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【妖まじりの少女】


あやかしまじり”―――特に霊力の強い若年層が、皇国六華族が管理しきれていない野良(・・)あやかしに身を穢され、その妖力を孕まされる事によって、“人”から“妖”へ転化させられてしまった者の総称。或いは、悪意を持って呼ばれる蔑称。


 一度でも転化してしまった者が元の種族へ戻る事は、ほぼ不可能。

 “あやかしまじり”へ堕ちた者は、家族からも、兄弟・姉妹からも、友人からも―――“人”として扱われなくなる。


 そして、この日。

 山の木々が鮮やかな緑色の葉をつけ、昼間は照りつける日差しが小川の流れに反射して輝く真夏の―――その夜。

 またも一人の秀でた霊力を持つ令嬢が、妖の魔の手にかかってしまった。


「なんて事だ…! まさか健子タケコが妖に穢されるとは…!」

「我が白城院はくじょういん家から“あやかしまじり”が出てしまうなんて、一族始まって以来の汚名だ…!」

「なんで……なんでよりにもよって、何故私の妹が…?」

尊人タカト様! お気を確かに…!」


 里の見知った顔が何人も遠目から私を見ている。

 私―――白城院家の現当主の娘である健子の姿は、今朝までのごく普通な里娘の姿ではなくなっていた。

 白城院の血統である事を知らしめる白銀の髪が地面に着く程に伸びて、着ていた上等な着物は鋭利な物で切り裂かれ、その裂け目から覗く胸部は元々豊満ではなかったが、年頃の女性らしい大きさには育っていたはずだったのに(・・・・・・)―――今は、少年の肉体の様に平たくなっていた。

 女性として、それだけでも十分に絶望的な状況だった。


 しかし―――更に悍ましい変化を遂げている事に、私は気付いてしまった。


「なんと汚らわしい……―――獣の耳と尾(・・・・・)を生やしているなんて…!」


 義理の姉の口から吐き捨てられた言葉を受けて、私は恐る恐る頭と腰に手を伸ばした。

 頭部にふわふわとした感触がある―――それも周囲の音はそこから聞こえてきているのが分かる。

 そして腰元には、今まで感じた事の無い感覚と重みがあった。

 頭部の耳より、もっとふわふわとした触感の―――白銀色の狐の尾だ。


「い……いや……なにこれ……いやぁっ!」


 私は恐怖で混乱して、生えてきた耳と尾を取り払おうと強く握った。


「いたっ―――」


 容赦なく握った所為で、触れた狐の部位から激痛が走る。


(……え? これ…本当に生えて…!?)


 私の困惑していた頭は、髪色以上に真っ白になった。


 白城院家―――極東六華族の中で“呪術”に長けた才を生まれ持つ家系。

 その能力からか、“妖”と近しい家柄として他の六華族からも煙たがられているが、能力値だけで言えば、他の華族に引けを取らない。

 だからこそ六華族の一家として堂々と構えて来られた。

 なのに、その家から妖に穢された者が出てきたなど、六華族の地位から降格する要因となってしまう。

 

 それだけは避けねばならない。

 白城院家の永劫なる繁栄のために―――。


「隠せ。他家の者に気取られる前に、健子の存在を―――!」


 白城院家現当主であり、私の父が決断を下すのに、時間はかからなかった。

 その決断を一族全員が受け入れる事も、言わずもがな―――。


「お…父様……たか兄様……どうして……」

「ヒッ―――さ、触るなぁあ!」


 妖に辱められ、恐怖に震え、絶望の淵に立った私は助けを乞うように伸ばした手を、兄は害虫でも払うように叩き返した。

 その勢いで冷たい地面に倒れ込んだ私の手に、徐々に痛みが込み上げる。


(え……どうして? なんで?)


 何かの間違いかと恐る恐る視線を上げれば、そこには汚物でも見るかのような冷たい視線が複数―――()を見下している。


「健子。“妖まじり”となったお前が今後里の者に触れる事も、許可無く話をする事も許さぬ———良いな?」

「そ…そんな…お父様…っ」

「口を開くな!」


 殴打の様な怒号に気圧され、私はそれ以上口を開く事が出来なかった。


 こうして“妖まじり”となった私は、白城院家が治める里の邪祓じゃばらい神社の地下に監禁されるようになった。



 

 ―――それから三年の年月が流れた頃に、あの人達が現れたのだった。

 


 白城院家が治める【白城の里】。

 大自然に囲まれ、太古の昔には豊穣の女神に祝福を授かった土地のお陰で、自然の恵みや薬草を豊富に収穫出来る恵まれた里だ。

 里の生計も、その自然の恵みと薬草の売買で成り立たせている。

 そんな恵まれた土地を維持出来ているのは、里の中央に建てられた邪祓神社のお陰である。

 その名の通り、邪を祓う力を宿した神社には、かつてこの地に降臨した豊穣の女神の神力が宿っている。

 その力が里に住まう者達からの絶え間ない信仰によって維持し続けられ、長期に亘って【白城の里】を豊かにして来た。


 しかし、人の世の移り変わりによって豊穣の女神への信仰は薄れて行き、かつては三里程に亘って恵まれた大地も、今や一里の範囲内のみの実りで生計を立てる現在の実状。

 加えて土地を治める白城院家は“呪術”の才に秀でた一族。

 枯れていく大地を維持する為に一族が取った手段が、事もあろうに“呪術”を用いて“神力”を補助するという方法だった。

 神力が宿る邪祓神社への供物として、若い女の生き血を捧げる―――謂わば“禁術”だ。

 その効果か、はたまた偶然か、【白城の里】は土地の恵みを維持し続けている。


 そして、ここ三年の間は、その実りが著しく向上していた。

 理由は一つ。されどその理由は決して里の外へ流出してはならない。


 なぜなら―――。


「時間だ。来なさい、健子」

「………」


 里の者が寝静まった真夜中。

 灯篭を手にした現ご当主の父は、邪祓神社の地下に続く石階段を下り、その先にある檻の中に向かって感情無く言い放った。

 檻には無数の呪符が張り巡らされ、まるで悪しき存在を封じているかのように、重々しく冷たい空気を醸し出していた。

 そんな冷えきった檻の中で、汚れた白装束一枚を身に纏った私はご当主様の声に応える様に立ち上がる。


 食事の量を減らされて痩せぎすになった私はふら付きながら歩き、ご当主様が開けた檻の門から外に出る。

 そして、空かさずご当主様は私の額に【呪縛】と書かれた呪符を貼りつける。

 

「っ…」


 呪符の効力によって、体が急激に強張る。

 私の意思を無視して両腕が後ろ手に組まれ、口は縫い合わされたかのように開かない。


「よし。歩け」

「……」


 口が開かないから首を縦に振って了解の意を示す。

 冷たい石階段を裸足で上り、開かれたままの地下の入口から外へ出る。

 陽の当らない地下とはまた違った真冬の里の寒風に、薄着の私は身震いした。


「足を止めるな。誰かに見られる前にさっさと終わらせろ」

「……」


 私は首を縦に振りながらも、頭の中では違う事を考えていた。


(………灯篭が温かい。もっとこっちに向けてほしいな……)


 ―――なんて。言ったところで叶わないであろう希望を、おぼろげな思考で願った。


 ご当主様と共に寒空の下、境内の奥へ進んで行く。

 生い茂った草木を掻き分ければ、なんとか人が一人ずつ進んで行ける程度の道幅の石畳が目的地に誘う。

 その石畳を踏み締めて暫く歩けば、小さな祠が姿を現す。

 祠には、かつてこの土地に恵みをもたらしたとされる豊穣の女神を模した石像と、その前に赤く色付いた盃と、その傍らに添えられた小刀が置かれ、私はその前に歩み寄った。


「“解”」


 ご当主様は私が盃の前で立ち止まった事を確認して、【呪縛】の呪いを解いた。

 途端に身体の自由が利くようになった私は、盃の傍に置かれた小刀に視線を向ける。


「早くしろ」


 淡白に言い放つ当主の言葉を受け、私は次の行動を取る。

 私にとってその行動はすっかり身についてしまった事―――。


「っ…」


 小刀を手に取り、その刃で自ら手の平に薄く傷をつける。

 切り裂かれた傷口から溢れ出る鮮血が手の平に溜まっていき、その血を盃の中へ注いで、ご当主様から唯一許された言葉を口にする。


「“我等の土地に豊かな恵みをもたらし給う豊穣の女神よ。貴き御身に我がみことの雫を捧げます”」


 少女の鈴の様な声音が大地に浸透する。

 同時に盃の中の血が、盃に滲み込んでいく。

 まるで豊穣の女神を模した石像が、その鮮血を飲み込んでいる様だった。

 そして盃が注がれた鮮血を全て吸収すると、そこを起点とした【白城の里】全域に豊穣の女神の力と思われる神力が行き渡る。

 冬の寒さで弁を閉じた花が咲き誇り、乾ききった果樹の実が瑞々しさを取り戻す。

 凍った小川は流れはじめて魚が泳ぎ、その魚を求めて動物たちが活動する。

 自然の恵みを頼りに生きている【白城の里】の糧が、こうしてまた息吹を始めた。


 ここ三年間、たった一人の少女の生き血によって―――。


「これでまた、今年の越冬も無事に迎えられそうだ。苦労だったな、健子」

「……」


 微塵も労いの意を感じないご当主様の言葉に、私は黙って首を縦に振った。

 ご当主様はそんな私の姿を鼻で笑って、再び呪縛の札を額に貼り付ける。

 私はされるがままでご当主様の後について歩き、極寒の中足袋すら履いていない霜焼けだらけの素足を見つめ、また本殿の地下の檻へ戻された。

 呪符を解かれ、すぐさま檻に鍵をかけられ、ご当主様に背を向けたまま膝を抱えて座り込む。

 

 傍から見れば異様な―――否。異常な光景だろう。

 

 だけど私にとって、これはもはや日常の事。

 私が極東皇国でも上級の妖と恐れられる大妖怪―――“九尾狐キュウビギツネ”に穢された三年前の夏の日。


 あの日から、私の女としての人生も、家族からの愛情も、華族の令嬢という地位も、全て失われてしまった。


 “人”であることすらも―――。


「次の【贄血にえちの儀】は一月後だ。また風邪など拗らせるんじゃないぞ」

 

 それだけ言い残し、ご当主様は去って行く。

 ご当主様が去った後、膝を抱えたまま藁の上に寝転がる。

 三年目にもなれば、藁が肌に刺さる異物感も、床を這う虫の存在も、もうどうでも良くなってしまう。


 それでも一向に慣れないのが、この寒さだった。


(風邪をひくなと言うなら、せめて毛布の一枚でも持って来てほしい…)


 実際、私が初めて地下に移された最初の冬に、あまりの寒さと酷い環境下の所為で風邪を拗らせた時は、ご当主様は心配するどころか怒鳴り散らし、高熱で視界も歪み立つ事もままならない状態の私を引き摺って、強引に【贄血の儀】を執り行った。

 その後は私を檻の中へ投げ入れ、看病する事もせず立ち去った。

 せめてもの温情とばかりに、握り飯と白湯、そして風邪薬を用意してくれたが、実父からのあからさまな冷遇を受け、幼かった私の心は完全に死んでしまった―――。


「寒い……痛い……」


 先程、小刀で切り付けた手の平の傷が脈打つような痛みを発する。

 熱いような、だけど凍えそうな痛みに、私は自然と涙を流した。


(もう嫌……もう嫌、もう嫌、もう嫌だ…!)


 誰もいない冷たい地下の檻の中で、痛みと悲しみで泣きじゃくる少女の声だけが響く。


(誰でも良い……いっそ、もう妖でも構わない……)




 ―――誰か……私を助けて……。




 心からの悲痛な願いを胸に秘めて、涙が伝う瞼を閉じて無理矢理眠りにつく。

 

 再び【贄血の儀】が行われるその日に、この切望が叶う事を―――私はまだ、知らない。



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