、必ず私を爪弾き者にするに違いないと分かっていたのだ。
(だけど、どうして……どうしてそこまでして私を…?)
清子義姉様に嫌われていた事は勘付いていた。
だけど、私は彼女に対して何かした覚えなどない。
婚約者のたか兄様が私を可愛がってくれていたから? 嫉妬で私を人でなくならせた?
「旦那様!」
その時、お屋敷の方から清子義姉様が駆け足で此方へ向かって来た。
「……清子……義姉様」
たか兄様がお屋敷から出て行った事を不審に思ってついて来たのかもしれない。
下駄でそこら中を探し回ったのだろう。
息を切らして、お化粧が汗で流れ落ちている。
「旦那様! 一体何事ですか!? ―――って、あ……アンタは…!?」
「どーも。若奥様」
清子義姉様は棗さんの姿を確認すると、あからさまに不愉快そうな顔つきに変わった。
棗さんはそんな態度など気にもしていない様子で、義姉様に手を振って挨拶していた。
「それにアンタ! どうしてアンタまで…ッ!?」
「………」
私が檻の外に出ている姿を見て、清子義姉様は明らかに動揺を見せた。
今までは封印の呪符が貼られた檻の中に居た事もあって、義姉様は私に対していつも強気で接してきていたが、今の私はもう檻の外―――その気になれば、いつでも義姉様に仕返しが出来るから、彼女は今、相当怯えている事だろう。
「清子義姉様……今まで、たか兄様に真実を伝えられなかったんですね?」
「し、真実…? 何の事かしら…!?」
「覚えがありませんか? 三年前の事ですし、義姉様もご出産と育児で大変で、すっかり忘れられているのですね。では、私が変わって、何も知らなかった兄様にお教え致します」
「ちょっ!? 待ちな―――」
この時、私の頭の中は義姉への恨みで意地悪な思考で満ちていた。
今更、彼女への意趣返しなんて……そう思っていたけど―――。
やっぱり……許せない事はある!
「お前ぇえ! 止めなさいよぉおッ!」
「おっと」
怒りと焦りで歪んだ形相の義姉が私を叩こうとしたその手を、素早い動きで棗さんが制して、後ろ手に拘束した。
「は…放せ! 放しなさいよこの化物!」
「暴れると関節が外れますよ、若奥様?」
「黙れ妖ッ! 汚らわしい! 汚らわしい! 私に触れるな! 穢されるぅう!」
癇癪を起して暴れながら叫び散らかす義姉を易々と抑え付ける棗さんは、「発情中の猿より五月蝿いな」と小声で呟いていた。
狐の耳が生えた私には、小声でも鮮明に聞こえてしまうから、思わず笑ってしまった。
(ありがとう……棗さん)
私は、義姉の行った事を洗いざらいをたか兄様に伝えようと、口を開きかけた―――その時。
「その話。我々も混ぜてはもらえないかな?」
その声は渋くて優しくて、落ち着きのある男の人の声だった。
話しかけた口を閉じて、声の主の方を見ると……そこには見知らぬ中年層の男性と、漆黒の軍服を着た大柄な男性、そして棗さんと瓜二つの姿をした人物と―――。
「ご当主様? 奥方様?」
そこには、拘束されて軍服の男性に背を押されてやって来た―――父と母の姿もあった。
中年層の男性は懐から扇子を取り出して、バッと開く。
まるで余興の音頭を取るように喜々とした笑みを浮かべて、声を高らかに上げた。
「さぁさぁお立合い! 此れより語られるは衝撃の真実! 今宵の月明り差す崩壊した邪払神社を舞台に種明かしを始めて前りましょう! 六華族の白城院家に渦巻く陰謀……その末に犠牲となった哀れな少女の身に起きた悲劇を―――ねぇ?」
その言葉に、私を除く白城院家の人間たちの顔が青ざめて行った。