09 馬鹿げた推測
そうして、今の伊山にやっと辿り着く。たまには旨い夕食でも食べようと、珍しく出かけたイタリア料理屋で、一人カウンターに腰掛けている伊山に。
隣で話している男女は、もうすっかり違う話を始めていた。今度は他愛もないテレビ番組の話などをしている。しかし、伊山の心は、超能力の話から離れられずにいた。多くの子供が飛び降りる、という点に関して、その話は共通点を持っていたのだ、あの事件と。15年前に出会い、ぼんやりと蓋をして、今までずっと小さな腐臭を漂わせ続けてきた事件。それが伊山の頭の中で、またぐるぐると回り始めたのだ。
工藤ゆかの母親は今、どうしているだろう。いまだに、自分からの連絡を待ち続けているかもしれない。いや、そんなことはあるわけないか。そう思う伊山だったが、あの事件の遺族が毎年欠かすことなく、子供の命日に手を合わせているだろうことを思い浮かべた。
なぜ、急に事件を追うのをやめたのだろうか?今思い返してみても、伊山には不可解であった。そうしていくら考えても、やはりその答えなど見つかるはずも無く、伊山はすうっとため息を空に運び出した。
伊山は、ナポリタンをフォークに絡めると、口に運んだ。トマトソースの程よい酸味と甘味が、口内で入り混じるのが分かった。それを喉に流し込みながら、伊山は思った。
百人の子供に、空が飛べると嘯いたら、どうなるのだろうか。子供達はその言葉を真に受けて飛び降りるだろうか。それは伊山には分からなかった。しかし、そのようなことが仮に起こり得るのであれば、あの事件の真相もそれに近しい理屈で説明が付く。そして、それと共に実行犯は、何と言ったかな…あの不気味な男は、そうだ、高下、高下だ。あの男が行ったということになる。あの男が集団催眠にも似た実験を行っていたということに。
そんな憶測はあまりにも、馬鹿らしい。ほとんど時間つぶしのレベルだ。現職を退くと、こんな風になるのか。数年前なら、この折れた爪楊枝と一緒にこの店の灰皿に置いていってしまうくらいの下らないものだ。
しかし、死ぬまでの食事代、電気代、水道代と、銀行の残高を引き算するだけの日々には、もう飽きてしまった。どこかでそれを止めねばならぬ。平穏な日常は、訪れるまでは日めくり数えるが、訪れてみると数ヶ月と経たずに飽きてしまう。そういうものだ。波の無い海は、やはり寂しい。
そうして、伊山はある決心をした。それが伊山の明日も生きなければならぬ理由となった。