宝石と剣の舞・前編
果てしない暗闇の中と言うには些か明るすぎる、とある廃れた一軒家の中で、キリシェは項垂れた姿勢で椅子に座っていた。
彼の前には、暗闇から少しだけ存在を露わにする青い髪の男が立っている。
男はゆっくりと手を伸ばし、キリシェの頭を触れた。
少し前、エデンとエリアスの二人を相手にする為に自己強化魔法を酷使したキリシェの身体は、人間本来の自己治癒能力では再生できないほどに壊れていた。
息を荒くしているのは、肺が穴だらけになっているせい。しかしながら彼はまだ生きている。
瀕死とも言える状態が数時間続いた今も、彼は生きている。
それは何故か。
「ふふふ、ボクの研究は間違っていなかったみたいですね」
この青髪の男の手によるものだ。
顔の半分以上を影に隠しているその男は、不気味な笑みと愉悦に満ちた口調でキリシェに話しかける。
「どうですか、ボクが発明した『悪魔の血』の力は。素晴らしいでしょう? かつてないほどに魔力は増大したでしょう?」
キリシェは息も絶え絶えの状態でありながら、必死に首肯した。
その姿を見た青髪の男はまたも不気味な笑い声を漏らし、満足そうな様子を見せる。
ろくに前も向けないキリシェはその男の愉悦に塗れた表情と、狂気じみた視線を確認することはできない。
今のキリシェにとって、目の前の悪意よりも己の生存の方が何倍も優先するべきことであり、生き残るためならばどんな悪魔にでも命を捧げるつもりでもある。
だがキリシェは知らない。
目の前に立つ悪魔はただの悪魔ではない。
人として生まれ、人の臓器を持ち、人の皮を被りながらも、人としての善性の一切を持ち合わせたことのない悪の権化とも言える、正真正銘の『魔人』だということを。
「安心してください、君にはまだ価値がある。いいえ、この世に存在する命の全てには価値がある。生きている限りその価値は消えたりしないし、誰もが見つけられなかった価値をボクは見つけることができる」
男はキリシェの背後にある窓から月を見た。
裏側に汚い部分を隠し、表では綺麗な一面を見せる月は人間のようとも言えよう。
青髪の男は月とは正反対だ。故に彼は月に見惚れることはなく、一瞥した後に再びキリシェに視線を戻した。
その目は真っ黒。
深海よりも深い漆黒の底にある瞳は、キリシェを見据えながらもキリシェではない何かを見ているようだった。
「君の価値は――魂にある。君の魂はとても弄りやすくてね、ついつい悪魔の血を使い過ぎてしまう。でも許して欲しい! 劣等感に塗れた君が強気な姿勢を見せ続け、弱い自分を認める事のできない君がボクにこう頼んできたんだよ? 『俺を強くしてくれ、頼む』ってね」
「あ……あ……あぁ……」
「んー、なんだい? どうしたんだい?」
キリシェの口が動いた。
隙間から漏れ出る空気のような弱い音で意思を伝えようとする。しかしその意思は青髪の男にも伝わらず、もう一度発する必要があった。
「も……や……」
「も、や? ふーむ……あ!」
青髪の男は何かに気づいたようで、陽気な口調でこう言う。
「もうやめてくれ、かなぁ?」
正しいと、キリシェは首肯で意思表示する。
その後も何かを伝えようと口を動かしたが、何も伝わらない。いや、正確に言えば聞き手に受け取るつもりがない。
青髪の男はキリシェに価値を見出しながらも、キリシェに対する感情はただのモルモット。
実験対象であるが故に大切に保管はするが、実験対象という枠組みからははみ出したりなど絶対にしない。
故に不必要なことは受け取らないし分け与えないのだ。
彼が送る言葉は決まっている。
「当然ですが、あなたはもうボクのモノだ。死ぬも生きるも、絶望するも希望に魅入られるも、愛も憎しみも幸も不幸も公平も不公平も全て、ボクの手で決まる。安心してください、悪いようにはしませんから」
「あぁ……あっ……」
「話し相手が必要でしたらいつでもお相手しましょう。何せボクは、実験体とお話するのが大好きですからね、うふふ」
「うぅっ……あぁ」
「いやしかし、今のあなたではまともに会話できませんね。いいでしょう、決めました! 再び悪魔の血を使い、あなたの傷を癒しましょう! その代わり、あなたには今以上の苦痛を味わってもらう必要がありますが……死ぬよりはマシでしょう?」
青髪の男は満面の笑みを浮かべているが、その目はキリシェを見下すように見つめていた。
実験対象に慈悲は必要ないと言わんばかりの冷たい目を、朦朧とした意識の中でキリシェは向けられる。
辛うじて残っている意識が、良くも悪くも更なる絶望を生んだのは間違いない。
キリシェの手足は恐怖から震えだす。
身体が、脳が、細胞の一つ一つが、命の危険を感じ必死に生きようと抗う。
その様子を青髪の男は、満面の笑みと軽蔑を含んだ瞳で観察し、最後には一本の注射器をキリシェの腕に刺した。
注射器の中に入っていた赤黒い液体はキリシェの身体へと侵入し、激痛によって彼の身体を限界まで反らす。
止まらない激痛、晴れない絶望、されどいつまでも死ねないキリシェの心は今、再起不能なまでにズタボロになってしまった。
そしてその心とは反対に、身体の傷は全て消え去ったのだった。
――***――
キリシェとの一件から数日経った。
あの日の翌日にリーシェ先生に報告したけど、彼女は「後は任せろ」とだけ言って音沙汰なし。
キリシェも学園に姿を表さなくなり、根も葉もない噂が広まりつつあった。
例えばキリシェは家出したとか、性格が歪んで非行に走ってるとか。
命を狙われた私からすれば、全て馬鹿げた噂ではある。だから特に耳を向けず、リーシェ先生も言っていたようにあとは教師側に任せることにした。
音沙汰がないのは立場的に鑑みて普通のことなのだろう。
朝食を済ませて制服に着替えた私をエリアスはじっと見ている。
普段、エリアスに手伝ってもらってる着替えを一人でこなすと言ったら、寝間着を脱いでから制服に着替えるまでの一部始終を監視されたのだ。
同性とはいえ私は人に下着を見られることに慣れていない。相手が幼い頃から一緒にいるエリアスだとしても、恥ずかしかったことに変わりはなかった。
「ねぇエリアス……私が着替えるところを見続けるのはどうして……?」
「とても良い眺めでございますから」
「見世物じゃないんだよ!?」
エリアスってたまに天然が入るんだよね……。でもこういうときに天然を見せろとは言っていない。
「申し訳ございません。次からは窓から外を眺めてお待ち致します」
「う、うん……できれば部屋から出てもらいたいところではあるんだけどね……」
「……」
期待など一切ない私の要望に、エリアスは無慈悲に首を横に振った。
予想してたよ。
「エデン様、本日から護衛として常に私がお傍につきます」
ブレザーのボタンを上から閉めていく間に、エリアスはそう言った。
「それは構わないけど……負担にならない?」
「負担になどにはなりませんのでご安心を。それに、あの一件があった今ではお傍にいた方が私としても楽です」
「確かにそうだね。でも学園内は立ち入り禁止なのだけど、どうしよ……」
「影に潜み息を殺し存在を消しますので、エデン様以外にはバレませんよ」
とんでもなく色んなものを消して隠れるとか、もうメイドの仕事じゃない。
本当にこの人、どこ出身でどんな経緯で私のメイドになったんだろうか。
「わ、わかった。それじゃよろしくね」
「お任せを」
深々とお辞儀をするエリアス。
私は制服に着替え終わり、机に置いてある鞄を持って玄関に向かう。扉という扉は全てエリアスが開けてくれて、私がする力仕事はせいぜい靴に履き替えることと、鞄を持つことのみ。
玄関前で私は足を止め振り向き、エリアスを見た。
「行こっか」
エリアスも既に外に出る準備を済ませており、私の言葉に目で頷いた。
その日は快晴で、まるで数日前の出来事が全て嘘だったかのように清々しい。
気温も風も程よくて心地がよく、傍には私が信頼するメイドが一緒に歩いてくれている。
それだけで自然と笑みが零れた。
「エデン様、どうかしましたか?」
私の微かな笑い声にもエリアスは反応する。
「ううん。ただ、こういうのは初めてだから楽しいなぁって思っただけ」
「私がお側にいるだけで楽しくなるのですか?」
「安心するからね」
ただエリアスが強いからとか、そういう意味だけではない。たとえ彼女が何の変哲もないメイドだったとしても、きっと私は今みたいに落ち着いた笑顔を見せていただろう。
私はずっとエリアスに嫌われていると思っていた。けれどそれは違っていて、ただの被害妄想に過ぎなかった。
エリアスの気持ちを知ったから急激に信頼を寄せるようになったかと問われれば、それは違うと言える。
嫌われていると思っていた時間にも、私は彼女のことを好きでいた。
むしろ好きだからこそ、不安になっていたのかもしれない。
だから今は、隠すことなく彼女に好意を示せる。
「これからもずっと一緒だよ、エリアス」
「もちろんでございます」
エリアスも私の気持ちに応えるように微笑んでそう言った。
そして、穏やかで貴重な時間も長いようで短い。
二人で談笑をしながら歩くと、気付かぬうちに校門前まで来ていた。
豪華な装飾で彩られた学園の門が悠然と私を出迎えている。隣にいたはずのエリアスは耳元で「では、ここで」と囁いてから、颯爽と姿を消した。
どこにいるのかはもうわからない。しかしどこかで私を見ているのだと思うと、それだけで安心感に包まれていく。
私は軽く深呼吸をして、学園の敷地に足を踏み入れた。
一応キリシェのことも気にかけてみよう。あれから音沙汰無しはやっぱり少し気がかりだ。
隠すにしても、少なくとも襲われた当事者である私には情報が届くはず。それが無いってことは、情報を得られていないか秘匿されているかのどちらかだ。
廊下を歩いて階段を上り、また廊下を歩いて教室まで向かう。
リーシェ先生の姿はまだ見ることなく、私は自分の席に腰を下ろした。
「おはよう、エデン」
背後から聞いたことのある声で挨拶される。振り向くとアレンの姿があり、私と目が合うと彼は無邪気な笑顔を浮かべた。
犬みたい。
「おはようアレン。寝癖酷いね?」
振り向いた瞬間、まずは目を見た。そして次に顔全体ではなく、縦横無尽に荒れ狂うボサボサの寝癖に目がいった。
絡まってるというかド派手に跳ねてるというか、とにかく凄く荒々しい髪型になってる。
私の指摘にアレンは少し照れた様子を見せ、髪を手で押さえた。
「じ、実は寝坊して……あははは」
「直す時間がなかったんだ」
「そう! 時間さえあればこんな寝癖なんてどうってことない」
気持ちはわかる。
「でも凄いよ、ほんと」
もう髪にしか目がいかないくらいには本当に、それはもう本当に、自己主張強めの寝癖だ。
「い、今直してくるから待ってて!」
「あ、もう先生来るよ……って、行っちゃった」
突風のような速さで教室を出ていったアレン。彼が居なくなった教室は少しだけ空気が重くなった。
忘れてはいけない。私のことを嫌っている人間は大勢いるということを。
もう片方の目が開いたりすれば、印象も良くなって今よりマシになるんだろうか。
そもそも片目が閉じているだけが嫌われている理由でもない気がするし、それだけじゃ無駄に終わりそうだ。
一人だと、実際に見られてなくても周囲の視線が気になってくる。無意識に警戒心が強まって、体も強ばっているのがわかった。
キリシェに襲われたことが原因で、本能的に周囲に対する警戒が強くなっているのかもしれない。
キリシェ以外にも私に危害を加えてくる人がいるかもしれない。考えれば考えるだけ全身の筋肉が硬直していく。
しかしふと、私はあることを思い出した。
私のことを今もずっと見守ってくれているメイドの姿が、頭に浮かんだ。
今もどこかでこちらを見ている、いざという時は駆けつけてくれる。
そう思った途端、緊張は解けてリラックス状態に移ることができた。
心機一転。それに怖がっていたって仕方ない。
今の私は自分を守る術も身につけている。あらゆる理不尽を自分の力で覆すと決めた以上、うじうじしていられない。
気を引き締めよう。
「ふぅ、はぁ……よし」
先程とはまた違った、心身共に負担のない緊張感を纏いながら、私は鞄から赤く分厚い本を取り出した。
詠唱の暗記をする。
時間は限られているけど、隙間時間にでもこういうことをやらないと周囲との差は埋まらない。
努力あるのみだ。
特に何か意味があるという訳でもないけど、何となく宝石も握りながら詠唱分を読み進めた。
魔力の込められた宝石は今は静かで、少しひんやりしていて気持ちいい。
このままずっと握り続けたら宝石と友達になれそうだと思い、一瞬にしてその考えを捨てた。
宝石と友達になったとか私が言い出したら、それこそ本当に周りの人間がこちらを化け物扱いしてくるだろう。
私も私でそうなったら反論できない。
その後も暗記に集中していると、チャイムと共にリーシェ先生とアレンが同時に教室に入ってきた。
アレンの寝癖は綺麗さっぱり直っている。
横で呆れたような顔をしているリーシェ先生を見れば、二人に何があったのかは何となく想像がついた。
どうせ寝癖を直すために先生も手伝ってくれたんだろうけど、中々元の髪に戻らなくて苦労したのだろう。
お疲れ様です、リーシェ先生。
「よし、朝のホームルール始めるぞー。近々上級生の成績戦についての日程も知らせるからちゃんと話聞いとけよ」
成績戦というのは、プリンセス・ア・ナイト同士が実際に戦い、勝った方が卒業に必要な点数を稼ぐ授業だ。
扱いは授業だけど、ほとんど闘技大会とかと内容は変わらない。
街の住民達も観戦にくるらしい。
学年毎に日程は違う。上級生と戦うこともないから、そういう意味ではフェアと言える。
しかし勝負故に能力差は必然的に生まれる。怪我人も当然出る、もしかしたら死人も出るかもしれない。
それでもこの学園に入学した理由は、確実な地位を得て周囲に私という存在を認めさせること。
セレスアスティア学園を卒業した証があれば、国で優遇されるらしい。王以外であればどんな貴族に対しても己の主張を優先させることができるという
王族である私は本来そういう権利があっても当然だけど、生憎なことに王である父から忌み嫌われてるおかげで『私の言葉にはどんな人間も従う必要はない』という、暗黙の了解が広がってしまった。
血統による権力はあっても、それを行使できる地位を私は持っていない。
だけど、王族すらも認めざるおえないセレスアスティア学園の卒業証書があれば、話は変わってくるということだ。
絶対に卒業してやるんだ、絶対に。
「エデン?」
「えっ?」
突然、誰かにそう呼ばれた。声のした方に顔を向けると、こちらを心配そうに見つめるアレンがいた。
リーシェ先生が色々と話している中で、アレンは嬉しそうに笑って言う。
「やっと気づいた。何度も呼んだのに反応が無いから心配したよ」
「ご、ごめん、ちょっと考えごとしてて……というか席、そこだったの?」
「実は先生に話してここにしてもらったんだ。元々この場所に座ってた子にも承諾を得てね」
「そうなんだ。でも、どうして?」
「え? そ、それはぁ……ど、どうしてだろうね?」
本当にどうしてなんだ。
本人すらもわからないなんてことは無いはずだし、何故か動揺してる様子からしてきっと隠してる事情があるのだろう。
それは別にいいんだけど、なんで顔も赤くなってるのかな?
不思議そうにアレンのことを見ていると、彼は更に動揺し始め、焦りながら早口で話し始める。
「と、とにかく! 今日からエデンの隣に座るから、よろしくってことを伝えようと思ったんだ! 別にここに座りたいなって思ったのはこの位置が僕の好きな位置だからで、それ以外の理由とか全然ないからね! あっはははは!」
「こらそこ! 話聞いてるのか!」
「あ、はい!」
それなりに大きな声はリーシェ先生だけが話している教室の中では一発でバレ、注意される。
先生の叱りにアレンは条件反射で席を立ち返事をした。
「まったく……ちゃんと話を聞かないと席を元の位置に戻すからな?」
「そ、それだけは勘弁を……」
「じゃあ静かに聞いとけ、いいな?」
「はい!」
「よし、着席!」
「はい!」
兵隊さんかな?
まるで号令をする指揮官とそれに従う部下のようなシーンの後、リーシェ先生は何事も無かったかのように次の話を始めた。
「早速だが今日から模擬試合を始める。各自、準備は怠るな。それとエデン、この後少し話があるからホームルームが終わったら私の所に来な」
「え? あっ、はい!」
「よし、じゃあこれで朝のホームルームは終わり、解散!」
最後の合図でみんなの緊張は解け、一斉にそれぞれの話題を友人同士語り合いだした。
騒音にも聞こえる声を耳にしながら、私は言われた通りにリーシェ先生の下まで移動する。
教卓の前で資料を整理しながら私を待っていた先生は、近くに来たことを確認すると資料から目を離して会話を切り出した。
「悪いな、手間をかけて」
「いえ。それで話っていうのは?」
「キリシェのこと、気になってるんじゃないのか?」
「まぁ……当事者ですし。もしかして何かわかったんですか?」
私が尋ねると、リーシェ先生はいつになく険しい顔を浮かべてこう答える。
「まっ、簡単に言うとだな……あいつは悪魔と取引をしていた。禁忌とされる悪魔取り引きに手を染めたキリシェは退学処分になった」
「悪魔と取引……」
これまた本で得た知識ではあるけど、この世界には悪魔族と天使族がどこかにいると言い伝えられている。
天使族は人間との関わりを一切持たないとされ、逆に悪魔族は人と能動的に繋がろうとするらしい。
悪魔と取引をするには幾つかの手順と代償が必要で、それを満たせば悪魔から直接力を与えられる。
その力は魔法とは別物。しかし代償を払うだけあって、とてつもなく強い力を与えられるというのを、本で読んだ。
私も一歩間違えたら禁忌であるこの取り引きに手を染めていたかもしれない。そう思うと、如何せん他人事とは思えなくなった。
「となるとまぁ、お前の『ナイト』もまた新たに決めなくちゃならない」
「そうだった……でももう手が空いてる人はいないんじゃ……?」
「それがな? 妙にタイミングよくこのクラスのの女子生徒一人が自主退学を申し出たことで、空きが生まれたんだ」
「疑っちゃうほどタイミングいいですね」
「だがこのままお前をバツイチにする訳にもいかんしな」
「離婚してなければ結婚もしてないんですけど?」
結婚する予定も恐らくないだろうけど。
「おほん」
わざとらしく咳払いをしたリーシェ先生は、私の背後に視線を向けて誰かに手招きをした。
背後から近づいてくる足音が聞こえる。それと同時に聞き慣れた声で誰かが言葉を放つ。
「エデン、僕だよ!」
振り向いた先には満面の笑みを浮かべるアレンがいた。
「は?」
思わず呆然とする私に、アレンは少し照れ臭そうな様子でこう言う。
「実は前々からナイト役を変えてもらうよう交渉はしてたんだけど……僕のお相手が退学しちゃったから、晴れて君のナイトになったんだ!」
すっごく嬉しそう。犬みたい。
心なしか仮想の尻尾がぶんぶんと空気を揺らしているのが見える。
何だか無性に可愛く思えてきた。
「犬?」
「え?」
「犬だね」
「い、犬? 犬ってどゆこと? 僕が犬?」
頷きそうになって私は首を止めた。
何を言ってるんだ私は。とうとうおかしくなったのだろうか、目の前の『人間』が『犬』に見えてしまうくらい疲れているんだろうか。
今日の放課後の自主練は休みにしようかな……。
「な、なんでもないよ。とにかくよろしくね! うん、よろしくよろしくぅ!」
と、強引に話を進めることでその場を凌いだ。
未だに困惑を隠せないアレンも私の強引な手段に押され、渋々納得しながらリーシェ先生に話を振る。
「今日から実践訓練は二人でやってもいいんですよね?」
「もちろんだ。とはいえハンデも生まれてしまったことは謝らないとな。私の目が届かなかったせいでエデンには辛い思いをさせてしまっま、すまない」
「い、いやいや、頭を下げなさいでください! 生徒一人一人の事情の全てを把握するのは難しいでしょうし、仕方ないですよ。私も先生のことを責めようとは思っていませんから!」
悪いのは誰かと決めるなら完全にキリシェだ。これはキリシェが招いた事態。
立場的に防げなかった責任はあるだろうけど、一個人として私はリーシェ先生のせいだとは思っていない。
悪いことをしてない人に謝られるのは慣れてないし、できればそんなことして欲しくない。
それに――。
「それに、寧ろ感謝してるくらいです」
「感謝?」
「だって先生が宝石魔法を教えてくれなかったら、私は今頃自分を守ることすらできずに大怪我を……最悪命を落としていた可能性だってあるんですから!」
リーシェ先生はしばらく口を開けたまま私を見つめた。その眼は私の言葉が真実か否かを見極めているみたいで、鋭く真っ直ぐだった。
そして、先生は安堵したように笑みを零して言う。
「そうか、それはらよかった」
「はい。これからも沢山教えを乞うつもりですから、覚悟してくださいね」
「あっははは、言うじゃないか! よぉし、次魔法を教えるときは今まで以上にスパルタでいくとしよう!」
「えっっ」
しまった、おだてすぎた。
なるようにしかならない? そうだよね、もう後戻りできないよね……。
だってリーシェ先生、凄くやる気に満ち溢れてるもん。もう何を言っても耳に届かないくらい、まるでやる気というオーラが鼓膜を塞いでる。
「じゃあ僕は横で筋トレしてます!」
「私の横でやる意味ある!?」
「めっちゃやる気出る!」
「どうして!?」
私の問いにアレンは意味深な表情だけを返した。
なんで答えないんだ、この犬!
挙句チャイムが鳴り、授業開始までもう少しという所で仕方なく着席するしかなくなった。
繁忙期のため、次の話は少し先になります。