01 ナポリタンと忌憚はよく似合う
残酷でいて、しかし幻想的なこの話を伊山が聞いたのは、つい数分前だった。場所は、おいしい赤ワインをゆっくりと飲めるイタリア料理店。そこは、伊山が2年前に神戸に引っ越してきた時に初めて入った店だ。それ以来今日まで月に1,2度ではあるが、通っている。そんな伊山を従業員は見知っていたが、踏み込んだ会話をすることもなかった。それがまた伊山にとっては居心地がよかった。
伊山はナポリタンが美しく盛られた皿から、先程の話が聞こえた方向へと視線を移した。伊山はカウンターに座っていたのだが、そのすぐ左横にはテーブルを挟み、二人の男女が向かい合って座っていた。テーブルにはまだ料理が来ておらず、それを待つ間の暇つぶしに、男はこの話をしたのだろう。女の方はというと、それに適当なあいづちを打ち、窓から店の外をぼんやりと眺めているだけだった。店は細い道路と隣接しており、窓からはそこを往来する車が、時折見えた。男の下らない話に、伊山だって女と同じように無関心でいるべきだった。そんな取りとめの無い話をまともに聞き入る人の方が珍しいとさえ思える。
しかし伊山は、その珍しい人の内の一人だった。伊山がこの話に興味を持った理由は二つある。一つには、彼の生活の無為さであった。毎日、目的も無く時間が過ぎるのを(もっと言ってしまえば、死が来るのを)ただぼんやりと眺めている。したいことも、しなければいけないことも何もない。それが何と虚しいことか。どんなささいなことだっていい。とにかく、明日生きなければならぬ理由が欲しいのだ。
そしてもう一つの理由は、伊山がまだ雑誌記者として働いていた時に体験した、ある事件であった。15年前に起きたその事件の真相はいまだ解明されていない。正確には、事件では無いという結論でしめくくられたのだが。先程聞いた話が、解明されなかった真相に近付く鍵に思えた。いや、無理にでもそう思い込むのだ。
そうしなければ、明日も生きなければならない理由が無くなる。