第七話:大剣士ゼル・ゼゼド
ルナが隠し部屋の機密情報を読み漁っている裏で、オウル・レイオス・カースの三人は、正規の最短ルートを進み――レオナード教国の最深部『転生の間』に到着する。
そこは不気味な場所だった。
街一つすっぽりと収まりそうなほどに巨大な空間、大地には不気味な魔法陣が描かれており、壁面には100体以上もの土人形がへばりつき、最奥には巨大な祭壇が祀られている。
異様な空気が漂う転生の間に、カンッカンッという甲高い音が響く。
「さてさて……アレがカースの言っていた『化物』かな?」
オウルの視線の先では、鳥の獣人が精力的にツルハシを振り、黙々と壁を掘り進めていた。
何を隠そう彼こそが、この巨大な地下迷宮をたった一人で作り上げた男なのだ。
「ほぅ……客人とは珍しいな」
獣人はツルハシを地面に突き立て、クルリと振り返った。
その瞬間、三人に衝撃が走る。
「そ、そんな馬鹿な……。あなたはまさか……っ」
「伝説の聖女パーティ、『大剣士』ゼル様……!?」
「三百年前の英雄が、なんでこないなとこに!? いやそもそも、まだ生きてはったん……!?」
「ほぅ、私のことを知っているのか」
ゼル・ゼゼド、御年300歳余り、身長2メートル。
体を覆う白い羽・大きな真紅の瞳・鋭く尖った嘴、世にも珍しい白烏の獣人であり、独特な民族衣装に身を包む。
「ふむ……白い制服に白銀の十字模様……王国あたりの聖騎士だな」
ゼルは僅かな情報から、オウルたちの素性を正確に言い当てた。
「問おう。お前たちの目的はなんだ? なんのためにこんな地下深くまで来た?」
その質問に対し、オウルが代表して答える。
「お察しの通り、ボクたちは王国の聖騎士です。今日はレオナード教国の残党が、妙な動きを見せていると聞き、その調査にやってきました。彼らの企みが邪悪なものであった場合は、計画が実行される前に潰そうと思っています」
「……そうか、それは困るな」
複雑な表情を浮かべたゼルは、感情の読めない声でそう呟き、
「お前たちに恨みはないが……全ては聖女様のためだ。悪く思うなよ」
腰に提げた双剣をゆっくりと引き抜いた。
ゼルにどんな事情があるのかは不明だが……彼が教国に与していることは、この状況を見れば明らかだ。
向こうが剣を向けてくる以上、オウルたちもまた、それに応じなければならない。
「大剣士ゼル様……。あなたの英雄物語は、小さい頃に何度も読ませていただきました。その御姿……随分と衰えましたね」
「全盛期を過ぎ、老いさらばえた今のあなたになら、勝てるやもしれません」
「いやいや無理無理、やめとこやめとこ! 相手は伝説の英雄や、勝てるわけあらへん!」
オウルとレイオスの見立ては、半分正しく半分間違っていた。
碌に食事も与えられず、100年以上も休みなく硬い地層を掘り続けた結果――ゼルのコンディションは、過去最悪のレベルだ。
鋼如き筋肉は痩せ細り、白く美しかった羽はくすみ、その体は一回り以上も貧しくなっている。
老化・栄養不足・状態不良、かつての面影はもはやどこにもない。
常識的に考えれば、オウルたちの勝ちは固いだろう。
しかし――三百年前の猛者に、常識という安い物差しは通じない。
「ふぅー……戦闘なぞ、いつ以来だろうな」
ゼルは小さく息を吐き――静かに双剣を構えた。
次の瞬間、凄まじい『圧』が解き放たれる。
(な、なんという威圧感だ……っ)
(これが伝説の聖女パーティ……ッ)
(あばばばばばばば……っ)
オウルたちは警戒を最高レベルに引き上げつつ、どんな攻撃が来ても対応できるよう、重心を深く後ろに置いた。
「どうした、来ないのか?」
「「「……っ」」」
その言葉を受け、オウルたちは一歩後ずさる。
「まったく……老鳥を待たせるものではないぞ?」
刹那、ゼルの姿が霞に消え、
「――レイオス、後ろだッ!」
唯一その速度に反応したオウルが警告を発し、レイオスは反射的に振り返った。
「ハァッ!」
「ぐっ!?」
振り下ろされる双刃に対し、剣を水平に構えて防御する。
「『退魔剣ローグレア』、ラインハルト家の者か……」
「この剣を……ご存じ、なんですか……ッ」
ゼルの剛力に耐えながら、レイオスは問いを投げた。
「あぁ、聖なる力を秘めた最高位の業物だ。初代はこの一振りを以って、魔族の屍を積み上げたものだが……お前はまだ青いな」
ゼルが双剣に魔力を流し込んだその瞬間、退魔剣ローグレアは粉々に砕け散った。
「なっ!?」
「剣に『気』が通っておらん。素振りからやり直せ」
続けざまに放たれる鋭い前蹴り。
「ごふっ」
それをモロに食らったレイオスは、遥か後方へ吹き飛び――壁に背中を強打する。
「レイオス……!」
「うわっ、また折れとるやんその剣! ほんまどないなっとるんや!? もしかしてパチモンやないんか!?」
「はぁはぁ……やかましい……!」
額から血を流したレイオスは、瓦礫を蹴り飛ばし――素早く戦列に復帰する。
「いけるか?」
「この程度、どうということはありません。それよりも……得物をいただけますか?」
「あぁ、これを使うといい。何もないよりはマシだろう」
オウルは天恵【武具錬成】を発動し、魔力で練り上げた簡素な剣を手渡した。
「ボクが前線を張るから、レイオスは動きを合わせてくれ。カースはそのまま後方支援だ」
オウルが的確に指示を出し、レイオスとカースが無言のままに頷く。
それからどれぐらいの時間が経っただろうか。
「ヌゥン!」
「ハァッ!」
ゼルとオウルが激しく剣を打ち合わせ、レイオスがその間隙を縫うように斬撃を挟み、カースが様々な魔法を使ってサポートに徹する。
(ふぅ……思うように体が動かん。まったく、年は取りたくないものだ)
(天恵の十種同時起動でも押し切れない……っ。さすがに強い、これが伝説の聖女パーティの力か……っ)
(はぁはぁ……三対一でなければ、とっくの昔に殺られている……っ。この力、ワイズ・バーダーボルンを軽く上回るぞ……ッ)
(あかん、地力の差で徐々に押されとる……っ。このままやったらジリ貧やで……ッ)
息をつく間もない怒濤の剣戟が繰り広げられる中、
「ぬぅん!」
「ハァッ!」
渾身の一撃がぶつかり合い――ゼルとオウルは大きく後ろへ跳び下がる。
「まだ若いのにやるじゃないか」
「そちらこそ、お歳を召している割によく動きますね」
二人が前足に体重を載せ、さらなる激闘に身を投じようとしたそのとき―――『転生の間』の最奥にそびえ立つ巨岩が、ゴゴゴゴゴッと真っ二つに割れ、その奥から仰々しい神服を纏った男が現れた。
彼こそが、レオナード教国の教祖レオナード十五世、53歳。
身長165センチ、腹に豊かな贅肉を蓄えた肥満体型。
淡い藤色の髪は長く、オールバックにされている。
大きな鷲鼻がよく目立つ邪悪な顔付きをしており、その手には禍々しい錫杖が握られていた。
レオナードは側近である十名の魔法士と大勢の私兵を――重装歩兵を引き連れ、祭壇の頂上に置かれた玉座へ腰を下ろす。
「……レオナード……? 何故こんな前線に出て来た。ここは危険だ、下がれ」
ゼルの発言に対し、レオナードは小さく左手を振る。
「くくっ、もうよい……時間稼ぎはもう十分だ」
「どういう意味だ?」
「今しがた『完成』したのだよ、我が一族の悲願が……!」
「ま、まさか……!?」
「あぁ、そのまさかだ! 我らレオナード家が、三百年と焦がれた禁呪<死霊転生>! それが今、結実したのだ!」
レオナードは高らかに謳い、ゼルは歓喜に体を震わせる。
「それではついに、私の願いが……『聖女様の転生』がなされるのだな!?」
「左様。ゼル、よくぞ今日まで働いてくれたな。これでお前の宿願も……成就する、だろ、う……っ」
レオナードは肩を揺らし、手を口で押さえ――もはや我慢ならぬと言った風に腹を抱え込む。
「ぷっ、くくく……っ。わーっはっはっはっは……っ!」
彼は天にも轟く嗤い声をあげ、それに釣られるようにして、腹心たちも嘲笑を漏らす。
「貴様……何がおかしい!」
「はぁ、はぁ……っ。これが嗤わずにいられるか? ことここに至っても、未だ気付かぬ道化っぷり……傑作だ! 獣人とは、ここまで頭の悪い生き物なのだな!」
「なんだと!?」
ゼルの瞳に危険な色が宿ると同時、レオナードは機先を制するように、スッと右手を突き出した。
「落ち着け、そう逸るでない。さて……そうだな、『いい話』と『悪い話』、どちらから先に聞きたい?」
「もったいぶるな、さっさと話せ!」
「くくっ、そうか。ではまず、いい話から行くしよう。これは先も述べた通り、禁呪<死霊転生>が完成したゆえ、これより『転生の儀式』を執り行うことだ」
レオナードはニヤニヤと嫌らしいを笑みを浮かべながら、不安に揺れるゼルを見下ろす。
「次に悪い話なのだが……。残念ながら、転生の対象となる魂は、聖女のものではない。我らが呼び戻すのは、今より三百年前――この世界を恐怖のどん底に突き落とした、『最強の大魔族』の御霊だ!」
「なっ!? 貴様、約束が違うではないかッ!」
憤怒の形相を浮かべるゼルに対し、レオナードは両手を広げて立ち上がる。
「ふははっ、お前は騙されていたんだよ! 300年もの間、馬鹿の一つ覚えみたく穴を掘り続け……なんと虚しい人生か!」
彼の口は止まらない。
「そもそもの話、『聖女転生』なぞ不可能だ! 魔法の基本は等価交換! あの化物の魂と等価を成すものは、この世に存在せぬ! たとえそんなものがあったとしても、矮小な人類に用意できるはずもなかろう! こんな簡単なことさえわからぬのか、獣人という劣等種族は……!」
レオナードは楽しそうに手を打ち鳴らし、獣人の純粋さを嘲った。
「……そう、か。やはりそうだったのか……」
ゼルとて馬鹿ではない。
冥府より聖女の魂を呼び戻すには、天文学的な量の魔力が必要なことは――聖女の転生が不可能なことは、頭で理解している。
しかし、聖女という絶対的な心の支柱を失った彼は、藁にも縋る思いで、ありもしない可能性に一縷の望みを託したのだ。
今より三百年前――初代レオナードは、ゼルの元を訪れ、『とある契約』を持ち掛けた。
【ほ、本当にそんなことが……聖女様の転生が可能なのか!?】
若きゼルの問いに対し、初代レオナードはコクリと頷く。
【あぁ。この新魔法が完成すれば、彼女の魂を現世に呼び戻すことができる。――しかし、魔法の発明は難しくてね。莫大な資金・悠久の時間・優れた魔法士、そして何より、国を守る『武力』が必要なんだ……わかるね?】
【……貴様のもとで働けと?】
【話が早くて助かるよ。キミが労働力を提供してくれるのならば、我がレオナード教国は、聖女様の復活を約束しよう。っとそう言えば……これは風の噂で聞いたのだが、獣人にとっての『約束』は特別な意味を持つ、違ったかな?】
初代レオナードは暗に『この約束は、獣人のそれに準ずるものだ』と言っていた。
【……もう一度だけ聞かせろ。その魔法<死霊転生>とやらが完成すれば、聖女様を蘇らせることができるのだな?】
【然り】
【その言葉、祖霊に誓えるか?】
【あぁ、誓えるとも】
【……わかった。新たなる魔法が完成し、聖女様の転生が成るその日まで――お前の手となり足となろう】
それから現代に至るまでの三百年、生真面目なゼルは文句一つ言うことなく、レオナードの手足として働いた――自らの口にした約束を黙々と守り続けたのだ。
しかし、その苦労が報われることは、終ぞなかった。
結局のところ、性根の腐った邪悪な人間によって、獣人の持つ無垢な純粋性が弄ばれただけだ。
レオナードたちの嘲笑が響く中、ゼルはオウルたちに向き直る。
「名も知らぬ聖騎士たちよ……すまぬな。迷惑を掛けた」
誠実な詫びを口にした彼は、レオナードへ鋭い視線を向ける。
「だが、安心しろ。お前たちが逃げる時間ぐらいは稼ぐつもりだ」
「いえ……ゼル様、ここは一緒に逃げましょう!」
「相手は多勢に無勢、そのお体ではもちません……!」
「もうなんでもええから、早いところ帰りましょうや!」
三人の提案に対し、ゼルは小さく頭を振った。
「聖女様がお隠れになり、転生の望みも潰えた今……私にはもう生きる目的がない。だから、お前たちは逃げろ、『三百年前の亡霊』はここに捨て置け」
ゼルはそう言って、大きく前に踏み出し――レオナードが目を見開く。
「ほぅ、向かってくるのか? その老いさらばえた肉体で、碌に飯も食っておらん状態で、我が教国の誇る1000人の重装歩兵に、立ち向かうというのか?」
「そのムカつく顔を殴ってやらねば、死んでも死に切れぬのでな」
ゼルは不敵な笑みを浮かべ、静かに双剣を構える。
「聖女様が一の剣、ゼル・ゼゼド――推して参る」
次の瞬間、彼は爆発的な速度で駆け出し、最前列の一団に斬り掛かった。
「がっ!?」
「ぐは……っ」
「ぬぁッ!?」
研ぎ澄まされた双剣術が、敵の急所を正確に斬り裂いていく。
「こ、の……!」
「調子に乗るな!」
「死ねやァ!」
重装歩兵たちも負けじと反撃に出るが……。
「――遅い」
「「「なっ!?」」」
彼らの斬撃は、虚しくも空を切った。
ゼルは天に浮かぶ鷲のように舞い、獲物を狩る鷹のように刺すのだ。
そうして僅か一分と経たぬうちに、最前線に立つ100人の兵が倒れ伏した。
「どうした、そんな有り様では、この老鳥の首は獲れんぞ?」
(あの老いた体で、なんてスピードだ……っ)
(これが伝説の聖女パーティ……ッ)
(だ、駄目だ……勝てる気がしねぇ……)
レオナードの私兵たちは、完全に気圧されていた。
死に掛けの老い耄れに『大剣士』の幻影を見たのだ。
「さて、と……準備運動は終わりだ」
ゼルは再び駆け出し、次なる一団へ襲い掛かる。
「「「ぐわぁあああああああ……ッ」」」
私兵たちの凄惨な悲鳴が響く中、レオナードは玉座を殴り付けた。
「こ、この役立たず共め……! 死に損ないの獣人相手に、何をやっておるのだ!? ――おい、サポートしてやれ!」
レオナードの命を受け、側近の高位魔法士たちが、一斉に強化魔法を唱える。
「「「――<全能力強化>!」」」
その瞬間、私兵たちの膂力が大幅に向上した。
それと同時、
「ぬっ!?」
ゼルの振り下ろした刃が、とある兵の前腕に刺さり、魔法で肥大化した筋肉によって、その動きを封じられた。
彼の足が止まった一瞬を、敵が見逃すはずもなく……。
「「「死ねぇッ!」」」
「が、は……ッ」
剣・槍・斧――多数の武器が、その背に突き立てられた。
「ははっ! いいぞいいぞ! よくやったッ!」
レオナードは喝采をあげるが……その判断は些か早過ぎる。
「――<血斬羽・烈風>ッ!」
ゼルは固有魔法を展開、飛び散った鮮血が極小の刃となり、私兵たちを斬り刻んでいった。
<血斬羽>、己が『血』と『羽』を『刃』と成し、自在に操る固有魔法だ。
「くそっ、薄汚い獣人め、なんという生命力をしておるのだ……っ」
「はぁ、はぁ……まだまだ、行くぞ……ッ!」
その後、ゼルは戦場を駆ける鬼となった。
「ハァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」
その剣閃は振るえば振るうほどに研ぎ澄まされ、その速度は走れば奔るほどに勢いを増していく。
戦いに身を投じることで、色褪せた経験に朱が差し、かつての姿を取り戻すかのように強くなっていった。
そして今――。
「これで……終わりだッ!」
「こ、の……化物、め……ッ」
最後の一人が、グラリと崩れ落ちる。
大剣士ゼルは、千人の重装歩兵をたった一人で斬り伏せた。
残すは教祖レオナードと、その側近である十名の魔法士のみだ。
「こ、これが伝説の聖女パーティの実力……っ」
「俺たちとの戦いは、本気じゃなかったのか……ッ」
「やっぱ三百年前の連中は、みんなバケモンや……っ」
オウル・レイオス・カースが息を呑む中、血塗れのゼルがゆっくりと祭壇を上がっていく。
「はぁ、はぁ……っ。レオ、ナード……三百年もの間、よくも騙してくれたな……ッ」
「ひ、ひぃいいいい……っ」
「――死ね」
ゼルの振り下ろした渾身の斬撃は――『不可視の壁』に阻まれた。
「なんだ、これは……!? 何故、私の剣が通らぬ……ッ!?」
「ふ、はは……っ。はーはっはっはっ……! 残念だったなぁ、この間抜けェ!」
勝利を確信したレオナードが、高笑いを響かせる。
そんな彼の胸元には――聖なる輝きを放つ古い首飾りがあった。
「まさか、それは……!?」
「そう、聖女の祝福が込められた『聖遺物』だ! この首飾りは、装備した者の危機に反応し、絶対無敵のバリアを瞬時に展開する! 残念だったなぁゼルぅ? 貴様のちんけな斬撃では、この守りを突破することはできんのだ!」
「ぐ……っ」
もしもゼルが老いていなければ。
もしもゼルにまともな食事が与えられていれば。
もしもゼルのコンディションが万全であったならば。
このバリアも斬って捨てたことだろう。
しかし、今の弱り果てた彼に、もはやその力はない。
「ふははははっ、刮目せよ! 聖女の力は絶対なのだッ!」
レオナードは首飾りをギュッと握り締め、そこに自身の魔力を注ぎ込んだ。
次の瞬間、バリアは途轍もない速度で膨張し、
「が、は……っ」
不可視の壁に激突したゼルは、遥か後方へ吹き飛ばされた。
「……はぁ、はぁ……ッ」
なんとか立ち上がろうとするものの、脚が言うことを聞かない。
(これは……俺の血、か……)
体に刻まれたいくつもの太刀傷から、赤黒い血がじんわりと滲み出し、足元に大きな血溜まりを作っていた。
四肢に感覚はなく、視界は明滅し、肺に空気が収まらない。
もはやこれは、『勝負アリ』だ。
玉座に着くレオナードは、瀕死のゼルを見下ろしながら思案に耽る。
「しかし、その化物染みた力……ここで失うには惜しい。どうだ、ゼル? 今一度、儂に仕える気はないか?」
彼の所有する聖遺物は、装備した者の意思に関係なく、自動で効果を発揮する。
この首飾りがある限り、たとえゼルが謀反を起こしたとして、大きな脅威にはならない。
それゆえレオナードは、獣人ゼル・ゼゼドの力を欲したのだ。
「はっ、馬鹿を言え。私は聖女様の剣、ゼル・ゼゼド! 貴様のような愚物に仕えるぐらいならば、ここで死んだ方がマシだ!」
誇り高き獣人は、鞍替えなどしない。
自らの決めた主人に対し、絶対の忠義を捧げ、その生涯を賭して付き従うのだ。
「そうか、ならば死ね」
レオナードがパチンと指を鳴らすと同時、
「「「――<獄炎>ッ!」」」
百を超える紅蓮の焔が、ゼルのもとへ殺到する。
「「「ぜ、ゼル様……ッ」」」
オウル・レイオス・カースが悲鳴のような叫びをあげ、紅焔が視界を埋め尽くす中――ゼルの脳裏に走馬灯がよぎる。
【……聖女様、やめておいた方がいいですよ。俺みたいなアルビノ個体をパーティに入れても、いいことなんか一つもありません】
【えー、私は好きだけどなぁ。ゼルの赤い目と白い羽、とってもかっこいいよ?】
【さぁできましたよ聖女様、今日の晩御飯はナーフ豚とヌエニ草の蒸し焼きです】
【んーっ、おいしぃ! ゼルの料理は、世界一だね!】
【聖女様。俺は貴女の矛となり盾となり、この命が尽きるその時まで、永遠の忠義を捧げることを――此処に誓います】
【ありがとう、ゼル。これからもよろしくね】
三百余りと生きた中、思い出されるのは、主人と過ごした僅か一年のことばかり。
(嗚呼、聖女様……最後にもう一度、あなたの声を聴きたかっ――)
刹那、灼熱の爆炎が世界を埋め尽くした。
全弾直撃。
地獄の業火が、ゼルの肉体を蹂躙する。
焦げた臭いが一帯に広がり、土煙が晴れるとそこには――瀕死の重傷を負ったゼルが、力なく倒れ伏していた。
欠けた嘴・焼け爛れた翼・黒く焦げた羽、まだ辛うじて息はあるものの……もはや風前の灯だ。
大剣士ゼル・ゼゼドの命は、もう間もなく消え失せるだろう。
「くっ、くくく……っ。あーっはっはっはっは……っ! 伝説の聖女パーティも、大剣士ゼル・ゼゼドも、こうなってしまっては惨めなものだなぁ! 見ろ、まるで醜い焼き鳥だ! 骨ばっていて、碌に食うところもないがなぁ!」
レオナードが嘲笑をあげ、側近の魔法士たちもそれに同調する。
吐き気を催すような醜悪な空気が満ちる中――突如、神聖なる風が吹き荒れた。
「――<聖龍の吐息>」
神の御業である『極位魔法』が展開され、まるで時間が巻き戻るかのように、ゼルの体が再生していく。
「……こ、これは、いったい……?」
呆然とする彼の真横を、巨大なプレートアーマーが通る。
「――見事な忠義でしたよ、アリエス」
「……ッ!?」
その瞬間、ゼルは雷に打たれたかのような衝撃が走り、涸れた瞳の奥から一筋の涙が零れ落ちた。
お日様のように温かく、慈愛に満ちた優しい声。
そして何より――鎧が口にしたその名前は、祖霊より授かったゼルの真名だった。
これを知っているのは、この世界でただ一人――絶対の忠誠を誓った主人のみ。
(そんな、馬鹿な……あり得ない……っ)
聖女は死んだ。
三百年という長い時間を掛けて、ゆっくりとその事実を飲み込んだ。
しかし、この眼が耳が羽が――自らの魂がそうだと叫んでいた。
「……ルナ……様……?」
プレートアーマーは僅かに振り返り、ヘルムの中で優しく微笑んだ。
「ほぉ……そのプレートアーマー、噂に聞く『聖女の代行者』シルバーだな?」
「……」
静かな怒りを燃やすルナは返事をすることなく、ただ真っ直ぐレオナードのもとへ向かい――レオナードもまた、それを止めなかった。
「歯を食い縛れ」
レオナードの正面に立ったルナは、ゆっくりと右腕を引き絞る。
「くははっ、愚か者め! こちらには聖遺物があるのだぞ? それも、聖女の祝福が込められた最上級の――」
次の瞬間、
「えっ……ぱがらッ!?」
絶対無敵のバリアは粉々に砕け散り、鉄の拳がレオナードの顔面を打ち抜いた。
「ぺが、おぼ、あば……ッ」
彼は何度も地面に体を打ち付けながら、遥か後方へ転がっていく。
バリアがクッションの機能を果たし、即死こそ免れたものの……レオナードは瀕死の重傷を負い、聖遺物である首飾りはパリンと砕け散った。
「「「……はっ……?」」」
側近の魔法士たちは顎を落とし、<転生の間>を困惑が支配する。
それも無理のない話だろう。
『絶対無敵』を誇った聖女のバリアが、ただの拳骨によって、いとも容易く叩き割られたのだから。
「あ、アイツ……やりやがった……っ」
「聖女様の聖遺物を……殴り壊した!?」
「なんちゅー馬鹿力しとるんや……ッ」
オウル・レイオス・カースが言葉を失い、不気味なまでの静寂が降りる中、悪役令嬢は氷のように冷たい目を向ける。
「たった今、聖女様よりお告げが下った。――お前たちは全員、地獄行きだ」
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