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友情 〜伝説の盾と呼ばれた騎士団副団長は、稀代の天才剣士の親友の破滅をタイムリープして救いたい〜

作者: 丹空 舞

葡萄酒は神の血だ。


誰が最初に言ったんだろう。



その通りだ、とソルは心中同意せざるをえなかった。



紫色の酒の染み込んだ埃っぽい石畳の路地裏で、親友のルーカスはボロボロになって朽ち果てていた。




これは葡萄酒で、懐の瓶が割れただけで。


ルーカスはふざけ過ぎたなと言って、少しやつれた顔に影のある笑いを浮かべて起き上がるかもしれない。




「……ルーカス。起きろ。起きろって」




乱れた髪は土埃にまみれてぱさぱさして、悪臭がした。


数年前は誰よりも自信に満ちて、堂々としていた。


皆の憧れだったルーカス。





心臓を切り裂かれたってこんなに痛みはしないだろう。


つんと鼻の奥が痛くなる。


ルーカスのことをみんな見捨ててしまった。


家族も、婚約者も、友達も、仲間も、上司も、みんなみんな。


だけどソルにはこの男を見捨てることなんてできなかった。








「ルーカス、お前こんなところで酒ばかり飲んで……」


路地裏の地面に転がっている姿は、かつての英雄の面影なんて一つも感じられない。


静かに肩に手を置くと、ルーカスは虚ろな目をゆっくり開けた。


紫色をしたルビーのような瞳がソルを映す。





「……ソル」




生きていた。


喉がぐうと変な音をたてそうなのを、急いで飲み込む。


 

「おう。俺だよ。何してんだ。お前いい加減にしろよ。やめろって言っただろ。酒も薬も」 


「腕……」


「何? なんだよ、怪我でもしたのか。らしくない」


「腕を壊した……もう、剣は触れない……」


「ばか、お前から剣をとったら何が残るんだよ。こんなところにいたって仕方ないだろ!?」





胸のあたりに熱の塊がこみあげてきた。


「おい、こんなところで何やってんだよ。いい加減に稽古をしろ。俺が相手してやる」


ルーカスは乾いた声で答える。


「もう感覚がない……剣なんて振れないんだ……」



ルーカスの唇はかさついていた。


薬の影響で皮膚は青ざめ、指先がぶるぶる震えている。




「僕はもう英雄なんかじゃないよ。負け犬だ」



言葉を失ったソルを、ルーカスは可哀そうなものを見るように見つめる。


やめろ。


やめろ。


俺は可哀そうじゃない。


俺も、お前だって。






「ソル、君だってもう理解してるんだろ?」


「何をだよ」



震える声はソルだったか、ルーカスの方だったか。



「城下の機密情報を流したのは僕だよ。君はそのために来たんだろう。騎士団副団長、いや、もう今は君が団長だったか……」


「お前、なんで!」





ルーカスは卑屈に笑った。


高潔で誰よりも気品のあった、ルーカスが――。






「逃げよう」



思わずソルは立場も忘れて言っていた。




「どこか異国に逃れてやり直すんだ」


「無理だ。君も分かっているだろう、ソル。僕がここにいることは騎士団みんなが知っている。要職の君が僕を逃しでもしたら大変なことになる。君から逃れたとしても、また別の追っ手が来る。これで詰みだ。おしまいまであと幾らかある。それなら終わり方を自分で決めたい。最後の……贅沢だ」




ルーカスは目を閉じて微笑んだ。


やめろ、やめてくれ。


その先の言葉を聞きたくない。







「ソル」


「やめろ……その先を言うな」









「どうか僕を斬ってくれ」










『聖獅子騎士団』の天才剣士ルーカスといえば、最初から有名人だった。



もともと男爵の養子になっていたルーカスは騎士団でも貴族という扱いで、平民出身の凡人のソルからしてみればいけすかない奴だった。



だが、魔王軍との最終戦争でその誤解は解けた。



ルーカスは優秀で、イケメンで、そして圧倒的な才能があった。貴族のどこぞのお嬢様が婚約者で、何よりもいい奴だった。


騎士団は団長としてルーカスを掲げて、ソルは自然とその盾と称された。



ルーカスは数多の武勲を挙げ、民からは英雄と称えられた。

ソルは平民だったが体だけは丈夫なので、それなりにうまく立ち回った結果、ルーカスには及ばないものの、味方を守る栄誉あるディフェンサーとしての称号を得た。



気付けばソルはルーカスの圧倒的な攻撃な才能を認めていた。


いや、認めざるをえなかった。





平和で幸せな時間。


この平和がいつまでも続けばいいと思っていた。






しかし、それはいつまでも続かなかった。


取り巻きの中には、英雄を堕落させて破滅させようとしている人間がいた。


まさか貴族があくどい目的を持って近づいてくるなんて、純粋すぎるルーカスは思ってもみなかったのだろう。


ソルはちょうど長期の遠征に出ていたときだった。



一冬を越して、戦果をあげ、意気揚々と都へ戻った。


事実を知ったときにはもう手遅れだった。




ルーカスは、堕落してしまっていた。


それはもう、途方もなく。


手を出してはいけない薬に手を出した。


その後は坂を転がり落ちるように罪に手を染めていった。






ルーカスは王に歯向かった罪で騎士団を追放されたあと、貴族の身分もはく奪された。


町娘と手あたり次第に浮名を流し、職にもつかないで町長の怒りに触れて城下にも居場所がなくなり。


裏社会に引き入れられて、酒にも手を出した。




その結果がこれだ。





ソルは歯を食いしばって、腹を見せて服従する犬のようなルーカスの姿を目に焼き付けた。




もうこの男のためにできることはこれしかない。










手ごたえのない斬撃。


なんの抵抗もせずに、男はソルに斬られた。






最悪の光景が目の前に広がっていく。


じわじわとこみあげる涙と一緒に、ルーカスの姿が薄れていく。



こんなはずじゃなかった。



この男と騎士団でもっともっと技を磨いて、大陸中に名がとどろくような剣士になるんだ。


そのはずだったじゃないか。





ソルは好敵手の亡骸の隣に横たわり、まだこの男の血がついたままの剣を掲げた。


このまま喉を刺したらどうなるだろう?






地べたに転がっていた葡萄酒の瓶が、カランと倒れた。


その音で我に返る。





ソルはとっさに酒瓶を持って、その場を立ち去った。














気が付けばソルは魔王軍との最期の戦いの地へ来ていた。


荒廃した石造りの城は壊れて、修繕もされていない。


草が生い茂った荒地の隅に放置されている錆びた剣や鉄くず。





魔族の死体は燃やすときれいに無くなった。


後に残らない体なんて、不思議なもんだ。





昔はここに広大な壁があった。


それは境界だった。


人間と魔族は昔からこの大陸で戦い、小競り合いをし続けてきた。


北は魔族、南は人間という境界はあったが、あの戦いを境に魔族は一掃された。




とんがった耳の他に、見た目は人間と大差のない魔族たちは、見目の良いものは奴隷として捕らえられ、売られた。




なぜか奴隷になった者たちは妖術を一切使えなくなるようで、牙を抜かれた獣のようだ。




今は北には何もいない。


魔族は力こそ強大だったが、数は少なかった。


ルーカスは先陣を切ってその魔族の軍に斬り込み、戦果をあげたのだ。





懐かしい思い出。


これからどうすればいいのだろう。






壊された石壁の周りには、欠けたブローチがあった。


人間のものか、魔族のものかは分からない。もはや、どちらでもよかった。


ルーカスが遺した葡萄酒を、その遺品にかける。


誰かの大切なものだったのかもしれない。


そっと指を組んだ。





どこのどいつか知らないが、どうか安らかに眠って欲しい。


この戦に意味なんて無かったのだ。

だってここにはもう――

ルーカスはいない。


ソルに斬られたルーカスは、この後やってきた王族の兵士に発見され、市中でさらし首になるだろう。

そんなルーカスを見るのは耐えられなかった。



ソルは騎士団の紋章の入ったマントを脱いだ。

これは、ここに置いていこう。




さて、これからどこに行くか。



途方にくれていると、向こうから老婆がやってきた。

こんなところにたった一人で。





「もぉし……そこの人。どうなさったかね」


「あ……いや。何でもない」


「何でもないといった様子でもないだろう。マントの裾が血に濡れているのう」


「亡くしたくなかった奴を……亡くしたんだ」


「ほほう」


「なあばあさん。ソルはどうすればいい?」


「恋でもしたらどうかね」


「そんなものが何になるんだ。ルーカスがいない世界で……」






斬り結び、戦い合い、技を競い合ったあの興奮に比べたら、どんな美女との蜜事も子供のままごとみたいだ。



「ルーカス?」


「ライバル……いや、親友のようなもんだった」


「ほっほ。人間はくだらないことで悩むのだな」





その口調にぴんときた。




「――もしかして、ばあさん」


「そうじゃ、わしは魔族。殺すか?」


黒すぐりのような目がじっとこちらを見ている。

ソルは息を吐いた。


「殺さねえよ」


「なぜじゃ?」


「もう戦争は終わった。ソルはもう騎士じゃねぇ。しかし……なんでこんなところにいるんだ」




魔族は一掃されたはずだ。


深い皺に覆われた顔をくしゃりとゆがめるようにしてばあさんはカッカッカっと笑った。


「見ようとする者にしか真実は見えぬ。人間の小僧よ。お前は知っておるかえ? 今の世は幻影じゃ」


「幻影?」


「我らは姿を変え、息をひそめ、この世界で生きている。海や空や森を愉しむので忙しいのじゃ。だがお前たちがあまりにもしつこいのでな、一芝居うたせてもらったよ」


「何を言ってるーー」



ぐらり、と世界が揺れる。




「魔族の王がお前たちにああやすやすとあっけなく殺されるなんて、おかしいと思わなんだか……いいか、人間ではないから魔族なのじゃ。剣などおそるるに足らぬ」


「いや、だって……ほとんどの生き残りは捕らえられて」


「奴隷のふりをしている者たちは、あれは人間じゃ。我らが姿を変えさせ、自分のことを魔族だと思い込ませた。見事にお前たちは、人間同士に序列をつけ始めた。これはなかなか面白い」




世界がガラガラと音を立てて崩れていく。




「やられたように見えたのも幻影。お前たちは焼け残るのに、魔族の骨は残らなかった。変だと思わなんだのか」


「そんな」


「我らがお前たちを一掃しなかったのは、なぜかわかるか? 根絶やしにしては惜しいからだ」


「まさか」



ばあさんにの姿はみるみるうちに若い美女の姿に変わった。



「お前たちは滑稽で、かわいくて、面白い。我ら魔族には愛玩する好き者も多くてなあ」


これは何だ?


夢を見ているんだろうか?





美女はするりとソルの手をとると、にっこりと微笑んだ。





「我々では考えられぬことをしでかしおる! わしはお前が気に入ったぞ。どうじゃ、わしに飼われてみんか」


それはそれでなかなか悪くない申し出だが、ソルは首を振った。


「騎士でない俺に価値は無い。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」



すると若い女は、またしわしわの老婆に戻った。




「ほっほー。これはまたなかなか、人間には珍しく高潔な奴じゃ。見どころがある。ますます気に入ったぞ」





老婆は手を叩いて喜び始めた。





「わしはキルケ。どうじゃ? 試しにお前の憂いを取り除いてやろう」


「ルーカスを生き返らせてくれるっていうのか?」



不可能だと思って投げつけた言葉を、キルケはいとも簡単に受け止めた。




「それがお前の望みなら、もちろんできるぞ」


「なっ……!」


「しかし、お前の親友が今生き返ったところで、どうなるというんじゃ」



その通りだった。


結局はまた同じことが繰り返される。


ルーカスは酒浸りになって、薬に手を出し、女に狂い、罪を犯すだろう。



王宮が放置するとも思えない。


キルケは涙目になったソルを見て、なぜかますます喜び始めた。






「人間は本当に面白いのう……よしよし、かわいそうに。お前、名は何というんじゃ」


「ソル。太陽の子という意味で、ソル」


「ほう、良い名じゃな。どうじゃソル、わしと契約を結ばんか」




いやな予感しかしない。




「どういう内容だ」


「おー、そのこちらを射抜きそうな瞳が良いのう。魔族にはなかなかおらん……平和的じゃからな、我らは。ああ、そうじゃ、ソルとやら、わしの飼子かいこになるならば、わしはそなたを庇護しよう」


「飼子って……」


「魔術を使ってそなたのあらゆる欲を満たしてやれるぞ。豪勢な食事、美しい服、広大な領地、美女、大金……何が望みだ?」


「……その対価は何なんだ?」


「対価! ははは、そうじゃのう、お前たちも犬や猫を飼う者もいるだろう。我らにとってのそれが人間なのじゃ」






ソルたちが命をかけてやってきたことはいったい何だったんだろう。


魔族には全く歯がたたなかったのだ。


ソルたちは幻術でかわされていただけ。


ひどく空しい。








それは願いというより後悔に近かった。




「ほかに何もいらねぇ。もう一度、ルーカスと笑い合いたいだけだ……あの戦に意味なんて無かった。最初から分かってたら、このクソッタレな世界を、どうにかしてやれたのに」





キルケはソルの額にしわしわの手をそっと置いた。






「そう泣くでない、人間よ。よいな、魔族の真実を、決して他人に告げてはならんぞ。その瞬間、わしはお前の周りの人間から記憶を消し、お前をすぐにこちらの世界に連れてくる。さあ、このブローチはわしとお前との首輪じゃ。もう一度、巻き戻したくなったらこれを割れ。ちゃんと近くで見守っておるぞ。さあ、私の飼子よ、人生を楽しんでおいで」





全身にふわふわと広がる眠気に任せて、ソルは目を閉じた。


心地よい揺れが頭をじんわりと包む。


遠い渦に飛び込んで、体も心も何か大きな存在に吸い込まれていく。


柔らかい波が、絶望の淵からソルの意識を優しく押しやった。









「ソル? しっかりして、ソル」




呼びかけられて、ソルは目を開けた。


唇に紅を塗ったたおやかな女がこちらを心配そうにのぞきこんでいる。


胸元にはあのブローチが欠けることなく輝いていた。





「ルー……」



「ええ、ルーナよ。あなたの妻の! よかった、意識が戻った」






長い睫毛に縁どられた美しい瞳は涙を浮かべる。


それは決して見まごうことのない、葡萄酒の色をしていた。










END

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