【無条院智魅】
(~~~ックソ。尊人は何をしている? まさかあの“鬼”を相手に交戦したわけではあるまいな…!?)
屋敷の客間である広い和室の中で、私は桜貴殿と対峙していた。
平静を装い、酒と肴をつまみ、談笑を交えながら近況報告を行っていたが、内心は焦りと不安でそれ所ではなかった。
報告会が始まったと当時に、神社の地下―――健子を監禁している檻の傍で、今目の前に居るはずの“大鬼の妖まじり”の気配を感じ取った。
微弱だったが、間違いない―――その証拠に、尊人も奴の妖気が溢れた瞬間、血相変えて客間から飛び出して行った。
明らかに不審な行動であったが、止める間もなかった。
妻の清子は妖気に気付いておらず、突然居なくなった夫の後ろ姿をあたふたしながら追って行く。
(二人揃って何をやっておるか! 桜貴に怪しまれるだろう…!)
しかしながら、地下で起きている事態を把握したいのも事実。
もし、今目の前に居る“鬼”が偽物で、地下に居る方が本物であれば、健子の死を偽った事への言い訳が出来ない。
かと言って、尊人があの極東最強の大妖怪“大鬼”の混じり者に勝てるとは到底思えない。
その時、焦りを募らせる私に追い打ちをかけるかの様に、桜貴殿が声をかけて来た。
「白城院殿。先程から何か気にかけておられるようだが……何かあったか?」
「い、いいえ……その、息子夫婦に急用が入ったとは言え、桜貴殿に挨拶も無しに出て行った不敬を、親として不徳の致すところだと、心を痛めておった所です…」
「左様か。ならば特に気を害してなどおりませんので、お気になさらず」
「それはそうと…」と、桜貴殿は中の酒を飲み干したお猪口を置き、真剣な眼差しを向けてきた。
その目付きは、先程まで楽しげに談笑していた男とは打って変わって、敵を前にした時の戦士の眼に豹変していた。
鋭い視線の金色の瞳は、まるで獲物に狙いを定めた猛禽類の様だ。
思わず固唾を飲んで、桜貴殿の言葉を黙って聞いた。
正確には、眼力だけで黙らされたのだが…。
「ご当主殿には確かご子息の他にもう一人、ご令嬢がいらしたな? 以前、其方からの文での報告で急な病死だったと書かれていたが…?」
「え、えぇ……本当に急な事で、私も、未だに受け入れきれていないのですよ……」
「そうか。それは、傷心癒えぬ内に邪魔をしてしまい、申し訳ない―――」
桜貴はそう言い、頭を下げた。
しかし―――。
「―――と、言いたい所なのだが、その件について幾らか訪ねたい事がある」
「い…一体何の話を…!?」
「おや? 何をそんなに慌てている? 今宵、この席に“無条院”を同行させた時点で、ある程度の予想が出来ていたのではないか?」
「ッ―――」
「そう思わないか……無条院殿?」
桜貴が小さく笑みを浮かべ、隣で酒を仰いでいた和装の中年層の男に話しかけた。
和装の男―――無条院智魅は、満足そうに酒をごくりと飲み干し、お猪口を置く。
「はぁ~~~流石は【白城の里】の地酒だねぇ。肴もなかなかだぁ」
「………」
無条院は深刻な空気を読まず、飄々とした態度で酒と肴を楽しんでいた。
奴の隣に座っている笑顔の仮面の人物は「いい加減にしろ」とでも言いた気に、無条院から徳利を奪い取った。
そんな無条院の様子に苦笑しながら、桜貴は咳払いをする。
「無条院殿? 話を進めて良いか?」
「ん。あー申し訳ない! 酒には滅法目がなくてねぇ」
「やれやれ」
「お……桜貴殿? 一体、何の話で…?」
「ほう。白を切るおつもりか?」
桜貴の眼光が更に鋭く光る。
女子供ならば一発で泣き出すか腰を抜かしかねない威圧感だ。
「其方も既に察している通りだ。貴殿が私に送って来た『ご令嬢の急な病死』―――あまりにも詳細が欠落している。発症した時期、具体的な症状、病名……事によっては皇都全体を脅かすかもしれないにも拘らず、貴殿等の処置が迅速な割に曖昧過ぎる」
「そ、それは…ッ! 此方が手を下す間も無く娘が病に侵されてしまい、小さな我が里の医師では正確な病名が分からなかったのです!」
「だと言うならば尚の事。娘さんの身に起きた事を分かる範囲でも報告して頂かなければ、下手をすれば皇都の治安に関わる事態になると……六華族の一員である貴殿ならば当然分かっている事であろう?」
「そ、それは……勿論で……」
「まぁ―――本当に娘を失ったと言う事であれば、心中お察しする所ではあったのだがなぁ?」
「ッ―――」
一瞥で射殺されそうになる。
その眼力は此方の無意味な反論を決して許さない……そういう意思をひしひしと感じさせた。
(既に健子の生存は露見しているとみて間違いない……だが! ここで認めては、白城院はおろか里の存亡に関わる!)
それだけは現当主として阻止せねばならないと、私は断固として虚偽を貫き通す意思を固めた。
「………仮に、娘がまだ生きているとして、何故私がそれを隠さねばならぬのでしょうか? 葬儀も身内だけで執り行った。香典を頂く訳でも無い。生きているはずの愛娘の死を偽装するなど、何の得にもならぬでしょう?」
「それはその通りだ。ただし問題だったのは、その娘の方だったのではないか?」
桜貴は確信を突く物言いをした。
その口振りと、無条院を連れて来た事……それは完全に、健子が“妖まじり”へ転じた事に気付いていると物語っていた。
相手もいい加減痺れを切らした様だ。
桜貴が「さて」と手を打ち鳴らしながら、声を高らかに上げて話を進めだす。
「もう茶番は結構だ。ここからは私も専門外に当たる故、その道の本職に任せるとしようか」
「はいはい。僕の出番ですな?」
名指しをされる前から己の事を言われていると自覚している無条院が、懐から扇子を取り出し、軽快に開く。
「事の始まりは凡そ三年前ですかな? ご存じの通り、僕の専門は【妖】でね。他にも【妖怪】【魔物】【幽鬼】【魑魅魍魎】なんて呼ばれたりもしますが、その生態・特性・対処・観察をするのが僕の生業だ」
無条院智魅―――十年程前、皇都に蔓延る“妖”に対する知識の高さを主上様に認められ、我等六華族とは別に上級の爵位を与えられた男。
飄々とした性格と一昔前の通人の様な風貌をしており、とても見た目だけで華族とは言い難いその男の突然の出現は、皇都の治安を大きく変えた。
「僕は【退魔】【封魔】【召喚】【使役】に用いる為の道具を作製するのも得意だ。その効果は主上様もお認めになられる程だったから僕には才能があると自負している。現に其方が里中で使っている【封魔】の護符だって、ここ数年は僕の所から偽名使って買ってくれてるだろう?」
「ッ…な、何故…偽名などと…?」
「あーもう誤魔化さなくて結構ですよォ。裏はとうに取れておりますので」
ヘラヘラと笑う無条院。
腹立たしいが、裏は取れているというのは事実だと直感出来る。
事実、禁域に使用している護符は無条院の製作した物だ。
禁域に封じている“九尾狐”の封印は、数年前から綻びが生じ始めていた。
私や尊人の力でも封じきれなくなった“九尾狐”を抑え込むのに、無条院の護符は効果覿面だったのだ。
(くそっ…! 呪術師の名家である我が一族以上の霊力が込められた護符を他所から買い取っていたなど……他家に知られれば、それこそ末代までの恥だと言うのに…!)
「………それで? その事と娘の件と、何の関係がある?」
「いんや~? 全く関係無いさ。今のはただの僕の自慢話さ」
「ッ……」
(こやつめぇ…ッ)
本当に……何処までも腹立たしい。
だが―――天を仰いで高笑いしていた無条院は、「それはそうと…」と声色を低くして、折り畳んだ扇子の先で此方を指す。
まるで何かの術にでもかかったように、体が硬直してしまう。
此方が言い返そうとする口すらも、見えない力で閉ざされてしまい開かない。
「事が起きた三年前―――僕の生業である“妖”の整体観察中だった対象に、動きがあった。その対象は百年以上前からこの地を縄張りとしていて、君達の先祖がこの地に定住した頃から、その行動範囲が激減した。それどころか膨大な妖気が消えそうな程弱々しくなった―――と、先人の残してくれている記録には書かれていました」
「せ…先人…?」
「はい。まぁそこは良いとして。問題は百年近く力を弱めていたはずのその“妖”が、三年前から月に一度だけ―――爆発的に力を発揮する時があるのですよねぇ? コレ《・・》。どういう事でしょうねぇ?」
「ッ……」
この男―――無条院智魅の核心を迫るいやらしい視線と言い回しに、私は無意識で固唾を飲み込んだ。
しかしその時、身を刺すような鋭い妖気と共に、突如地面を突き上げるような衝撃と、遠くから何かが崩落する様な轟音が耳に届く。
その場所が、健子を監禁していた邪払神社の方向だと気付くのに―――時間はかからなかった。