それはどうにも不毛な話ですが。
「ハゲ」という言葉は身体的特徴を表す中で比較的気楽に用いられる用語です。
考えてみてください。ふくよかさの表現「デ○」や背の低い方の「チ○」などは多分いろいろな場面でNGだと思われます。身体的欠損や障がいはもちろん、病気の症状や頭髪皮膚の色、体型、顔の特徴…こういうのを例えば漫才のネタにしてご覧なさい。テレビだったら局の、イベントだったら主催者の電話がクレームで鳴りっぱなしになるでありましょう。
然るに「ハゲ」はどうか?不思議なことに、これはNGじゃないらしい。
「ハゲとるやないかい!」とツッコまれ、笑いを取れるらしいのです。
私はこのエッセイでそういう世の中を糾弾したり啓蒙したりしたいのです!
…という気持ちは一切ありません。
私自身は30代から薄くなり始め、ある年代から地肌が見えたところでスッパリ諦めて完全にスキンヘッドにしました。多くの男性諸氏は例えば父親を見て、ハゲるかも、いやハゲるに違いないと恐怖したり、今のうちにケアをしなくちゃと焦ったり、様々な思いを抱くわけであります。
私が言いたいのは「気にしてもいい」「ケアしてもいい」けれど「気に病むな」ということなのです。
そう、ハゲにはハゲの生き方や生き様や、そして楽しみさえあるのです。いや、気休めや強がりや逆説でなく、本気でそう思っているのです。ググッ!(今真っ直ぐ前を向いた音が聞こえたでしょうか)
もちろんハゲて、あるいはハゲていく過程で辛いことがないかと言われたら…あります。そりゃそうです。今まであったものが無くなるのは何だって寂しい。電柱のピンサロ広告だって、使わない電話ボックスだって、駅前の雑然とした違法駐車の自転車だって、まったく無くなったらそれはそれで寂しいと思うのが人間です。(何か違う気もしてきましたが)
辛いことのひとつに例えば着る服で明らかに「ちょっと違う」と思うものが出てくることがあります。髪がないと似合わない服はあっても、髪がない方が似合う服やアイテムというのはなかなか無いものです。
私がもっともハゲに似合わないと思っているのは『サンバイザー』です。…言わなくても良かったですね。
また様々な場面で「くそうっ!」と地団駄踏む場合も多々あります。
数年前に夫婦と娘の三人でバリ島に行ったのですが、最終日帰りのフライトまで半日以上の余裕があるということで『デラックスロングスパ』をオーダーしました。3時間かけて色んなマッサージやら何やらを施してくれます。
そのひとつ、「クリームバス」というメニューで私の担当の女の子が困ったような顔で私の頭を見つめています。これは頭髪にクリームを塗って艶をだすというものだったのです。私は意地になってこれ見よがしに頭を突き出し「塗らんかい!」と…はしませんで、「いいんですよ。次に行ってみよう!」と笑顔で言いました。向こうのコーナーで奥さんと娘がゲラゲラ笑っている声がしました。失礼ですよね。
また、最近国内の大手カレーメーカーの工場を見学する機会がありました。数人の部下と私で入り口に立ち、そこで係の方に渡されたのはビニールでできたシャワーキャップ状の帽子でした。
「ここからは毛髪もしまっていただきます」
係の方が言うので私もかぶろうとしたのですが、その係のお姉さんがそれを見て「プッ」と吹き出し、部下たちも「グハッ!」「ブヒッ!」と一様に口を押さえるではありませんか。失礼だと思うのです。
さらに一昨年、ずっと煩っていた痔疾を思い切って手術しました。経過も順調で明日退院という日に担当の看護師の方がやってきます。
「おめでとうございます。退院後にしばらく飲んでいただくお薬の説明にきました」
「ありがとうございます。たくさんありますね」
「そうですね。でもこれは最初の3日間だけ。こっちは痛みが出たときだけで結構ですから」
「ああ、そうですか。痛かったらでいいんですね」
「はい。これは多少眠くなったり、それから…」
「それから?」
「ええっと。け、毛がぬけたり…プーッ、失礼しました。毛が抜けることがあります」
失礼ですよねえ。
はたまた、朝のワイドショーで生まれ月の運勢をランキングしているやつ、何となく毎日ネクタイをしながら聞いておりました。
「○月生まれの方、ごめんなさい!最下位です」
なんじゃい!今日は大事なプレゼンもあるのに縁起でもない。
「でもダイジョーブ!運気を上げるアイテムがありますよ!」
おおうっ、それは聞いておこうじゃないか。
「ラッキーアイテムはカチューシャです!行ってらっしゃい!」
行きたくなくなったわい!失礼だああ。
娘が結婚して家内と二人暮らしになり、家事の新しい分担をしました。私の分担のひとつに水回りの清掃が加わります。
でもやってて気づいたのですが、この付近の清掃というのは髪の毛の除去というものがメインといっていい作業なのですね。いや、いいんですよ。このへんで文句言うのは人として器が小さい、いや確かにそうなんですが。
ただ風呂の排水溝に一杯に詰まっている長い髪の毛をこそげ取っている時「忸怩たるものがある」「釈然としない」「不条理だ」などの言葉が浮かんでは消えるのを止められない自分もいるのです。
…さて、ここまで読んでいただいた方はたぶん、作者は結局ただ単に「ハゲの不幸」を面白おかしく書きたいだけなんじゃないのかなどと疑っておられるのではと思います。とんでもありません。…いや、ちょっとそれもありますけど。
私は最初に申し上げたとおり、ハゲにはハゲの生き方や楽しみがあるぞ!と言いたいのです。
まず、この文章もそうですよね。こういうことを書いたり、話したりして多くの方に楽しんでもらうことができます。意外とこれは大きいのですよ。
会社で女子社員が髪型を変えたとき「失恋したの?」はセクハラですが、「いい感じだね。俺も前髪がうるさくなってきたし」なら元気がなくても笑ってくれます。
男子社員が男性用コスメで盛り上がっているとき、「男が化粧品で盛り上がるな」ではイマドキ何だこのオッサン…と言われそうですが「俺にもいいコンディショナー教えてくれ」なら話題のオチに使ってくれます。
部下が失敗して得意先に謝罪に行くときは、先方が知り合いなら「申し訳ありませんでした。お詫びに上司の私が頭を丸めてまいりました」と言うと10人中9人はそれで笑って許してくれます。
あと一人については思い出したくありませんけど。
ほとんどの顧客は私の顔を忘れません。忘れていても最初のワンアクション、例えば「今日もケガなくいい一日で!」「うちも決算にハゲんでおります」などと言葉を添えればすぐ思い出してくれます。これは恐ろしい武器です。マジで。
ついでに飲み屋で笑っていると、ほぼ100%いい人に見えるようです。「ハゲで笑顔は悪人に見えない」…真実かどうかはわかりませんが「そう見える」というのも大切なことなのです。
これはもっとついでですが、サングラスをすると逆に相当なそれっぽい感じに見えます。コンビニに行けば他のお客さんが道を開けてくれます。運転中ちらりと振り向けば、煽られることはまずありません。ただし自分よりもっとヤバい方に出会った時は大急ぎでサングラスをはずしてニコニコ笑い、「いい人化」します。
スキンヘッドなら自分でバリカン散髪がたやすいので、お金はかかりません。もちろん洗髪も楽々、極端に言うと湯船に潜って数回頭を撫で、浮き上がれば終了です。これを洗髪と呼ぶかどうかは論を別にしますが。
私は容姿に何らかのコンプレックスを持つのは普通のことだと思っています。(美男に生まれたことが残念ながら一度もないので「いい男」の気持ちは知りませんけど)
繰り返しますが「気にする」のは普通のことです。「気に病む」必要はないのです。無理にポジティブに考える必要さえない。そのまんま、そのままでいいと思います。気にしながらも、あきらめつつも、どこかで自分を笑える余裕があれば、少なくとも本当の意味の「幸福」が容姿外見とは別の次元の問題であることが何となくわかってきます。
強く生きる必要なんてありません。無理に自然体にならなくてもよい。ただただ受け入れる。普通に受け入れる。これは「ギフト」なんです。「毛がないこと」「なくなっていくこと」は私の正でも負でもない財産で、仲良くお付き合いしていく友人なのです。
さて、私の知人が先日旅行から帰ってきて、ニヤニヤ笑いながらお土産をくれました。
「北海道に行ったんだけど。留萌ってとこに用があってな。ププッ、ま、増毛町てっとこに寄ったのな。ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ。ま、ま、増毛町な。プーーッ」
何が面白いのか本当にまったく意味不明ですが、その友人はその街で私のことを不意に思い出し、「スカンピン」という妙な名前の店で「かずのこパン」という変なパンを買い、いまだ笑いに震える手で渡してくれたのでした。心の底から愉快そうな笑顔で。
つまり、そういう変な友達もできますし。
読んでいただきありがとうございます。書き終わって少しだけ泣きました(笑)。嘘です。