エピローグ
【☆★おしらせ★☆】
あとがきにとても大切なお知らせが書いてあります。
最後まで読んでいただけると嬉しいです……!
ルナが挨拶代わりに放った<炎>、それを渾身の防御魔法で防いだナターシャは、憎悪の眼を尖らせる。
「シルバー、貴様……ッ」
「安心するといい、ただの最下位魔法だ。死者はおろか、重症者もいないだろう。まぁ……魔獣部隊は全滅したがな」
いとも容易く戦況をひっくり返したルナは、ナターシャのもとへ歩みを進める。
すると次の瞬間、カソルラ軍の兵たちが、血相を変えて声をあげた。
「シルバー様、お気を付けくださいッ!」
「ナターシャは『蟲』の固有魔法で、脳を支配する!」
「この女に近付いてはなりません……!」
警告を受けたルナが、「蟲?」と首を傾げたその瞬間、
「もう遅い、既に射程距離よ! ――秘奥・傀儡奏ッ!」
ナターシャの全身から、おびただしい数の蟲が噴き出した。
傀儡蟲。
口に鋭い棘を持つ、蚊を極小サイズに縮めたような蟲だ。
彼らは生物の血管を通って脳髄に寄生し、宿主の行動を意のままに操る。
ナターシャはこの蟲を国民の頭に入れ、無理矢理に支配しているのだ。
(シルバーがどれほど強かろうと関係ない! どんな人間も、皮膚は柔く脳は脆い! 一匹だに通れば、妾の操り人形と成り果てる……!)
おびただしい数の傀儡蟲が飛来する中、
「うわぁ、気持ち悪ぃ……」
露骨に嫌な表情を浮かべたルナは、ほんの僅かに魔力の出力を上げた。
それと同時、彼女の周囲の重力が数千倍に上昇。
自重に耐えかねた蟲は、大地にめり込み、そのまま命を落とした。
「なっ、ぁ……っ」
常時垂れ流しにしている無駄な魔力、それをほんの少し強めただけ。
たったそれだけで、ナターシャの秘奥を完封してしまった。
目の前の存在は、あらゆる理を超越した、正真正銘の化物なのだ。
「その顔、もしや今のが奥の手か?」
「くっ、動くでない! レティシアの命が、どうなっても――」
「――<時間停止>」
世界中の時が凍り付いたようにピタリと止まり、<時間停止耐性>を持つルナとゼルだけが自由に動く。
「――よいのか! ……えっ?」
レティシアの身柄は、いつの間にかナターシャの手を離れ、ルナの元へ移っていた。
「貴様、いったい何を……!?」
「何って……ただ時間を止めただけだ」
「じ、時間停止……!? こ、の、化物め……っ」
ナターシャはそう毒づくと、微粒子サイズの蟲となって霧散する。
「あれ……逃げた?」
「いえ、この魔力反応は……まだやる気のようですね」
ゼルが言葉を切ると同時、大地が激しく揺れ動いた。
遥か遠方に見えるカソルラ城が崩壊し、そこからおびただしい数の『黒』が噴き上がる。
それは蟲。
全長100メートルを優に超える、禍々しい傀儡蟲の集合体だ。
「う、わぁ……凄く気持ち悪い……っ」
ルナが強烈な嫌悪感を覚える一方、
「驚いたな。まさかこれほどの魔法士だったとは……」
ゼルは素直に感心していた。
皮膚を突き刺す大魔力、途方もない数の蟲を操る魔法技能。
ナターシャの魔法士としての実力は、三百年前でも通用する水準にあった。
「二百年と城下へ溜め続けた『蟲壺』。ここで使い果たすのは少々惜しいが……シルバー! 貴様さえ支配できれば、万事問題ない!」
帝国を墜とすための切り札、蟲壺。
カソルラ城の最下層に沈む、傀儡蟲の超巨大な巣。
そこに蠢く全ての蟲を解放した彼女は、今この瞬間に限り、人間という種族の限界を超えた――超常の力を手にする。
「ゴドバの兵たちよ! 今すぐに逃げるのだ……!」
「蟲を入れられれば最後、我らと同じく、あの女の言いなりになってしまうぞ!」
カソルラの兵たちの忠告を受け、ゴドバ軍は蜘蛛を散らしたように逃げ惑う。
「シルバー、貴様の肉体……この私に寄越せぇええええ……!」
異形と化したナターシャが両腕を振り下ろせば、魔力で強化された傀儡蟲が凄まじい勢いで殺到する。
幾億もの大群に対し、ルナはスッと右手を上げた。
「必殺――」
次の瞬間、世界が『夜』に包まれる。
天を埋め尽くすは、射干玉の黒。
夜を濡らしたような漆黒の中、遥か上空で甲高い異音が鳴り響く。
「これは、まさか……!?」
ゼルの脳裏を過るのは、三百年前の大破壊。
一撃で島を消した、理外の超魔法。
「に、逃げろぉおおおおおおおお……!」
忠臣が警告を放つ中、聖女の右手が振り下ろされる。
「――虫メガネ」
次の瞬間、
「……あ゛……?」
天より降り注ぐは聖なる極光、眩い光の槍が大地を刺し穿つ。
聖女の必殺技の一つ――虫メガネ。
太陽が放つ莫大な『熱』と『光』、それらを理外の大魔力によって強引に捻じ曲げ、地表の一点に集める原始的な魔法だ。
単純ゆえに強力。
虫メガネの要領で放たれたその一撃は、まるで紙を焼き焦がすが如く、ナターシャという害蟲を貫いた。
一秒後、焼け焦げた地表には、ぽっかりと空いた奈落の大穴。
「し、神話の大魔法……っ」
「……戦いの、規模が違う……」
「ば、化物だ……ッ」
戦場が呆然とする中、ゼルは驚愕に目を見開く。
(なんと控えめな威力……っ。これはまさか――)
ゼルの視線の先には、ヘルム越しにもわかる『ドヤ顔』があった。
「ふふっ、今回は上手く手加減できたでしょ?」
「……さすがは聖女様、感服いたしました」
三百年前、ルナはこの『虫メガネ』を使って、とある孤島をうっかり地図から消してしまった。
それと比較すれば、此度の一撃は100分の1以下。
きちんとコントロールの利いた、なんともマイルドな一撃だ。
焼け焦げた異臭が広がる中――奈落の底から、瀕死の魔女が這い上がる。
「はぁ、はぁ……シル、バー……ッ」
ルナの異常な魔力を感知したナターシャは、全ての蟲の生命を魔力に変換――それを防壁として使い果たすことで、『虫メガネ』の一撃を耐え抜いたのだ。
「おや、弱火に過ぎたか?」
「いえ、今回は敵の迅速な判断と優れた魔法技能を褒めるべきかと」
ナターシャの技量を称えたゼルは、
「――<縛り羽>」
剛柔併せ持つ魔法の羽で、彼女の両手両足を固く結んだ。
ルナはその間、レティシアのほうへ向き直る。
「危ないので、動かないでくださいね?」
「は、はい……っ」
彼女に嵌められた首輪と手錠、それらを優しく指で摘まむ。
「よいしょっと」
メギメギメギッという強烈な異音が響き、鉄製の拘束具は見るも無残に破壊された。
「これでもう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
無事に解放されたレティシアのもとへ、満身創痍のラムザが駆け寄る。
「レティシア様……!」
「わっ、ととと……っ」
「よかった……本当に、無事でよかった……ッ」
彼は何度もそう呟きながら、レティシアを優しくギュッと抱き締めた。
「ありがとう、ラム。気持ちはとっても嬉しいんだけど、さすがにちょっと恥ずかしいかも……っ」
最愛の騎士に抱き締められるのは、嘘偽りなく嬉しいのだが……。
大勢の人々が集うこの場では、恥ずかしさの方が上回った。
レティシアが頬を赤く染める中、兵たちの視線は一点に注がれる。
「……強い。いや、強過ぎる……っ」
「これが伝説の聖女パーティ、『陰の英雄』シルバー様の武力か……ッ」
「この無茶苦茶な力……やはりあの御方は、聖女様の代行者だ!」
両軍の兵たちは、魅せられていた。
シルバーの圧倒的な力に、超然とした立ち振る舞いに。
昔から、ルナの戦いには『華』があった。
苦戦の末の勝利とは違う。
ただただ圧倒的。
あらゆる攻撃を意に介さず、圧倒的な超火力で捻じ伏せる。
その豪快な戦いぶりは、時代を問わずして、人々の心を震わせるのだ。
戦に勝利したゴドバ軍。
二百年以上も続く、蟲の支配から解放されたカソルラ軍。
両軍が歓喜に沸かんとしたそのとき、
「――くはっ」
蟲の女王が邪悪に嗤う。
「……レティ、シア……様?」
「……えっ……?」
レティシアは護身用の短剣で、ラムザの心臓を一突きにした後、そのまま剣先をクルリと翻し――自身の胸を貫いた。
「「「なっ!?」」」
誰も彼もが目を疑う中、
「ふ、ふふっ……あっはははははははは……! 道連れじゃ! レティシアもラムザも、決して幸せにはさせん! 私と共に、地獄へ落ちるのだッ!」
ナターシャは狂ったように嗤う。
彼女は命じた。
レティシアの脳に入れておいた蟲へ、『ラムザを殺して自害せよ』という最悪の命令を。
かつて自らの母カソルラと、その姉ゴドバを謀殺したときと同じように。
「こやつ、なんと邪悪な女か……ッ」
瞬時に現状を理解したゼルは、すぐさま剣を引き抜き、ナターシャを一刀のもとに斬り伏せた。
「くっ、かか、か……っ。一足先、に……あの世で待っておる、ぞ……ッ」
女帝は呪詛を吐き散らしながら絶命。
主を失った傀儡蟲は、淡い光となって霧散した。
「な、なんということだ……っ」
「回復魔法士、急げ……!」
現場が騒然となる中、後方に控えた回復魔法士たちが、大急ぎで最前線へ駆けあがる。
「すぐに輸血の準備を……!」
「ポーションをありったけ持って来い!」
「回復魔法の準備に入ります!」
ゴドバ軍が応急処置を進める中、カソルラ軍が動き出す。
「おい、うちのポーションを使ってくれ! 帝国製の中位ポーションだ!」
「魔法士部隊! すぐに補助へ入れ!」
「急げ、儀式の準備だ……!」
武道国と魔道国――敵味方の別なく、両軍が手を取り合って、ラムザとレティシアへ治療を施す。
ゴドバもカソルラも、元を辿れば同じリンドリアの民。
同胞への親愛は、もちろんある。
そして何より、カソルラの兵たちは、その身を以って知っていた。
『ゴドバの乱心』と呼ばれるあの痛ましい事件が、魔女ナターシャによって引き起こされたことを。
「レティシア様、お気を強く持ってください! 大丈夫です! 我が国の回復魔法士は優秀ですから! これぐらいの傷、きっとすぐに治ります!」
ラムザはレティシアの手を優しく握りながら、ひたすらに励ましの言葉を掛け続ける。
彼もまた生死を彷徨う重傷なのだが、主人の命が懸かった今、もはやそれどころではなかった。
その間にも、魔法士部隊の準備が完了。
「「「――<癒しの光>!」」」
ポーションの循環治療と並行して、中位の回復魔法が展開される。
しかし、
「ぐっ、これは……っ」
「……出血が多過ぎるッ」
二人の心臓は完全に破壊されており、生半可な回復魔法では焼け石に水だ。
徐々に弱っていくラムザとレティシア。
心根の優しいルナが、指を咥えて見ているわけもない。
「あ、あの……私が治しま――」
「――聖女様、お待ちください」
名乗り出ようとするルナに、ゼルが素早く「待った」を掛ける。
「えっ、でも……」
「ここはどうか、私めにお任せを。決して悪いようには致しません」
「……わかった」
忠臣の強い要望を受け、ルナは言葉を引っ込めた。
「……ラム、いる……?」
「はい、ここにおります……!」
「……ごめんね……。私、いつも……足を引っ張ってばかりで……」
「何を仰るのですか! レティシア様のおかげで、私は人に戻れた! あなたのおかげで、生きる意味を見い出せた! 全て、あなたのおかげなんです!」
「……そっか、よかっ、た……」
レティシアは儚げに微笑み、その白く細い手をラムザのもとへ伸ばす。
「魔力反応、さらに低下!」
「ポーションはもうないのか!?」
「もっと魔力を込めろ! ありったけを注ぎ込め!」
魔法士部隊が懸命な治療を施す中、
「……いつの日か、覚えて、る……? ほら、ラムってば、ずっと……謝ってばかりで、さ」
どこか遠い場所を見つめながら、訥々と昔話を語り始める。
レティシアの暗殺に失敗したラムザが、彼女の騎士になって早五年。
帝国に施された洗脳が解け、人の心が戻り始めた頃――。
【――本当に申し訳ございません】
【ねぇ、また私を刺したときのお話……? あれはもう過去のことだから、気にしなくていいってば】
【いえ、そういうわけには……】
【はぁ……。前にも言ったと思うけど、私はラムのおかげで、十回以上は命拾いしているからね? あなたには、とっても感謝しているんだよ?】
この五年間、レティシアには何度も刺客が差し向けられ、ラムザはその全てを返り討ちにした。
超一流の暗殺者である彼は、同業の手口を熟知している。
彼は騎士としての役割を完璧に果たし、主の命を幾度となく救ってきた。
しかし、それはそれ、これはこれ。
たとえ未遂に終わったとはいえ、ラムザは自身の行いを――主人の胸に刃を突き立てたことを許せなかった。
【……やはり私のような男に、レティシア様の騎士は務まりません。我が国には、優秀な剣士がたくさんいます。彼らを騎士に付けた方が――】
【――ダメ。あなたはずっと私の騎士です。他の者は認めません】
レティシアは即答し、ラムザは食い下がる。
【な、何故ですか……っ。理由をお聞かせください】
【えっと、それは、その……】
返答に窮したレティシアへ、ラムザの真っ直ぐな視線が注がれる。
【実は……私、あなたのことが――】
【自分のことが……?】
【……もぅ、ラムは本当に鈍いね】
【も、申し訳ございません……】
あのとき綴れなかった言葉。
ずっと胸の奥に秘め続けた気持ち。
「――私、ラムのことが好き、あなたのことが大好き」
レティシアはそう言って、太陽のように微笑んだ。
「あ、はは……最期に、やっと言えた……」
安堵の息が零れると同時、彼女の体からスーッと生気が抜けていく。
心の閊えが取れたことで、納得してしまった。
この結末を受け入れてしまったのだ。
「やめろ、最期だなんて言うな……レティシア……っ」
「そんな顔、しないで……。ちゃんと笑顔で、おわかれ、しよ……?」
「……いやだ。やめてくれ、頼む……お願いだ……ッ」
ラムザの瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。
「……魔力反応さらに低下、これ以上はもう……っ」
「ぐっ……」
「こんな終わり方って……ッ」
現代の魔法医学では、破壊された心臓を再生することはできない。
ラムザとレティシアの死は不可避、もはや手の施しようがない状態だ。
沈痛な空気が立ち込める中、
(……さて、そろそろ頃合いだな)
いつになく『悪い顔』をしたゼルが、純白の両翼を大きく広げ、胸いっぱいに空気を吸い込む。
「――おぉ、なんという悲劇だろうか! 互いを想い合う主人と従者、そんな二人を引き裂く残酷な運命! とても見過ごせるものではない!」
全軍の視線が集まる中、彼は力強く宣言する。
「たった今、聖女様より宣託が下った! 慈愛に満ちた彼女は、悲劇の運命に囚われた貴殿らを哀れに思い、『聖なる癒し』を授けんと欲しておられる!」
「聖なる、癒し……?」
ラムザの呟きに対し、ゼルは力強く頷く。
「聖女様の奇跡は、森羅万象を凌駕する! 覆水は盆に返り、時計の針は巻き戻り、落ちたリンゴは枝に結ばれる! 畢竟、破壊された心臓とて、たちまちのうちに再生するだろう!」
「そ、その聖なる癒しを――聖女の奇跡を授かるには、どうすればいい!? レティシアが助かるのならばなんでもする! この命だろうと魂だろうと、全てくれてやる! だから、頼む……教えてくれ!」
必死に懇願するラムザ、しかしゼルは小さく頭を振る。
「聖女様は全知全能、故に何もお求めにならない」
「では、どうすれば!?」
「必要なのは『心』だ」
「こ、心……?」
「然り。聖女様の奇跡を賜れるのは、心の底より聖女様を信奉する者のみ。ラムザ殿とレティシア殿、二人が真に聖女様を崇め敬うのであれば――『奇跡』は成るだろう」
とても信じられない話だ。
平時の――現実主義者のラムザであれば、鼻で笑い飛ばしたに違いない。
しかし、先ほど見せ付けられた、シルバーの神懸かった武力。
あれほどの大英雄が、三百年と忠義を尽くす超常の存在――聖女。彼女の力を以ってすれば、不可能など存在しないことのように思えた。
「頼む、聖女よ。いや、聖女様……! 俺のことはどうだっていい、レティシアだけでも治してやってくれ……っ」
ラムザは目の前に垂らされた最後の藁に縋り付き、誇りも矜持も捨て去って、その心命を捧げた。
「聖女、様……私のことは……構いません。どうか、ラムの傷をお治し……くだ、さぃ……」
レティシアは最期の力を振り絞り、切なる願いを口に乗せた。
二人の美しい祈りは、国の垣根を越え、両軍に伝播していく。
「ゴドバ全軍より、お願い申し上げる。聖女様、どうか貴女様の御慈悲を……っ」
「カソルラ全軍、伏してお願いいたします。レティシア殿とラムザ殿へ、聖女様の奇跡を……ッ」
みなが聖女に祈りを捧げ、レティシアとラムザの回復を願う中――ゼルがバッと大空を見上げる。
「おぉ、見るがいい! 天より降り注ぐ、この神聖なる光を! 貴殿らの切なる思いが通じ、聖女様の奇跡が紡がれんとしているのだッ!」
全員が空を見上げると同時、
(聖女様、今ですよ、今! いつものやつをお願いします!)
ゼルはとてもいい顔でサインを送り、
(えっ、あっ、うん……)
どんより顔のルナは、こっそりと回復魔法を使う。
(――<聖龍の吐息>)
次の瞬間、途轍もない大魔力が天より降り注いだ。
神の御業たる『極位魔法』が展開され、まるで時が遡るかのように、ラムザとレティシアの体が再生していく。
「う、そ……こんなことが……っ」
「ほ、本当に……聖女様は実在するのか……ッ」
完全回復を遂げた二人は、信じられないといった様子で、お互いに見つめ合う。
神の奇跡――否、聖女の奇跡を目にした群衆から、地鳴りのような喝采があがる。
「う、ぉ、おおおおお゛お゛お゛お゛……!」
「なんという御力、なんという奇跡、そして……なんと慈悲深き心……っ」
「聖女様、ありがとうございます、本当にありがとうございます……っ」
感謝・興奮・熱狂――そして天井を知らぬ、信仰の高まり。
両軍の聖女に対する忠誠は、限界を超えて強まっていく。
誰も彼もが喜びに浸る中、ルナは一人、苦しそうに胸を押さえた。
(う、うぅ……っ)
聖女様、人を騙すのが細胞レベルで苦手。
本当は聖女の奇跡でもなんでもないのに、ただ自分が回復魔法を使っただけなのに……それをあたかも大袈裟に表現し、恩を売り付ける行為に対し、途轍もない罪悪感を抱いているのだ。
よくもまぁこれで、『悪役令嬢になりたい!』と言えたものである。
「ぜ、ゼル……やっぱり駄目だよ、こんなみんなを騙すようなこと……っ」
「いえ、問題ありません。何せここにいる人々はみな、聖女様に救われたのですから」
ゼルの言葉は正しい。
もしもルナが手を出さなければ、レティシアとラムザは非業の死を遂げ、武道国と魔道国はナターシャの手に落ち……。邪心に満ちた蟲の女王はなおも止まらず、アルバス帝国へ戦争を仕掛け、血みどろの世界大戦が勃発していた。
結果だけを見れば、ルナはレティシアとラムザどころか、武道国と魔道国を――この世界全土を救済している。
しかし、それはそれ、これはこれ。
(私は……なんて邪悪なことを……っ)
誰よりも心が綺麗な聖女様は、みんなを騙した罪悪感に苛まれ、どんよりと肩を落とすのだった。
■
一時間後、最低限の戦後処理を終えたルナ・ゼル・レティシア・ラムザは、ゴドバ城最上階の執務室に集まっていた。
ソファに腰を落ち着かせたルナとレティシアは、小さな机を挟んで向かい合い、従者たちは己が主の背後に控える。
「シルバー殿、ゼル殿、そしてどこかで見ておられる聖女様、此度は我が国へ御助力いただき、また私共の命を救っていただき、本当にありがとうございました」
レティシアが謝意を伝えると、ルナは「いえいえ」と片手を振った。
「シルバー、先日の非礼をここに詫びよう。どうか私の無知を許してほしい。聖女様は――実在する」
「御理解いただけたようで何よりです」
ラムザの禊の謝罪が済んだところで、レティシアがとある提案を口にする。
「我が国は、聖女パーティの皆様に救われました。そのお礼ではないですけれども、武道国の国教として『聖女教』を認可したいと――」
「――いえ、けっこうです。あの異常者たちは、うちとは完全に無関係なので」
「そ、そうなのですか?」
「はい。あの厄介ファンたちには、こちらも頭を痛めているのですよ……」
ちょっとした冗談を挟み、いい具合に場が温まったところで、レティシアがコホンと咳払いをする。
「さてシルバー殿、以前お話にあがっていた同盟の件なのですが……」
「えぇ、武道国とは今後も良き関係を築いていければと――」
「――その件については、謹んでお断りさせていただきたく存じます」
「え゛っ」
「……理由をお聞かせ願えますか?」
予想外の回答を受け、ルナはわかりやすく動揺し、ゼルは鋭く目を尖らせた。
レティシアとラムザは頷き、武道国の見解を述べる。
「我が国の軍は、先の戦争で酷く消耗しております。帝国および周辺の小国が、この機を逃すはずがありません。おそらく我々は、近日中に侵攻を受け、滅ぼされてしまうでしょう。私は武道国の宗主として、何か策を講じなければなりません」
「聖王国との同盟は、確かに妙手と成り得るのだが……。これには細かな調整が必須であり、相応の時間を要する。その間、血と欲に塗れた他の国々が、手負いの我等を放っておくはずもない。今求められているのは、『迅速かつ確実な防衛策』だ」
ラムザはそこで言葉を切り、レティシアに続きを預けた。
「そこで一つ、御提案があります。もしも聖女様がお許しになられるのであれば――我が国を、聖王国の庇護下に入れていただけないでしょうか?」
「それは、どういう……?」
ルナは小首を傾げ、
「なるほど、そういうことか」
ゼルはニヤリと微笑んだ。
「国際法に則って、我が国を『聖王国ゴドバ領』とし、この報せを世界に発表するのです。そうすれば、あらゆる勢力がうちへ手出しできなくなる。もしもそんな愚を犯せば、聖女様・シルバー殿・ゼル殿を――『伝説の聖女パーティ』を敵に回すことになりますからね」
「もちろん、相応の対価は納めるつもりだ。人材の派遣・資源の供与・流技の伝播。戦後処理が終わり次第、速やかにこれらの実施を約束しよう」
人材・資源・技術、聖王国の求めていた全てが、目の前に並べられる。
「シルバー殿、改めてお願い申し上げます。偉大なる聖王国の傘下に、武道国を加えていただけないでしょうか?」
「どうか偉大なる聖女様の御判断を仰いでくれ」
「い、いやいや、そんなこと急に言われましても……っ」
混乱するルナをよそに、ゼルは力強く頷いた。
「――いいでしょう。聖女様は『万事問題ない』と仰られております」
「ちょっ、ゼル!?」
ルナが「待った」を掛けるよりも早く、レティシアとラムザの顔が安堵に綻ぶ。
「あ、ありがとうございます……!」
「なんと慈悲深き心……感謝の言葉もございません!」
唯一王であるルナを置き去りにしたまま、トントン拍子に話が進んで行く。
そんな中、突如として荒々しいノックが響いた。
「れ、レティシア様、大至急お伝えしたいことが……!」
「どうぞ、入ってください」
扉の外から「失礼します!」という大声が響き、恰幅のいい兵がドスドスドスと走り参ずる。
「いったいどうしたというのだ、大切な客人の前だぞ……?」
不快感を顕わにするラムザに対し、衛兵は気圧されながらも報告を述べる。
「も、申し訳ございません。しかし、魔道国の全権大使が来ておりまして、とにかくその……バルコニーまでお越しください!」
「魔道国の全権大使……?」
「どうやら、ただごとではなさそうだな」
ルナ・ゼル・レティシア・ラムザは、ゴドバ城二階のバルコニーへ移動。
するとそこには、総勢三万人にもおよぶカソルラ軍が平伏していた。
武装解除した彼らの先頭に座すは、ナターシャに戦争の停止を求め、昏倒させられた男――カソルラ軍総隊長。
剣・盾・鎧、あらゆる装備を脱ぎ置き、無防備な姿を晒した彼は、ゆっくりと地に頭をつける。
「七代宗主レティシア・リンドリア様、まずは先代ナターシャによる暴虐をお詫びしたい。本当に申し訳なかった……っ」
総隊長の謝罪に続き、背後の兵たちも頭を下げる。
「ただ、どうか御理解いただきたい。我々に貴国への――同胞への敵意は皆無。ナターシャに蟲を入れられ、親類を人質に取られていたゆえ、従わざるを得なかった。これだけは、御承知おきください」
彼の言葉は嘘偽りのない真実であり、この場にいる全員が理解していた。
「魔道国は今後、貴国が復興を成し遂げるまでの間、あらゆる形での支援をさせていただきます。本件については、後ほど外交特使をお送りしますので、そこで詳しくお話ができればと」
「えぇ、ありがとうございます」
レティシアの言葉を受け、総隊長は再び頭を下げた。
「そして――聖女様の代行者シルバー殿!」
「えっ、私?」
急に話を向けられたルナは、一瞬、素で返事をしてしまう。
「一つ確認させてください。ここでのお話は全て、聖女様が聞いておられる。この認識で、間違いないでしょうか!?」
「そりゃまぁ……聞いているでしょうね」
本人と直接話しているのだから、至極当然のことだ。
「では、我等カソルラ全軍、伏してお願い申し上げます。――聖女様、貴女にカソルラ魔道国を統治していただきたい!」
「……は……?」
「我が国は宗主を失い、後継者もおりません。王位の浮いた国が破滅の道を辿るのは、これまでの歴史を見ても明らか。統治者を失った我々には、誰もが認める『唯一にして絶対の王』が必要なのです!」
総隊長の言葉に自然と熱が籠る。
「もちろん、相応の対価はお支払いします! 我が国で産出される高純度の魔石、長きにわたる魔石研究の成果、さらには魔道具産業で得られる利益! この半数を提供ないしは共有させていただきます!」
魔道国が提示した条件は、まさに破格のものだった。
「本件は緊急議会の承認を得たものであり、魔道国に住まう全ての民の願い! どうか、聖女様の御慈悲を……!」
総隊長が切に頭を下げれば、
「「「聖女様の御慈悲を……ッ」」」
三万の軍勢が頭を垂れ、聖女の慈悲を求めた。
「え、えー……っ」
見るからに嫌そうな顔をするルナに対し、
「くっくっくっ……そうかそうか、実に結構なことだ」
望み通りの――否、それ以上の成果を手にしたゼルは、とびきり邪悪な笑みを浮かべる。
「――聞け、敬虔なカソルラ兵たちよ! 寛大なる聖女様は、貴国の望みを聞き届けられた! これより先は『聖王国カソルラ領』として、新たな一歩を踏み出すがよい!」
「あ、ありがとうございます……!」
「「「ありがとうございます……ッ!」」」
三万人の大軍勢が歓喜の雄叫びをあげる中、
「聖女様ッ!」
カソルラ軍に潜む『隠れ聖女教徒』が、もはや我慢ならぬといった風に祈り始め、
「聖女様ッ!」
釣られた他の兵が、自然とその言葉を叫び、
「聖女様……ッ!」
極限に高まった信仰が、堰を切ったように溢れ出し、
「「「――聖女様ッ! 聖女様ッ! 聖女様ッ!」」」
地獄の聖女様の大合唱が完成、歓喜と熱狂がうねりをあげる。
一方、かつてないほどの信仰を捧げられた、我らが唯一王陛下は、
「あ、あわわ、あわわわわ……っ」
聖女脳のオーバーフローにより、言語機能を失っていた。
主人が機能不全に陥る中、忠臣は確かな手応えに胸を燃やす。
(さすがは聖女様、貴女の行動には『華』がある! 本人は何も考えておらずとも、その一挙一動が大衆の心を惹き付ける! やはり……成るッ! 私が頭脳となり、屋台骨としてお支えすれば、世界統一は決して夢物語ではないッッ! ルナ様を中心とした秩序、彼女が笑って暮らせる『新世界』は成し得るのだッッッ!)
こうしてゴドバ武道国とカソルラ魔道国を接収した聖王国は、建国から僅か一か月と経たぬうちに、その勢力を10倍以上に膨らませ、
(な、なんで……どうしてこんなことに……っ)
『一段飛ばし』ならぬ『十段飛ばし』の大飛躍を遂げた聖女様は、あまりにも早過ぎる展開にグルグルと目を廻すのだった。
【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて第5部は完結!
「第6部が、続きが読みたい!」
「第5部面白かった! 続きの執筆もよろしく!」
「聖女様の物語を、活躍をもっと見たい!」
ほんの少しでもそう思ってくれた方は、この下にあるポイント評価欄を【☆☆☆☆☆】→【★★★★★】にして、『ポイント評価』をお願いします。
ポイント評価は『小説執筆』の『大きな原動力』になりますので、どうか何卒よろしくお願いいたします。
最後になりますが、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
また第6部で会えることを楽しみにしております!
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