22 二つ目の条件
伊山は生きたかった。皮肉なことだが高下に与えられた死の恐怖によって、それに気が付けたのだ。伊山は生きてここから出る方法を模索した。このまま数歩後ろに下がって走り出せば、あるいは助かるかもしれない。しかし、それは危険な賭けだ。その程度のことなら、高下は推測して、上手く条件に組み込んでいそうなものだ。
結局、どう考えても、15年前の記憶を辿って、二つ目の条件を思い出すのが懸命だった。二つ目の条件さえ満たさなければ、生きてここを出られるのだ。
伊山は強く念じるようにして、必死に記憶の糸を手繰った。それはするすると手元に近付いたが、途中で千切れてしまった。あともう一歩という所で、思い出せない。酷い頭痛が伊山を襲ったが、それでも頭の奥を探る作業は止めなかった。
高下はそんな伊山を見て、くるりと背を向けた。そして、ごそごそとパソコンの裏をまさぐった。そしてそこから、分厚い本を取り出した。伊山はその一連の動きを、一つとして見逃さないように凝視した。汗が目に入ろうとしたが、瞬きさえ、許される状況では無かった。唾を飲み込んで、喉を鳴らすことさえ、躊躇われた。
高下がその本を開くと、中には大きな空間があった。それは本ではなく、カモフラージュの道具であった。その中に、重要なものを隠すための。伊山は、それを覗くために、少し身を乗り出した。それが伊山にとっては大きな冒険であるにも関わらず、極めて軽率に行われた行動だった。本の中には、重々しく黒光りするもがあった。その金属の塊は人の命さえ奪いかねないものであった。伊山はおよそ信じられない光景に、瞬きを3度した。
それは拳銃だった。カチャカチャと軽い音をさせている様子が余計に人の命を軽んじているように感じられた。涼しげな金属の表面は美しい丸みを帯び、それでいて重厚な直線部には残酷さを備えていた。もう逃げも隠れも出来ない。伊山は改めて、自分の命が危険な場所にあることを認識した。高下はそれを伊山に手渡した。その表情には、落ち着いた微笑が浮かんでいた。それは今まで見たことの無い程、安らかな表情であった。
拳銃は伊山が思い描いていたよりもはるかに重かったが、生死の決定権を委ねられているのであれば、もっと重くあるべきだとも思う。それは現実感の無い物体だった。こんなもので人は本当に死ぬのだろうか。
高下は言った。そのはっきりとした口調は、もはや伊山の脳内から聞こえてくるようにすら感じられた。
「二つ目の条件は、事件の真相を全て僕から聞くこ…」
伊山は、集中していた。ここでは、散漫はすなわち死を招く。そのため、伊山は早急に判断したのだ。引き金は軽かった。それでいて銃声は驚くほど大きい。耳をつんざくような発破音が部屋に鳴り響いた。これこそ、一人の人間が死ぬに事足りる音だ。銃口から、煙が立ち昇った。伊山の鼻先には甘い煙の匂いがあった。あまりに簡単に高下は倒れた。高下の頭から流れ出した血は、絨毯に染み込むようにして広がった。
これで助かる。二つ目の条件からは逃れられたのだから。
伊山はほっとして、自らのこめかみに銃口を向けた。ひんやりとした感触が皮膚を通して伝わった。それが妙に心地よく、伊山は少しだけ幸福な気持ちになった。
銃声は合わせて、二回聞こえた。伊山は膝をついてはいたが、それでも精一杯の力を使って後ろにのけぞり、仰向けに倒れこんだ。伊山の頭は確かに扉の方を向いていた。伊山は薄れゆく意識の中で、ただ15年前のことを思い出していた。それは先程まで、必死になって思い出そうとしていた記憶だった。
高下は言った。
「二つ目の条件は『僕を殺すこと』です。こんなにも楽しい賭けに参加出来るんだ。悔いはない。どうせ世の中は絶望だらけだ。」
結局の所、伊山は賭けに負けたようだ。