第二話:極秘会談
キュリオ様、素晴らしいレビューを書いていただき、ありがとうございます! とってもモチベーションになりました! 最強無敵の聖女様の物語、楽しく面白いものになるよう、今後も頑張って書いていきますっ!
参謀:軍事作戦・経営計画の策定など、国家運営の中枢に携わり、聖王国の頭脳となる役職。
(何故、よりにもよって参謀を……?)
ゼルの頭に浮かび上がったのは、ただただ純粋な疑問。
聖王国は現在建国の真っただ中であり、外務大臣・財務大臣・法務大臣・環境大臣・経済産業大臣などなど……空位の役職は、それこそいくらでもある。
しかし、幾多の選択肢の中から選ばれたのは――参謀。
聖女様から最も遠く離れたものだ。
(……どう、する……っ)
ゼルは深刻な表情で考え込む。
(昔からルナ様は、頭脳労働を苦手としておられる。言葉を憚らずに評するならば――ポンコツだ。彼女に参謀を任せれば、その先は文字通りの地獄。聖王国はまず間違いなく……崩壊する……っ)
ルナの参謀就任は『破滅への序曲』であり、なんとしても避けなくてはならない。
「あの……聖女様、参謀という役職は――」
「――参謀、かっこいいよね! なんというかほら『陰の支配者』、的な? 私、こう見えて頭が切れるところあるし、けっこう向いていると思うんだ!」
驚異的なほどに的を外した自己評価。
自分が参謀向きだと本気で思っているルナは、屈託のない無邪気な笑顔を見せた。
(……偉大なる祖霊よ、私はいったいどうすれば……っ)
ゼルは頭を抱えた。
彼の『目的』は、この曇りなき笑顔を守ること。
そのための『手段』が聖王国であり、新たな秩序の構築であり、聖女を中心とした世界の創造だ。
(考えろ、よく考えるのだ、ゼル・アリエス・ゼゼド……! 『目的』と『手段』を混同してはならぬ! 他でもない聖女様御自身が、参謀になりたいと仰っているのだ! 何を悩む必要があるッ!)
彼は筋金入りの忠臣、主の希望は『絶対遵守』。
ルナが参謀を希望しているのならば、あらゆる手段を駆使して、それを叶えるのが務め。
(しかし、あの聖女様を参謀に据えたまま、国家繁栄の道はない。だが、彼女は心から参謀に就くことを望んでいる。……ぐっ、ぬ、ぉおおおおおおおお……ッ)
悩みに悩み抜いたゼルは――断腸の思いで決断を下す。
「――参謀という役職……非常にお似合いかと」
「やっぱりそうだよね! それじゃ私、参謀に決定ー!」
大輪の花のような笑顔が咲き、聖王国の破滅が決まった――かのように思われたそのとき、『逆転の一手』が炸裂する。
「ときに聖女様、一つお願いしたいことがございます」
「なに?」
「私を『副参謀』に置いていただけないでしょうか?」
ルナを参謀として立てつつ、自分がそれをフルサポートする。
こうすれば、彼女の望みを叶えながら、聖王国を正しい軌道に乗せられる。
窮地のゼルが閃いた、会心の妙案だ。
「でも……ゼルはもう防衛大臣だよ? 二つの職を兼任するのは、ちょっと大変じゃない?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、ご安心ください。(聖女様の暴走を放置し、事後処理に奔走することに比べれば)この程度のことは、労苦にもなりません」
「そっか。それじゃゼルは、副参謀に決定!」
「ありがとうございます」
こうしてロー・ステインクロウに続く、第二の苦労人が生まれたのだった。
とにもかくにも、無事に役職決めが済んだところで、いよいよ『最後の議題』に入る。
「それからもう一つ、これが最も厄介な案件なのですが……」
「どうしたの?」
「『レイトン財閥』総帥クレバー・コ・レイトン殿から、コンタクトを受けました」
「レイトン財閥……(あれ、どこかで聞いた名前のような……?)」
ルナがちょっとした引っ掛かりを覚えている間にも、ゼルは話を先に進めていく。
「レイトン財閥は、世界を股に掛ける超巨大企業群の名称。レイトン商社を中核事業としつつ、金融・人材派遣・資源開発・魔道具製造・魔石加工など、様々なビジネスを展開しています。クレバー殿は多種多様な企業を合併・買収していく、『コングロマリット型の多角経営』により、一代でこの世界的な財閥を成しました」
「『コンブとマグロ型の叩き経営』……? なんかよくわからないけど、凄い人なんだね」
「はい。彼は間違いなく、現代社会の顔役の一人です」
はっきりとそう断言したゼルは、自分用のブラックコーヒーに口をつける。
「それで、そのクレバーさんがどうしたの?」
「彼は専属の秘書を連絡役としてこちらへ寄越し、聖王国との――シルバーとの『極秘会談』を希望しました」
「……なんで……?」
ルナの頭上に大きな『?』が浮かぶ。
「先方の言うところによれば、『聖王国樹立のお祝いと今後の良好な関係を構築するため』とのことですが……。彼らの本当の目的は、十中八九『品定め』でしょう」
「品定め……」
「聖王国が四大国と競う強国になるのかどうかを見極め、その前途が有望であったのならば、先行投資を打って草創期に縁を結ぼう。そういう腹積もりなのだと思います」
「な、なるほどぉ……」
ルナはポンと手を打ち、感心しきった様子で頷く。
実際、ゼルのこの推理は正しい。
聖王国という突如出現した未開拓地、クレバーはここに大きな商機を見い出していた。
「敢えて言うまでもないことですが、国造りには膨大な資源が必要となります。現金・資材・人手――我が国には、何もかもが足りておりません……。そんな折に降って湧いたレイトン財閥との極秘会談、これを利用しない手はないかと!」
ゼルの言葉に自然と熱が入る。
「ここで我が国の将来性を見せ付け、先方からの投資を引き出せれば、一気に明るい未来が開けます! 聖女様、此度の極秘会談、是非前向きにお考えいただけないでしょうか?」
「うーん……。でも私、そういう難しそうな話は、あんまり得意じゃないからなぁ」
参謀様のありがたい御言葉である。
「御心配には及びません。もしものときは、私がすぐにフォローいたします」
「ほんと?」
「はい。もちろん基本的な受け答えは、聖女様にお任せする形になりますが……。返答に困るような難しい問いが来たときは、このようにコンコンと人差し指で机を叩いてください。私が速やかに間へ入り、迅速なサポートをいたします」
「おぉ、それなら安心だね!」
ルナが納得を見せたところで、話は次の段階に移る。
「では早速、極秘会談の日取りを決めたいと思います。まずは聖女様の御予定をお教え願えますか?」
「私は……そうだなぁ。学校が休みの日だったら、いつでも大丈夫だよ」
ルナはそう言って、カレンダーをピッピッと指さし、休校日を伝えた。
「承知しました。それでは、<交信>の魔法で、日程調整をしてまいります」
「うん、お願い」
「お任せください。――<交信>」
ゼルは目を閉じ、クレバー専属の秘書と連絡を取り始めた。
その間、ルナはパタパタと足を振りながら、激甘コーヒーを飲みつつ、<交信>が終わるの待つ。
およそ三分後、ゼルの目がパチリと開いた。
「ふぅ……」
「お疲れ様。どうだった?」
「クレバー殿は現在、アルバス帝国で商談を行っているらしく、『明日の午前10時からではどうか?』と提案を受けました」
「明日って、随分と急な話だね」
「それだけ我々との会談を重視している、ということでしょう。好意的に捉えてよろしいかと」
「なるほど……それじゃ、その時間で進めてもらえる?」
「承知しました」
その後、ゼルは再び<交信>でクレバー陣営に連絡を取り、無事に極秘会談のセッティングが完了した。
「それにしても『超巨大財閥の総帥』とお話しかぁ……。いきなりビッグイベントが来たね」
「えぇ。なんとかこの好機を活かして、聖王国の礎を築きたいものです」
「……ところでさ、極秘会談ってどんなことを話すのかな?」
「まずは軽い世間話から始まり、空気が温まったところで、聖王国の展望や未来について語るのではないかと。――古くより、『備えあれば憂いなし』と言われております。せっかくですし、当日の流れを想定した『模擬会談』を行いましょう」
「うん、お願い」
そうしてルナとゼルは、極秘会談に向けた対策を練るのだった。
■
迎えた翌日、時刻は午前九時三十分。
アルバス帝国から聖王国に向けて、一台の古びた馬車が走っていた。
黒い塗装はまばらに剥げ落ち、車体には黒い錆が散見され、木製の車輪からは経年の劣化が漂う。どこに出しても恥ずかしくない、立派なボロ馬車だ。
しかし、その内装は豪華絢爛。
座席には最高品質の布地とクッションが使用され、天井の凝った装飾のランタンからは温かな灯が揺れ、<盗聴妨害>・<追跡無効>・<魔力探知不可>など、強力な防御魔法が張り巡らされている。
ボロボロの外装は隠れ蓑、野盗や商売敵の目を欺き、無用なトラブルを避けるための迷彩だ。
これ一台で大きな屋敷が買えるほどの特注馬車、その内部で揺られている男こそ、レイトン財閥が総帥クレバー・コ・レイトン、40歳。
身長170センチ、標準的な体型。
センター分けにされた金髪のミドルヘア・ライムグリーンの鋭い瞳・自信に満ちた顔立ち、上質な臙脂のスーツに身を包む。
シルバーに関する資料を手にした彼は、既に十数回と読み込んだそれをもう一度入念に吟味する。
(此度の商談の相手は、シルバー・グロリアス=エル・ブラッド・フォールンハート。聖女様の代行者であり、歴史に隠れた陰の英雄……。これまで私が交渉してきた中でも、間違いなく最強の相手であろう。一切の油断は許されない……)
世界最高峰の頭を持つクレバーは、その卓越した『クレバー脳』を超高速で回し――会談当日の相手の出方や想定される質問など、あらゆる状況を想定し、それに対する最適解を用意する。
既に百回以上とこなした脳内シミュレーション、その最終バージョンを済ませた彼は、カッと目を見開く。
(――準備は整った、万事問題ない!)
準備は総てに勝る。
試験・商談・殺し合い、この世に存在するあらゆる本番は、『準備の結果』に過ぎない。
完璧な準備を終えた者は、完璧な結果を手にする。
逆に言えば、完璧な結果を手にした者は、完璧な準備を終えている。
もしも失敗したのならば、それは自分の準備が足りていなかったということ。
これが彼の人生観であり、入念な準備の積み重ねこそが、超巨大企業群レイトン財閥の成功の秘訣だ。
「……ふぅ……」
全ての準備を完璧に済ませたクレバーは――シルバーネックレスのペンダント部分をパカリと開き、中に収められた『とあるブツ』に目を落とす。
(……かわいい……)
彼の視線の先にあるのは、最愛の一人娘サール・コ・レイトン――サルコが穏やかに微笑む、小さな写真の切れ端だ。
(……かわいい……)
心の中でまったく同じ感想を呟く。
クレバーに語彙がない――のではない。
真にかわいいものを目にしたとき、人の心はかわいいで満たされる。そして彼にとってのそれは、最愛の一人娘だった。
クレバーがだらしなく頬を緩ませていると、前方から呆れの混じった声が飛ぶ。
「――クレバー様、また御息女のことをお考えになられているのですか?」
対面の座席に座る秘書、フリーゼ・ハイネフォルン、20歳。
身長170センチ、スラリとした細めの体型、透明度の高い茶色のロングヘア。
大きな瞳と雪のように白い肌が特徴的な美少女で、正統派のメイド服に身を包む、クレバーの専属秘書。
彼女は物心ついた頃から特殊な訓練を受けており、その戦闘力は非常に高く、単独で魔獣グレムリンの『変異種』を討伐したこともあるほどだ。
フリーゼから鋭い指摘を受けたクレバーは、しかし、平常心を保ったまま肩を竦める。
「またサールのことを考えていたか、だと? ……ふんっ、あながち間違いではないな。イエスかノーかで言えば、イエスとなるだろう。何せアレは、本当に出来が悪いからな。またどこぞで失態を晒し、我がレイトン家の名誉に泥を塗っていないか、心配で心配でならぬわ」
クレバーはそう言って、悪態をついてみせたが……。
その雄弁なる早口こそ、彼が嘘をついている何よりの証拠だ。
「そうですか、これは失礼いたしました(はぁ、またそんな心にも思っていないことを……)」
クレバーが娘を溺愛していることは、彼が重度の親馬鹿であることは、レイトン家に仕える使用人の常識。もっと正確に言えば、財界に生きる者の常識だ。
何せサルコが生まれたときは、「私の娘だ!」と領内の家々に出向き。
サルコが初めて魔法を使ったときは、「私の娘は天才だ!」と道行く人々に自慢して回り。
サルコが聖女学院に合格したときは、「私の娘は聖女様だ!」と王都中に号外を配り歩いた。
クレバー・コ・レイトンは、どこに出しても恥ずかしい親馬鹿なのだが……。
当の本人だけは、『娘に冷たい厳格な父を完璧に演じている』と思っていた。
(ふぅ、危ない危ない。私がサールを溺愛していることが、バレるところだった……。巨大財閥の総帥たる者、身内に対しては厳しい態度が求められる。私は『血も涙もない冷徹な経営者』であらねばならん!)
クレバーがそんなことを考えていると、馬車がゆっくりと停車した。
「聖王国に到着したようです。どうぞ、足元にお気を付けください」
「うむ」
フリーゼが扉を開け、クレバーが地面に降り立つ。
「……ここが聖王国、か……」
パッと目に付くのは、見渡す限りの広大な緑。
青々とした野菜畑が広がり、牛や馬が草葉を食んでいる。
さらにその周囲では、木の監視塔・新たな家屋・城の基礎など、建国に向けた基幹工事が行われていた。
(国というよりは街……いや、村と言った方が正確だな。『聖女勢力』がバックに付いたというのに、些かゆったりとした発展速度に思えるが……。まぁ先の独立宣言から、まだ一か月と経っておらぬ。本格的な発展を遂げるのは、シルバー殿の手腕が見られるのは、ここからか)
クレバーがそんなことを考えていると、前方から大柄な鳥の獣人がやってきた。
それは歴史書に名を残す偉人であり、伝説の聖女パーティにおいて、『大戦士』として名を馳せた英雄だ。
「――ようこそ聖王国へ、私はゼル・ゼゼド。聖女様より、此度の会談の案内役を仰せつかりました」
「これはご丁寧にどうも。私はクレバー・コ・レイトン、しがない商人でございます」
二人は柔らかい笑みを浮かべ、挨拶を交わす。
「いやしかし、まさかあのゼル殿とこうして直にお会いできるとは……感激の至りでございます。ここだけの話、幼少の時分には、貴殿の英雄物語を読み漁ったものです」
「はっはっはっ。何をお読みになられたのかは存じませぬが、多分に尾ひれがついたものでしょう。いやはや、お恥ずかしい限りです」
他愛もない話をしている間、クレバーは瞳の奥を光らせる。
(これが大剣士ゼル・ゼゼド、か。言葉遣いはもちろんのこと、立ち居振る舞いに気品を感じる。それに何より……恐ろしく強い。――フリーゼ、お前はどう見る?)
クレバーとフリーゼは、<交信>で繋がった状態を維持しており、いつでも思念による会話ができる状態だ。
(率直に申し上げると……化物ですね。おそらく私が相手では、十秒と持たないでしょう)
(なっ、そこまでの男か!?)
(はい。迸る魔力に溢れんばかりの覇気……。大剣士の二つ名に偽りなし、真実『英雄』と呼ぶにふさわしい御方かと)
(……なる、ほど……。聖女様・シルバー殿・ゼル殿、三百年前の怪物たちが作りし新たなる国――聖王国、俄然興味が湧いて来た)
警戒を強めるクレバーとフリーゼに対し、穏やかな表情を浮かべたゼルは、自身の職責を果たさんとする。
「さっ、どうぞこちらへ。シルバーが首を長くして待っております」
極秘会談の予定地であるログハウスへ移動し、コンコンコンと扉をノックすれば、「どうぞ」とルナの低い声が返ってきた。
「――失礼します」
ゼルが扉を開き、客人二人を招き入れる。
整理整頓の行き届いた清潔なリビング、その最奥にある大きな窓の側に、巨大なプレートアーマーが立っていた。
「……」
ルナは無言のまま、窓の外に視線を向けている。
武骨なヘルムに隠された瞳は、果たして何を見つめるのか……。
(……カラフルな鳥だなぁ……)
この辺りでは見かけない珍しい鳥を観察し終えたルナは、ゆっくりと振り返り、クレバーのもとへ歩み寄る。
「ようこそ、聖王国へ。私は唯一王であられる聖女様の代理、シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハートです」
「どうも初めまして、レイトン財閥総帥クレバー・コ・レイトンです」
シルバーとクレバーは、がっしりと友好の握手を結ぶ。
「シルバー殿、此度はお招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます」
簡単な挨拶を交わし、和やかな空気が醸成される。
(これが聖女の代行者、陰の英雄シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート、か。なんというか……覇気を感じないというか、リラックスしておられるというか……『普通』、だな)
(……強者特有の圧はおろか、なんの魔力も感じられない……。このプレートアーマー、本当に聖女の代行者なのでしょうか……?)
クレバーとフリーゼが疑心を募らせる中、
(クレバーさん、話しやすそうな人でよかったぁ)
我らが聖女様は、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「さぁ立ち話もなんですし、どうぞお掛けになってください」
「失礼します」
ルナは上座に腰を下ろし、長机を挟み、クレバーは下座に着く。
前者は聖王国の唯一王代理、後者は巨大財閥の総帥。両者の立場を鑑みれば、この形が最も適切だろう。
「さて、まずは会談の場作りから済ませましょうか。――ゼル」
「はっ。――<人払い>・<認識阻害>・<不可知領域>」
情報漏洩対策が完了したところで、機先を制すかのように、クレバーが口を切る。
「シルバー殿、まずは聖女様が無事に御転生なされたとのこと、一王国民としてお慶び申し上げます」
「ありがとうございます」
「つかぬことをお伺いするのですが……唯一王であられる聖女様は今、何をしていらっしゃるのでしょうか?」
「……彼女は安全な場所に身を隠し、転生によって衰えた力を取り戻しておられます」
「なるほど、そうでしたか(シルバー殿の警戒が増した。聖女様については、あまり触れない方がよさそうだな)」
そう判断したクレバーは、聖女関連の話題からすぐに手を引き、自然な形で今日の議題に移る。
「さて、お互いに忙しい身ですから、早速本題に入りましょうか」
彼は咳払いをし、居住まいを正した。
「私は商人ゆえ、今日ここに馳せ参じたのはもちろん、『ビジネス』の話をするためです」
ルナはコクリと頷き、話の続きを促す。
「聖女様・シルバー殿・ゼル殿――所謂『聖女勢力』は先日、聖王国の樹立を宣言なされた。ほとんどゼロから国を建てるともなれば、いろいろとご入用かと存じます」
「まぁ、そうですね」
ルナは否定しなかった。
現金・資材・人手、国造りには膨大な資源が必要となる、とゼルから聞いていたからだ。
「そこで――我がレイトン財閥は、貴国に供する資金を、投資の用意をさせていただきました。古くより『金は組織の血液』と言われる通り、潤沢な資金があればこそ、円滑な建国が為し得るものかと愚考します」
「ふむ……。その見返りとして、貴殿は何をお求めに?」
「聖王国内における、自由な商取引の許可をいただきたく」
「おや、それはまた随分と控えめな要求ですね」
「ははっ、何を仰いますか。聖王国という『青い海』へ、誰よりも早く飛び込める権利。それほど安い要求とは思っておりません」
これはクレバーの嘘偽らざる本心だ。
競合他社に先駆けて、聖王国での販売網を構築し――適切なタイミングで、聖女勢力と縁故を結ぶ。
初期投資の見返りとしては、十分以上に魅力的と言えるだろう。
「なるほど……ちなみに御用意いただける投資は、おいくらほどなのでしょうか?(クレバーさんは超が付くほどの大金持ち、きっと凄い額を用意しているはず……。1億、2億……いや、もしかしたら10億ゴルドとか?)」
「まだ具体的なお約束は致しかねますが、最低でも100億ゴルドは準備させていただく予定です」
「ひゃ、ひゃくおくぅ……!?」
思わず素っ頓狂な声をあげるルナ、そんな主のもとへ、ゼルがすぐさま<交信>を飛ばす。
(聖女様、落ち着いてください! 声が裏返っておりますよ!)
(いやでも100億って……っ。今この人、100億って……!?)
(別におかしな話ではありません! 国造りともあれば、これぐらいは当然のことです!)
慌てふためくルナのもとへ、クレバーとフリーゼの訝し気な視線が向けられる。
(焦りと動揺……100億という金に恐れをなしたか? いや、まさかな。聖女の代行者ともあろう者が、この程度の額に臆するはずがない。そうするとこれは……驚いた演技? しかし、なんのために?)
(大金を前にした小市民と同じ反応……やはりこの男は凡俗。シルバーの中身は……偽物? もしかして影武者?)
不穏な空気を察したゼルは、慌てて話を纏めに掛かる。
(とにかく、100億に圧倒されたと知られれば、聖王国が安く見られてしまいます! ここはしっかりと平常心を保ち、器量をお見せください!)
(う、うん、わかった……!)
忠臣の助言を受け、なんとか心を持ち直したルナ――それを確認したクレバーは、話の『核心』に迫る。
「ときにシルバー殿、聖王国へ投資を行う前に一つ、どうしても聞いておきたいことがございます」
「なんでしょう?」
「恐れながら、貴国を取り巻く現在の環境は、非常に厳しいものがあるかと思います。私独自の情報網によれば、四大国の上層部には、聖女様の転生を快く思っていない者も多いとか……。四方を敵に囲まれたこの状況で、『次の一手』をどうなさるおつもりなのか、『今後の展望』をお聞かせ願いたい」
クレバーの鋭い鑑定眼が、武骨なヘルムを真っ直ぐに射貫いた。
彼はこの質問を以って、シルバーの真価を見極めんとしているのだ。
「ふむ……次の一手、ですか」
「はい。唯一王代理であられるシルバー殿のお考え、是非に伺いたく存じます。貴殿の描いた絵図の如何によっては、投資額のさらなる引き上げもあるかと」
「……」
「……」
一秒にも満たない刹那の沈黙。
(……次の一手……)
聖王国参謀ルナ・スペディオは、自慢の聖女脳をフル回転させ――。
(――うん、無理)
すぐに白旗をあげた。
次の一手なんて、特に何も考えていない。
(クレバーさんは超が付くほどの大金持ちで、とても凄い力を持つ大商人……。下手な答えを返したら、とんでもないことになっちゃう)
失言を零す前に思考を放棄した彼女は、
「……はぁ……」
浅く短い小さなため息を零し、人差し指でトントンと机を叩く。
ゼルとの間で予め定めておいた『ヘルプの合図』だ。
(これは、聖女様のSOS……!)
救難信号を受け取った忠臣が、すぐにフォローへ入ろうとしたそのとき――。
「……ッ」
クレバーが突然、ガタガタッと椅子から立ち上がった。
「クレバー殿……?」
「どうかされましたか?」
ルナとゼルが声を掛けるも、クレバーは返事をしない。
彼の顔は真剣そのものであり、鋭いライムグリーンの瞳は、ルナの人差し指の下――武骨な手甲が指し示す、世界地図の『とある一点』に釘付けとなっていた。
(……あ、あそこは……っ)
クレバーの――聖女脳とは比較にならない、正真正銘『世界最高峰の頭脳』が高速回転を始める。
(シルバー殿が指し示した場所は、ゴドバ武道国とカソルラ魔道国。あの地は今『戦国動乱』の真っ只中、もう間もなく開戦すると聞く……。果たしてこれは偶然、か? ――いや、違う! 此度の極秘会談、その全てを思い出せ!)
顔前に右の掌を宛てがい、その思考を深めていく。
(聖女勢力が与しているのにもかかわらず、何故かゆったりとした発展を遂げる聖王国。シルバー殿が醸し出す、覇気のないリラックスした空気。100億を提示した際に見せた、わざとらしく驚いた演技……)
記憶を辿っていけば、いくつもの不審な点が浮かび上がる。
(そして極め付きは、私がこの部屋に入ったとき、彼が眺めていた方角は――北西! その視線の先にあるのは、武道国と魔道国! ……もはや間違いない。ここに来たときから募っていた違和感、バラバラだった点と点が、一本の線となって繋がった……っ)
実時間にして僅か3秒。
世界最高峰の頭脳は、とんでもない結論に行きついた。
「……なる、ほど、そういうことですか……」
「えぇ、そういうことです」
クレバーの含みのある問いに釣られて、ルナは意味ありげにコクリと頷いた。
当然ながら、彼女は何も理解していない。
なんとなくいい感じの質問が来たので、反射的に頷いただけだ。
「ふぅ……どうやら私は、あなたという男を見くびっていたようだ。『次の一手の結果』を確認した後、投資額の大幅な引き上げをいたします」
「それはありがたい」
クレバーはシルバーのことを、聖女勢力が建てる聖王国のことを極めて高く評価し、さらなる巨額投資の約束をした。
交渉の過程はともかくとして……結果を見れば、極秘会談は大成功と言えるだろう。
「――シルバー殿・ゼル殿、此度は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
「おかげさまで、実りある会談となりました」
結びの挨拶が紡がれ、極秘会談は終了となる。
「さて、と……私は次の商談が控えておりますので、これにて失礼いたしします」
クレバーはそう言ってお辞儀をすると、足早にログハウスから出ていくのだった。
■
特注のボロ馬車に乗り込んだクレバーは、ハンドサインで指示を出し、それを受けた御者が静かに馬を走らせる。
ガラガラガラガラと車輪の廻る音が虚しく響き、『敗軍の将』を乗せた馬車は、レイトン家の屋敷に向かってひた走る。
「……」
「……」
クレバーは押し黙り、フリーゼも口を噤む。
重苦しい空気が支配する中、客室の壁が殴り付けられた。
「くそっ、なんという失態だ……っ」
「く、クレバー様……」
フリーゼはどう声を掛けていいのか、わからなかった。
それもそのはず、クレバー・コ・レイトンは、商人の戦――商談においては天下無敵。
人類最高峰の頭脳と万全の準備によって、海千山千の商売敵を薙ぎ払い、世界に名立たる巨大財閥を打ち立てた、当代随一の経営者。
自信と勝気に満ちた主人が、これほどまでに憔悴した姿を見せるとは……夢にも思っていなかったのだ。
沈痛な空気が漂う中、人生初の敗北を喫したクレバーは、言葉少なに次の指示を出す。
「……フリーゼ、金の準備を頼む」
「承知しました。聖王国への投資として、100億ゴルドを調達しま――」
「――違う」
「え?」
「最低でも『1兆ゴルド』、すぐに貸し出せるよう、手配しておいてくれ」
「い、1兆ゴルド!? どういうことですか!?」
予定していた額の100倍。
1兆ゴルドという金は、レイトン財閥を以ってしても、決して小さいものではない。
「勘違いするな。その額は『最低ライン』だ。シルバー殿がそれ以上を望むのであれば、私はいくらでも貸し出すつもりだ」
「しょ、正気ですか!?」
「まだ耄碌する歳ではない」
「……恐れながら、私の目にはあの男が、『凡俗』にしか映りませんでした。そこまでの大金を投じる価値があるようには、とてもとても……」
難色を示す秘書に対し、クレバーはコクリと頷く。
「お前の言わんとするところはわかる。確かにシルバー殿は、どこからどう見ても凡俗、平凡な男にしか見えなかった」
「であれば何故――」
「――しかしそれは、彼の作り出した虚像、偽りの姿なのだ」
「偽りの、姿……!?」
フリーゼの瞳が驚愕に揺れる。
「あぁ、私も危うく騙されるところだった……。よくよく考えてもみろ。相手は三百年前の『陰の英雄』だぞ? それが凡俗であるはずがない。そう見えていること自体が異常、彼の術中に嵌っている何よりの証拠だ」
「た、確かに……っ」
そう言われて初めて気付いた。
三百年前の偉人と相対しながら、自分がまるで緊張していなかったことに。
「まったく恐ろしい男だよ。凡俗の皮を被って油断を誘い、相手を見極める。品定めをするつもりで来たのだが、値踏みされていたのは、こちらの方だった……」
「つまりシルバー様は、相当な知者ということですね」
「あぁ。先ほどから、私の特異天恵が疼いて仕方がない……。シルバー殿は最低でも、私やアドリヌスと同等――否、それ以上の智謀の持ち主だ……っ」
「い、いくらなんでも過大評価では……?」
「いいや、現実的な評価だ。何せシルバー殿は、あの短い時間で『次の一手』と『今後の展望』を示したのだからな。しかも、たったの一言も発さずに、な……」
クレバーは深刻な表情で、静かに目を細めた。
「私にはわかる。彼は既に計画を立て終えた。今はゆったりと構え、『その時』を待っているのだ。そう遠くない未来、おそらくは一か月もせぬ内に武道国か魔道国――次の戦を制した国と同盟を結び、世界進出の足掛かりとするだろう」
聖王国が次に取るであろう動きを、この盤面における最善手を正確に述べたクレバーは、両手で頭を抱え込む。
「あの質問は……我が生涯における最大の汚点だ……っ。シルバー殿の不思議な空気感に呑まれ、彼のことを侮ってしまった。『次の一手』だと? モノの道理を知らぬ幼子でもあるまいし、なんとくだらぬ愚問をしたものか……っ。今のこの盤面を見れば、次にどう動くべきかなぞ、敢えて聞くまでもないだろうに……ッ」
思い出されるのはあの瞬間、
【四方を敵に囲まれたこの状況で、『次の一手』をどうなさるおつもりなのか、『今後の展望』をお聞かせ願いたい】
直後に流れた刹那の沈黙、
【……】
【……】
それに続く、失望のため息。
【……はぁ……】
そして――どこか困った様子のシルバーは、出来の悪い生徒を教え導くかのように、世界地図の一点をコンコンと指し示した。
「あのとき……シルバー殿は心の底から呆れていた。彼の虚像を見抜くことができず、あまつさえ愚問を発した私の評価は……地に落ちた……っ」
恥辱・屈辱・汚辱、幾多の辱めよりも先んじた感情は――焦燥感。
「とにかく、このままではマズい……っ。失った信頼を取り戻し、名誉を挽回せねばならん! そのためには――シルバー殿が近日中に持ち帰るであろう『大きな戦果』に対し、それを上回る『巨額の投資』で報いるのだッ!」
「はっ、御指示をお願いします」
「まずは1兆ゴルドの資金を速やかに準備せよ! その後はレイトン財閥の主要事業を、聖王国へ逐次展開していく! 第一陣は中核となる商社、さらに金融・人材派遣・資源開発と続け! 万全の準備を以って、我らが価値を示し、シルバー殿の――聖女勢力の信頼を勝ち取るのだ!」
「承知しました!」
フリーゼはすぐさま<交信>を発動し、関係各所へ連絡を取り始めた。
一方のクレバーは、座席に深く腰掛けたまま、静かに窓の外を見つめる。
(未来のない王国を切り捨て、帝国か神国への鞍替えを考えていたが……白紙に戻さねばならんな。今日、確信した。次代の覇者となるのは間違いなく――聖王国だ!)
彼の深淵なる瞳は、どこぞのポンコツ聖女とは違い、『世界の覇権』を真に見据えていた。
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「参謀:聖女様による極秘会談、大成功!(笑)」
「クレバーから濃厚なポンコツ臭がする……っ」
「聖女様の国造りが楽しみ!」
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