エピローグ
死の神が消滅したことにより、これから24時間――ディスティルが再復活を遂げるまでの間、蘇生魔法を妨げる者はいない。
「ロー、今度こそ治してあげるからね。――<聖魂・再帰>」
魔法が紡がれると同時、ルナの両の掌から神聖な光が溢れ出した。
ローの胸部を貫いた傷はみるみるうちに塞がっていき、体から抜け掛けていた魂はもとの器へ収まる。
ルナがローの胸に耳を当てると――ドクンドクンという力強い鼓動が聞こえた。
死亡・蘇生のショックは非常に大きいため、今はまだ意識を失ったままだが、もうしばらくすれば目を覚ますだろう。
「はぁ、よかったぁ……」
ルナはペタンと座り込み、ホッと安堵の息を零す。
その顔はどこからどう見ても年相応の少女のものであり、先ほどまでの絶対的強者の圧は、きれいさっぱり消えていた。
とにもかくにも、最上位魔族ムドラを退け、死の神ディスティルを葬り去り、ローの蘇生に成功した聖女様は――チラリと窓の外へ目を向け、不快げに顔を顰める。
(うわぁ……なんかいっぱいいる……っ)
魔族・魔族・魔族、まるでランタンの灯に群がる羽虫が如く、大量の魔族が空に浮かんでいた。
召喚魔法陣によって呼び出されたそれは、ルナが発動した<時間停止>を受けて、ピクリとも動かない。
「これ以上の厄介事は嫌だし……ちゃちゃっと綺麗にしちゃおうかな」
念のために<換装>の魔法を発動、シルバーのプレートアーマーを着込み――魔族狩りに出る。
「よいしょっ」
幸いにも時間停止耐性を持つような強い個体はおらず、流れ作業のように淡々と駆逐していくことができた。
およそ10秒後――100体の魔族を葬り去ったルナは、神国聖女学院の敷地全体に広がる、真紅の魔法陣へ目を向ける。
「さて、と……後はこのヘンテコな魔法陣も消しておこうかな」
魔法陣の中心に降り立ったルナは、本校舎を吹き飛ばさない程度の力加減で、右の拳を振り下ろす。
「よっと」
途轍もない破砕音が轟き、グラウンドに巨大なクレーターが生まれた。
これでもう、魔法陣は正常に機能しないだろう。
そうして一通りの仕事を終えたルナが、手に付いた土埃をパンパンと払っていると、世界の片隅がギギギッと歪み始めた。
「あっ、もうそんな時間か……」
長期にわたる時間停止は、『時の摂理』に反する禁忌。
世界の歪みを修正するため、時の神が顕現しようとしているのだ。
(面倒なことになる前に、<時間停止>を解除しなきゃ……)
短期間に神を殺し過ぎては、世界が立ち行かなくなってしまう。
過去の教訓からそれを学んでいるルナは、ほどほどに摂理を守ることを心掛けているのだ。
(……でも、どうしよう……)
周囲をグルリと見回すと、激しく損傷した大講堂・校庭に生まれた超巨大なクレーター・そこかしこに転がった魔族の遺骸などなど……相当な荒れ模様が広がっている。
(今ここで<時間停止>を解いたら、きっとみんなビックリしちゃうよね……)
ルナ以外の――時間停止耐性を持たない人間の視点では、突然魔族が襲撃してきたかと思えば、次の瞬間には全滅しており、激しい戦闘の跡だけが残っている。
そんな不可解なことが起これば、ビックリするどころか、大パニックが起こるだろう。
(うーん……。何かいろいろと説明がつく、いい案はないかな……)
聖女脳を高速回転させることしばし、ルナの脳内にとある考えが浮かんだ。
(――そうだ、これなら!)
彼女は<浮遊>を使って、遥か上空へ浮かび上がり、眼下の校庭に向けてスッと右手を伸ばした。
「――<銀華>」
グラウンドに白い閃光を放ち、とあるメッセージを描く。
「うんうん、我ながら上手に書けたかもっ!」
校庭にデカデカと刻まれた文字は『シルバー参上』。
いろいろと台無しだが……これは見た目ほど、悪い案ではなかった。
この時代に生きる人々は、聖女とその従者に対して、過大な幻想を抱いている。
シルバーの名前がそこに記されてあれば、『聖女の代行者が魔族を討ってくれたのだ』と、勝手に解釈して納得するだろう。
そうして後始末をつけたルナが、<時間停止>を解こうとしたそのとき――「ハッ!」と口を開く。
(っと、危ない危ない。『忘れ物』をするところだった)
本件はまだ幕を引いていない。
この事件を引き起こした、真犯人を叩く必要があるのだ。
(まぁでも……十中八九、ケルキスさんだよね)
以前大神殿に侵入したとき、魔族ムドラと枢機卿ケルキスが、親し気に話していたことは記憶に新しい。
あのとき耳にした『聖女を殺せ』という言葉。
ムドラにローの殺害を命じたのは、ケルキスと見て間違いないだろう。
(経験上、ああいう小悪党が大きな行動を起こすとき、本人は『一番安全な場所』に潜んでいる……。多分、あそこかな)
おおよその当たりを付けたルナは、<時間停止>を解除すると同時、<異界の扉>を展開――大神殿へ飛ぶのだった。
■
ルナが死の神ディスティルを滅ぼした時より、遡ること10分。
大神殿の地下深く――荘厳かつ静謐な空気の流れる『審判の間』で、枢機卿を追い詰める悪役令嬢の姿があった。
「――ケルキス先生……いえ、枢機卿ケルキス・オードムーア! 両手をあげて、その場で跪きなさい!」
ソフィアは魔力を込めた右手を前に突き出し、鋭い眼光を飛ばす。
(今回のループは、ずっとおかしなことばかりだった……。多分これは聖女様がくれた最後の好機、こんな大チャンスはもう二度とやって来ない……!)
彼女は過去何度もケルキスを襲い、その度に殺されてきた。
ケルキスの手によって――ではない。
彼の陰に潜む護衛、最上位魔族ムドラ・ハーレンの呪刀によって、無惨な死を遂げてきた。
しかし今この時この瞬間に限り、ケルキスは完全にフリー、ムドラの姿はどこにもない。
これを千載一遇のチャンスと捉えたソフィアは、決死の行動に打って出たのだ。
「おやおや、駄目じゃないかソフィア。審判の間は、立ち入り禁止区域だよ? それに……攻撃性の魔法を人に向けてはいけない。授業で教えただろう?」
「くだらない教師ごっこはやめてください! あなたが帝国の皇帝と繋がっていること、魔王と密約を交わしていること、邪悪な魔族を侍らせていること――私は全て知っています!」
「……ほぅ……」
ケルキスの目が細く尖り、瞳の奥に危険な炎が宿った。
「よくもまぁそこまで調べ上げたものだ。……情報源はどこかな?」
彼は教師という仮面を捨て、野心に満ちた獣の顔を浮かべながら、一歩また一歩とソフィアのもとへ歩み寄る。
「ち、近付かないでください! 後一歩でもこちらへ踏み込めば、容赦なく撃ちます! これは脅しじゃありません!」
「ソフィア、これは授業じゃない、『実戦』だ。いちいち敵に警告をする必要などないぞ」
「くっ――<氷結槍>!」
鋭く尖った氷の槍が、凄まじい速度で解き放たれた。
スノウハイヴ家は氷魔法の名家であり、その嫡子であるソフィアもまた、氷に愛された腕利きの魔法士なのだ。
ソフィアの展開した氷の中位魔法に対し、
「――<煉獄鏡>」
ケルキスは炎の上位魔法をぶつけ、いとも容易く防いでみせた。
「なっ!?」
ケルキスは腐っても枢機卿の一人、神国でも最上位レベルの魔法士だ。
ソフィアがどれだけ優秀だったとしても、所詮はまだ十代の少女――両者の間には、大きな力の差があった。
「彼我の実力差もわからんとは……失望したぞ。お前はもう少し、賢い生徒だと思っていたのだが……むっ?」
ケルキスの講釈がピタリと止まる。
(……なんだ、これは……?)
周囲を満たすのは、凍てつくような冷気。
神国の夏夜は冷えるが、これは明らかに異常だ。
「――『実力差のある相手は、搦め手で嵌め落とす』、でしたよね? ケルキス先生?」
ソフィアが微笑んだ次の瞬間、巨大な魔法陣が浮かび上がり、極寒の冷気が溢れ出す。
「こ、これは……儀式魔法!? 貴様、いつの間に……!?」
「さっき言ったはずですよ。『私は全て知っています』、とね」
合宿最終日、ケルキスは最も安全な審判の間に引き籠り、神国聖女学院に召喚魔法陣を展開――『聖女の卵』である学生たちを皆殺しにする。
それを知っていたソフィアは、こっそりと審判の間へ忍び込み、来たるべき決戦に備えて、下準備を済ませていたのだ。
「ま、待て……! 話をしよう! 私の計画には、深い理由が――」
「――問答無用! 食らいなさい、<銀零封印>!」
猛烈な白銀の吹雪が押し寄せ、ケルキスの体を分厚い氷で包み込んでいく。
「ぬっ、ぐ、っ、ぉ……この、クソガキがぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛……ッ!」
憤怒と怨嗟の入り混じった、おぞましい絶叫が響きわたり――彼は巨大な氷晶の中に封印された。
美しい雪の結晶が舞い散る中、ソフィアはグッと拳を握る。
「……やった、私、ついにやった……。これで解放される、地獄のループが、ようやく終わる……ッ」
彼女の瞳がじんわりと熱を帯びた次の瞬間、漆黒の旋風が吹き荒れた。
「――はてさて、何が終わるのかな?」
巨大な氷晶を打ち破った、無傷のケルキスが問い掛ける。
「そん、な……どうして……っ」
「くくっ、これが答えだよ」
呆然とするソフィアに対し、ケルキスは自身の『新たな肉体』を見せ付けた。
彼の皮膚は紫紺に染まり、頭部には捻じれた双角が生え、背部には禍々しい翼がある。
「その姿、まさか……っ」
「そう、私は魔王から力を授かり――魔族として生まれ変わったのだ! 矮小な人間という枠組みを越え、選ばれし上位種族に進化したのだッ!」
雄々しい叫びと同時、凄まじい大魔力が解き放たれる。
「くくくっ、なるほどなるほど……! これが『超越する』という感覚か……悪くないっ!」
絶対的な力を手にしたケルキスは、上機嫌に肩を揺らし――紫紺の右腕をスッと前に突き出す。
「さて、試運転といこうか――<炎>!」
「くっ――<氷晶壁>ッ!」
迫り来る黒炎に対し、氷の盾を展開したが……両者の力の差は歴然。
ケルキスの放った炎塊は、ソフィアの氷の盾を一瞬で焼き焦がし、
「きゃぁ!?」
彼女の肩口に灼熱の焔が食らい付く。
「ふはは、素晴らしい! ただの下位魔法が、なんという威力か! これが魔族! これが上位種族! これが私の……新たなる力ッ!」
ひとしきり生まれ変わった自分に酔いしれたケルキスは、苦悶の表情を浮かべるソフィアのもとへ足を向け――その細い首を強引に掴み上げた。
「ぁ、う゛……っ」
必死に抵抗してみせたが……紫の剛腕はビクともしない。
「さぁ、答えろ。どうやって、私の秘密を調べた? 情報の出所はどこだ?」
「だ、誰が……答えるものですか……っ」
「ほぅ、この状態でまだそんな口を利くか。……まぁいい、気の強い女は嫌いじゃない」
ケルキスは下卑た笑みを浮かべ、ソフィアの体に漆黒の炎を灯した。
「き、きゃぁああああああああ……!?」
悲痛な叫びが響き渡り、彼女の意識が飛び掛けたところで、黒炎がフッと消える。
「はぁ、はぁはぁ……っ」
「もう一度聞こう。どうやって私の秘密を知った? 言っておくが、黙秘はためにならんぞ? 次はさらに火力を上げるからな」
「く……っ」
絶体絶命の窮地に追い込まれたソフィアは、太ももに仕込んだ短剣を抜き取り――自分の心臓へ突き立てんとした。
これは最終手段。
自ら命を絶つことで、<破滅回避>を発動し、過去へ逃げるための緊急脱出手段だ。
しかし、
「おっと」
魔族の驚異的な反射神経によって、ソフィアの短剣は掠め取られてしまう。
「なっ!?」
「何をするかと思えば……あぁ、そういうことか。――天恵だな? 自害を起点とする、特殊な力を持っているんだな?」
「……っ」
「くくっ、その顔……図星か。――自死を引金として発動する天恵、非常に珍しい力だが……過去に何例か確認されている。おそらくは『死に戻り』に分類される能力だろう」
ケルキスは枢機卿というだけあって、天恵の知識も豊富だった。
「なるほど、話が見えてきたぞ……。ソフィアは天恵の力を使い、何度も同じ時間をやり直してきた。そのやり直しの過程で、私の秘密を知り得た――違うか?」
「……ッ」
ソフィアは悔しそうに視線を逸らす。
もはや彼女には、それぐらいしかできなかった。
「死に戻りは厄介な能力だが……ネタさえ割れれば、どうということはない。生かさず殺さず、ゆっくりと尋問すればいいだけだ」
これからソフィアを待ち受けるのは、文字通りの『生き地獄』。
この状況は、考え得る限り、最悪の展開だった。
(い、いや……誰か……助けて……お父さん、お母さん……っ)
彼女の瞳が恐怖と絶望に染まり、ケルキスがブルリと背筋を震わす。
「いい! いいぞ! 中々いい眼をするじゃないかっ! くくっ、敢えて言うまでもないが、助けは来ないぞ? 何せここは大神殿の最深部、審判の間だからな! お前はこの昏き地の底で、地獄の苦しみを味わうの――」
嗜虐に濡れた邪悪な瞳が、ソフィアの肢体をねっとりと見つめたそのとき、
「――見ぃつけた」
突如出現した<異界の扉>から、武骨な手甲がヌゥッと伸び――ケルキスの後頭部を鷲掴みにした。
「ぐっ、誰だ、何をする……!?」
「お前が枢機卿ケルキス・オードムーア……か?(あれ? 肌が紫色に……角と翼も……もしかして、イメチェンした?)」
ルナが困惑していると、ケルキスの体から漆黒の大魔力が吹き荒れる。
「この無礼者がァ! 誰の頭を掴んでいるッ!」
彼は魔族の膂力を遺憾なく発揮し、必死に振りほどこうとしたのだが……手甲はピクリとも動かない。
「騒々しいぞ」
ルナが握力を強めたその瞬間、ケルキスの後頭部が悲鳴をあげた。
「ぁ、ぐっ、がぁああああああああ……!?」
両者の力には、『神』と『蟻』以上の絶望的な開きがあった。
口の端に泡を浮かべながら、苦悶の雄叫びをあげる中年男性に対し、ルナは小さくため息を零す。
「はぁ……そう暴れてくれるな、これでは話もできん」
まるでゴミを放るが如く、ポイと空中に投げ捨て――ケルキスは無様に尻餅をついた。
「ぐっ、いったい何奴……っ!?」
羞恥と憤怒に顔を赤く染め上げた彼は、慌てて立ち上がり、そこで初めて敵の正体を知る。
「し、シルバー……!?」
「如何にも――我が名はシルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート。聖女様の命を受け、お前を成敗しに来た」
久方ぶりにフルネームを名乗り、ルナの心はちょっぴり満たされる。
「くそっ、何故貴様がここに……っ。聖女の暗殺は、ムドラの奴はいったい何を――」
「――死んだぞ」
「……は……?」
「その魔族なら、ついさっき死んだぞ」
「……ッ」
なんの感慨も籠っていない、『死んだぞ』というシンプルな報告。
あのムドラを――最上位魔族を討ち取ったにもかかわらず、シルバーはそれを誇ることさえしない。
只々、死んだという事実を告げるだけ。
彼にとってムドラを仕留めたという戦果は、敢えて語るまでもない、ほんの些細な出来事に過ぎない。
その確固たる事実が、その超然たる態度が、ケルキスに畏怖の念を抱かせた。
「さて、念のために確認しておこう。――お前がムドラに聖女の暗殺を命じた張本人だな?」
「そ、それがどうしたというのだ……!」
「そうか……少々おいたが過ぎたな。ここらで一つ、灸を据えるとしよう」
彼女が指をゴキッと鳴らすと同時、ケルキスは狂ったように笑い出す。
「くっ、はは……くはははは……っ! なるほどなるほど、確かに凄まじい! 私を凌駕するその腕力・神国に単騎で臨むその胆力・ムドラを屠るその実力――卓越している! さすがは聖女の代行者、歴史に隠れた『陰の英雄』という二つ名に偽りはないらしい!」
「うむ(陰の英雄……何それ、かっこいい……っ)」
「だがしかし、所詮は人間! 摂理の中で足掻く、塵芥に過ぎん!」
彼はそう言うと、懐からとある魔石を取り出した。
「これより我が主、偉大なる『絶対神』を召喚する!」
ケルキスが自信満々に見せ付けたのは、妖しい光を放つ『召喚の魔石』。
しかもその色は、最高等級を示す赤色だ。
(……むぅ……)
今この盤面における最善の一手は、召喚の魔石を使われる前に、ケルキスを叩くこと。
しかし――それは三流の行いだ。
敵の企みを全て打ち砕いたうえで、完全なる勝利を掴む。
これこそが一流の振る舞い、『聖女の代行者ムーブ』としての正解だ。
(何を召喚するつもりか知らないけど……。ここはかっこよく、必殺技で倒そう!)
腕を軽く引き拳を柔らかく握り、聖女パンチの発射準備を整えると――勝利を確信したケルキスが、天高く召喚の魔石を掲げる。
「我が求めに応じ、顕現せよ! ――『死の神ディスティル』ッ!」
魔石から真紅の光が溢れ出し、死の神ディスティルがこの世界に――現れなかった。
「い、いでよ! ディスティル! 死の神、ディスティルッ! ディスティールーッ!!!」
色褪せた魔石を握り締め、何度も何度も死の神を呼ぶその姿は、あまりにも滑稽だった。
「「「……」」」
なんとも言えない沈黙が流れる中、ルナはコホンと咳払いをする。
「あー、その……なんだ……。死の神ディスティルなら、今しがた葬ってきたところでな。復活するまでは、まだかなりの時間が掛かるぞ」
「死の神を、葬った……? ば、馬鹿を言うな! そんなふざけたことがあるかッ!」
「信じられないのなら、これを見るといい」
ルナは<次元収納>の中から、とある物体を取り出し、無造作にポイッと放り投げた。
カランカランと地面を転がるそれは――死の神ディスティルの頭蓋骨。
『ディスティル10回討伐記念』として、いただいてきたものだ。
「でぃ、ディスティル、様……?」
変わり果てた主の――死の神の頭蓋骨を拾い上げる。
そこにはまだ、ディスティルの魔力がほんのりと残っていた。
(……か、勝てない……勝てるわけがない……っ。なんだこれは、こんな『異常』の存在が、許されていいものなのか!?)
目の前のプレートアーマーは、最上位魔族を蹴散らし、神をも葬り去る『正真正銘の化物』。
(……私は、いったい何を勘違いしていたのだ……っ)
先ほどまでの自分が、魔族になった程度で思い上がっていた自分が、酷く惨めなものに思えた。
彼の戦意がへし折れたところで、ルナは本題に入る。
「ケルキスよ、お前にいくつか聞きたいことがある」
「……なんだ」
完全に自信を喪失したケルキスは、死んだ瞳で返事をする。
「何故、聖女を殺そうとした?」
「……頼まれたんだ……」
「ほぅ、誰に?」
「て、てっ、い、てぃ……こ、く、こくこくの……ぁど、あどっどどどど……ッ!?」
突然、ケルキスの体が震え出し、その頭部が大きく膨れ上がっていく。
「お、おい、どうした……!?」
「ぁ、ぐ、がぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛……ッ」
次の瞬間、彼の頭部は派手に弾け飛び、そのままピクリとも動かなくなった。
「これは……『呪い』、か(今の反応、特定の単語を口にしようとしたとき、自動的に発動する高度なものっぽい……)」
遺体を確認すると、肉体はもちろん、魂さえも焼き殺されていた。
これでは蘇生魔法も通らない。
(……ケルキスさんは使い捨てのコマだった。この一件の裏には、『真の黒幕』がいる……)
ルナは顎に手を添え、真剣に考え込む。
(とにかく、これで確定した。この世界には、聖女のことをよく思っていない人間がいる。それも枢機卿を手足のように操れるほどの強い権力を持つ者……)
敵の脅威度を正しく認識できた。
本件で得られた情報は、非常に価値のあるものだと言えるだろう。
そうしてルナが思案に耽っていると、
「あ、あの……シルバー様!」
緊張した面持ちのソフィアが声をあげた。
「どうかしましたか?」
「私は神国聖女学院に通う聖女見習い、ソフィア・スノウハイヴと申します。恐れながら、一つお聞きしてもよろしいでしょうか……?」
「えぇ、なんでしょう」
「その……シルバー様は、聖女様のことを知っているんですよね?」
「まぁ、そう、ですね」
当然ながら、「本人です」とは言えない。
「私、小さい頃から聖女様のようになりたくて、ずっと努力してきました。でも、昔から体が弱くて、魔力量も不十分で……自分が聖女様の転生体じゃないってことは、ちゃんと理解しています……っ。それでも、どうしてもあの人に近付きたくて……ッ。どうしたら、聖女様のように強くてかっこいい女性になれるでしょうか!?」
ソフィアの夢は、聖女になることだった。
自分が器じゃないことは、聖女の転生体でないことはわかっている。
それでも必死に手を伸ばし、過酷な修練に身を置き、出来る限りの努力を続けてきた。
だから、どうしても聞きたかった。
聖女のことを誰よりもよく知るであろう代行者に、聖女とはなんたるかを教えてもらいたかった。
しかし、ルナは首を横へ振る。
「聖女の真似をする必要はない、いや、真似てはいけない」
三百年前、自分は失敗した。
たくさんのモノを抱え過ぎて、潰れてしまった。
(……あんな生き方は、間違っている……)
聖女というありもしない幻想を追い掛けて、ソフィアに潰れてほしくなかった。
「ど、どういう意味ですか!?」
「聖女とは心の在り方、誰かを助けたいと思う慈愛の発露。誰それのものを、真似る必要はありません」
ハッと息を呑むソフィアに対し、ルナは努めて優しく声を掛ける。
「大丈夫、心配せずとも、ソフィアさんの心は清く美しい。ともすれば聖女様のモノと見間違えるほどに。貴女はそのままでいい、いや、そのままがいい。偽りの仮面は――悪役の演技は似合いませんよ(悪役令嬢は私の、私だけのもの! これだけは絶対に譲らないッ!)」
下心の煮凝りを外面だけ綺麗にコーティングしたその言葉は、奇しくもソフィアが心の底から求めていたものだった。
(聖女とは心の在り方、誰かを助けたいと思う慈愛の発露……。私に悪役は似合わない、私はこのままの私でいいんだ……っ)
雪解けを迎えた彼女の心へ、とどめの一撃が刺される。
「今後もしまた危険な目に遭ったときは、このホイッスルを吹いて、私を呼んでください。たとえ世界の裏側にいても、貴女を助けに行くと約束しましょう(もう二度と特異天恵【破滅回避】は使わせない。ソフィアさんに悪役令嬢ムーブはさせない……!)」
「あ、ありがとう、ございます……っ」
ソフィアは声を震わせながら、魔法のホイッスルを受け取った。
ルナの浅ましく矮小な心とソフィアの純粋で清廉な心。
二つの歯車が奇跡的に噛み合った結果――。
(し、シルバー様……なんて素敵な御方なの……っ)
ソフィアは恋に落ちた。
遥か古より『恋する乙女は盲目』と言われる通り、彼女の目には、シルバーが白銀の王子様のように映ったのだ。
「さて、と……私はこの辺りで失礼します」
「あっ、お待ちになってください……!」
ソフィアの制止も虚しく、ルナは異空の彼方に消えていく。
そうして誰もいなくなった審判の間で、
「……シルバー様、またどこかでお会いできるかしら……」
清純な氷の乙女が、恋の花を咲かせるのだった。
■
シルバーが暗躍を遂げてから数時間が経過し――無事に王国聖女学院の学生寮に帰ったルナは、制服のままボスンとベッドに倒れ込み、仰向けになって天井を見上げる。
「ふぅー……疲れたぁ……っ」
長い息を吐きながら、グーッと大きく伸びをする。
(とりあえず……ローには『特製のお守り』をプレゼントしておいたから、よっぽどのことがない限り、大丈夫なはず)
レオナードが保有していた聖遺物よりも、遥かに強力な防御魔法を仕込んだため、今回のように間違って暗殺される危険はない。
ロー本人はまったく知る由もないことだが、彼女はこの世界で、聖女に次ぐ防御力を誇る存在となっていた。
「それにしても、まさか聖女を殺めようとする人がいるなんて……。いや、そもそも私、なんで命を狙われているの? みんな、聖女様のことが好きじゃないの?」
あれだけ『聖女様!』と言っておきながら、蓋を開ければこの始末……ルナは人類への不信感をさらに募らせた。
「はぁ……いつの時代も生きにくいなぁ……」
大きく長いため息をついた彼女は、その卓越した聖女脳を回転させ、本件の概要を考察していく。
(ケルキスさんは、『黒幕A』から聖女の暗殺を依頼された。枢機卿を動かせるぐらいだから、黒幕Aはかなりの権力者と見て間違いない……。そして――聖女とローを間違えるほどのとんでもないポンコツだ)
黒幕Aこと皇帝アドリヌス・オド・アルバスは、聖女様によってポンコツの烙印を押された。
「……このまま後手に回っていたらマズい、よね……」
ルナは誰よりも知っている。
人間の愚かさを、残虐さを、底知れぬ悪意を。
(今回の事件は、明らかに一線を越えている……)
このままなんの対策も打たずにいれば、そう遠くない未来に悲惨な事件が起こり――三百年前の焼き直しになってしまうだろう。
これを回避するには、強くならなければならない。
しかし、ただ強いだけでは駄目だ。
ルナ個人がどれだけ強くても、それだけでは大切なものを守ることはできない。
今、求められているのは――『個人』ではなく『組織』が持つ『集団としての強さ』だ。
(……もしかしてゼルは、こういう事態を見越して、国を興そうとしていたのかな……)
脳裏をよぎるのは、つい先日、突如として建国宣言を行った仲間の姿。
【――今日この日、今この瞬間より! スペディオ領は四大国からの独立を果たし、聖女様を頂点に据えた、『聖王国』の建国を宣言するッ!】
ゼルは三百年前から続く忠臣であり、ルナが全幅の信頼を置く数少ない人物だ。
彼は自分よりも賢く、無駄なことを嫌う、その行動には明確な意味がある。
「……聖王国、ちょっと真剣に考えてみようかな」
こうして聖女様は、三百年前とは異なる道を進むため、『聖王国の建国』に乗り出すのだった。
【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第4部はこれにて完結です!
「第5部が、続きが読みたい!」
「第4部おもしろかった! 続きの執筆もよろしく!」
「聖女様の物語を、活躍をもっと見たい!」
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