【予期せぬ訪問者】
翌日の夕方。
【白城の里】に、皇国六華族の頂点―――黒鳳院家のご当主である桜貴殿が到着した。
【皇国の黒軍師】と呼ばれるその名の通り、真っ黒な軍服を身に纏い、服の上からも分かる程に隆々とした肉体と、女子供は当然、か弱い男でも一睨みされれば卒倒してしまいそうな程に鋭くつり上がった双眸は金色に輝く。
国内に蔓延る数多の悪党など、彼の前では十把一絡げの小悪党にしか見られない…。
更に恐ろしい事実として、彼の実弟―――黒鳳院桜牙は、皇国始まって以来の天賦の才の持ち主で、極東皇国最強の武人。
周りからは畏怖の念を込めて【皇国の鬼人】と呼ばれているとか…。
兄弟揃って皇国の守護と武力を誇る黒鳳院家を、国民は時折【英雄一族】と称賛している。
そんな【皇国の黒軍師】が本日―――【白城の里】の近況報告会議という名目で、我が里まで足を運ばれたのだ。
「間も無く桜貴殿がお屋敷に来られる。皆、失礼のない様に―――」
白城院家の屋敷の大広間に集められた使用人達を前に、当主である私は念を押して注意を促す。
使用人達は声を揃えて「はい」と返答して、各々持ち場に戻る。
相手は六華族序列一位の黒鳳院家だ。
少しの失態も許されないのだ。
「旦那様。ただいま桜貴様が里の入口で馬車から降りられ、徒歩で此方に向かわれていると連絡が入りました」
呪術を得意とする白城院家の伝達手段は、飼育している鳩や兎などと視界を共有し、決められた数名の者だけが意思疎通を可能とする呪いをかけて行っている。
「分かった。里の者達にも失礼のない様に言い渡しなさい」
「畏まりました。それと、伝令係からもう一つ伝言を与ったのですが…」
そこまで言って、私直属の伝令係は口を噤んだ。
「なんだ? 早く申せ」
「は、はい! それが……」
伝令係はそれでも躊躇ったが、意を決して伝言を口にした。
「お……桜貴様の他に―――もう二人。馬車から降りて来られた方々が……いらっしゃいます」
「は?」
(桜貴殿以外に二人…? 奥方殿と娘か? いやお勤め帰りに寄ると仰られていたのだから、そんなはずは…―――?)
考えられる人選としては、弟の桜牙殿だが、だとしてももう一人の予想がつかない。
(誰だ…? 文には供を連れて来るとかは書かれていなかったが…)
ただでさえ多忙を極めるお役職。
お供の事を文に書き忘れるなど、些細なことかもしれない。
「構わん。そのままお通ししろ。ただし勝手な行動はさせぬ様に案内役にも伝えなさい」
「か、畏まりました」
伝令役は一礼してその場から離れた。
桜貴殿の到着まで、私は座布団の上で胡坐をかき、深い溜息を吐く。
「まったく……近況報告程度、次の当主会議ですれば良いだろうに……」
(わざわざ里にまで足を運んだのは、やはり健子の死亡を怪しまれたか…?)
今思えば、疑われるのも無理はないかもしれない。
健子の死は詳細を明らかにしていない『病死』で、死亡したその人内に里内で火葬して、早々に遺骨を埋葬した―――と、書面には綴った。
何の病で? 発症した日は? 主な症状は?
気が焦るあまり、そういった詳細を曖昧に書いた事があだとなった可能性がある。
「もしそうならば……今日此処に来た理由は報告会などではなく、健子の捜索と私の捕縛が狙いかもしれぬ…」
私は確信の無い想像で額から汗を流し始めた。
「いや……いいや! 問題無い。いくら私の娘だからと言って、こんな外れの里の娘っ子一人が死んだ事など気にされるはずが無い…!」
(大丈夫だ……たった三人の訪問程度、私と口裏を合わせた妻でどうにか誤魔化せるはずだ…!)
そう自分に言い聞かせ、私は女中が運んだお茶を啜り、桜貴殿の到着を待った。
*
*
*
「―――……!」
(あ……来た……)
里の入口辺りに、一際異彩を放つ覇気を纏った人物の存在を、私は地下の檻の中から感じ取った。
“妖まじり”となった日から、日に日に己の妖力の上昇と、周辺の気配察知能力の向上を自覚するようになった。
里の中で最も強い霊力を放つたか兄様と、続いてご当主様、清子義姉様―――この三人の位置は、檻の中に居てもすぐに分かるようにまで、私の力は増していた。
しかし、今、里の入口に突如として現れた異彩を放つ三人の人物の覇気は、この里一の霊能力者であるたか兄様を優に超えていた。
(たか兄様を簡単に上回る能力の持ち主が三人も……きっと一人は黒鳳院桜貴様に違いない……)
雄々しくて、広大な大地の様な力強さを放つ覇気からは、紛れも無い“武”の気を感じ取れた。
けれど、あとの二人の人物像が全く掴めない。
内一人が纏う覇気には、霧の様で、細雪の様で、霧雨の様でありながら………木漏れ日の様で、野花の様で、春風の様な―――不思議な安心感があった。
もう一人が纏う覇気には、嵐の様で、噴火の様で、津波の様でありながら………父の様な温もりで、母の様な優しさで、兄の様な親しみのある―――なんだか、妙な親近感があった。
(だけど……それだけじゃない……この人、もしかして……)
私は、何故か親近感を感じた人物に対して、期待と不安が入り混じった予想を立てた。
(もしかして………私と同じ?)
禍々しい色を放ちつつ、触れれば黎明の様な清々しくも暖かい……そんな妖気を放つその人の存在を、檻の中からじっと感じ取った。
*
*
*
「黒鳳院桜貴様のご到着です」
来客の迎えを担当する使用人の声と共に、お屋敷の門口に一列に並んだ白城院家の使用人達が一斉に頭を下げる。
お屋敷の敷地内には、季節外れの白百合が見事に咲き誇り、来客の通る道を純白に飾る。
白百合が両端に咲く一本道を、漆黒の軍服を纏った長身の男と、肩から紅色の羽織をかけた和装の中年層の男と、もう一人は笑った顔の様な仮面を被った不思議な装いの長身の人物が、一列になって屋敷の玄関まで歩いて行く。
道中、頭を下げていた使用人が仮面の人物の姿を目にすると、顔を青ざめて後退したり、軽く悲鳴を上げる者まで居た。
そんな事を気にする様子も無く、三人は堂々と玄関先まで進んで行く。
「ようこそお越し下さいました。黒鳳院様―――」
「あぁ」
使用人の一人が深々と頭を下げて、玄関先で桜貴様たちをお迎えした。
桜貴様は凛々しい顔立ちで少しだけ口角を上げて、軽く会釈して返す。
「盛大な出迎え、痛み入る。此方の都合でこの様な夜分に邪魔をしてしまい申し訳ない」
「滅相も御座いませぬ。この様な遠方までわざわざ足をお運び頂き、ご当主様も大変恐縮であると仰っておられます」
「そうか。そう言って頂けて気が軽くなったよ。今夜は世話になる」
「畏まりました。黒鳳院様―――……時に……」
桜貴様への挨拶を終えると、使用人は雰囲気を一変して、後方について来た他二人を不審な目付きで睨んだ。
「………此方の方々は桜貴様のお供の方でしょうか? 本日、お供もご一緒であると聞かされておらず、恐れながらこの場で身分を確認させて頂けないでしょうか?」
「ん? あぁ、そうだったな。すまない。急遽同行する事になった者達だ。多忙故に知らせが出来ず申し訳ない。身分に関しては私が保証する」
「はぁ……しかしながら……」
「言い遅れたが―――彼等もまた、帝の命で此処へ来た。それで問題無いだろう」
「!」
“帝の命”―――その言葉はまるで呪いの様に、使用人の動きを封じた。
帝の意志によって派遣された者を無下に扱えば反逆罪と捉えられ、自分は勿論、主である白城院家の当主も罰を受ける事になるからだ。
「か、畏まりました……では、当主の元へご案内致します」
「よろしく頼む」
「ククッ」
「………」
冷や汗を流し、引き攣った笑みを浮かべながら踵を返す使用人の姿に、桜貴様は満足気に笑みを浮かべ、和装の男は肩で笑い、仮面の人物は口を閉ざしたまま溜息を吐いた。
木造の廊下を使用人に案内されて進み、三人は来客用の大広間に通される。
そこには既に白城院家の現当主のとその奥方、更には次期当主であるたか兄様とその妻である清子姉様も、畳の上の座布団に正座して待っていた。
「多忙な中、遥々皇都から良くお越しになられましたな、桜貴殿―――大したもてなしも出来ませぬが、どうぞごゆるりとお寛ぎ下され」
ご当主様が畳に手をつき一礼すると、後に控える奥方たちも同じ様に頭を下げて、桜貴様たちをお迎えした。
「此方こそ、急な訪問に応じて頂き感謝する。のんびりと世間話もしたい所ではあるのだが、生憎と明日も早朝より仕事が立て込んでいる為、早速本題へ入りたい」
「それはそれは……流石は国の防衛責任を一身に背負われる御方だ。我々からのせめてもの労いとして、里で一番の酒と肴を用意した。此方をつまみながら、話を進めるというのは如何かな?」
「それは有難い。急遽同行する事になった此方の二人にも、同じ酒と肴を頼めるか?」
そう言って、桜貴様は後に座った二人の同行者を視線で示す。
瞬間、ご当主様があからさまに怪訝そうな表情を浮かべた。
「桜貴殿。其方の者達は帝の命により我が里に来られたと、今し方使用人から伺ったのだが?」
「その通りだ。私の手配した馬車に同乗して行くようにと命じられたのも帝だが?」
「………左様で」
ご当主様が忌々しそうな視線を、桜貴様の後に座る二人に向ける。
和装の中年層の男は懐から扇子を取り出して、「部屋が熱いのぉ」と笑みを浮かべたまま顔を扇子で仰ぎ、仮面の人物はそんな和装の男の姿を呆れた様子で見ていた。
「………」
(何故だ……何故、あの男がこんな所にぃい……ッ)
ご当主様は、表情に出さぬ様に必死に焦りを抑え込んでいた。
(何故、お前等が此処へ来た―――“無条院”!!!)
ご当主様の疑問を他所に、和装の男は次々に運ばれてくる酒と肴を前に、楽しそうな笑みを浮かべていた。