あなたの為の騎士 後編
「――顕現せし城塞よ、その一端にて我が身を守れ――【ラウストロ・アーデ】!」
リーシェ先生は私の希望を叶えるため、顔を赤くしながら声高らかに詠唱を唱え、先程私を守ったバリアを展開した。
純粋な魔力によって形成されたバリアは、半透明でありながらもその存在を確実に認識できるほど強大な力を秘めている。
私やリーシェ先生を二人纏めて守れるほど大きく固い、まるで城を守る壁のようなバリアだ。
まじまじと見ようと近づくと、リーシェ先生はすぐに魔法を解いてバリアを消した。
観察のために近寄った私の肩を掴むと、こう言う。
「さて、これで気が済んだろ?」
よくも私に恥ずかしい思いをさせたな、という顔を向けられた。
これ以上からかうと本気で怒られそうだ。
正直まだ他にもあるなら見てみたかった気もするけど、ここは我慢。
満足したのは事実、私は心の充足感を笑みで表現しながら返事をする。
「はい、良いものを見させてもらいました。ありがとうございます」
「あっははは、そうかそうか! もう二度とやらないけどな!」
リーシェ先生の言葉から確固たる意志を感じた。
「そういえばお前に渡したあの本、今持ってるか?」
「本……? これのことですか?」
肌身離さず持っていた赤い本をリーシェ先生に見せると、彼女は不敵な笑みを浮かべながら近づき私が持っている本に触れた。
そして持ち上げ、自分の手元に収めると徐にページを開いて、口角をいやらしく上げる。
「これには私が開発した宝石魔法の詠唱文が記してある。いわば教科書だな」
「そんな大事ものを私に何も言わず投げて渡したんですか……」
「全て頭に入っているし、漏れたところで問題はない。普通の奴は宝石なんて使わない方が効率的だからな」
「なるほど」
その通りなんだけど、私なら絶対投げたりしないなぁ……。
しかしそれはそれとして、一つ気になることが浮かんできた。
私は突然浮かび上がった疑問を言葉にしてリーシェ先生に投げかける。
「リーシェ先生も魔力はあるんですよね? じゃあどうしてわざわざ宝石魔法なんてものを作ったんですか?」
「良い質問だ!」
凄く嬉しそう。
訊かれることを待ち侘びていたかのようにテンションを急に上げたリーシェ先生は、いきいきとした様子で語り始める。
「まず初めに、私は魔力を持ってはいるが魔法はちょー苦手だ! 使えんレベルでな!」
ドヤ顔で言うこと?
「そしてお前のような魔力を持たない人間をもう一人知っていて、そいつのためにも宝石魔法を開発したんだ!」
「私以外にも? それ、本当ですか?」
「あぁ、本当だ。まぁ、今はもう居ないけどな」
「あ……」
笑顔を浮かべながらも目尻は下がっている。リーシェ先生はハッキリとは言わなかったけど、私は私なりに解釈してこれ以上の追求を止めた。
「そのおかげで今私はチャンスを得たってことですね。絶対活かして見せます!」
ガッツポーズをしながら私が言うと、リーシェ先生の顔に悲しみの色が消え、代わりに屈託のない笑顔に変わる。
「おう、期待しているぞ!」
私とリーシェ先生はもう少し隅の方に寄って、早速二人で赤い本に記されている詠唱文に目を通す。
リーシェ先生も読む必要はあるのだろうか? 疑問に思いつつも文字を読み進めた。
どの文章も抽象的な物言いばかりで、読んだだけでは何を起こす魔法なのかはサッパリだ。
宝石を握りながら詠唱を唱えて、任意の場所に置くか投げるかで魔法をその位置で発動できるらしい。
「雷よ、岩をも貫く雷光を轟かせよ――【ライトニングスレイグ】――。これは雷系統の魔法ですよね?」
一番初めに出てきたものを抜粋して私は尋ねた。
「そうだな。試しにやってみるか」
「お願いします」
リーシェ先生はポケットから宝石を一つ取り出し、それを握る。
そして口を開いた。
「雷よ、岩をも貫く雷光を轟かせよ――【ライトニングスレイグ】!」
魔法名を唱えると同時に訓練場の壁に向けて投げつけられた宝石は、途端に雷を纏いだして速度を急加速した。
小さな落雷が壁に向かって突き進むように綺麗な一直線を描く宝石は、そのままの速度を維持したまま壁に衝突。
瞬間、頑丈に建てられているはずの訓練場の壁の一部分がたちまち砕け、宝石は壁の奥へと消えていった。
目に送られてくる情報と、耳に入ってきた轟音がその威力の高さを容易に連想させる。
人に向けて放てば簡単にその躯体を貫けるだろう。
「この【ライトニングスレイグ】は詠唱も簡単だし、複雑な魔法でもない。だが威力は見ての通りだ。んまぁ、さっきの【ウィンドネス】と同じくらいだろうなぁ」
空いた口が塞がらなかった。
いざ完璧な宝石魔法を目にして、リーシェ先生の凄さを改めて再認識せざるおえない。
宝石を触媒にすること、独自に詠唱を作り出したこと、そしてそれを一般の魔法と遜色ないレベルにしたこと、どれをとってもリーシェ先生は偉人と呼べる人であるに間違いないと思う。
ただ単に魔法が扱えない私が見るからこその評価なのかもしれないけど、少なくとも私にとって先生は尊敬できる人だ。
「リーシェ先生、凄いです」
拍手喝采。私一人しか居ないけど。
「まぁな。ほれ、お前もやってみろ」
「おっっと」
投げられた一つの宝石を私はギリギリで受け止める。両手に収まった宝石は独特の煌めきを見せている。
やってみろと言われていざやろうとすると緊張するものだ。実際に私ができるかどうかも不明だし、できなかった時はただ落ち込むだけになる。
上がった期待値が急降下したら、私も暫く寝込むくらい落ち込むかもしれない。
でも、そんなこと言ってられないんだ。
私が変わらなきゃ周りは変わらない。環境を変えるために挑戦していくしかないのだから。
「ふぅ……」
高鳴る鼓動を静かに感じる。
とある書物に『緊張、迷い、怯えは敵ではない』と書かれていたのを思い出した。
そうだ、緊張は敵じゃない。
緊張は味方、緊張は味方、緊張は味方……駄目だ。
意識すると逆に緊張が強まる。
駄目駄目、考えるな私!
雑念を消し飛ばすために首を大きく横に振る。もう一度深呼吸して、意を決した。
「雷よ、岩をも貫く雷光を轟かせよ――【ライトニングスレイグ――】!!」
唱えた瞬間、途端に宝石から熱を感じそれが合図だと瞬時に理解した私は、先程のリーシェ先生を真似して壁に向かって宝石を全力投球した。
激しい雷を纏った宝石は一直線に壁に向かって進み、そして到達。ここで壁は砕け、宝石は突き進むと思った。
しかしそうはならなかった。
壁に到達した宝石から突如として雷光は消え去り、静かに地面に落ちる。
「し、失敗……?」
「成功だ」
呟いた私に、リーシェ先生が間髪入れずにそう言った。
宝石を投げてから地面に落ちるまで無意識に息を止めていた私は、そこでやっと呼吸を思い出す。
体が求めていた酸素を肩で息をしながら取り入れつつ、リーシェ先生に顔を向けた。
すると小さくて柔らかい手が、私の頭に触れる。
リーシェ先生が、私の頭を撫でていた。
「上出来だ。初めてで、しかも魔力すら感じたことのないお前が、威力は弱くても無事に宝石魔法を発動したのは凄いことだぞ。誇っていい」
「そ、そうなんですね、へへへ……」
初めて撫でられて、思わず照れてしまった。
けど優しくて暖かい。
それから私は何度も同じ宝石魔法を練習した。何度も何度も同じ詠唱を唱え、何度も同じ方向に宝石を投げた。
もう本を読まなくてもこの魔法の詠唱は唱えられる。あとは精度だ、目標に到達してもすぐに魔法が切れてただの宝石となるなんてことが何度も続いた。
今まで感じたことのない魔力の流れを上手く操るにはそれなりの修練が必要らしく、これは宝石魔法に限らずどんな人も通る過程なのだとか。
とは言っても、正直魔力の流れとかイマイチぴんと来ていない。
宝石を触媒にしているせいかもしれない……少し熱を感じる程度で、本当にそれ以外は何も感じ取れないのだ。
「はぁ……はぁ、ぁぁ……」
練習を繰り返す度に気力と体力の両方がすり減っていく。集中力が途切れ途切れになってきた頃合で、リーシェ先生が言う。
「そろそろ授業も終わるから、今日はここまでにするぞ」
「は、はい……」
その後リーシェ先生はみんなが居る場所に戻って、授業の終わりを告げた。
同時に鐘も鳴って、一斉に生徒たちが出口へと向かう。
次の授業が何なのかとかは今は考える余裕がない。
先にみんなが出ていくのを静かに待っていると、聞いたことのある声が聞こえてきた。
「エデン、お疲れ様」
背後から聞こえた声に向かって踵を返すと、アレンが居た。彼は私に向かって手を振りながら、笑顔で語りかける。
「次は歴史の授業だってさ」
「そうなんだ。アレンもお疲れ様」
私も笑顔でそう答えた。
自然と横並びになって歩き出し、私たちは教室への帰路につく。足取りはゆっくりで、流れている時間も自ずと緩慢になっているような気がした。
「はぁ、さっきの授業は苦痛だったなぁ……」
「苦痛? そんなに嫌だった?」
愚痴をこぼすアレンは苦笑いを浮かべる。
「はは、実はね……ナイトになるんだから、魔法なんて要らないだろ!って思ってたんだけど……そういう訳にもいかないみたいだから、自分なりに試行錯誤はしてるんだけどね……上手くいかないや」
本番を迎えたとき、プリンセスばかりに負担をかけないようナイトも少しくらいは魔法を扱えるようにならなければならない、という意味でナイトとなった男子生徒も魔法の授業に参加しているらしい。
これについては私も知っていた。
でも、魔力を扱えるからといって自在に魔法を扱える訳ではない、というのは知らなかったことだ。
よく考えてみれば何もおかしなことではない。
どんなことでも人には向き不向きがある、ただそれだけの話なのだから。
だからこそ。
「自分を信じて最後までやり抜く、それが一番大切なことだと思う。苦手なことでも頑張れる人はカッコイイと思うよ」
私も一緒だ。
魔法なんて知識を蓄えてるだけ、魔力なんて感じたことのない私はいま魔力の流れを掴むために何度も同じことを繰り返し練習している。
きっとできる、できるようになってみせる、その一心で諦めずに努力している。
それができる人は男女問わず格好良い。
「そ、そうかな? 僕カッコイイかな? あははは、やばい調子に乗っちゃいそうだよ!」
「それはダメ」
冷静に的確にツッコミをいれる。
「冗談冗談。でもエデンの言葉のおかげでこれからもめげずに頑張っていけそうだ、ありがとう」
「気にしないで」
こういうたわいもない会話も、今まで経験したことはない。同年代の人もそうじゃない人も、誰彼構わず私から距離を取る。
家族に至っては別荘を用意するくらい、私を毛嫌いした。メイドはいるけど、相手に申し訳ないから私自ら少し距離を取るようにしている。
余計なお願いはしない、ただやるべき事をやってくれるだけで十分というスタンスを常に見せているし、相手もそれを理解してくれているはずだ。
もしかしたらだけど、今までまともに話すらしてこなかった屋敷のメイドも、話してみたらアレンやリーシェ先生のように私を受け入れてくれるかもしれない。
二人と知り合ったおかげで、この世界が少しだけ美しくなった気がした。
「エデン? ボーッとしてどうしたの?」
考えに耽っていると心配そうな顔でアレンが尋ねてきた。
今、ようやく自分の顔が固まっているのに気づいた私は、すぐさま表情筋を動かして口を開ける。
「ううん、何でもない。少し考え事してたの」
「そっか、何でもないなら安心だ」
横で安堵するアレンに視線を移した私は、横目に映る人影に気づく。
何やら急いでいる様子で小走りで近づいてくる人影は、直視していないせいでその正体がわからない。
誰かが来るとわかった私は、足を止めて人影の方に目線を移した。
キリシェだ。
人目見ただけで誰かわかってしまうほど特徴的なつり目は、まるで見るもの全てを睨んでいるように誤解してしまうほど鋭い。
「おい第四王女様、調子はどうだよ?」
自分の存在に私が気づいたことを知ったキリシェは、少し離れ位置で立ち止まってそう言った。
アレンも既にキリシェの存在に気づき、私と同じ方向を向いている。
「まぁまぁだよ。あなたは? 剣の鍛錬はしたの?」
「したさ、ほら見ろよ」
そう言ってキリシェは汚れた鞘に収まった剣を見せてきた。
以前私が指摘したことを根に持っているのだろうか、あからさまに人為的汚れだとわかるものを見せられても困るのだけど……。
「それって泥だよね。手で着けたってわかるような手形もあるよ」
「はっ、当然だろ? 一日そこらで自然に汚れるわけねぇ!」
「その通りだよ。私が指摘したのは一つの指標であって、それが全てじゃないもの。あなたの場合、実際に剣を振ってる所を見るのがいいかもしれないね」
キリシェ以外の人もそう、剣術以外もそう、頑張ってる印は見た目でわかってもその成果は実際にやってみなくちゃわからない。
一日で変われる部分なんてたかが知れてるけど、それ故に実際の動きを見ることでその成果を出せると私は思う。
だからこんな言った言葉なんだけど、何か嫌な予感がする。キリシェの表情が一気に悪意に満ちた笑みに変わった。
「じゃあ試してみるか? そうだ、こうすりゃいいんだ!」
鞘を投げ剣を抜いたキリシェは、私目掛けて全速力で突進してきた。
狙いは誰か、目的は何か、そんなの考えなくてもわかるくらい明確な悪意を以て迫るキリシェに対応する術はただ一つしかない。
それは逃げること。
恥だけど、本気で死にそうって時に恥を気にしてる暇なんてないのだ。
私はアレンの腕を掴んで、言う。
「逃げようアレン、相手にするひつ――」
「――逃げる必要なんてない」
私の言葉を遮って、アレンが強くそう言った。
「え?」
腕を掴んでいた私の手をアレンは軽く解き、逆に私の手を握る。
そして空いているもう片方の手で腰に携えていた剣を抜いてから、続けてこう言った。
「あんな奴から逃げる必要なんてない」
「どけっ!」
「退かない」
キリシェは止まらない。しかしアレンも一歩も引く様子はなかった。
構えることもせずキリシェの剣が届くまで待つアレンは、直前に私を見てこう言った。
「君のナイトに相応しいのは彼じゃない」
そして次の瞬間、キリシェの剣はアレンの前で振り下ろされる。狙いは私だが、確実にアレンに刃が届くのが目に見えた。
私のせいで誰かが傷つくかもしれない、その恐怖が一気に込み上げてきた私は思わず瞼を閉じて現実逃避をしてしまった。
耳に届く金属と金属のぶつかり合う音だけが、周囲の状況を教えてくれる。
しかしその音だけではアレンが無事かどうか判断が付かず、私は重い瞼を上げて目の前の光景を見た。
「くっ……くそっ!」
悔しそうに歯を食いしばるキリシェと、涼しい顔で彼の剣を自分の持つ剣で受け止めたアレンの姿が目に入る。
「その程度かい? やっぱりまだまだ鍛錬が必要なんじゃない?」
「鍛錬だァ? んなもん必要ねぇ!」
「目の前の光景を見てもまだそんなことが言えるなんて、余程自分の才を信じているのかな?」
「天才だからな!!」
叫び声を上げたキリシェは、油断しきったアレンの隙を狙って一気に力を入れて相手の剣を押し退けようと奮起する。
キリシェの腕には筋肉の筋が浮かび上がっていた。少し、ほんの少しだが、アレンの立ち位置が後方へと下がるのが見えた。
自分の才を信じているその慢心ぷりはどうかと思うが、確かに人並み以上の力があるらしい。
しかし、依然としてアレンの表情に焦りは見られない。至って冷静、むしろ笑すら見せている。
「力はあるらしい。けどそれじゃダメだよ」
そう諭し、キリシェの剣を軽々と弾き返す。
次にそのまま一歩踏み込むと剣を両手で振り上げて、キリシェが反動で後ろに下がった所を狙い彼の剣を弾き飛ばした。
ここで終わるかと思いきやそうはならず、更に前に詰めてキリシェに斬りかかる。
さすがに相手に傷を負わせるようなことはしないと思い込んでいた私は、その瞬間思わず戸惑ってしまった。
しかしその戸惑いも不安も、全ては杞憂に終わる。
アレンが斬ったのはキリシェの体ではなく、その身を包む衣服だった。
薄皮一枚すらも傷つけずに、キリシェの上着だけを縦に斬ったアレンは、静かに剣を鞘に戻す。
「は……うっ……」
剣は弾かれ、服は破かれ、闘志を完全に無くしたキリシェはその場で両膝を着いた。
服が破れて一部顕になっている彼の腹筋は、お世辞にも鍛えているとは言えないようなものだ。
「改めて言うけど、君はエデンのナイトには相応しくない。この程度で慢心に溺れるようじゃ、まだまだだよ」
「ふざけるな……俺は……俺には才能があるはずなんだ、こんなのはおかしな夢だ」
小声で呟くキリシェの額から汗が沢山滲み出る。まるで何かに怯えているように体を震わせながら、自分を落ち着かせるように「これは夢だ」と何度も何度も小さく繰り返した。
アレンはキリシェを見下ろしながら、言う。
「やっぱり君じゃダメだ。君はエデンを傷つけようとした、守るべき姫に危害を加えようとした。ってことで、後でちゃんとリーシェ先生に報告しとくっ」
最後にアレンは無邪気に笑って言い残し、振り返って私の方に歩み寄ってきた。
その背後でキリシェがアレンを睨みつけているのが見える。
「だ、大丈夫……?」
「どうってことないよ、大丈夫!」
私が訊くと、アレンは陽気にそう答えた。
私の言う大丈夫はこれからのアレンの立場や生活を心配する意味合いだったのだが、もしかしたら上手く伝わっていないのかもしれない。
「彼のこと、放っておいて大丈夫なのかな……」
「一応リーシェ先生に報告はするから、対応は先生に任せよう。その方が色んな面で確実だよ」
「確かに……」
その通りだと納得した私はアレンが向く方向へと踵を返す。
背後からいきなり襲われたりしないだろうかと不安に駆られ、歩きながら後ろを見てキリシェの動向を確認する。
すると私の腰にアレンの手が触れ、力強く彼の方へと引き寄せられた。
驚きつつもアレンを見ると、彼も私を見ていて微笑みながらこう言う。
「大丈夫、何があっても僕が守るから」
「う、うん……」
正直、どうしてアレンが私を守ることにここまで真剣なのか、理解できなかった。
過去に何かあったのかもしれないけど、だとしたら私は覚えていないし。
思い出してみたいとは思う。
こんな優しい人に守って貰えるようになった経緯を、私は思い出したい。
「ねぇアレン、気になったことを聞いてもいい?」
「なにかな?」
「昔、どこかで会ったこととか……ある?」
そう訊いた瞬間、アレンは少し戸惑いを見せた。
「なんでそんなことを訊くの?」
「こんなこと言うと自意識過剰と思われるかもしれないけど……なんだかアレンって、私のことを特別視してるような気がしたから」
私たちの歩みは自然とゆっくりになった。
元々緩やかだった進みは更に遅くなり、時間だけが私たちを急かすように過ぎていく。
しばらくの間沈黙が続いた。
アレンは私の問いにどう答えるべきかを悩んでいるみたいで、その顔には迷いが浮かび上がっている。
私はこれ以上は何も言わず、ただ待つことにした。
相手の立場になって考えると、こういう時って待っていて欲しいと思うからだ。
何せ重要なことであればあるほど、話すべき言葉を取捨選択し、紡ぎ、そして音に乗せて相手に伝える工程をできるだけ丁寧にするために時間を使うから。
やがて教室まであと少しと言うところで、やっとアレンが口を開いた。
「昔、僕は君に救われたんだ。その時僕は君だけの――」
そこで止めると、アレンは私の前に移動して真剣な眼差しを向ける。
その真剣さに私も思わず肩に力が入った。
真正面から見下ろされる構図がより一層緊張感を強めていた。
きっと私の表情が固くなっていたのだろう、アレンは優しく笑って穏やかな口調でこう言った。
「――『あなたのために騎士になる』。そう誓ったんだ」
「私の、ための……?」
「そう、君だけの! でも詳しい事情は話せないかな」
「話せない理由は聞いてもいい?」
「あはは、恥ずかしいから!」
少年のような無邪気な照れ笑いをアレンは見せる。
その仕草にどこか懐かしさを感じつつも、やはり記憶の中に彼の姿は見つからなかった。
けど懐かしさを覚えている以上、どこかで会ったことがある可能性があるというのは確かだ。
これだけ私に肩入れしているのだし、本当に私が忘れてしまっているのだろう。
何だか申し訳ない気持ちになってきて、急にアレンの顔を見れなくなってしまう。彼にとって大切なことのはずなのに、当の私はすっかり忘れている。
記憶力はかなりいい方だと自負していたけど、もしかしたら勘違いなのかもしれない。
「ごめん、アレン。私本当に覚えてないみたい……」
「気にしないで。これは僕個人の問題で、エデンが覚えていようがいなかろうが関係ないから」
「そうは言っても」
「いいのいいの。いつか思い出してくれるよう、僕が頑張ればいいんだから」
アレンは笑ってそう言った。
軽快な口調が逆に私の心を抉る。
しかしこれ以上気を使えば、かえってアレンに失礼な気がしてこれ以上はこの話題を広げないように口を噤んだ。
「わかった。思い出した時は、ちゃんと言う」
「うん、そうしてくれると助かるよ」
道中は新しい話題を見つけながら歩いた。それほどコミニュケーション能力が高くない私にとっては苦痛でしかなかったけど、アレンは常にどこか嬉しそうにしていた。
私と隣を歩いているだけでそんなに楽しいのだろうかと不思議で仕方ない。
黙っていても、一緒に居るだけでリラックスできたり楽しくなったり、幸せを感じたりできる人間と出会ったことがない私には未知の感情だ。
知らない感情は想像できない。けど、今まさに隣で嬉しそうにしているアレンを見れば、良いものなのだろうというのは理解できた。