エピローグ 魔女の実験台になった果てに
あれから、お母さんは本当にお父さんと離婚した。そして、お父さんと一緒に暮らしていた家で一人暮らしを始めて… 生活の為に茶道教室でスタッフとして働いている。
私に茶道を教えられるくらいだったから、きっと大丈夫だろう。お父さんはどうしているのか分からないけれど、もうどうでもいいと思えた。そして、私は……
「詩織ー! これどうする?」
「私が使ってた食器!? そこまでいらないって言ったのに~。捨てるのももったいないし… どうしよう」
「なにこれ? 無駄に高そうな食器じゃん。専用だったんだ?」
美鈴と昴流さんに手伝ってもらって、引っ越しの荷物を片付けていた。
お母さんは几帳面にも私が使っていたものをきれいに梱包して送ってくれて、その量の多さに驚いている。人が一人動くってこんなに大変なんだね。知らなかったな。
「詩織、振袖一式が出てきたよ。20歳の時に着たの?」
「カイルさん! それもいらないって言ったのに…! きっと子供ができた時に継いでほしいとか思ってるんだよ。お母さんのことだから」
「そう… まあクローゼットにもまだ余裕があるし、とりあえず適当な所にしまっておこうか。正月には着て見せてほしいし」
なにを考えたんだろう。私の背後にチラリと目をやると、少し気恥しそうに笑って言った。
「こんなお嬢様相手に… よくそんな気になったなあ。日向さん」
昴流さんがどこか感動した様子で言うと、
「和希さん! それは言ったらだめ! セクハラだってば!」
顔を赤らめた美鈴が叱り飛ばす。セクハラの意味は分かるけれど… どうしてこんなことになっているんだろう。
「詩織、とりあえず片付けよう。そろそろお昼ご飯の時間だよ」
美鈴がそう言って急かすから、私もおなかが空いてきたのを思い出して片づけを急ぐ。
そこへ急にカイルさんが私をかばうように引き寄せた。その直後、部屋の中心がまぶしく光る。
「魔女が来るか…!!」
『時間だよ。お嬢さん、約束を覚えているだろうね』
その言葉で私は忘れかかっていたことのすべてを思い出す。魔法の鏡を使う代わりに魔女の実験台になるという約束。
「魔術道具の実験台だなんて… させるわけにいかないんだよね…!」
かろうじて笑みを浮かべているけれど、その目は金色に煌めいていて怖いほどだ。魔女を敵視しているのがよく分かる。
「カイルさん… 私なら大丈夫だから!」
「いいや…! こればかりは許すわけにいかないんだ…!!」
震える腕で息が苦しいほどきつく抱き締めるカイルさんを、そっと抱き返す。何をどれだけ孤独だったんだろう。どれだけ寂しい思いをしてきたんだろう。目を金色に光らせている彼は…
だけど、これだけは私だけの問題だから… 受け止めなきゃ。
「魔女さん、あなたとの約束守ります。あなたの実験台になるから」
カイルさんの腕の中から魔女を見つめて言う。魔女の目は静かで善意も悪意も何も感じない。ただ観察するように見上げているだけだ。
「詩織!! それでどうなるか分かっているのかい?」
「魔女さんが本当に善良なら悪いようにしない。大丈夫だから」
「実験台などやめてくれ…! 善良なものは善良などと言ったりしないんだよ!! 俺はそれをよく知っているから言うんだ…!」
張りつめた声で言ったカイルさんは泣きだしそうにも見えた。この完璧な人がこんなに追い詰められることもあるんだと、どこか新鮮に感じた。けれど、これだけは逃げちゃいけないんだよね。
「魔女よ!! 上級魔族として問う! 小菅五月、松崎美鈴、そして、この御木本詩織に対する仕打ちの目的はどこにある!?」
張りつめた声で、笑みの消えた様子で問いかけるカイルさんをまっすぐに見上げている魔女さんはどこまでも落ち着いていて。
「あたしの目的なんてのは大したものじゃないさね。ただバランスを取りたいだけさ。この世界はどこまでも不平等になっちまったからねえ」
「そんな戯言が通じると思うのかい!? 全能の神気取りも大概にすることだ!!」
「通じてくれなきゃ困るさね。それに、これはお前さんの為にもなることさ。純血のインキュバス… どこまでも本能に抗えると思わないことだね。愛しいものほど食い殺したいっていうやつにね」
どういう事なんだろう? そう思ったけれど、カイルさんの剣幕の凄まじさに言葉が出てこない。
「俺がインキュバスでもなんでもいい。一緒に生きていたいと言ってくれた子だ。あとは俺が無限の飢餓に耐えればいい話だ!! 俺がどれほど苦しもうと、詩織さえ幸せでいてくれるならそれでいい!!」
「無理な話さ。夢魔族が持つ本能には抗いきれたもんじゃあない。お嬢さん、愛しい男と共に生きていきたいと思うなら、これを飲むんだよ」
差し出されたのは赤黒い液体を詰めた小瓶だ。小さくて私の人差し指くらいしかない。
「詩織…!! 頼むから、もう…!」
この人を震えさせているものがなにか? 私はようやく理解した。カイルさんは失うことを恐れているんだ。きっとたくさんの人の死を見てきたんだろう。まだ何も失っていない私には分からないけれど、でも癒したいと思った。
「大丈夫… 私はどんな風に変わってもカイルさんの傍にいるから」
「約束だ。君がどんな姿になっても愛する自信があるから」
そう言って小瓶のコルクを開けると、私は一気に飲みほす。味はかすかに血の味がするくらいで無味無臭といってよかった。全身の細胞が一気に動き出すのを感じ、例えようのない苦痛が迸る。
「詩織…!! 辛いなら吐き出していいから!!」
「カイルさ…!! 全身が、痛い…!!」
「種族を変えるんだ。そら苦しいだろうね。せめて抱いていておやり」
思わずうずくまった私を守るように抱き締めてくれた。すると、徐々に何が起きているのか分かってくる。私の種族が変わっていく? もしかしたら、カイルさんと同じになれる?
その可能性があるなら、私は…!! 私を、カイルさんと同じに…!!
「やはり、そう来るか。予想通りだけれど、これはこれで満足の結果だよ」
「魔女よ、詩織に何をしたんだ!?」
「それはお嬢さんが教えてくれるよ。あたしは満足した。これで失礼するよ」
そう言うと、カイルさんの問いを無視して魔女は姿を消した。同時に痛みも引いていく。代わりに感じたのは食欲とも違う飢餓…
「詩織!? 目が…!!」
「マジかよ…! あの金色をもう一度拝みたいとは言ったけど…!!」
美鈴の悲鳴じみた声が聞こえてくる。昴流さんが言葉を失うのも分かる。二人の鼓動の速さや血流まで分かる。色々なものが過剰に見えて聞こえた。辛いほどに細かく理解できる。
「詩織…? 顔を上げて、俺に君を確かめさせて…」
カイルさんの心配そうな声にそっと身を起こすと、一度にどれだけのものを理解しているんだろう。驚くあまり青ざめたかと思うと、涙をにじませて私を抱き締めた。
「君は君でいてくれたらいいと思っていたのに…!! こんな、こんな風に変わってしまうなんて… 初めて俺は俺を恨むよ。どうして俺は人間じゃないんだ!?」
「そんなこと言わないで。あなたと同じになりたかったの。無限の飢餓なんて、そんなの背負ってほしくなかったから。でも、食い殺されて一人ぼっちになんてしたくなかったの。あなたの最後の女になりたかったから」
自分で分かる。自分が純血の夢魔族… サキュバスに変わったこと。
「詩織、君のお母さんに詫びなければいけなくなったね。だけれど、俺達はこうして補い合うことができる。同じ夢魔族ならね」
そう言うとそっと額を重ね合わせる。それだけで私の中に芽生え始めていた飢餓が満たされていく。精気を分け合える… それだけで例えがたい心地よさに全身が震えた。
「私にも同じことができるようになる? ものすごい飢餓に耐えているって分かるから」
「俺が望むならね。だけれど、君はしばらく養生しないといけないな」
言葉の意味を理解すると同時にカイルさんを抱き返していた。どうしたらいいのかは分からないけれど、精気を分け与えられたらと願って…
「詩織…? あぁ… 君は優しいね。ありがとう」
そっと包み込むように抱き締めてくれるカイルさんの目は、きっと金色に変わっている。…カイルさんの飢餓が満たされていくのが分かる。
「一緒に生きていこう。詩織」
「うん。ずっと一緒に…!」
私は涙をにじませるカイルさんの首に腕を絡めて、そっと唇を重ねた。私とカイルさんにしかできないことがあるのが、何より嬉しかった。
お待たせしました( ^^) _旦~~ エピローグですね。ちょっと長くなり、申し訳ございません。
二つに分けるにも中途半端でしたので(-ω-;)お付き合いくだされば幸いです。
カイルくんの心情とかいろいろ詰め込みました。彼なりの孤独を感じ取ってもらえると幸いです。感想くださればもっと幸いです。