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墜落  作者: SNEO
12/24

11 自殺の調べ

 市の中央図書館は、5年前に建て直されたもので、施設としては美しい外観を誇っていた。施設の周囲には大きな森があり、そこを少し削るようにして、駐車場が作られている。旧館の名残は唯一、入り口の上に取り付けられた、『真島市立図書館』という金文字だけであった。扉は全て自動ドアに変わり、内装も白を基調とした極めて美しいものであった。館内には甘く、古めかしい本の香りが立ち込めており、空調と、ページをめくる音だけが聞こえてくる。人工的に作られた冷気は、人の侵入を歓迎する意図を持っているように感じられた。伊山はまるで仕事でもするように、せかせかと図書館の受付まで歩いて行った。受付には木目模様の囲いがあり、スペースを分断する役割を担っていた。それは、つるつるとした反射を見せ、いかにも手触りのよさそうなものだった。

 受付に着くとすぐ、15年前に自殺した小学生児童に関する記事及び関連資料を調べてくれるように頼んだ。朝の10時だというのに、職員は眠たげに目をこすりながら、これを了承した。15分ほど待つよう指示された伊山は、受付の前の青いソファに腰を落とした。柔らかなソファの感触が伊山を包んだ。

ふと周りを見ると、館内には老人しかいなかった。若い、といっても40歳そこそこの男など一人もいない。東京の図書館では、いつもビジネスパーソンが、小難しそうな本を、真面目ったらしく読んでいた。それが何となく落ち着かない雰囲気を醸し出していたことは、明白だった。それに比べれば、何と落ち着いた空間であろうか。平日の朝は老人しかいないのか、と何となく自分だけの秘密の場所を見つけた気がして、気分がよくなった。

 伊山は職業柄、図書館にはよく通ったが、こんなにものんびりと館内を見渡したのは初めてだ。図書館は2階建てになっており、階段の脇にはウォータークーラーが設置されている。久々に飲んでみようか、そう思うと伊山は腰を持ち上げて、階段の方へ向かった。何年ぶりだろうか。冷えているだけの味気ない水がどうしようも無く、旨くて懐かしかった。子供の頃かぶりつくようにして飲んだその水を、今でも同じように感じられることに、伊山は安心した。右手で口元を軽くぬぐいながら、少しずつ今の生活が色づいて来るのを感じた。伊山はソファの方に向かったが、思い留まって、書籍を見に本棚の方へ歩を進めた。1階には、一般書籍と幼児向けの絵本が置かれている。2階は、経営・財務などの専門書のコーナーであった。伊山は階段を上ると、2階へ行き、自己啓発本コーナーに入った。これまでに一冊として自己啓発本を購入したことはなかった。しかし、空き時間が出来ると、いつも細切れにして自己啓発本を立ち読みする。短い時間では小説は読み切れないし、情報誌は購入することにしている。時間を潰すには、自己啓発本があらゆる面で都合がよいのだ。

 本棚には、おそらく旧館から引き継いだ書籍と、新しいものとが煩雑に並べられていた。背表紙が破れているものも多く、その中の一つに、『成功する10の条件』と書かれた本があった。一際汚れが目立ち、黄色い染みがあちこちに付着している。伊山はこの本を大真面目に借りていく人を想像して、皮肉をこめて笑った。何とも間抜けな光景に思えた。

 本棚に挟まれた空間には、独特の圧迫感がある。本棚同士の感覚が狭過ぎることもあるのだが、それ以上に、おびただしい量の文字が、口に出しこそしないが、自分に何かを語りかけようとしている。そう考えると、何万人という人間に周囲から観察されているような気がして、息が詰まるのだ。

 その中から、自分にとって必要な情報だけをピックアップしていくのである。その作業はそんなに困難なものではない。伊山は、ざっと本の背表紙を見て、一冊の本を取り出した。『自殺の経済学』明らかに目を引くことを意図したそのタイトルは、卑しいとしか言いようが無いにしろ、中をめくらせるには充分魅力的だった。伊山はパラパラとその本をめくった。自殺した場合にかかる賠償金が、その種類ごとに書かれている。伊山は何気なく、飛び降り自殺の項目を見た。飛び降り自殺の場合は、通常それにより、価値を下げた建物への賠償金は発生しないと書かれている。遺族により、迷惑料を払うケースもあるようだが、往々にして決まりは無い。巻き込み事故に関してはそうは行かず、被害者への賠償金の支払いを義務付けられている。その際、損害保険の適用は認められず、全額実費となる。電車への飛び込みについての記載もあったが、伊山はそれに目を留めず、ページをパラパラとめくった。

 あとがきにはこう書かれている。

『自殺をすれば、遺族にも多大な負担がかかります。自殺は絶対にしてはいけません』

 伊山は何とも言えない苛立ちを覚え、荒々しく本を閉じた。この一文に潜む、軽率な意図を汲んだからだ。おそらくは、自殺を徒に題材としたのではないと、強調するためのものなのだろう。著者には自殺を止めるよう説得する気などさらさら無いのだ。勿論、明日に絶望した人間が、これを読んで自殺を諦めるとは到底思えなかった。伊山は自分がなぜ、ここまで苛つく必要があるのか、分からなかった。無意識に自殺者の擁護をしている自分にも驚いた。伊山は自殺者の気持ちをよく理解している。それはつまり、伊山自身、自殺を考えたことがあるからだ。それも1回や2回では無い。下手をすれば、毎日。

 伊山は本をまた棚に戻し、狭い空間から抜け出した。本の群れから開放されると、澄んだ空気が心地よかった。本には独特の湿気があり、それが空気を和らげる。落ち着きのようでもありまた、陰気なようでもある。それはやはり甘ったるかった。

 階段を下りると、そのまま受付へ向かった。ようやく目が覚めた様子の職員は、記事資料と書籍を2冊、卓上に置いた。伊山は礼を言うと、それを受け取り、明るい日差しを受けている、学習スペースに向かった。

 学習スペースは前面ガラス張りの一面に付しており、太陽光が眩しく降り注いでいた。そこには受付と同じ、木目柄の机が3つ、縦に隙間無く設置されており、まだ誰も使用していなかった。机の上には、『図書館では静かに』と書かれた、紙がテープで貼り付けられていた。資料を置いた勢いで、注意書きの端が少したなびいた。伊山はそれが落ち着くのを待って、記事を読み始めた。

 資料は、新聞記事と雑誌のコピーが20枚程度あるだけであった。最初の自殺者、つまり工藤ゆかの自殺が掲載された地方新聞の記事は、極めて小さなものであった。それは小学生の飛び降り自殺を報じるだけのもので、そこから事件性を感じる者は誰一人いなかっただろう。次の記事は、同誌、翌日の朝刊だった。その内容は、昨日のものと代わり映えしなかった。次にあるのはその翌日の夕刊で、全国紙のものだった。小学生男児1名の自殺が新たに報じられていた。さらに翌日朝刊には、4名の自殺が、夕刊では2名の自殺がそれぞれ記載されていた。伊山はじっくりと記事を見て行った。どの記事にも、手がかりを示すものは存在しなかった。その猟奇性を訴えるものもあったが、真相に触れるものは無い。ついには、21日の朝刊で16名全員の自殺が報じられた。伊山はその記事を見ると、資料の束を裏返した。強く目を閉じる。瞼を通して、太陽の光を感じた。手がかりは無かったが、少なくとも伊山が15年前の事件を思い出すのに、それは役立った。事件について思い出すと、そこにはやはり、高下の顔があった。どうしてもあの男のことが引っかかる。伊山は再び目を開けると、鞄からノートと万年筆を取り出した。

 もう一度、資料を1枚目に戻すと、自殺が行われた日時に線を引いた。そして、それを白紙に書き起こした。

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