表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プリンセス・ア・ナイト  作者: 寒咲 薙
序章【宝石と剣の舞】
4/8

とあるメイドと主・前編

 一日の授業が終わり、すっかり夕方になってしまった。

 帰りのホームルームでは明日の予定と細かな伝達事項がリーシャ先生の口から伝えられた。

 特に重要そうな話もなく、みんなそそくさと帰っていく。友人と談笑しながら帰る生徒、カップルと思わしき男女の二人組、それぞれが帰路につく中で私は訓練場に足を運んだ。

 誰も居ない静かな訓練場は、一人で使うにはあまりにも広すぎる。

 授業が無ければ基本的に誰でもいつでも使っていいらしく、一応リーシャ先生に一言言ってここに来た。

 何をするかというと、もちろん宝石魔法の練習だ。

 授業時間は短い。たったの一時間弱では上達までの道のりは自ずと長くなる。

 少しでも成長していくためには一分一秒も無駄にはできない。

 授業の合間にある休憩時間に複数の詠唱の暗記をしたから、残りは実践だ。

 攻撃魔法だけではなく防御魔法や、小さい傷限定ではあるけど治癒魔法もあった。

 普通の魔法と遜色ないほどの種類の魔法がリーシャ先生から渡された本には記されていて、よりリーシャ先生に対する尊敬の念が強まった。

 もしかしたら私の追いかける理想の人物はリーシャ先生なのかもしれない。

 訓練場の真ん中に立った私は、雑念を一度捨てて予め用意した宝石に意識を集め始める。

 握っても、宝石はただの宝石。魔力を込められているとはいえ、私自身が扱えなければ見た目は綺麗な石に過ぎないのだ。

 この宝石で魔法を出すには、正確な魔力コントロールが求められる。

 右手で握り締めた宝石を前に突き出す。狙いは遠くにある壁にしてから、深呼吸を繰り返した。

 そして――

「【我、命ず。一切を灰燼に帰せ――エンシェント・ヘルベルム】!!」

 宝石魔法の中でも最上級の炎系攻撃魔法の詠唱を唱えた。

 瞬間手に宝石が熱くなり、赤く光り出す。炎を彷彿とさせる赤い光が瞬く間に広がる。

「きた!」

 そう確信したが、しかし。

「――っ!?」

 熱くなっていた宝石は更に高熱に。幼い頃、興味本位で触れようとした火によって火傷したことがあるが、その時の火と同じくらい熱く、熱く、更に熱く。

 そして次の瞬間、宝石は爆発した。

「うあぁっ!!」

 手元で爆発した宝石は激しく砕け、私の手も勢いよく明後日の方向に弾かれる。

 爆発音と衝撃が先にやってきて、そこから遅れて手元から痛みが走った。細胞が破壊される痛みがやがて腕全体に広がり、驚きと焦りを抱えながら自分の右腕を見る。

「ま、不味いかも……」

 激しい痛みの割に手の損害はそこまででもなかった。せいぜい数日、包帯を巻かなければならない程度で弾け飛んだり指が消えたりはしていない。

 問題なのは私の体ではなかった。

「私の制服が……」

 右腕を覆い隠していた袖が全て、焼かれたように消え去っていたのだ。

 辛うじて肩の部分は残っているが、無くなった部分との境目は黒くなっている。

 最悪だ。

 この制服、実はあと三着くらい持っているのだけど、全部成長を見込んでサイズを大きめにして購入したものなのだ。

 今着ている制服は丈を現状の体格に合わせたものなんだけど……丈を合わせるのを自分でやるとかなり時間が掛かるというか。

 裁縫とかあまり得意ではない私にとっては二度とやりたくない作業。

 一応一人、屋敷にはメイドが居てその人に頼むこともできる。だけどどうせ、メイドも私の事を嫌っているんだろうなと思うと頼むに頼めない。

 嫌な顔をされるのを知ってわざわざ頼みにいくような人間ではないのだ、私は。

「はぁ……嫌だ……手にまた傷がつくよ……」

 丈を合わせた時のことを思い出し、指先からありもしない傷の痛みが走った。

 指先にいくつも出来た傷、それらを思い出すだけで体が反応してしまう。

 下を向いてはいけないと空を仰ぎ見ると、ふっかり群青色に染まっていた。夕方もそろそろ終わり、夜がやってくる時間だ。

 帰らなければいけない。

 門限までまだ余裕はあるけど、制服もボロボロになってしまったしそろそろ帰ろう。

「って、あれ?」

 訓練場の出口に向けて踵を返すと、扉の横で佇むアレンの姿が見えた。

 私が気づいたことにアレンも気づくと、彼は嬉しそうに笑みを浮かべて手を振る。

 私も笑みを浮かべて振り返した。

「ここで何してるの?」

 近づいてそう問い掛けると、アレンはこう答える。

「一緒に帰らないかって誘おうと思って君を探した末にここに来たんだけど、魔法の練習中みたいだっから待ってたんだ」

「全然気づかなかったよ……」

「それほど集中してた証拠だね」

 詠唱、そして魔力のコントロールには集中力がかなり求められるから、練習中は自分以外の事に気を向けられない。

 きっと背後から忍び寄られても気づかないだろう。

「でもあまり無防備になるのは良くないよ」

「無防備?」

 諭すように言うアレンに、私は首を傾げた。

 アレンは少し厳しめな口調と真剣な眼差しで話す。

「仮にも君は王女なんだ、護衛の一人くらいつけないと危ないよ。キリシェのように君を襲う人間がまだどこに潜んでいるかもしれない」

「王女……」

 今まで王女として扱われたことはなかった。そのせいで自分の立場を半分忘れてしまっていたけど、王族とは常に危険を孕んでいる立場の人間なのだ。

 アレンに言われて気付いた……というより、思い出した。彼の言っていることは正しかった。 

 真っ当な意見だし、王族として忘れてはならない常識だ。

 しかし、その常識も私には当てはまらない。

 前述した通り、私は王族として扱われたことがない。つまり王族に与えられる権利も、それなりの待遇も、必要最低限しか与えられていないのだ。

 メイドは一人。屋敷は郊外に。

 護衛なんて、私には居ない。

 キリシェのように私に危害を加える人間に遭遇した時は、私は私自身の力で自分を守る必要がある。

 それができなければ死ぬだけだ。

「私には必要ないよ。自分の身は自分で守れるし、それにあなたもわかるでしょ? 私は真っ当な王女じゃないってことくらい」

「わかるよ。君が周囲からどんな扱いを受けてきたのか、目を背けていても耳から情報は入ってくる」

「うん……私はこの容姿と体質でみんなから嫌われてる。命を狙われるほど嫌われるなんて、自分でも正直意味がわからないけど……現実はそうなんだから、受け入れて自分で対処しなくちゃいけない。私は私自身を自分の力で守るよ」

 受け入れるとは言っても、まだ完全に受け入れた訳ではない。

 それでも何かをしなくちゃいけない。今の自分の境遇に満足していないなら、自分の力で変えなければならない。

 立場によって理不尽なことをされるのであれば、その理不尽すらもねじ伏せられるような力を身につけ、証明しなければならない。

 弱い自分を見せたらそこが付け入る隙となってしまう。弱い自分を見せたら、自分すらもその弱さを正当化し、現状に満足しようとしてしまう。

 故に私は弱さを見せない。

 常に強く在り続けなければならないのだ。

「じゃあ私は帰るね。今日は寄る所があるから一緒には帰れない、ごめんね」 

 アレンにそう言った私は、手を振りながら足を進める。

 彼が何を言うか考えている内に立ち去ることで、これ以上の会話を受け付けない姿勢を見せた。

 私の気持ちを汲み取ったであろうアレンは、開きかけた口を閉じて微笑みながら手を振った。

 寄るところ、なんてのは当然嘘でほんの少しの罪悪感が芽生えたのがわかった。

 



 

 夜のメインストリートを一人歩く私は、周囲から向けられる冷たい視線を浴びながらも前を見て帰り道をただ進む。

 郊外に建てられた私の屋敷は学校からかなり離れていて、登下校だけで一日分の体力を使い切ってしまいそうだった。

 そのせいか、お腹が食べ物を求めるように鳴き始める。

「お腹空いた……はぁ」

 胃袋を労わるように腹を摩って、料理を想像する。するとたちまちお腹はうるさく鳴り出した。 

「うっ、やめよ……」

 想像しただけで空腹の苦痛が増していくと気付いた私である。

 歩いているだけで多種多様な飲食店の看板が目に入る。心做しか香ばしい香りも複数の場所から漂ってきて、まるで私に対する拷問のようだった。

 いや、これはもう拷問と言っても差し支えない。

 手持ちのお金は十分にあるが、屋敷に帰ればメイドが作ってくれた料理が待っている。寄り道はできないということだ。

 耐えられるかな……。

 そう不安に思うと空腹感はより一層増し、お腹の鳴き声も段々とうるさくなっていった。

 街中をグーグーとお腹を鳴らしながら歩く王族……客観的に見て少しおかしいかも。

 しかし心配する人はどこにもいない。それどころか私を見る目は冷たい。或いは完全に私という存在を認識しないように見向きもしないか。

 どれも同じだ。

 私にとってはどれもこれもが敵意に過ぎない。この国で、この街で、私は並々ならぬ疎外感に苛まれては孤独に押し潰されそうになる。

 けれど今日出会ったアレンやリーシャ先生の顔が頭に浮かんで、もう孤独だと思うことはなくなりそうだった。

 隣に誰かがいる訳でもないのに、一人ではないのだと思える事が私にとっては不思議な感覚だ。

 見えない、触れられない、けれど脳裏には浮かんでぽっかり空いた心のスペースを埋めてくれる。

 そんな存在が、私にとっては初めてだった。

 しかしお腹は依然として鳴っている。

 どうやら空腹だけは満たされないらしく、この世界で一番厄介な敵は空腹なのではと思い知らされる。

 できるだけエネルギーを消費しないように無駄な動きを割いて歩き、屋敷まで効率重視で向かった。

 私の住む屋敷は王都のとある教会堂を解体し建てられた経緯がある。もう誰も訪れない教会堂が丁度よさげな立地にあり、父は私を自分の傍から離す為だけにそこに屋敷を建てた。

 親と隔絶させられて育った私は一人のメイドの力があって今があるとも言える。

 ただでさえ厄介な存在である私の面倒を見るという、迷惑極まりない役目を与えられたあのメイドは私の事を恨んでいるだろう。

 特にこれといって悪い事をしていないのに嫌ってくる街の人より何倍もマシだ。

 理由があって、その理由が私も納得できるものなのだから、どんな憎まれ口を言われたって受け入れられる。

 屋敷に帰って、ある日突然メイドが私を罵倒し始めたときの為に心の準備だけは常にしていた。

 そして、空腹に耐えながら辿り着いた屋敷の門に手を掛けながら、私は深呼吸する。

 細かく手入れのされていない門は金属特有の不快な音を鳴らしながら、私のゆく道を空けてくれた。

 重い足取りで本邸へと向かう。

 本邸の大きな玄関が見えてきた。幼少期は一人では開けられなかった重い扉の前に、一人のメイド服姿の女性が立っているのも見える。

 私を見るなりその女性は微笑んだ。

「お帰りなさいませ、エデン様」

 慣れた口調でそう言ったのは、私の専属メイドの『エリアス』。

 月明かりに照らされる銀髪、夜中になると深海の底を映し出しているような青い瞳が私を見据えている。

 細いくびれを更に強調している大きな胸と丁度いいサイズのバストは、まるで人体の黄金比を究極なまでに極めたようなバランスで彼女の体のシルエットを形作っている。

 見れば見るほど圧巻のナイスボディに、私は尊敬の念を抱いていた。

「お出迎えありがとう、エリアス」

 私が返事すると、エリアスは扉を開ける。先に私を中に入れてから、エリアスは足音を立てずに中に来た。

 私は制服のブレザーを背後からそっとエリアスに脱がせてもらい、踵を返して彼女に顔を向ける。

「先にご飯でもいいかな?」

「構いませんよ。本日は初登校祝いの意味も兼ねて、普段より少し贅沢に仕上げております」

「ありがとう。早速食べよう」

 私とエリアスはいつも食事をしている部屋に移動した。

 集中して料理を食べる為に余計な物は一切置いていない、質素な空間で椅子に座ってエリアスの準備が終わるまで待つ。

 過去に手伝おうとしたことがあるけど、絶対に何もしないようにと厳しめに言われてからは黙って待つことに専念するようになった。

 散々迷惑を掛けているところに更に余計な事をしてしまい、それで更に嫌われる事になってしまったら私の心がかなりのダメージを負う。

 それは避けようと思ったのだ。

 自ら嫌われにいく人間なんてそういない。特殊な性癖を持ってる人ならわかるけど、私はそんな性癖持ち合わせていない。

「お嬢様、こちらが今晩のお夕食でございます」 

 そう言ってエリアスが持ってきたのは、肉汁たっぷりのハンバーグステーキとコーンスープ、それから海老の揚げ物だった。

「わぁ美味しそー!」

 私の好物しかない。

 殆ど油っこいもので健康的な食とは程遠いこのメニューは、普段は話題にすら上がらない料理達だ。

 しかしお祝いな日には必ず、私の好物だけをエリアスは準備してくれる。

「いつもありがとう、エリアス」

「いえ、感謝されるような事でもありません」

 卓に料理を並べた後、エリアスお辞儀して一歩後ろに下がりながらそう一言添えた。

 感謝の気持ちを伝えると決まってこの文言が返ってくる。

 食べる前にしっかりと伝える事があるようだ。

「エリアスにとっては当たり前な事でも、私にとっては有難い事なんだから、素直に受け取って?」

「……」

 エリアスは目を瞑り、微動だにせず佇む。

 嫌っている私から感謝の気持ちを伝えられたところで、嬉しいどころか不愉快になるのかもしれないという不安が、一瞬にして浮かんできた。

 だとすれば、私が話し掛けること自体も彼女にとっては負担になるのかも。

「あっ、ごめん……」

 不安に駆られて思わず出た言葉がそれだった。

 話しかけてごめん、そういう意味の謝罪。

 エリアスは今まで閉じていた瞼を上げて、青い瞳をこちらに向けた。

 不思議に思っているような表情を浮かべると、エリアスはこう言った。

「どうして謝るのですか?」

「いやその、今のはしつこかったかなぁって」

「どうしてそう思われるのですか?」

「だ、だって、エリアスは……」

「私は?」

 ――私の事を嫌ってるから。

 自分でその言葉を口にしようとすると、突如して胸に激痛が走る。

 喉につっかえた言葉が行き場を失い、心臓を引き裂いているかのようだった。

 逸らさず真っ直ぐに見ていたエリアスの瞳から、私は目を逸らして卓に並べられた料理に視線を向ける。

 すると何を思ったのか、エリアスは私の傍まで近づいてきた。

 制服と一緒に支給されるメイド専用のヒールをコツコツと鳴らしながら、背後から横に来たエリアスは腰を落とす。

 思わず私は俯くが、エリアスは顔を覗き込んでくる。

「ご安心ください、エデン様」

「?」

 優しい声が、耳の近くで囁いた。

「執拗い、等とは今まで一度たりとも思った事はありません。先程はどう返事をすればいいか悩み、黙ってしまっただけです」

「そ、そうなの……?」

「そうなのです。返事もせず黙り込んでしまい、エデン様を不安にさせて申し訳ございませんでした」

 そう言うとエリアスは両膝を着いて、頭を下げた。

「あ、謝らなくていいって! 別に私怒ってないから!」

「いえ。少し前から推測していたことが確証に近づいたので、とにかく謝らせてください」

「え? 推測? なにそれ?」

「エデン様の心中では『もしかしたらエリアスに嫌われているかもしれない』という不安があるのではないかと推測していたのです」

 ふぇ?

 ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?

 なんでバレてるの?

 なんでバレてるの!?

「あっ! あっ! あっ!」

 内側で広がる驚愕の言葉とは裏腹に、口から出る言葉……というより鳴き声は単純かつ明快だった。

「もしかして嵌められた……? 嵌められた!?」

「嵌めてはおりません」

「嘘! じゃあどうしてわかるの? 私の本音、どうしてバレてるの!?」

「もう十年近く一緒にいるのですよ。小さい時からお世話している主人の心中を察せないほど、私は鈍感ではありません」

 そうだった……。

 むしろ他の誰よりも一緒にいる最早家族とも言える存在のエリアスが、私の表情や様子から私の心を読み取れないなんて有り得ない。

 エリアスは何でもできるメイド。完璧なメイドだ。そんな彼女にとって、今の私の心中を察するのなんて簡単。

 取り乱したり言葉に詰まったりした時点で、彼女の中では推測が確証に変わったのだろう。

 あれ……推測を立ててたってことはつまり……。

「も、もしかしてずっと私の事を見てたの……?」

「当たり前なことをお聞きになるのですね。その通りです、私はずっとあなた様を見ていますよ」

「じゃ、じゃあ、私のことは別に嫌いじゃないとかも有り得るの……?」

「有り得る有り得ないという話はそもそも論外かと。嫌いであればこの仕事、辞めております」

「え……えっ……えっっ……」

「もっと直接的に言うならば、私はエデン様のことを好いておりますよ。愛です、『愛』」

 最後の『愛』の部分だけ謎に力強かった。

 しかし今はそんなことにツッコンでいる余裕はない。何しろずっと嫌われていると思っていた相手から、実は好きでしたよ実は愛していましたよなんてことが明かされたのだから。

 冷静でいられるはずがなかった。

 取り乱して、あたふたして、自分でも今何をしているのかわからないけどとにかく変な動きをしているのだけはわかる。

「ですのでご安心を。巷で流れているエデン様に対する評価など宛にはしておりません」

「ほ、ほんと?」

「本当です」

 恐る恐る訊いた私に、エリアスは即答した。

 考える間もなく返ってきた言葉には信ぴょう性がある。信じるに値する言葉だと納得できる。

 私がずっと抱いていた不安や認識は間違いだった。

 確かに私は国民から嫌われているけれど、私のことを好きでいてくれる人は確かにいるのだと、今日出会った人達のおかげで気付けた。

 どうせみんな同じだと決め付けて被害妄想を広げていたのは、私の過ちだろう。

 私は体の向きをエリアスの方に直して、言う。

「……ごめんね、ずっと疑っちゃって……」

「いいえ、エデン様の置かれている状況では仕方のないことです。料理が冷める前に食べきって下されば、それだけで充分ですよ」

「わ、わかった! 今すぐに全部食べるから見てて!」

「落ち着いて食べてください」

「落ち着いてふぐたべふから!」

「ですから落ち着いて……はぁ」

 私は次から次へと食べ物を口に運んで、休む暇もなく目の前に置かれた料理を平らげた。

 皿にこびりついているソースも舐めてしまおうと顔を近づけると、

「はしたないのでここまでです」

 そう言いながらエリアスがそそくさと皿を回収していく。

 跡形もなく消え去った皿とは対照的に、部屋には料理の香ばしい香りが漂っていた。

 片付けが済んだらこの部屋は換気対象になり、私はお風呂などを済ませた後に寝室へと連れられる。

 いつも傍にいたメイドでも、自分の中では半ば敵のような存在だった。そのせいかエリアスが隣にいても、私自身はずっと孤独を感じていた。

 ベッドに横になりながら孤独に苛まれる時間は、どれほど長い時間を生きてもきっと辛いものだろう。

 孤独の辛さは蓄積されるものだ。

 しかし今日、私の考えは間違っていたと証明された。

 物理的面でも精神的面でも、もう私は孤独を感じない。

 暗がりの中、蝋燭だけが寝室を照らしている。月明かりが差し込む窓際で、私は夜空を眺めていた。

「もしかしたら、私はもっと人を見るべきなのかも……」

 そう想いつつも、明日の登校に遅れが生じる不安から早めにベッドに入り、目を瞑った。





 たとえば皆から嫌われている王女がいたとする。

 たとえば皆から憎まれている王女がいるとする。

 その理由があまりにも適当で、あまりにも理不尽で、あまりにも馬鹿げたものだったとしても、凡そその王女の結末は決まっているものだ。

『死』

 王族であれば少なからず命を狙われる。悪人だろうと善人だろうと、その人物を私怨によって殺そうとする人間は必ず現れる。

 エデンもまた同じだった。

 その命は常に狙われている。善人である彼女だが、その境遇故に彼女を殺そうとする人間は多い。

 ただ殺したくて殺す者、怖くて殺す者、殺さなければいけないという使命感から殺す者、或いは殺せと命じられて殺す者。

 理由は様々だが、兎にも角にも彼女は常に危険に晒されている。

 そんな彼女が今の今まで生きてこられたのは、そして登下校を無事に終えられたのは、一人のメイドの甲斐あってのことだった。

 初登校で心身共に疲弊した主が静かな夜に眠りに就く今夜も、その静寂を守らんが為にエリアスというメイドは主の寝室の扉前に立っている。

 そして、彼女は動き出す。

 寝室から離れた彼女は屋敷の玄関まで移動した。

 そして目を瞑り、息を殺す。

 夜は静か。王都の端にある屋敷は尚のこと静か。そんな静寂を破らぬよう、エリアスは足音立てずに跳躍した。

 そして、懐に隠しておいたナイフを即座に取り出すとそれを何もない天井の一部に向けて投げた。

「ぐあっ!!」

 何者かがその声と共に姿を現し、床に体を激突させた。

 エリアスは華麗に着地し、その声の主を見下ろす。

「くそ! なんでバレた!」

 肩にナイフが突き刺さったまま、声の主――筋肉質でスリムな茶髪の男性はそう言った。

 服装は黒で統一され、暗闇に馴染んでいる。生憎エリアスに発見された時点でその装いの効果は無駄になっているが。

 エリアスはもう一本、今度は制服のスカートを捲り太腿にベルトで固定していたナイフを取り出し、その男の足に投げ刺した。

「うあぁ!! くそがっ!」

「麻痺毒を仕込んでおります。凡そ一時間は身動きは取れないでしょう」

 エリアスが徐にそう告げると、男は辛うじて動く首を上げて彼女を睨む。

「護衛はいないはずじゃねぇのかよ……なんだってこんな奴が……!」

「私はエデン様の専属メイドでございます」

「メイドぉ? はは、そうかわかったぞ? お前、嫌々で護衛をやってんだろ?」

 何を言っているのかわからないという顔を浮かべたエリアスは、首を傾げて尋ねる。

「それはどういうことでしょうか?」

「わかるぜ! 王族ってのはその権力を振りかざしてふざけた仕事を押し付けてきやがる! お前はあんなガキのメイドなんかを無理やりやらされてウンザリだろ? 俺と協力すればその仕事から解放され――うっ!?」

 口達者に喋り続ける男の頬を掠めて、毒の仕込まれたナイフが床に突き刺さった。

 臆した男はナイフを一瞥したあと、ゆっくりと顔を上げる。その視線の先に、膝を曲げ可能な限り接近するエリアスの姿があった。

 エリアスは手袋越しに傷ついた男の頬に手を翳す。そしてもう片方の手の人差し指を立てて自分の口に近づけると、淡々とした口調でこう言った。

「しーっ、お静かに」

「うっっ……」

「エデン様が眠っております故、お静かに死んでくださると幸いです」

「へ?」

 天使のお告げのような言葉を訊いた男は困惑の表情を浮かべたが、状況は直ぐには理解できなかった。

 もはや理解する必要もなかった。

 ゆっくりと、殺気も込めずにゆっくりと、太腿に仕込んでいた最後のナイフを取り出し、エリアスは男の首に刺した。

「一滴で大人を百人殺せる猛毒です。お静かに死んでくださり、ありがとうございました」

 男は即死。

「暗殺が目的であるなら、隠れる手段に魔法を使ってはいけませんよ。魔力探知に引っかかってしまいますので」

 相手にその言葉は届かないが、言い残したことであるためエリアスは丁寧にそう言った。

 やるべき事を終わらせた彼女は死体となった男の腕を掴み、外に投げる。そして事前に外に出しておいたシャベルで穴を掘ると、そこに投げ捨てた。

 元通りになった地面は、その奥底で遺体が眠っていることすら感じさせないほど自然に溶け込む。 

 メイドは一息吐いて、屋敷の中へと戻っていった。


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ