第二部 サキュバスになった私の幸せ 五話 アランと詩織の対峙
「あいつとは付き合い長いからさ。誰にどう頼るかなんて火を見るよりも明らかなんだよね。人間の中で一番信頼してるのは誰だって判れば、スケジュールも何もかも調べやすかったよ」
サングラスを外しながらどこか誇らしげに笑って言う姿に震えを禁じ得ない。小菅さんが慌てた様子でどこかに通話しているけど、今すぐに来てくれるわけじゃないことだけが分かる。…絶望的だ。
「俺は嘘を言わない。すべて事実だ」
テラス席が四人掛けだからだろう。当たり前に座りながら語りだす。その低い声で記憶が溢れてくる。カイルさんとアランさんのケンカするみたいな言い合いや、その内容まで滝のように。
…どうせ探られれば埃なんざ幾らでも出てくるんだ。昔みたいに味見させてほしいんだよ。それさえ許してくれれば、このまま引き下がってやるよ…
この言葉でカイルさんのまとう空気がザワリと音を立てるように変わって、気づいたら殴り合う寸前だった。…あの時、私は怖くて震えていることしかできなかった。
アランさんが怖かったのと同じくらい、カイルさんのことも怖くてならなかった。…自分の過去を知っている人が現れた、というだけでこんなにあっさり変わってしまう彼のことが。
いつも笑みを浮かべている唇が、穏やかに輝いている目が、刃のように冷たく無表情に変わって… 私のことも何も見ていなくて…
「多少、歪めて伝えたこともあるけれど… 20年も待った婚約者がいるってのは事実だ。分不相応で釣り合わないってんで破談になったというのがもっぱらの噂だよ」
そんなことを語りつつテーブルに置いたままだった私の左腕を取り上げると、
「ヴァンパイア族ってのはちょっと便利にできててさ。エサとなってくれる人間に徹底的に快楽しか与えないんだ。この牙が突き刺さる時、絶頂に達する人間までいる。…今ここで味わわせることだってできるんだ」
人間ではありえない長さの牙をむき出しにして、愛撫するような仕草で手首に牙を触れさせる。その目は真紅に煌めいていて、恐ろしくて涙が滲んだ。
「は、放してください…! わたしは、あなたのことが嫌いです! カイルさんを苦しめるから…!!」
思わず言ってからカイルさんが苦しんでいたことを察する。ずっと一人で背負いこんで、こんなに信頼できる人に無理を聞いてもらってまで守ろうとしてくれて。でも、私には何も教えないで…
「へぇ、けなげなこと言うじゃん。益々、食いたくなるね。ヴァンパイア族は見た目で物を判断しない。心身の健康度と魂でイイ女かどうか判断するんだ。残念なことに、イイ女ってのは間違いなくエサにしたいって思っちゃうけどね」
「そんなのお断りです! カイルさんにならともかく、なにも知らないあなたになんて絶対に嫌です!! それに私だってサキュバスになったんです。拒む権利くらいあるはずです…!!」
どこか楽しそうに優雅に笑う余裕のあるアランさんと反対に、拒みながら涙が溢れて止まらない。
カイルさんがせっかく施してくれたメイクが崩れちゃうかもしれない。けど、どうしても涙が止まらない。怖くて、弱い自分がなにより許せなくて悔しくて…
「悪魔族の遠縁でもあるインキュバス… それがどれほどすごいことか? 君には分からないんだろうね。それを使って、どれ程の女をヤりすててきたか? 俺と一緒に悪さしたことだって幾らだってある。それでも?」
「…それでも、私はカイルさんを信じます!」
「それしかできないから? そうしたいから?」
私の手首を開放しながらも追い詰めるように問いかけられて、咄嗟に言葉が出てこない。思い出してみれば、私にとっての異性は最初からカイルさんしかいなかった。だって、出会うまで異性との出会いを禁じられて、閉じ込められて生きてきたんだもの。
「もっと自由に生きていい。そう言った人間もいたんだっけ。俺も賛成するね。こんな囲われた中で偽りの自由に溺れることなんかないんだよ。もちろん、俺なら広い世界に解き放ってあげるけれどなあ」
私の人生の中で、選ぶ権利なんてあってないようなものだった。最初から私の心をつかんだのは日向カイルという人で、その為に人間でなくなっちゃって。後悔しているか?と言われると…
「なにもかも自由であることが幸せだなんて思えないから結構です。私はカイルさんと一緒に生きていきたいから、その為だけに夢魔族になりました。それでいいんです…!」
今日までどんな気持ちで私をお姫様みたいに扱ってくれたのか? 分からないけれど、カイルさんなりに愛してくれているんだって分かる。いつも行動で言葉でありったけの愛情を教えてくれた。…そんなカイルさんを信じたいから。
「へ~ぇ、言ってくれるじゃん。まあ、そこのお姉さんに影響受けただけかもしれないけどね。あんたのことも知ってるよ。一宮琉偉って男の為に勤め先を変えて、服装から何から思い通りになってやってるらしいじゃん」
「私は私の意思で道を選んでいますので、そういう言い方をされる謂れはありません。私は私の意思で自由を手放しました。それでも琉偉は幸せにしようと努力してくれていますので満足しています」
小菅さんは一宮さんとどんな日々を過ごしているんだろう。ヴァンパイア族だなんて人間じゃないなにかと向き合っているのに、凛と落ち着いていて声もなにもかも怯えなんか欠片も見えなかった。
そもそも私を見ても怖いなんて思わなかったんだから、当たり前なのかもしれないけれど。
「エサにしたい女が二人… しかもほかの男のものときた! これは切り札を使うしかないかなあ」
「…切り札?」
サキュバスの本能がザワリと音を立てて、本能的な恐怖を訴える。これを使われたら、私はただの道具にされると分かっても従ってしまう。嫌なのに…!
「戒めの鎖よ、彼のすべてを封じろ!!」
どこからか金色に煌めく鎖が伸びてきて、アランさんを縛り上げた。そんなことをする所は見たことがないけど、声だけが聞き間違えるはずもない。
「カイルさん…!!」
声のした方へ駆け寄ると、息が苦しいほどの力で抱き締められた。
「詩織!! …間に合ってよかった…!!」
どこか泣きだしそうにも聞こえる声で言うカイルさんがどんな顔をしているんだろうと思ったけど、彼以上に私の方がひどい顔をしているので見上げる気になれなかった。
なのに、頬を大きな手で包まれで上向かせられたかと思うと、確かめるように顔中にキスが降ってきた。その優しい仕草に涙が溢れて止まらなくなる。
「カイルさ… わたし、何も知らなくて…!」
「いいんだよ。俺がそうしたんだから…! 俺が一番に守らなければいけないのは君の心と幸せだったんだから」
一人で苦しい思いをしていたはずなのに、カイルさんは何かを封じるように私の唇を奪った。
その背後でバリン!!とガラスの砕ける音が響いた。途端にカイルさんの空気が変わり、私を背後に庇う。
「アラン、遊びが過ぎるんじゃないのかな? 従属の魔法まで使おうなどと」
「へ~ぇ、今日は冷静じゃん。ちょっとイイ女を探すついでに遊びに来ただけだって」
「それを信じろと言うのかな?」
カイルさんが金色に煌めく目で睨むけれど、真紅の目で見詰め返したアランさんは怯えるでもなく、どこか楽しそうに見える。
「お嬢さんは全く揺らがなかったよ。…つついて遊ぶのは楽しかったけどね。泣いてるのにお前への信頼を失わなくてさ。また退屈したら遊びに来るよ」
そう言って去っていくアランさんは去って行ってしまった。その足取りに迷いはなくて、本当にどんな目的だったんだろうと考えてしまう。それよりなにより…
「詩織、俺の過去を思い出してしまったね?」
小さく頷く。その仕草だけでどれだけのことを察したんだろう。カイルさんはその場に跪くと、
「インキュバスは15歳で精気を奪うことの快楽に目覚めるんだ。その頃から俺はアランと一緒に悪い遊びを覚えた。理由は簡単だよ。
互いに純血の魔族というのがいなかったから、だけど、俺やアランがちょっと笑いかけるだけで、大体の女性を思い通りにすることができたから… 奇跡の結晶だと、俺は思いあがっていたんだよ」
罪を語るように告白し始めた。私はそれをどう思っていいのか分からないまま、聞いていることしかできない。
「俺は罪を犯した。そんな俺を受け入れてくれるだろうか。俺には君を愛することしかできない。いつも君から奪うばかりで、俺自身は何も失っていないけれど…」
罪を悔いることにどれだけの意味があるんだろう? どんなに後悔しても罪は罪としてあり続けるのに… それでも、そうすることでカイルさんの心を少しでも軽くできるのなら、私は……
「許すから。カイルさん… あなたのこと許すよ」
そっと頬に触れて、どこか新鮮な気分で見下ろしてそっと額にキスを落とす。カイルさんみたいに器用にできないけれど、それでも許しを与えることには他ならなかった。
「ありがとう。…君に出会うための今までだったんだと、俺はようやく俺の罪を思い知ることができたんだよ。愛しているから」
そう言いながら抱き締める腕の逞しさはそのままなのに、どこかすがりついているようで、私はカイルさんを抱き返すことしかできなかった。
お待たせしました( ^^) _旦~~ これでカイルくんも怖いものがなくなったのかな? 悩みました(-ω-;)まあ、悩まないで書けたことはないのでいいです。頑張ります。アランくんのプロットもできてるので、いつかけるかは分からないけれど、お付き合いくだされば幸いです。感想くださればもっと幸いです。




