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第六話:天獄八鬼

【※読者様へ】

あとがきにてさらなる情報が解禁されておりますので、是非あとがきも最後まで読んでいってください!

ps:次回更新は5月26日! 聖女様の物語は今後、『毎週日曜日の定期更新』となります!


 ゼルが護衛の任に就いたその頃、聖女学院の広大なグラウンドでは、学院長と天獄八鬼(てんごくやっき)――二人の巨漢が静かに視線をぶつけていた。


「ふむ……お主が音に聞く、天獄八鬼じゃな。名をなんという?」


「はっ、礼儀のなってねぇ爺だな。人に名を聞くときは、まず自分からってのが筋だろ?」


「ほっほっ、これは失敬。儂はバダム・ローゼンハイム、聖女学院の学院長を務めておる者じゃ」


「バダム・ローゼンハイム……おっ、当たり(・・・)じゃねぇか! 手配書にあるぜ、エルギア王国の特級戦力『天倫(てんりん)のバダム』!」


「ほぅ、手配書ときたか(魔王軍は人類(こちら)の戦力を調べてきておる。ただでさえ戦力差があるというのに……厄介じゃのう)」


 バダムが立派な長い髭を揉んでいると、獰猛な笑みを浮かべた魔族が口を開く。


「俺は天獄八鬼が一つ、炎獄のヴァルトラ! 龍の血を引く、最上位種族だ!」


 炎獄のヴァルトラ、外見年齢は30歳、身長2メートル30センチ。

 大木のような(たくま)しい腕・巨躯(きょく)を支える太い脚・全身を覆う真紅の鱗、頭部に生えた双角・鋭く尖った爪――世にも希少な龍人族だ。


 お互いに名乗り合ったところで、バダムが問いを投げ掛ける。


「ヴァルトラよ、お主の目的はなんじゃ? なんのために我が聖女学院へ参った?」


「聖女の転生体をぶち殺す、これ以外にあるか?」


「まぁそうじゃろうな」


 バダムは<次元収納(ストレージ)>から魔法の杖を取り、戦闘準備を整えた。


(陽も落ちて久しいうえ、今宵は新月と来たか……。まったく、タイミングの悪い奴じゃのぅ)


 太陽と月が共に姿を隠した今、彼が世界に誇る固有魔法『天倫』は使えない。

 両翼をもがれたこの状況で、天獄八鬼を相手に戦うのは悪手。


 本来この場は撤退し、時を改めるべきなのだが……。

 敵の狙いは聖女の転生体。

 聖女学院の長として、これを見逃すわけにはいかない。


「おっ、やるか! 話の(はえ)ぇ奴は好きだぜ!」


 ヴァルトラが大きく体を開き、臨戦態勢を取ると同時、


「――あ゛?」


 天より落ちる巨岩が、龍人の体を押し潰した。


「さて、これで終わってくれると楽なんじゃがのぅ」


 無詠唱化した土魔法。

 強烈な先制攻撃を決めたバダムは、隙の無い構えで目を細める。


 その直後、


「ぷはぁ……い~ぃ火力だ!」


 巨岩を殴り砕いたヴァルトラが、晴れやかな笑顔で姿を見せる。

 その体にはほんの僅かな裂傷さえも見られない、まったくの無傷だ。


「並の魔族であれば、今ので即死なんじゃが……。さすがは天獄八鬼と言ったところかのぅ(恐ろしく頑丈な肉体(からだ)。しかと(しん)を捉えねば、(ろく)にダメージが通らぬな)」


 無詠唱化した――速度重視の魔法では、削ることさえままならない。 

 そう判断したバダムは、すぐさま方針を転換する。


「――<焦熱の焔(グレア・フレイム)>×<氷刃嵐舞(アイス・ストーム)>×<雷轟(ライトニング・ロアー)>!」


 彼が杖を振るえば、上位の魔法が雨や霰のように吹き荒れた。

 超高等技能『三重詠唱(トリプル・スペル)』。

 バダム・ローゼンハイムは、エルギア王国が世界に誇る大魔法士。たとえ固有魔法が使えずとも、その実力は比類なきものだ。


「ははっ、こいつは凄ぇな!」


 ヴァルトラは両翼をはためかせ、大空へ飛び上がった。


「逃がさんぞ!」


 バダムはすぐさま杖を振り上げ、天を舞う龍人へ魔法を追従させる。

 夜空を高速で飛び回るヴァルトラ、その軌跡(きせき)を鮮やかな魔法が辿っていく。


(この爺、特級戦力というだけあって相当に強ぇ。魔法の質・魔力の量、三百年前でも十分通じる水準だ。……ただまぁ、所詮は人間! どれだけ強力な魔法を使えても、本体のスペックが決定的に足りてねぇ!)


 ヴァルトラは龍鱗(りゅうりん)に邪悪な魔力を巡らせ、防御力を大幅に強化。


「はっはぁ……!」


 魔法の弾幕を真っ正面から強引に突破し、必殺の間合いへ踏み込んだ。


「ぬぅっ!?」


 バダムは咄嗟(とっさ)に攻撃を中断、すぐさま防御魔法を構築せんとするが――間に合わない。


「そぉら、(しま)いだッ!」


 ヴァルトラの強烈な右フックが、皺の入った顔面を正確に打ち抜く。


「が、ふ……っ」


 芯を捉えた確かな感触がずっしりと拳に残り、真っ赤な鮮血が周囲に飛び散る。


 勝負アリかと思われた次の瞬間、


「ぬ゛ぅんッ!」


「ぉご……!?」


 バダムの痛烈な右フックが炸裂し、ヴァルトラは大きく後ろへ吹き飛んだ。

 翼を必死にはためかせ、なんとか着地するものの……想定外の反撃(カウンター)を喰らい、視界がぐにゃぐにゃに揺れ動く。


「てんめぇ……なっ!?」


 ゆっくり顔を上げるとそこには、『筋肉の宮殿』があった。

 バダムの一見すれば脂肪に思えたそれは、尋常ならざる剛筋(ごうきん)だったのだ。


「……はっ、随分と健康的な体じゃねぇか。趣味は筋トレってか?」


「ほっほっ、儂をそこらの魔法士と(くく)るでない。弱点の接近戦は、既に対策済みじゃ」


 バダムは血痰(けったん)を吐き捨て、ゴキゴキと首を鳴らす。

 対するヴァルトラは、脳に魔力を集中させてダメージを回復、両の拳に邪悪な黒炎を纏う。


「お前、いいな……俄然(がぜん)面白くなって来やがったぜ! ――<獄炎拳(ヘル・フィスト)>!」


 それを受けたバダムは、両の拳に聖なる白炎を纏う。


「――<聖炎拳(ホーリー・フィスト)>!」


 闇属性と聖属性、相反する力を宿した二人は、


「ハァアアアアアアアア……!」


「ぬぉりゃああああああああ……!」


 地面にべた足を着けたまま、ただただ全力で殴り合った。


「おらぁッ!(面白ぇ! 劣等種族の中にこれほどの『個』がいるとはな!)」


「ぬぅんッ!(さすがに強い……っ。じゃが、負けるわけにはいかぬ!)」


 岩を割り鉄を穿(うが)つ拳が、雨や霰のように行き交う。

 パワータイプによる乱打戦は壮絶を極めた。


「いいねぇ! いいねぇ! 熱くなって来たぜェ!」


 殴り合いを重ねるごとにヴァルトラのボルテージは上がっていく。


「まったく、老骨には(こた)える戦いじゃのぅッ!」


 一方のバダムは、ゆっくりとしかし確実に当初の勢いを失っていった。

 彼は既に百二十歳。

 絶大な魔力で老化を遅らせているとはいえ、本質的な衰えを隠すことはできない。

 固有魔法<天倫>さえ使えれば、どうにでもひっくり返せるのだが……ないものねだりをしても仕方がない。


(このまま体力勝負に持ち込むのは愚策……。幸いにもこやつは、戦いに悦を見い出すタイプじゃ。ここは一つ誘うか)


 それから数度の殴り合いを経て、


「おらぁッ!」


「ぬぅん!」


 強烈な右ストレートが両雄の頬を捉え、お互いに大きく後ろへ吹き飛ばされる。

 一定の間合いが開いたところで、バダムは「ふぅ……」と長い息を漏らし――それを目にしたヴァルトラは、大袈裟に両手を広げる。


「おいおいどうした、もうバテちまったのか? 勝負はまだまだこっからだろ!」


「いや、年寄りは飽きやすくてのぅ。殴り合いばかりで、ちと興が冷めてきた。ここらで一つ、趣向を変えてみんか?」


 言うが早いか、バダムの頭上に灼熱の大炎塊が浮かび上がる。


「ほぉ、火力勝負か……。いいぜ、乗ってやるよ!」


 ヴァルトラは好戦的な笑みを浮かべ、胸部の内燃器官に灼熱の魔力を(たぎ)らせた。


 二人は静かに視線をぶつけ合い、ほとんど同時に動き出す。


「――<始原の黄玉(オリジン・フレア)>ッ!」


「――<龍王の絶火(ドラゴン・ブレス)>ッ!」


 最上位魔法が相克し、大爆発が巻き起こる。

 白光(びゃっこう)が世界を包み、濃密な土煙が舞い上がる中――夜闇に流れる一陣の風が、立ち込める火煙(かえん)を運んで行った。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ」


 片膝を突いたバダムは、荒々しい息を繰り返し、


「ぐ、ぉ……っ」


 右腕を欠損したヴァルトラは、全身に重度の火傷(やけど)を負っている。


 最上位魔法による火力勝負は、バダム・ローゼンハイムに軍配が上がった。


「ゃ、やった! 学院長の勝ちよ!」


 遠巻きに戦いを見守っていた生徒たちが、ワッと歓喜の声をあげる。


 しかし、


「……今一歩、届かなんだ、か……っ」


 バダムが口惜しそうに呟いた次の瞬間、


「ふぅ……ったく、死ぬかと思ったぜ」


 ヴァルトラの肉体は、瞬きのうちに再生した。

 勝敗を分けたのは――種族の差。

 龍の血を引く最上位魔族にとって、四肢の欠損なぞ()したる問題ではなく、ほんの一呼吸の間に完治させられる。


天晴(あっぱれ)だ爺。お前こそまさに種の極致、卑賎(ひせん)な人族に生まれ落ちながら、よくぞこの領域へ至った」


 ヴァルトラの言葉は、嘘偽りのない称賛。

 彼はこれまで一万を超える人間を喰らってきた。

 その中でもバダムは――『たった一つの異常値(れいがい)』を除けば――最強の個体だった。


「ここまで楽しませてもらった礼だ。せめて痛みなく消してやろう」


 大空へ飛び上がったヴァルトラは、胸部の内燃器官に莫大な魔力を凝縮。


「――<龍王の絶火(ドラゴン・ブレス)>!」


 万象を焼き尽くす灼熱のブレスが、凄まじい速度で解き放たれた。

 満身創痍のバダムにこれを防ぐ手立てはない。


「……ここまで、か……っ」


 彼がグッと奥歯を噛み締めたそのとき、


「――御見事でしたわ、学院長。後はこの私にお任せを!」


 金色の髪をたなびかせた少女が、風のように颯爽と駆け付けた。


「さ、サール!? 馬鹿者、お主の勝てる相手ではない! 逃げるのじゃ……!」


 バダムは必死に声を張るが、サルコは小さく首を振る。


「いいえ、逃げません。聖女様はその人生において、たったの一度として逃げなかった。どのような苦境であっても、相手が大魔王であっても……!」


 サルコの聖女道に『撤退』の文字はない。

 彼女はその体に宿す全魔力を燃やし、バッと右手を前に突き出す。


「――<風神の破斬(エアロ・バースト)>ッ!」


 上位魔法<風神の破斬>、幾重にも折り重なった風の刃を射出し標的を切り刻む、サルコが行使可能な『最強の風魔法』だ。


 灼熱のブレスと鋭利な風刃(ふうじん)、二つの魔法が激しくぶつかり合う。


(くっ、なんて威力ですの……ッ)

 上位魔法(エアロ・バースト)最上位魔法(ドラゴン・ブレス)、両者には埋めようのない大差があった。

 風の刃は一つまた一つと砕け散り、邪悪な(ほむら)が牙を剝く。


「ぐっ、<魔力付与(レンド・マジック)>……!」


 バダムは瀕死の体に鞭を打ち、自身の魔力をサルコに分け与え、<風神の破斬>を強化した。

 しかし、所詮は焼け石に水。

 出力の差は歴然であり、じりじりじりじりと押し込まれていく。


「ここは儂が受け持つ……。サルコ、お主は早く逃げるのじゃ!」


 バダムは険しい表情でそう命じるが……彼女は強く首を横へ振り、不甲斐ない自分を叱り付ける。


「こんの……いい加減になさい、サール・コ・レイトン! 貴女は聖女様の生まれ変わりでしょう!? 転生による弱体化だか何だかしりませんが、ここで目覚めずして何が聖女ですかッ!」


 サルコが力強く叫んだ瞬間、その体から聖なる大魔力が溢れ出した。

風神の破斬(エアロ・バースト)>の出力は10倍以上に跳ね上がり、<龍王の絶火(ドラゴン・ブレス)>を一気に押し返していく。


「な、にぃ!? ぬ、ぐっ、ぉ、ぉおおおおおおおお……!?」


 風の刃はヴァルトラを飲み込み、その強靭な肉体をズタズタに引き裂いた。


 想定外のダメージを受け、たまらず大地へ不時着、


「はぁはぁ……っ。今のはまさか、『聖女の魔力』……!?」


 ヴァルトラは驚愕に瞳を揺らし、


「お主、その力は……!?」


 バダムは信じられないといった風に目を見開き、


「や、やった……やはり私は……っ」


 当の本人たるサルコは、名状し難い充足感のようなものを噛み締めていた。


 聖女の魔力は万物を浄化し、その性能を最大限に引き出す。

 聖女の作りし増強剤(ミルク)を飲んだタマが、月下の大狼と化したように。

 聖女のエリクサーを服用したテーラーが、人間離れした膂力(りょりょく)を得たように。

 聖女適性試験でルナのエリクサーと回復魔法を摂取したサルコもまた、人を超えた力を手にしていた。


 ヴァルトラは回復魔法で裂傷を癒しつつ、鋭い眼光を光らせる。


「……そこの女、名をなんという?」


「我が名はサール・コ・レイトン! レイトン家が長子にして、聖女の魂を継ぐ者!」


「サール・コ・レイトン……お前が聖女の転生体だな?」


「ふっ、今更になって気付くだなんて、天獄八鬼は随分と(にぶ)いのですね」


 サルコの挑発を意に介さず、ヴァルトラは喉を鳴らす。


「くくっ、そうかそうか……。つまり――お前さえ殺せば、再び魔族(われら)の時代が来るのだな?」


 彼の顔が邪悪に歪むと同時、その巨体は霧のように消え――サルコの背後から、氷のような声が響く。


「――死ね」


「なっ!?」


 振り向くとそこには、鋭く尖った魔爪(まそう)


 確かにサルコは、人族の限界を超えた。

 しかし相手は天獄八鬼、魔族の限界を超越する存在。


 両者の間には未だ、天と地ほどの開きがあった。


(く……っ)


 風属性の魔力を体に宿し、最高速で回避を試みる。


 しかし、


(は、速いッ!? 駄目、間に合わない。こんな、ところで……っ)


 眼前に魔爪(まそう)が迫る中――純白の翼がはためく。


「――見事な魔法だったぞ、美しき心の人族よ」


「あ、あなたは……!?」


「貴様……ゼルッ!?」


 ヴァルトラの爪撃(そうげき)は、鋼のような翼に止められ、


「――<風羽(かざばね)>」


「ぐ、ぉ……!?」


 激しい烈風によって、遠く彼方へ吹き飛ばされた。


 当面の脅威を遠ざけたゼルは、


「ここは危険だ。下がっていなさい」


「は、はぃ……っ」


 安全地帯でサルコを降ろし、再び戦場に舞い戻る。


「久しいな、ヴァルトラ。元気そうで何よりだ」


「ゼル、てめぇの出る幕か……っ」


 化物には化物を。

 天獄八鬼の相手は、聖女パーティがふさわしいだろう。


「しかし、驚いたぞ。お前は聖女様に討たれたと記憶しているのだが……魔王に転生してもらったのか?」


「へっ、俺だけじゃねぇぞ。あの化物(・・・・)に殺された天獄八鬼は全員、この現代に転生している。ただまぁ……『転生による劣化』ってのが、思いのほかにえげつなくてな。かつての力を取り戻すのに苦労したもんだぜ」


 ヴァルトラは会話を繋ぎながら、遥か後方に控えるサルコへ視線を向ける。


(聖女の魔力を宿し、ゼルが守護する女……もはや疑う余地はない。サール・コ・レイトン、こいつが聖女の転生体だ!)」


 サルコ=聖女の生まれ変わりと断定。

 ゼルのことはひとまず隅へ置き、魔王より下された最優先任務――転生体の抹殺に動く。


(こいつさえ……こいつさえ殺せばッ!)


 真紅の両翼をはためかせ、最高速でサルコのもとへ迫った。


 しかし、


「――どこへ行くつもりだ?」


 進路上に鋭い羽根の矢が放たれ、


「ちぃ……ッ」


 ヴァルトラは後退を()いられた。


 大剣士ゼル・ゼゼドの脅威は、決して無視できるものではない。

 彼を自由(フリー)にしたまま、転生体を抹殺することは困難を極める。


「あ゛ーったく……うざってぇなァ゛!」


 その後、壮絶な空中戦が繰り広げられた。


「ハァアアアア!」


「オラァアアア!」


 白銀の双剣と邪悪な火炎が激しくぶつかり合う中、


「ぬん!」


「こ、の……っ」


 ゼルの双剣が着実にヴァルトラを削っていく。


「どうした、動きが冴えないな。それが『転生による劣化』というやつか?」


「ぐっ……ほざけぇ゛!」


 ゼルの指摘通り、ヴァルトラは精彩を欠き、劣勢に立たされていた。


 理由は二つ。


 一つは、ゼルのコンディション。

 鳥の獣人は、羽の状態によって、その強さが大きく変動する。

 かつてレオナード教国でオウルたちと剣を交えたとき、彼の羽は酷く痛み切っており、本来の力の一割以下だった。

 それから二度の換羽(かんう)を経た今、七割ほどの状態にまで引き上げてきている。


 そしてもう一つは、ヴァルトラの散漫な注意。


(くそっ、シルバーの野郎は、どこに隠れていやがる!?)


 この場には、聖女の転生体と大剣士ゼルが(つど)っている。

 ヴァルトラの視点からすれば、陰の英雄(シルバー)を警戒するのは必然。


(苦しいが、『奥の手』を使うのは奴が現れてからだ……っ)


 切り札を温存したまま、シルバーの奇襲を警戒しつつ、七割のゼルを相手にする。

 天獄八鬼ヴァルトラと(いえど)も、この難行を成すのは至難の業だ。


「何を企んでいるのかは知らぬが……。『龍化(りゅうか)』もせずに戦うとは、随分と舐められたものだな」


「が、は……っ」


 ゼルの双剣は鋭く、強靭な外皮がいとも容易く斬り裂かれる。


(くそ、このままじゃマジでヤバい。いっそのこと龍化を――いや、(はや)るな。転生体の尻尾は既に掴んだ。ここで最悪なのは、俺が討たれて情報を失うこと。最も注意すべきは死角からの攻撃、すなわちシルバーの奇襲だ……っ)


 様々な情報がノイズとなり、判断に迷いが生じる。

 その隙を見逃すほど、(いにしえ)の剣士は甘くない。


「どうした、戦いに身が入っておらんぞ?」


「しまっ!?」


 白銀の剣閃が踊り、龍人の右腕が夜空を舞った。


「~~っ」


 燃えるような痛みを噛み殺し、全身に灼熱の(ほのお)(まと)う。


「――<紅蓮憑依(ウェア・フレイム)>ッ!」


 広範囲の魔法攻撃を見たゼルは、決して無理をすることなく、余裕を持って後方へ飛び下がった。


(さて、そろそろ仕留めるか)


 炎が消えると同時に首を()ね落とす。

 ゼルが剣の持ち手に力を込めたそのとき、


「――<天炎之儀(フレイム・リチュアル)>!」


 グラウンドの中央に大きな祭壇が出現。


「あれは……儀式魔法?」


 ヴァルトラは泣き分かれた右腕を触媒(しょくばい)に、儀式魔法を遠隔展開した。


「これより一刻の間、学院全域を地獄の炎で焼き尽くす! ゼル、てめぇならこの程度は問題にならねぇだろう。だが、ここにいる劣等種共はどうかなァ?」


「くっ、外道め……ッ」


「さぁ選べ! 俺を殺して、転生体を見捨てるか! 転生体を助けて、俺を取り逃がすか! 二つに一つだ!」


 ヴァルトラはそう言って、儀式魔法を起動。

 ゼルは逡巡の間もなく、グラウンドの中心へ飛ぶ。


 主人より下された命は学友の護衛、天獄八鬼ヴァルトラの討伐は二の次だ。


「ふんッ!」


 祭壇を斬り裂けば、儀式魔法は消滅。

 ヴァルトラはその隙に二つの魔法を紡ぐ。


「――<魔力探知不可(ヒドゥン・マジック)>・<異界の扉(ゲート)>」


 追跡を防ぐために自身の魔力を隠匿(いんとく)し、逃走用の出口を背後に生成する。


「非常に(しゃく)だが、この場は退()かせてもらう」


 理想を言えば、この場で聖女の生まれ変わりを始末したかった。

 しかし、転生体の正体は掴んだ。

 収穫は十分。

 今ここで無理をするよりも、この情報を魔王のもとへ持ち帰るべき。

 ヴァルトラはそう判断した。


「今回はただの偵察に過ぎん。だが次は、魔王軍の本隊が動く! そして――聖女の転生体、貴様だけは確実に殺すッ!」


 龍人はサルコを睨み付けながら、異空の彼方へ消えていった。



 ヴァルトラが逃走した直後、参謀本部は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなる。


「天獄八鬼ヴァルトラ、<異界の扉(ゲート)>および<魔力探知不可(ヒドゥン・マジック)>を発動! 魔力反応、消失(ロスト)しましたッ!」


天盤(ヘブンズ・ボード)>から、邪悪な魔力がフッと消えた。


 情報士官の報告を受け、ニルヴァはすぐに次の策を打つ。


「聖女学院を中心とした半径10kmに聖騎士を展開! <異界の扉>の有効射程は、それほど広くない! 絶対に逃がすな! なんとしても見つけ出すんだ!」


 それは、あまりにも無謀な命令だった。


 エルギア王国は、四大国でも屈指の面積を誇る。

 その広大な領土の中から、<魔力探知不可>で身を隠した一体の魔族を見つけることは、砂漠の中の針を探すに同じ。

 とてもじゃないが、見つけられるとは思えない。


 天獄八鬼討伐作戦は失敗、参謀本部に重苦しい空気が流れる。


「……くそ……ッ」


 険しい顔をしたニルヴァは、珍しく自制心を失い、力強く机を叩いた。


 天獄八鬼が国境を越えたという情報は入っていた。

 敵の狙いは十中八九、聖女の転生体の抹殺。

 おそらくは王国全土に魔獣を召喚し、こちらの戦力を分散させ、その隙に聖女学院を強襲するだろう。


 魔族の戦略をそう読んだニルヴァは、万全の備えをしてきた。

 王国全土を薄く広くカバーできるように聖騎士を配備し、王都には『天賦の剣聖オウル・ラスティア』を、聖女学院には『天倫のバダム・ローゼンハイム』を置いた。


 敵の襲撃がシルバーとの会食と被ったときは、心の中で『僥倖だ』とさえ思った。

 もしも彼の目の前で、天獄八鬼を退(しりぞ)けられたならば、聖女陣営に王国の武威、すなわち利用価値を示すことができる。

 そうすれば国王マグナスの秘策、シルバーをアイリスの後見に付け、聖王国の間接統治を望む――この達成見込みが大きく高まる。


 しかし、現実は甘くなかった。


 天獄八鬼は想定を遥かに超え、その圧倒的な力を前にバダムは敗北。

 大剣士ゼルの助力のおかげで、学生こそ助かったが……。


 結果を見れば、討伐作戦は大失敗。


 シルバーの中で、王国の評価は大きく傷付いただろう。

 これではとても、聖王国のパートナー候補に成り得ない。


(腐敗した王国の起死回生となる妙手、千載一遇の好機をみすみす不意にしてしまった……っ)


 その落胆ぶりたるや、筆舌に尽くし難いものがある。


「……シルバー殿、面目ない。天獄八鬼を取り逃してしまったようだ」


 ニルヴァは目を伏せたまま、申し訳なさそうに謝罪する。


 しかし、いつまで経っても返事はない。


「……シルバー殿……?」


 ゆっくり顔を上げるとそこに、シルバーの姿はなかった。


「お、おい、シルバー殿はどこへ行かれた!?」


「そう言えば……作戦の中ほどで離席されてから、まだ戻ってきていませんね」


 報告を受けたニルヴァは、がっくりと肩を落とす。


「……そうか。いや、当然だな。我等の作戦があまりに(つたな)きゆえ、呆れて帰られたのだろう……」


「い、いえ、決してそのようなことは……っ」


 情報士官の一人がすぐにフォローを入れるも、ニルヴァは力なく首を横へ振る。


「実際、何もできなかった。もしもゼル殿の助力がなければ、今頃聖女学院の生徒たちは、皆殺しにされていただろう……」


 沈痛な空気が参謀本部を支配する中、突如として<天盤(ヘブンズ・ボード)>に巨大な球体が浮かび上がる。


「こ、これは……王国北部ヒゾル森林に巨大な魔力反応が発生!」


「パターン黒、天獄八鬼ヴァルトラです!」


「おいおい、なんて魔力だ……っ。さっきの二倍、いや三倍……まだデカくなるぞ!?」


「奴がこれほどの大魔力を解放する相手……まさか!?」


 ニルヴァは呆然と<天盤>を見上げながら、とある確信のもとに呟く。


「……間違いない、()だ……っ」


 血が(にじ)むほどに拳を握り、卓越したニルヴァ(ブレイン)を回す。


何時(いつ)だ、どこでわかった……ッ)


 シルバーは作戦の途中に離席し、単独でヒゾル森林へ向かった。

 まさか適当にぶらりと出歩き、偶然天獄八鬼と出くわしたということもあるまい。

 彼はなんらかの『確信』を持って、あの場へ(おもむ)いた。


 此度の戦いの結末・ヴァルトラの思考・敵の逃走経路――その全てを誰よりも早く読み切り、余裕を持ってヒゾル森林で待ち構えたのだ。 


「シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート、あの男はいったい何手先まで読んでいるのだ……っ」


『王国の頭脳』と呼ばれるニルヴァは、遥か格上の智者を前に、生涯初となる敗北の味を噛み締めるのだった。

【※特報!】

なんと本作、コミカライズが決定しました!

漫画です! 漫画になります! 漫画になっちゃいます!


聖女様が、ローが、サルコが!

ゼルが、節穴レイオスが、カス(カース)が!

漫画になって自由自在に動き回ります!

レーベルや掲載媒体はまた後日、情報解禁日になりましたらお知らせします!


もう後は六日後に発売を控える、書籍版第一巻さえ売れてくれれば……アニメ化も夢じゃありません!

書籍版には新規書き下ろし『三百年前の物語』が収録されておりますので、聖女パーティの成り立ちや活躍が気になられた方は、どうぞ手に取ってみてください!※三百年前の物語は、一巻限りの読み切りではなく、書籍版で継続連載していく予定です。


ここまで来られたのも皆様のおかげです!

Webで応援してくれた皆様、書籍版を買っていただける皆様、本当にありがとうございます!


また、目標の『16万ポイント』まで、後たったの『6156ポイント』……!

後ほんのもうちょっと! しかし、ここからの伸びが本当に難しいんです……っ。


この下にあるポイント評価から、1人10ポイントまで応援することができます。10ポイントは、冗談抜きで本当に大きいです……!


どうかお願いします。

ほんの少しでも

「シルバーがついに動くぞ!」

「さすがは聖女様、いったい何手先まで読んでいるんだ……!?」

「……本当に読んでいるのか……?」

「面白いかも! 続きを読みたい!」

と思われた方は、下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、応援していただけると嬉しいです!


今後も『定期更新』を続ける『大きな励み』になりますので、どうか何卒よろしくお願いいたします……っ。


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(※『読んだよー』の一言でも感想をいただけると、作者がウキウキと喜びます)

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― 新着の感想 ―
面白いです! 読んでますよー!
[良い点] この小説、すごい好みです。 おもしろいし、読みやすいし、ポンコツ聖女さまかわいい。 あと、聖女さまの最強ぶりが爽快です。 執筆楽しんでくださいな。 私は、拝読を楽しみます♪
[良い点] まさかまさか、あのシルバーさんがたまたま歩いてて、遭遇したなんてことないですよねー!笑 いやー、計画通りというやつですかー笑笑 コミカライズおめでとうございます! アニメ化も期待してます…
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