第6話 凝り固まった先入観
現在時刻は午前16時15分。放課後のホームルームが16時30分から始まることを考えればもう後戻りはできないだろう。そうして数年振りに見る電車からの景色を見ながら体を揺らして若干の後悔に浸っていた。
「電車でここに来るのは初めて?」
「いや、昔何度も妹と一緒にこの電車を使ってた。当時は習い事をしてたもんだから」
「どんなの!?何してたの!?」
興味津々《きょうみしんしん》とばかりに席を乗り出して食いつく一角に俺は少しだけ身を引きながら質問に答えた。
「次の駅の最寄りに劇団マスカレードっていう演劇施設があってな。小学1年生から6年生にかけてずっと通ってた」
そういえば初めてばあちゃんが無理やり俺に何かさせようとしたのはこの時が最初で最後だったな。妹は楽しそうにしていたが、俺の方は既に料理の方に意識が向いてしまっていて嫌々通っていたのを思い出す。
「そうなんだ〜ちょっと意外かも。貴方も芸能界に関わることをしてんだ」
「あれは芸能界って言うのか?まぁでも確かに俺の妹はその伝手で女優になったわけだし間違ってはいないか‥‥なんで嬉しそうなんだよ」
見れば上機嫌な笑顔でこちらを見つめる彼女の姿が目に映った。時折コイツが何を考えているのかわからない時があって少し不気味になる。
「ふふん〜なーんでもない!そっかそっか。もう小さい頃にこの世界に片足突っ込んでたんだね」
「あぁ?それはどういう—————」
出しかけた言葉が彼女の耳へ届く前に電車は目的地へと辿り着く。親善寺駅に降りた俺たちは徒歩5分ほどの道のりを歩いて柏ソニックドームへ向かった。
そして今、俺たちはドーム入り口に居る。
▼▽
「野球見るのかって‥‥確かにここはプロ野球団のホームではあるけどさ。アイドルのドームツアーとか聞いたことない?」
「うーん。えーと。まぁ‥‥うん、ないな」
メディアに興味がない大樹とはいえ、いくらなんでも無知すぎることにそろそろ唖然としてきた。
年頃の男子であれば可愛い女の子に興味が湧くのが普通ではないのだろうか?推しのアイドルとか女優とか。
‥‥あれ?というか大樹って私を前にしても緊張しないで普通に話してるよね?そういえば屋上に会った時もなんだか反応が微妙だった気がするし。
え、私に魅力がない?いやいや!そもそもアイドルも知らない朴念仁野郎だ。ここらで拗れた心を荒療治してやる必要がありますな。
「ふっふっふ‥‥見てろよ〜度肝抜いてやるんだから!」
「そんなとこで笑ってねぇで早く行こうぜー」
気づくと彼は自動ドアを開けてドームの中に入ろうとしていた。この最強アイドル、一角初華を差し置いて。
‥‥‥‥
「ねぇ!!わたしって可愛いよね!?」
流石に心配になった私は、さりげなく聞いてみた。
▼▽
「なんだ、これ」
中は熱帯地獄。なんて口の悪い例えになってしまうがそれほど人が溢れかえっていた。というか派手なハチマキやはっぴを身に纏い、ペンライトを手にしている人しかここには居なかった。
「ここはね、今日ステージに立つアイドルたちのグッズが並ぶ物販ブース。限定品もあるからこんな風に結構賑わうんだよね」
「それにしたって限度ってもんがあんだろ。これじゃ並んでる間にライブが始まんじゃねぇの?」
「うーん確かにね。普通は整理券とかが発行されて滞りなくみんなが買えるように運営が工夫するんだけど。今日出るアイドルが《《アレ》》だからね」
ニヤッとした笑みを浮かべながら視線を送った先にあったのは2人のアイドルらしき女性の姿がプリントされた横断幕だった。
「Summer SUILEN?」
「そう!大手芸能プロダクション!シーズンズのエースアイドル!絶賛関東ドームツアー中なの!」
「関東ドームツアーって‥‥は!?もしかしてコイツら他のドームライブでもこうやって足運んでんのか?」
「コアなファンはそうだね。まぁそこまでしてくれるファンがいたらアイドル冥利に尽きるってもんだけど」
嘘だろ?そこまでしてコイツらはそのサマースイレンって奴らを見に全国飛び回ってるのか?
別にテレビがありゃいつだって見れるだろ。飛び回る時間と金があったら自分を磨くだろ普通。
「うふふ」
堪えきれなくなった笑いに思わず吹き出すと、初華は挑発的な目を大樹に向けた。
「なんだよお前、急に」
「いや?ライブ後が楽しみだなと思って」
やっぱそういうことか。ここに来た時点でそれはもう確定だったが、コイツが言う光ってのはアイドルのことか。
俺がアイドルを見る?こんなオタク共が狂信的に縋るお前の言う光?違うだろ。
コイツらは光を求めてここにいるんじゃない。世の女に失恋するのを恐れて自分がモテないことを正当化しようとし、救われようとしている何もできない受動的な人間だ。
そいつらが望むものを見たとして、その時間は意味があるとは思えない。
やっぱ帰るか?
‥‥‥
‥‥
「君が何を考えているのか、何となくわかっちゃうのがすごーく残念」
「え?」
物思いにふけている最中に、彼女はそっと耳元に近づいた。
「でもその考えはここを出る時に教えてね。今はこわ〜い誘拐犯に脅されてるとでも思って、私と一緒にライブを見よ?」
背筋が凍るような撫でる声色に鳥肌が立つ。たまにコイツが見せる異質の片鱗は何なのだろうか。先ほどまで無駄と結論づけていた俺の考えを見透かしたのもそうだが、彼女には自然と人の心を読んで心理状態を操る天性の何かを持っている。
そんな彼女と目を合わして数秒間が経過した直後、ドーム全体にブザー音が鳴り渡った。
「開幕20分前だって。ほら、早く行こ?席が埋まっちゃう」
気づくと溢れていたオタク達も殆どがはけており、そこにはいつもの天真爛漫な笑顔を浮かべた一角初華が居ただけだった。
それ以上何かを語るわけでもなく彼女はズイっと俺の手を引っ張っると、未知の世界へ誘った。