第二話:聖女の力
「これは驚いた。まさかあの状態から、これほど短期間に全快を遂げるとは……。我が国の回復魔法の発展は、めざましいものがあるね」
「……そうですね」
ルナは半歩後ろに下がりつつ、そっけない返事をする。
明らかな拒絶の反応だが、それを知ってか知らずか、ハワードはさらに距離を詰めてくる。
「しかし、以前にも増して綺麗になったね。なんというか……そう、生命力のようなものが、満ち溢れているような気がするよ」
彼は歯の浮くようなセリフを淀みなくつらつらと述べ――スッと右手を差し出した。
「どうだろう、今夜ボクと一緒に……?」
次の瞬間、マウント山のお猿さんたちに激震が走る。
「は、ははは……ハワード様が……っ」
「あんなどこぞの芋女に夜のお誘いを……!?」
「これは何かの夢よ、そうに違いないわ……ッ」
ハワード・フォン・グレイザーは、王家より公爵の地位を授かった大貴族。
若くしてグレイザー家の当主を継いだ彼は、優れた経営手腕・巧みな交渉術・先進的な軍事財政改革を以って、その領地をさらに発展させた。
領民からの信望は厚く、王族からも一目置かれる存在。
家よし、顔よし、器量よし――この夜会に参戦した全ての戦士が狙う、最上級の物件だ。
しかし、ルナの聖女眼力を誤魔化すことはできない。
ハワードの瞳の奥に滾るどす黒い欲望を、ハワード・フォン・グレイザーが持つ悪性を、はっきりと見抜いていた。
「申し訳ございません。今夜は別の予定がありますので……」
ルナが丁重にお断りを告げたその瞬間、
「「「……!!!!!?????」」」
無音の衝撃がパーティ会場を貫いた。
王国屈指の大貴族である、グレイザー家の当主からの夜の誘いを拒否するなど、正気の沙汰とは思えなかったのだ。
一方、拒絶の返答を受けたハワードは、
「そうか、それは残念だ。もしも気が変わったら、エジオの離宮へ来るといい。甘く優しい、幸せな時間に溺れさせてあげよう」
特に気を悪くした素振りも見せず、パーティの喧騒に消えていった。
この夜一番の衝撃が去った後、
「あの地味女……っ。ハワード様のお誘いを袖にするだなんて……ッ」
「あーやだやだ。お高く止まっちゃって……いったいどこの御令嬢様なんでしょうねぇ?」
「ハワード公爵より上の物件なんて、そうそう見つかるものではないのに……いったい何しに来たのかしら?」
サルコさん(仮称)・サルーティさん(仮称)・サルモンドさん(仮称)――マウント山に棲む獣たちの視線が、ルナのもとへ殺到する。
(だ、大丈夫ですよー、私は敵じゃありませんよー……っ)
獰猛な肉食獣たちから逃れるようにして、夜会の枠外へ――展望テラスへ移動したルナ。
安全地帯に避難した彼女は、「今日は綺麗な満月だなぁ」などと呑気なことを思いながら、夜会の終わりを待つ。
音楽隊の優雅な演奏も終幕へ入り、今宵もそろそろお開きかという空気が流れ始めたそのとき――事件は起きた。
「――<烈風>」
何者かが風の魔法を発動し、会場内の明かりが掻き消された。
すると次の瞬間、窓ガラスの割れる音と男の野太い怒声が響く。
「――アリシア姫を探せ! 金髪の美しい女だ!」
その命令を合図にして、会場内へ大勢の野盗たちが踏み入った。
それと同時、
「「「きゃぁああああああああ!?」」」
マウント山のお嬢様たちが、甲高い悲鳴をあげて、それぞれの狙っていた貴族に抱き着く。
(す、凄い、なんて的確な状況判断能力なの……!?)
ルナは言葉を失った。
さすがは猿山連合というべきか。こんな緊急事態さえも利用するだなんて、どれだけたくましい精神をしているのだろう。
「くそっ、こんな数、いったいどこから!?」
「明かりを持て! 早くしろッ!」
「皆様、落ち着いてください! 危険ですから、一旦外へ!」
警備担当の守衛たちが、すぐさま暴徒鎮圧に乗り出すものの……会場の大混乱に足を取られて、思うように動くことができない。
その結果――。
(はぁ……どうしてこうなっちゃうんだろう……)
ルナは攫われてしまった。
現在は荷馬車の後部で、仔牛よろしく、ガタガタと運ばれている。
(私、銀髪なのに……金髪じゃないのに……)
彼女は自身の髪を指でいじりながら、がっくりと肩を落とす。
夜会を襲った集団は、風魔法で会場の明かりを消してから、標的であるアリシアを狙った。
暗がりにすることで守衛の視界を潰し、その動きを鈍らせたのだ。
しかし、視界が取れないのは野盗たちも同じ。
だから彼らは、アリシアの『黄金』とも謳われる『金色の髪』を目印にして、あの場にいた金髪の女性を片っ端から攫っていったのだ。
そのとき折悪くバルコニーにいたルナは、淡い月明かりに照らされており、彼女の澄んだ『銀髪』が『金髪』に見えたため、攫われてしまった――というわけだ。
(はぁ……)
再び大きなため息を零したルナは、横目でチラリと周囲の状況を窺う。
現在この荷馬車には、ルナの他に二人の令嬢が囚われていた。
一人は、ターゲットであるアリシア。
「……っ」
元々気弱で引っ込み思案な彼女は、荷馬車の隅で小さくなって震えている。
もう一人は、マウント山の首領サルコ(仮称)。
「この……狼藉者共め! 私をレイトン家が長子サール・コ・レイトンと知っての行いですか!?」
彼女は怒声を張り上げながら、力強くダンダンと荷馬車の扉を蹴り付けていた。
中々に対照的な二人である。
(それにしても……雑だなぁ)
ルナは苦笑いを浮かべつつ、自分の置かれている状態を再確認する。
(縄の結びは緩いし、猿轡もしていない。私達が魔法士や魔剣士だったら、どうするつもりなんだろう? この詰めの甘さは……素人かなぁ)
前世で幾度となく拉致→監禁のアンハッピーセットをいただいてきたルナは、犯行グループの手際から相手の力量を見抜くことができるのだ。
(我ながら、なんて悲しい特技だろう。こんなのいらない……)
ルナが嘆息を零し、サルコが怒り狂う中――アリシアが弱々しい声を漏らす。
「わ、私達……これからいったい、どうなってしまうのでしょうか……っ」
「さぁ、どうなるんでしょう」
ルナの口ぶりはまるで他人事のようで、ともすれば少し冷たく聞こえてしまうものだった。
しかしもちろん、彼女に悪気はない。
実際のところ、本当の本当に興味がなかった。
こんな頭のおかしい犯行をしでかす輩の考えなんて、わざわざ思慮を巡らすに値しない、そう考えているのだ。
(いつでも逃げられそうだけど、あまり大きな騒ぎは起こしたくないし……。頃合いを見計らって、こっそりドロンしよう)
ルナはそんなことを考えながら、馬車に揺られ続けるのだった。
■
それからしばらくすると馬車は止まり、ルナたちは森の奥深くにひっそりと立つ、寂れた洋館に連れ込まれた。
(うわぁ、凄いホコリ……っ)
蜘蛛の巣が張ったエントランスを潜り、今にも踏み抜けそうな木の廊下を抜けるとそこは、広いリビングルームだった。
まるで生活感のないその部屋には、中央部に椅子が置かれており、暖炉の火がパチパチと周囲を照らしている。
(……これはまた、けっこうなお出迎えですね)
よくよく見れば、部屋の壁沿いに人影が――ルナたちを取り囲むようにして十人の男たちが立っていた。
彼らの手には鈍器のような得物が握られており、不穏当な笑みを浮かべている。
緊迫した空気が張り詰める中、奥の通路からカツカツという規則的な足音が聞こえてきた。
視界の通らない暗がりの先、優雅な足取りで姿を現したのは、
「――やぁ、手荒な真似をしてすまなかったね」
大貴族ハワード・フォン・グレイザーだった。
「はぁ……またあなたですか……」
「は、ハワード様……!?」
「ハワード卿、どうしてここに!?」
ルナが呆れ、アリシアが驚愕し、サルコが目を見開く中――ハワードは信じられない要求を口にする。
「早速で悪いけど、みんな、服を脱いでもらえるかな?」
「「「……え?」」」
「おや、聞こえなかったのかい? 服を脱げ、と言ったんだよ」
ハワードがパチンと指を鳴らすと同時、彼の背後から二人の男が姿を見せた。
下卑た笑みを湛えた彼らは、暖炉の中から熱せられた鉄棒を取り出す。煌々と輝くその先端には、グレイザー家の紋章が彫られていた。
「そ、そんな物騒なものを持ち出して、いったい何をなさるおつもりなのですか!?」
サルコの問いに対し、ハワードは朗々と答えた。
「ボクの所有物に家紋を刻もうと思ってね。ほら、自分の道具には名前を書くだろう? あれと同じだよ」
「「「……っ」」」
ルナ・アリシア・サルコの柔肌に焼き印を――グレイザー家の家紋を刻もうとしていた。
しかも、それだけじゃない。
「さぁ、急ごう。あまりモタモタしていると、夜が更けてしまう。この後には『撮影会』も控えているからね」
彼の背後には、写影機を手にした男が、下卑た笑みを浮かべて立っている。
ハワードはルナたちに焼き印を刻むだけでは飽き足らず、その姿をコレクションしようとしているのだ。
異様な空気が漂う中、
「ハワード様……あなたのような素晴らしい領主が、何故このような真似を……!?」
信じられないといった表情で、サルコが詰問した。
「どうして、と言われてもね。ボクは苦痛と恥辱に彩られた美女の顔が大好きなんだ。わかるだろう? 所謂『癖』というやつだよ」
「み、見損ないましたわ……! あなたのことを尊敬しておりましたのに、最高の領主だと思っておりましたのに……この外道! 変態! 最低ですわ!」
サルコの激しい罵声を聞いたハワードは、小さく頭を落とす。
「はぁ……ボクは騒がしい女性が大嫌いなんだ」
彼がクルリと指を回した次の瞬間、いつの間にかサルコの背後に迫っていた男が、手に持ったシャベルで後頭部を殴り付けた。
「ぅ、ぁ……っ」
苦悶の声と鮮血が飛び散り、サルコの体がグラリと揺れる。
彼女は前のめりに倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった。
そうして一仕事を終えた男は、血の付いたシャベルを乱暴に放り捨て、揉み手をしながらハワードの足元に跪く。
「げへへ、ハワードの旦那ぁ。この女、どうしやしょうか?」
「好きにするといい。でも、死体は残しちゃいけないよ。使い終わった後は、きちんと処分するんだ。いいね?」
「さっすが旦那ぁ! ありがとうごぜぇやす!」
劣情を隠そうともしない男は、ペコペコと何度も頭を下げた。
「……ここまでの下種は、三百年前にもそういませんでしたよ」
ルナはすぐさま回復魔法を展開。
神秘的な光がサルコの全身を包み込み、頭部の負傷を完全に回復させる。
まだ意識こそ戻らないものの、これでもう命の心配はない。
「ほぅ、これは驚いた。ルナには魔法の心得があったんだね」
ハワードの称賛の言葉を受け流し、ルナは魔力を込めた右手を真っ直ぐに伸ばす。
「あまり手荒なことはしたくありません。両手をあげて、膝を突いてください」
魔法を使える者とそうでない者、両者の間には隔絶とした力の差がある。
それは男女の筋力差や数的不利を埋めてなお、余りあるものだ。
「なるほど、確かに魔法という絶対的な力があれば、この難局をひっくり返すことも難しくないだろう。だがしかし――愚かだ」
次の瞬間、ハワードの右手に邪悪な焔が浮かび上がる。
「あなたも魔法を……!?」
「ふふっ、驚いたかい? こう見えてもボクは、グレイザー家で『最強の魔法士』なんだ」
彼はそう言って、余裕綽々の笑みを浮かべる。
(これは……ちょっとマズいかも)
ルナが聖女と呼ばれていたのは、三百年も昔のことだ。
魔法の進化は日進月歩。
こうしている今でさえ、魔法の研究は進み、新たな魔法理論が生み出されている。
いくらルナが聖女とはいえ、三百年という空白は、あまりにも大き過ぎた。
(どうしよう、逃げる? でもそうなったら、アリシア姫とサルコさんが……)
そこまで考えたところで、ふっと我に返る。
(あっ……そうだった。私ってもう聖女じゃないんだ)
ルナは聖女であることをやめた。
もはや自己犠牲を払う必要もなければ、命を懸けて人助けをする義理もなければ、無用なリスクを負う理由もないのだ。
『人類救済』というお題目を捨てた彼女は、冷静にハワードの魔法士としての力量を分析する。
(火属性の魔法を展開しているのにもかかわらず、ハワード公爵からはまるで魔力を感じられない)
遥か古より、『優秀な魔法士ほど相手に実力を気取られない』と言われている。
実際にルナは、ハワードが目の前で魔法を行使するそのときまで、彼が魔法士だと見抜くことさえできなかった。
(……魔力を隠すのが恐ろしいほど上手い、かなり高位の魔法士と見て間違いない)
ルナはハワードの脅威度をグンと引き上げる。
「さぁルナ、無駄な抵抗はやめて大人しく降伏するんだ」
「……無駄な抵抗かどうかは、やってみないとわかりませんよ?(出口までは十歩、洋館の外は薄暗い森。風魔法で逃げ切れば、捲くことはそう難しくない)」
ルナは会話を繋ぎながら、最善の逃走ルートを構築する。
その一方で、
「ははっ、わかるさ。今まで何人もの生娘が、そう言って必死に抗い――最後には泣きながら、私の靴を舐めたのだからね」
ハワードは優しい笑顔を浮かべたまま、下卑たことを朗々と語る。
「……あなたのお話って、どうしてそんなに下品なんですか?」
「どうしてだろうね。多分、ボクの人間性の問題じゃないかな?」
邪悪。
ハワード・フォン・グレイザーは、人の道を踏み外した文字通りの外道だった。
「いやしかし……見れば見るほどに美しい。できることなら、ルナとは争いたくないよ。ボクはキミの容姿を本当に愛しているんだ」
こんなに中身のない言葉は、久しく聞いたことがなかった。
「また随分と軽いお言葉ですね(風魔法の準備よし、逃走経路もばっちり……よし、いける!)」
ルナが脱兎の如く駆け出そうとしたそのとき――。
「ははっ、軽くなどないさ。わざわざ片田舎のボロ屋敷まで足を運び、薄汚い老夫婦に愛想を振り撒く。そんな労を厭わない程度には、ルナの顔と体を愛しているんだ」
「……薄汚い老夫婦……?」
彼女の思考がピタリと止まった。
「ん……? あぁ、すまない。もしかして、気に障っちゃったかな? どうにも昔から嘘が下手でね。思ったことをつい口に出してしまうんだ」
脳裏をよぎるのは、馬車に轢かれたルナが無事だと知ったときの、カルロとトレバスの優しい顔。
「ルナ、ルナぁ……」
「よかった、無事で本当によかった……っ」
(あの優しくて温かい二人が……薄汚い老夫婦?)
その発言を聞き逃すことはできなかった。
聖女ルナとして――ではなく、悪役令嬢ルナ・スペディオとして引けない、引いてはいけない一線があった。
ルナが目を尖らせて戦う姿勢を見せると、ハワードはやれやれといった風に肩を竦める。
「はぁ……やる気なんだね?」
「えぇ、こちらにも引けないところがありますので」
「そうか、ならば仕方ない。一度は婚約を誓い合った仲だ。せめてもの慈悲に一撃で終わらせてあげよう。――<炎>」
ハワードが右手を伸ばすと同時、灼熱の炎が真っ直ぐ一直線に解き放たれた。
その瞬間、強烈な違和感がルナを襲う。
(遅……い? この魔法はフェイク、本命は別角度からの攻撃! いやでも、周囲に魔力反応はない。もしかして、未知の魔法!? それとも、遅延発動魔法!? いや、破却をトリガーとした高等魔法!?)
いくつもの危険な可能性が脳裏をよぎる中、彼女は考え得る限り最善の手を打つ。
(困ったときは……思い切り殴る!)
聖属性の魔力で右手を包み、迫り来る炎を殴り消した。
「……は?」
ハワードの口から、間の抜けた声が零れる。
自身の放った魔法が、目の前で突然消失した。
彼の動体視力では、ルナが何をしたのか、捉えることができなかったのだ。
「……ん?」
ルナの口からもまた、困惑の声が零れる。
自身に放たれた弱々しい炎を、とりあえず殴り消した。
彼女の理解力では、ハワードが今何に戸惑っているのか、理解できなかったのだ。
「……あなたはいったい――」
「……キミはいったい――」
「「――何を?」」
ルナとハワードの言葉が重なり、なんとも言えない沈黙が降りる。
束の間の静寂。
それを破ったのは、ハワードの笑い声だった。
「は、ははははは……! ルナ、キミには驚かされてばかりだ。手心を加えた下位魔法とはいえ、まさか無効化されてしまうとは……少しはできるようだね」
警戒を強めた彼は、さらに強力な魔法を展開する。
「しかし、これならどうする? ――<獄炎>!」
先ほどよりも一回り大きな火が、真っ直ぐルナのもと突き進む。
「……?(さっきと同じ魔法? ……わからない、いったい何が狙いなの?)」
彼女は迫り来る紅炎にフッと息を吐き、蠟燭の火が如く吹き消した。
「なん、だと……!?」
今度こそ、ハワードの顔に焦りの色が浮かぶ。
いったい何が起きているのか、どんな手品を使っているのか、まるで見当がつかない。
しかし現実の問題として、最も得意とする火属性の魔法が、ルナにはまるで通用しない。
その純然たる事実に大きな衝撃を受けた。
「あの……さっきから何をしているんですか?」
ルナの発した疑問は、心の底から湧き出たものだった。
魔法合戦とはすなわち殺し合い。
命のやり取りをする真剣勝負において、こんな子ども遊びのような魔法を使う意味が――ハワードの意図するところが、まったく理解できなかったのだ。
「な、なるほど、わかったぞ! 天恵か! ルナは魔法耐性を強化する天恵を持っているんだな!?」
「え?」
天恵。それは選ばれし人間のみが持って生まれる、天より授けられた超常の力。
ハワードは自身の魔法が防がれたのは、ルナの天恵によるものだと推理した。
「いえ、私は天恵なんか持っていませ――」
「――しかし悲しいかな。いくら魔法耐性を強化したところで、そこには『強化限界』という壁がある。……ふふっ、このボクに本気を出させたんだ、あの世で自慢するといい!」
ハワードは自信満々にそう語り、ゆっくりと右手を上げる。
「さぁ、刮目せよ! 最上位魔法――<冥府の獄炎>!」
次の瞬間、彼の挙上に直径一メートルほどの大きな炎球が出現した。
凄まじい熱波を受け、周囲の男たちに驚きが走る。
「な、なんて大魔力だ……っ」
「ひゅーっ、さすがはハワードの旦那だぜ!」
「いくら天恵持ちとはいえ、こんな大魔法を食らったら、ひとたまりもねぇ!」
そしてもちろん、ルナもまた衝撃を受けていた。
「こ、これが……最上位魔法……!?」
「ふふっ、さすがに驚いたようだね? しかし、後悔してももう遅い。キミは龍の逆鱗に触れてしまっ――」
「――はぁ……この時代の魔法は、随分と廃れてしまったのですね」
「は?」
「――<炎>」
次の瞬間、ルナの頭上に灼熱の大炎塊が浮かび上がる。
全容が把握できないほど巨大なそれは、遍く総てを燃やし尽くす焦熱の焔。
太陽かと見紛うほどの大魔法により、洋館の二階より上が完全に『焼滅』してしまった。
「こ、これは……極位魔法<焔獄焦炎>!?」
呆然と見上げるハワードへ、ルナは淡々と真実を告げる。
「そんな大層なものじゃありません。これはただの下位魔法です」
「あ、あり得ない……こんな……馬鹿なことが……ッ」
歴然とした格の違いを見せ付けられたハワードは、その場で腰を抜かしてしまう。
「ところでハワード様、泣きながら靴を……なんでしたっけ?」
灼熱の炎塊を背負ったその姿は、自然に零れたその台詞は、ハワードを見下したその視線は――紛れもなく『悪役令嬢』のそれだった。
「ひ、ひぃ……っ。助け――」
「――問答無用」
刹那、凄まじい轟音が鳴り響き、灼熱の衝撃と紅蓮の爆炎が吹き荒れる。
崩壊した洋館に残火が灯る中、月光に照らされたルナが悠然と佇む。
「大きなことばかり言うくせに、小心者なんですね」
彼女の視線の先では、
「ぁ、ば、ぁばば……っ」
ハワードとその配下たちが、魔法の余波を受けて失神していた。
あのまま消し炭にしても仕方がないので、屋敷から遠く離れた場所に<炎>を落としたのだ。
相手の戦意を挫くための軽い威嚇射撃のつもりだったのだが、まさか泡を吹いて気絶するとは思っていなかった。
(アリシア姫とサルコさんは……よかった、大丈夫そうですね)
聖女の大魔力に当てられたアリシアは肩を抱いて震え、サルコは未だ気絶したままだが……ルナの展開した防御魔法のおかげで、二人とも無傷だ。
(さて、そろそろ撤収しましょ……ん?)
ルナが帰宅しようとしたそのとき、遠方から馬の嘶きが聞こえた。
(馬の鳴き声と蹄の音……方角から考えて、王国の正規兵かな)
彼女の予想は珍しく当たっており、エルギア王国の聖騎士団が、アリシアを奪還しにきていた。
(見つかったら面倒なことになりそうだし、早いところ逃げちゃおっと)
ルナがそんなことを考えていると、アリシアが恐る恐るといった風に声を掛けた。
「あ、あの……ありがとうございました」
「いえ、どうかお気になさらず」
彼女は短くそう言うと、人差し指で空に文字を描く。
「――<精霊の秘匿>」
魔法が起動すると同時、淡い光があちこちに浮かび上がり――髪の毛・飛沫・魔力の残滓、この場に残るルナの痕跡を完全に消し去った。
(よし、これで追跡の魔法を使われても、こっちの身元は割れない)
ルナはこれまで聖女として、離宮・地下牢・内裏などなど、様々な場所に幽閉されてきた過去を持つ。
夜逃げや脱獄は慣れたものであり、その手際はもはや職人のそれだ。もっと女の子らしい特技がほしいものである。
一切の痕跡を消した彼女に、アリシアが声を掛ける。
「つかぬことを御伺いするのですが、これからどうなさるおつもりなのですか?」
「それはもちろん、撤収ます」
「で、では……最後に一つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」
「はい、なんでしょう」
「あなたはいったい、何者なんですか……?」
「私は聖……いいえ、もう違いましたね。私は通りすがりの――悪役令嬢です」
そうしてルナは走り出し、夜の闇に消えていった。
■
翌日。
自室の椅子に腰掛けたルナは、新聞を片手に紅茶を飲む。
「……」
全国紙のヘッドラインを飾るのは、昨日の夜会襲撃事件、その横にはハワードの青く腫れあがった顔がデカデカと載っている。
(まぁ、妥当な処罰かな)
新聞記事によれば……グレイザー家は公爵の地位を没収、主犯のハワードには、大逆罪によりアーザス極北流刑地での労役999年――実質的な終身刑が下されたそうだ。
一瞬の苦しみで終わる極刑ではなく、死ぬまで続く極寒地区での強制労働。
この決定からは、国王の怒りのほどが窺えた。
「んーっ」
新聞を読み終えたルナがぐーっと伸びをしていると、コンコンコンとノックの音が響く。
「失礼します」
そう言って部屋に入ってきたローは、廊下に置いてあった木箱をガンガンガンっと山積みにしていく。
「えーっと……これ、何?」
「ルナ様がご所望されていたものです」
「え……う、うそ!? 見つけたの!? 本当に!?」
木箱の中を漁るとそこにはなんと、彼女が三百年前に愛読していた小説『悪役令嬢アルシェ』の全巻セットが入っていた。
「うわぁ!」
小さな子どものように目を輝かせたルナは、すぐさま第一巻を手に取った。
カバーは日に焼けて色落ちし、くすみや経年劣化があるため、コレクションには向かないものの……中身を楽しむ分にはなんら問題がない状態だ。
「あ、ありがとう! ロー、大好き!」
「恐縮です」
空はどこまでも青く、気持ちのいい春風が吹き、小鳥の綺麗な声が響きわたる。
「こんな清々しい日は……家に引き籠って、悪役令嬢の小説を読み漁りましょう!」
第一章:聖女転生編、完結。
【※とても大切なおはなし】
第一章はこれで完結、第二章は明日更新予定です!
そしてここで一つ、皆様にお願いがあります。
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