あなたの為の騎士・前編
趣味でまったり書いていくつもりです。
とはいえ書くなら書くで真面目に書くつもりだし、ここに登場するキャラ全員に愛を以って接していくつもりです。
ずっとずっと、私は悪女として蔑まれてきた。
ユーベリア大陸を統べる大国『インゼイル王国』の第四王女として産まれた私は、理不尽な理由で周りから蔑まれた。
魔力を持たずに産まれてきたから? 片目が開かないままだから? 瞳が吸血鬼のような深紅だから? 髪が肩から一向に伸びないから? その髪の色が紫色だから?
きっと、そのどれもが理由なのだろう。
しかし、私は悪女という汚名を挽回するチャンスを得た。
産まれてから十六年、ずっとずっと悪女として蔑まれてきた私は、その苦痛を悔しさに変えて誰よりも知識の習得に心血を注いだ。
その結果、今年の春から国でトップレベルに大きい学園に入学することができた。
その学園は貴族、平民問わずに入学できる実力至上主義の学園であり、同時に特殊な制度を敷いている少し変わった学園である。
実力至上主義、その言葉が私は気に入った。
実力さえあれば入学できる、実力さえあればトップに立てる、そして実力さえあれば何だってできるかもしれない。
悪女としての汚名も、蔑む人々も、全員私の実力でねじ伏せてやる。
そう意気込んだはいいものの、いざ入学して初登校した私は、さっそく小さな壁にぶち当たっていたのだった。
登校初日、私は十分ほど歩いて『セレスアスティア学園』の校門前に辿り着いた。
赤と黒の刺繍が入った優雅な制服は、全てオーダーメイドの特注品。サイズもピッタリで、それだけで気分が良くなってくる。
私が洋服に関してうるさいのも相まって少し心配だったが、これならこれからもずっと違和感なく学園生活を過ごせそうだ。
深く息を吸って、吐く。心の準備を整えた私は、いよいよ外界と学園校舎の境を跨いで登校を果たした。
周りには既に私と同じような新入生が居る。
彼ら彼女らの明るい笑顔、未来に希望を抱いて歩くその足取りは新生の蝶のように羽ばたいて見えた。
羨ましいなんて思わない。
未来に希望を持ってはいるけど、明るい笑顔なんて私には無縁の表情だ。だけど私には願望がある。
現実を変えてやろうという、強い強い願望を私は持っている。
私は私の力で栄誉を勝ち取るのだ。
「ふぅ……はぁ……よしっ!」
気合を入れ直して、私は歩みを始めた。
合格通知の書類に書かれていた自分のクラスまで行くまでに、多くの在校生とすれ違った。
どこかふんわりとしていて、それでも緊張感がひしひしと伝わってくる先輩たちの風貌は、気合を入れていた私でさえ気圧されそうになるほど。
新入生とは明らかに空気が違う人たちを見て、負けていられないと強く思った。
魔力がなくても、私には独学で必死に培った知恵がある。その知恵を使えば、勝てない相手なんて居ないはずだ。
気圧された自分に言い聞かせるように心の中で呟きながら、私は教室に足を踏み入れる。
廊下を充満する喧騒とは裏腹に、教室内は静かだった。
それもそのはず、この場には私以外に二人の生徒しか居ないからだ。
その二人は女子生徒で、当然ながら私と同じ制服を着ている。片方は茶色のボブヘアーで、赤い薔薇の髪飾りが目立つ場所で輝いている。
もう片方は森林のような緑色の髪の、ポニーテールの少女。茶髪の子は推定百六十センチはあるように見えるが、そちらの子は更に十センチくらい身長が低い。
黒縁のメガネが特徴的で、小動物みたいだ。
彼女らは友人同士なのか、私を一瞥したあとすぐさま自分たちの会話を再開した。
私が入る隙は無さそうだ。
想像したくもないが、ある想像をしてしまう自分が居る。
私は結構有名だ。何せ王族なのだから、有名じゃない訳がない。その上悪女と罵られている女を知らない人なんて、かなり絞られる。
想像とは、あの二人が私を見て陰口をしている想像だ。
何を言ってるのかとか、そんなこと考えたくもない。でもやっぱり、気になってしまうのも事実だった。
だからこそ変な憶測をしてしまうし、無駄に心にストレスを与えてしまう。
他人の意見なんて気にしないというスタンスを心底貫けるなら、きっともっと楽に今を生きていられたのだろう。
そんな器用な生き方、私にはできなかった。
ただひたすらに、八つ当たりするように、前に進むことしかできないんだ、私という人間は。
私は何も言わず、何も聞いていないという顔を維持しながら、自分の席に着いた。
依然として耳障りで、増えてく、そのくせ全容がわからない陰口に気を取られながらも教師を待つ時間は、苦痛でしかなかった。
しかしチャイムが鳴り、ほとんどの生徒が大人しく着席し始めると、その苦痛も一気に消えた。
周りの人間が意識を向ける相手が私から他へと移ったからだ。
この時間、この空間では、教壇に立つ教師が絶対的な支配者となる。
白のローブを身に纏う、優美で可憐なお姉さんが席に着いた私たちを見た。
色気のないはずの赤縁のメガネが、その美貌と抜群のスタイルのせいで色気を纏っているように見える。
そのメガネをクイっと上げて、教師は言った。
「全員席に着いたみたいだな、新入生諸君。初めまして、私はお前らの担任をする『リーシェ・アンラグナー』だ。これから三年間、よろしく」
声も色気たっぷりだ。
それからリーシェ先生は手元にあったファイルを開いて、そして閉じた。
何を確認したかは本人にしかわからない。彼女の表情に変化はなく、ただ淡々と物事を進めていく。
「じゃあ早速……いや、十分後から授業を始めよう。最初の授業は、『ナイト決め』だ」
最後の一言『ナイト決め』の言葉を聞いた生徒たちは、一斉にざわつき始めた。
私も平常心を保っているように見せかけて、内心ではドキドキしている。
この学校には特別な制度があるというのは事前に調べていたからわかっていた。その制度があるからこそ、私のような魔力のない落ちこぼれの貴族であっても実力次第で入学できるのだというのも。
インゼイル王国ではお金持ちの貴族、その上選び抜かれたエリートだけが『学園』という学び舎に入ることができる。
それは少数精鋭の宮廷魔導師団を設立するためであり、決して国民に一定レベルの学力を身につけさせるためのものではないからだ。
しかしこの『セレスアスティア学園』だけは違う。
プリンセス・ア・ナイト制度という、一風変わった制度がこの学園にはある。
この制度を簡潔に説明するなら、女生徒はプリンセスというなの姫であり、男子生徒が私たち姫のナイトになるというものだ。
そしてタッグになった二人は卒業まで関係は続くのだけど、卒業するまでに達成しなければならないものがある。
それは、プリンセスとナイトが他のプリンセス・ア・ナイトとなった二人と戦い、一定以上の戦績を収めること。
求められている結果を出すことで卒業は果たされ、セレスアスティア学園を卒業したという確かな実績を未来永劫勝ち取ることになる。
きっと無事に卒業すれば、魔力がない私を、片目が開かない私を、瞳が深紅の私を、髪が伸びなくなった私を悪女と呼ぶ者たちを、見返すことだってできるはず。
その考えを変えることはできなくても、何も言わせないことだってできるようになるはず。
だから、私は絶対に卒業するんだ。
そのためにも優秀なナイトと組みたい。
誰よりも強いって程ではないにしろ、ある程度剣の才能があるだけでいい。作戦は私が立てるのだから、私が唯一持っていない武力を持っていれさえすればいいのだ。
「どうした? もうみんなは行ったぞ」
「え……?」
机に座ったまま考え事をしていた私にそう言ったのは、リーシェ先生だった。
私は慌てて席を立つ。
「ごめんなさい、ボーッとしてました。今から行きます」
「そうか、なら早くしろ」
もしかして、生徒一人一人が出るまで教室で待っていたのだろうか。
律儀な教師だなと思いつつ、私は急いで教室を出た。
向かう場所は既に知っている。校舎から北にある大きな訓練場だ。
そこは生徒たちが魔法や武術の練習、授業を行う場所であり、プリンセス・ア・ナイトを決める所でもある。
事前にこの制度のことを調べていて良かった。ボーッとしていたので場所がわかりません、なんて言ったら怒られるに決まっている。
教室を出て廊下を歩いていると、背後からリーシェ先生の声が聞こえた。
「ちょっと待て」
「はい?」
私は足を止め、振り返る。
教室から体を半分出し、少し分厚い赤い本を持ち上げながらリーシャ先生はこう言った。
「落としたぞ」
「落とした……? 私、そんな本持ってませんよ」
赤くて分厚い本なんて持ってないし、プリンセス・ア・ナイトで教科書を使うなんて情報も耳にしていない。
手ぶらでいいはずだ。
戸惑う私に痺れを切らしたのか、リーシャ先生は少し乱暴にその本をこちらに投げた。
まぁまぁ距離があるのに軽く投げただけで私の足下に落ちたその本は、鈍い音を廊下に響かせる。
「いいから持っていけ、お前には必要だ」
「私には必要って、どういう……?」
そう尋ねると、今度は鋭い目付きで私を睨むリーシャ先生の鬼の形相が見えた。
「遅れたら留年な」
そして聞き捨てならないことをボソッと口にした。
「遅れただけで留年ですか!?」
「うん」
「うん、じゃありませんよ! あぁもう、わかりました、わかりましたよ! もう行きますから留年はなしでお願いしますね!」
テコでも動かなそうな確固たる意志を感じとり、私は駆け足で訓練場に向かいだす。
たとえリーシャ先生の言ったことが嘘だとしても、万が一留年になったら洒落にならない。
嘘でもなんでもいいから、今はひとまず信じて走る。
そして息を切らしながらやっとの思いで辿り着いた訓練場には、私のクラスに居た生徒が集まっていた。
肩で息をする私を、みんな蔑むような目で見ている。
冷たくて、鋭くて、そこには私を人として見ているような視線は一つもなかった。
慣れているとはいえ、この視線が卒業まで向けられると思うと、さすがに堪えるものがある。
一気に押し寄せてきた不安を、胸に手を当て心臓の鼓動を感じることで落ち着かせる。
乱れた息を整えるついでに深呼吸をして、後ろ向きになった私をもう一度振り向かせた。
「大丈夫……」
誰にも聞こえないような小さい声で呟いて、一歩前に出てみんなと同じ領域に立つ。
しばらくしてリーシャ先生が来ると、同時にチャイムも鳴った。
大雑把そうに見えて几帳面なリーシャ先生の初めての授業が、いよいよ始まったのだ。
高い外壁に囲まれた訓練場の真ん中で、私たちを前にしてリーシャ先生は話す。
「さぁて、じゃあ早速始めるか。ナイトとなる男子生徒はこっちに来い」
そう言って手招きするリーシャ先生の下に、数十人の男子生徒が集まる。
覚悟の決まった目をした男が集まると、決戦前夜のような空気感が突如として漂い始めた。
しかしそれは私たち女子生徒も同じだ。
なにせここで決まるプリンセス・ア・ナイトは、卒業するまでずっと変わらないペアになるのだから。
相手が誰であれ結果を残すのは当然のこととして、やはり実力の高い相手と組みたいと思うのは誰だって同じだろう。
かくいう私もその口ぶりだ。
だけど一番強くなくちゃいけないとまでは思っていない。ある程度実力があれば、あとは私が練る作戦で何とかしてみせる。
私は私の手で勝利を掴み、名誉を勝ち取る。我ながら強気な姿勢も相まってか、他の人より幾分かは表情が柔らかい気がする。
鏡で見たわけじゃないからあくまで『気がする』程度の話だけど、緊張してると思えば思うほど逆に緊張してしまいそうで、ひとまず楽観的に考えることにした。
「よし、じゃあ女子生徒は一列に並べ」
リーシャ先生のその指示で私たち女子生徒は列を組む。
この後の流れは事前に調べた私もわからない。
教師が決めるのがよくあるパターンだと思うのだけど……。
「並んだな。それじゃあ『プリンセス・ア・ナイト』の儀を始める」
そう言うと、リーシャ先生は空間魔法で異空間への入口を作り出し、そこに手を突っ込んで人間の頭サイズの水晶玉を取り出した。
空間魔法は主に物の収容などに使われる、いわば日常生活を便利にする魔法だ。
使える人はかなり少なく、私もこの目で見たのは始めて。大きな水晶玉も難なく保管できるなんて、本当に便利だ。
「この水晶玉で対となる相手を決める。一人づつ前に出て、この水晶玉に触れてみろ」
今度は浮遊魔法で水晶玉を空中で安定させながら、リーシャ先生は丁寧に説明を始めた。
一番前に立っていた女子生徒が早速言われた通りに触れてみると、水晶玉は水色に光だした。
それを見てリーシャ先生は言う。
「自分の色を覚えておけ。その色と同じ光を放った男子生徒が、お前のナイトになる。色が被った際は私が決めるから、心配はするな〜」
それから何人もの女子生徒が順番に水晶玉に触れていく。
それぞれ異なる、或いは他の誰かと似通った色に光らせ、まだ結果もわからないのに一喜一憂する生徒も居た。
彼女たちは単に自分のイメージカラーにピッタリなものかどうかを気にしているだけなのかもしれないが、私にとってはどうでもいいことだ。
何色に光ろうが関係ない。
重要なのは、誰が私のパートナーになるかだ。
いよいよ私の番が回ってきた。
するとリーシャ先生は、他の生徒にはしなかった行動にでる。
「エデン、ちょっといいか」
「なんでしょうか?」
リーシャ先生は水晶玉から離れ、私の下へ歩み寄る。
途中でポケットに両手を突っ込んでから、私の前にリーシャ先生は立った。
そして彼女はこう尋ねる。
「お前は魔力がないんだったな?」
「……」
その質問がされた瞬間、周囲はざわつき始めた。
周りがどんなことをボソボソと話しているのか……それは私の耳に辛うじて届いてくる。
まず誰かはこう呟く。
「もしかして、魔力がないと反応しないんじゃない?」
そして誰かが小さく返答する。
「きっとそうよ。それにあの王女様、呪われてるって聞くし」
また別の人の声も聞こえてくる。
「あんな『悪女』にナイトなんてつくわけないわ。ついたとしても相手が可哀想よ、ふふふ」
陰口。
陰湿な陰口。
聞こえなければ無意味な陰口だが、聞こえてくれば多少なりとも心にダメージが入る。
いくら反骨精神を持っていようが、私という人間はいつまで経っても他人の悪意に正直に反応してしまうようだった。
『悪女』――誰もが私をそう呼ぶけど、いったい私が何をしたっていうの?
私は何も悪いことはしていない。
ただ、産まれた頃から他とは違っていただけ。魔力がなくて、片目が閉じていて、瞳が赤くて、髪も伸びなくて……並べれば確かに異質だけど、でも悪いことなんて一つもしていない。
せめて、せめて……そういうのは、私が聞こえない場所で言って欲しい。
「……っ」
悔しくて、辛くて、苦しくて、それを顔に出さないように必死に手を握り締めた。
握り締めた手は痛くなる。だけど、その痛みを凌駕するほどの心の痛みが走り続けていた。
リーシャ先生は、そんな私にお構い無しにこう言った。
「水晶玉は魔力に反応する、だからお前が触れても光らないんだ」
やっぱりそうか、と思った。
しかし私は、心の痛みを顔に出さないように毅然とした態度で訊く。
「じゃあ私には『ナイト』がつかないんでしょうか?」
「いや、つける。そのためにお前には私の手を掴んでいてもらおうと思ってな」
「先生の、手を? どうしてでしょうか?」
リーシャ先生は私の問いに対して、ふふっと笑みを浮かべながらこう答えた。
「知ってるかもしれないが、魔力というのは他人にも伝播するんだ。だから私の魔力をお前に流して、それから水晶玉に触れてもらう。その際に光った色は私が出した色ではなく、お前が出した色であるのは間違いない」
「先生の魔力で光ったなら、先生が光らせた色になるんじゃ……?」
「んー、原理を説明すると難しいんだよな……よし、まずは私が一人で触れよう。そしてその後に、お前にも触れてもらう」
なるほど。
先生が一人で触った際にどんな色で光るかどうか見た後に、私が触れる。その時の光の色が違えば、先生の言っていることも理解できる上にナイト決めの儀式と進むということか。
私は頭の中で咀嚼し、理解し、頷いた。
「じゃあ、始めるぞ」
そう言ってリーシャ先生は水晶玉と向き合う。
しばらく水晶玉を見つめた後、リーシャ先生は手を前に出してゆっくりとその滑らかな球体に触れた。
すると、途端に水晶玉は光だす。
この短い時間で何度も見た光景だから、そう驚きはしない。
まずは白く光る、そしてそこから色が滲み出す。
リーシャ先生の色は――
「黒……」
私はそう呟いた。
先生の色は黒、しかも黒の中の更に色の濃い『漆黒』だった。
光る色によって何があるのかはわからないけど、とても印象に残るような場面だ。
なにせ今まで光らせてきた生徒たちの中に『漆黒』は現れなかったから。
黒や黒に近い色は何人か居たけど、漆黒は初めてだ。
その色には少し光沢があって、不気味さもあって、触れると呑み込まれてしまいそうな、そんな色だった。
「よし、次はお前も触れてみろ」
「わかりました」
指示通り、今度はわたしがリーシャ先生の手を掴みながら水晶玉に触れる。
その際、リーシャ先生は水晶玉には一切触れず、私だけが接触する形になった。
事は一瞬で終わる。
魔力のない私でも他人の魔力を借りることで光らせることができる。そしてその光の色は、私の瞳を連想させる赤だった。
真っ赤に染まった光が目を覆う。
やがて徐々に消えていく光を見つめながら、私は手を離した。
「赤色か、覚えておけよ」
リーシャ先生にそう言われるまで、私は唖然として立ち尽くしていた。
「あ、はい」
赤は、私の嫌いな色だ。
吸血鬼のようだと言われた深紅の瞳が、その色を嫌いになった理由だった。
逸話に登場する吸血鬼は全員赤い瞳を持ち、鋭い歯で人の皮膚を貫き、鮮血を奪い尽くすらしい。
歴史上では確かに存在していたらしいが、今もこの世界に居るかどうかは不明な種族だ。
いっそ、滅んだと確定されていれば、もしかしたらこの瞳の色で吸血鬼だと言われることもなかったかもしれない。
ほぼ八つ当たりに近い形だけど、やっぱり吸血鬼は嫌いだし、私の赤い瞳も大嫌いだ。
「どうした? 不服があっても変えられないぞ」
「いえ、問題ないです。私はこれで失礼しますね」
リーシャ先生にそう言って、私は彼女と水晶玉からそそくさと離れた。
嫌いな自分な瞳に普段よりも意識がいって、思わず手で隠す。しかし片目しか開いていない私にとって、それは今見ている世界を暗闇に落とすことでしかなかった。
だから私は、手を離して前を見る。
受け入れられないけど、変えられないから、受け入れる『フリ』をしてその場から離れた。
それから私は、みんなが居る場所から少し離れた場所で、残りの女子生徒が水晶玉を光らせていくのを眺めた。
着々と順調に事は進んでいき、最後の女子生徒が終わった時点で次は男子生徒が同じことを淡々とこなしていく。
男子生徒の中に何だか見覚えのある顔があった。
白髪の、海のように深い青の瞳を持った青年。彼の容姿には覚えがあったけど、具体的に誰だったかは思い出せない。
他人の容姿をいつまでも覚えられるほど、私は自分以外の人に対して記憶を割いていないからだ。
覚えたら覚えたで、私に悪口を言った人を忘れられない人物にしてしまいそうで怖かったから、覚えることを放棄した。
家族……いや、国王や王妃、兄弟姉妹たちの顔は覚えているけど、あの人たちの過ごした時間は皆無に等しい。
物心が着いてすぐに別荘に隔離されて、今日に至るまで一人のメイドと私だけで暮らしてきた。
メイドの顔は覚えているけど……いつも嫌味を言ってくるから、名前は覚えないことにした。
こんな私が朧気ながらも覚えがあるということは、もしかしたらあの白髪の男子生徒は他の人よりかは幾分マシな接し方をしてくれた人なのかもしれない。
それが本当なら、ちゃんと覚えてちゃんと『良い思い出』として保管したい。
彼はもう水晶玉を光らせて時間を持て余してるし、ちょっと話しかけに行こうかな……。
「よしっ」
思い立った私は早速歩みを始めた。
私と同じように他の生徒たちから少し離れた場所で待機している白髪の青年に、ちょっぴり親近感が湧いてくる。
私と同じ理由かどうかはわからないけど。
白髪の青年は私が近づいてくることには気づかない。ずっと地面を見て、何か考え事をしてるような表情を浮かべている。
私は頭の中でどう声をかけようか、声をかけたら何を話そうかなどを考えながら歩いた。
そのせいか、横から近づいてくる人物に一切気づきもしなかった。
「よぉ、第四王女様」
「――え?」
声がした方を向くと、茶髪でつり目の如何にも性格の悪そうな男子生徒が私を見ていた。
これっぽっちも知らない相手に話しかけれた私の心臓は、驚きと恐怖で耳鳴りを誘発させるほど強くなる。
「なにか……?」
私が訊くと、その男子生徒は鼻でこちらを嘲笑してこう言った。
「ふん、お前なんかの『ナイト』になっちまった哀れな『キリシェ』様だよ」
「は?」
お前なんかのナイトになっちまった哀れなキリシェ様……?
あまりにも唐突で脳内で復唱した私は、その言葉の意味を理解するのに数秒時間がかかった。
そして理解したと同時に、落胆が訪れる。
「あなたなんかの『プリンセス』に……」
と、思わず口にしてしまうほどに落ち込んだ。
「あぁ? それはこっちのセリフだ、魔女が! なんで俺がお前なんかのナイトにならなきゃいけねぇんだよ!」
魔女と呼ばれたのは初めてだが、この生徒の私を見る目は何度も向けられた軽蔑の視線だった。
痛い。
心を刺すような視線は、防ぐことはできない。
「ったく、呪われた人間がこんな場所に出てくんなっての」
せめて、そういう悪口は私の聞こえない場所で吐いて欲しい。
聞こえなければ、言われていないのと同じなのに、聞こえてしまったらしばらくの間記憶から離れないじゃないか。
覚えないようにしてるのに、無理やり記憶に刻まれるこの苦痛を、知らないの?
「おい!!」
「ん!」
突如ぶつけられた怒号に私は驚き、体は跳ねる。溢れてしまいそうな涙をグッと堪えながら、無表情をひたすら貫いた。
もう、崩れているかもしれないけど。
「足でまといにだけはなるなよ。お前は大人しく俺の言うことを聞いていればいいんだ」
「それは、できない……」
「はぁ?」
「私は私の力を使って自分を証明したい。だから、少なくとも協力する形で戦うつもり」
でなければ、私は私の存在価値をみんなに見せられない。そして自分に対しても。
「はっ、魔法も使えないくせにどう協力するって言うんだ? もしかしてその体でも使って、相手を誘惑するつもりか?」
こういう男から出るこういうセリフは、もはやお決まりと言っていいだろう。
それに、私の貧相な体じゃ誰も誘惑なんてできっこない。
単にこれは私をバカにしているだけの、侮辱の発言だ。
気にしない。気にしない。
こんなの、今までと同じ。今までだって同じレベルの酷い発言を何度も言われた。その度に自分に言い聞かせた。
――いつか見返しすんだ。
そう言い聞かせて、今まで生きてこれた。それは今も、これからも同じはずだ。
私は深呼吸をして、強く言う。
「あなた一人じゃ誰にも勝てないと私は思う。力はそれなりにありそうだけど、剣術は大したことないよね?」
「は? 何を根拠に言ってんだ?」
「その腰にある剣、鞘は新品同様綺麗だし柄にも傷一つない。他の人はもっと傷ついてて汚れてるのに、どうして? 鍛錬を積んでいないからじゃなくて?」
「そっ、それは」
「図星だね。だったらもう、これ以上言い争う意味はないって理解できるんじゃない?」
騎士は自分の武器を大切にする。
たとえ汚れても、傷ついても、もう使い物にならなくなるまでは絶対に他の剣に変えたりしない。
それは愛着もあるだろうけど、やっぱり使い慣れた物でなければ今まで通り戦えないからだ。
私が言ったことに対して『以前使っていた剣が折れたから』と答えれば、私の言い分は否定されていたはず。
でもキリシェはそう言わなかった。
口篭り、狼狽え、言い返す言葉を探した。その時点で私の言い分の正当性は証明されたのだ。
たとえそれが真実ではなかったとしても。
キリシェは、爆発しそうな鬱憤を必死に堪えている。その表情は、その目は、確実に私に殺意を抱いていた。
心臓を鷲掴みされているような感覚に陥った。しかし狼狽えず、私は最後にこう言う。
「ひとまず協力するって形で。でも過度な接触はしないこと。じゃあ、そういうことで」
去り際、背中から感じる殺意に恐怖を抱いた。
今にも後ろから背中を、腹を貫かれてしまうんじゃないかと気が気でなかった。
たとえ素人でも、あの剣で人を確実に殺せることに間違いはない。
話しかけようとした白髪の青年とは反対方向に行った私は、訓練場の出入り口を通って裏手に周った。
そこで壁に凭れながら、崩れ落ちて臀部を床に着ける。
手に持っていた赤い本を抱き締めて、曲げた両膝の間に顔を埋める。
固唾を呑んだ瞬間、堪え続けていた恐怖が喉元から溢れ出し、呼吸は突如として乱れた。
思考を支配するほどの恐怖が一気に押し寄せてきて、思わず涙が零れる。
理不尽、不安、恐怖、そして理不尽。
それら全てに対して、私は自分が思っている以上に無力だった。