-プロローグ- 無邪気な少年たちは墜落する
前提として、超能力っていうものは、その存在を信じることが重要なんだ。自分に1%でも疑う気持ちがあれば上手くはいかない。
僕らは今までの経験の中で、超能力なんて存在しないってことを既に信じている。口では何と言おうとも、その存在を盲目的には認められないんだよ。だって、今までに超能力に出会ったことなんて無いし、周りの人もそんなものがあるなんてこと、もちろん信じちゃいないからだ。つまり大人になってしまった僕らには、超能力が存在したとしても、使うことなんて出来やしない。
でも思うんだ。子供ならどうなんだろう。
産まれた時から毎日欠かさず、超能力が存在すると覚えこませれば、まるでそれが常識のように感じられるんじゃないだろうか。例えば、一人の子供に『人間は空を飛べる』と覚えこませる。もしかしたら、子供は言うかも知れない。
「どうして、僕は飛べないの?」
そうしたら、こう言ってやればいい。
「お前も大きくなったら飛べるようになるよ」
子供はまたこう言うかも知れない。
「でも、空を飛んでる人を見たことがないよ」
そうしたら、こう言ってやるのだ。
「よく気がついたね。でも、空を飛べないお前に、どうして空を飛ぶ人が見えるだろう。お前も空を飛べるようになったら見えるさ、たくさんの人が空を飛び回る姿が。」
子供はもう、疑うことはないだろう。そしてきっと言うさ。
「わかった。僕も空を飛べるように頑張るよ」と。
そんな風に、毎日その話をしてやるんだ。そうしたら、いつか子供はこう言うだろう。
「僕はまだ空が飛べない。どうしたら、飛べるようになるの」
もうすっかり信じきっているこの子供に、こう言ってやる。
「高さが足りないんだよ。慣れるまでは高い所から飛び立つのが一番いい。そうすればお前も、上手く空を飛べるよ。一緒について行って上げよう。さあ、お飛び」
子供は、飛び降りる。僕らの常識では、紛れもなく人間は空を飛べない生物だ。子供は太陽に近付き羽根を失ったイカロスのように地面にたたきつけられ、絶命するだろう。いや、でももしかしたら、これを百人単位で行ったとしたら。一人くらいは空を飛び、風を感じ、自分の街を見下ろす子供がいるかもしれない。